「ぼくとしてはこれで「うる星」をやりつくした感じ。これ以上はもうできないな、というのが率直な気持ち」と押井監督は「ビューティフル・ドリーマー」について語る。この映画のどこに、そんな押井監督の思いが表現されているのか?
この映画のイメージの発端を、押井監督はこう話す。前回の「オンリー・ユー」はラムがあたを助ける話だったでしょう。だから、今回はその逆、あたるがラムを助ける話にしようと、なんとなく考えていたんです。プランとしては、あたるがおこさないとラムは永遠に眠りつづけるという話も考えたんです。ただ、あたるがラムを助けるような男なのかと考えると、けっしてそんな男じじゃない。たとえ、そういうシチュエーショになっても、ひたすらラムに執着しようとして悩んだりするキャラじゃない、とぼくは思う。で、あたるがラムを助けるというよりは、あたる自身が夢のへん歴をする話にしようという戦略を考えたわけです。
また、アニメーションで夢を描いてみたい、という思いもあったんです。実写なんかでも、リアルに撮れば撮るほど現実感がなくなるような映像があるでしょう。そういう映像はアニメーションでも可能じゃないかと考えていたんです。今回、小林七郎さんに美術監督を強引にお願いしたのも、じつはその意図があったんです。小林さんのリアルすぎるぐらいリアルな背景に『うる星」のキャラをのっけたらどうなるか?そんな実験をやってみたかった。というのも、理由のひとつです。
「TVシリーズでは友引高校の構造がどうなっているのか、なんていうことはほとんど気にしないでやっています。それでいいと思ってきたからです。でも劇場版では連続性”をとりこんで、密度のあるドラマ作りをやってみたかった。それで舞台も限定し、キャラもしぼりこんでみたんです」
と押井監督。ところで連続性とはなんなのか?「これは、以前、高畑(勲・現在「ナウシカ」のプロデューサー)さんと話をしたときから考えていたことなんです。あるキャラクターの行動をえんえんと追いつづけることで、作品世界にねばっこさがでてくる。TVシリーズでは、この連続性は無視して、どんどんカットをきりかえるし、舞台の設定なんかも、その場かぎりのものでいい、と考えてやってきた。その延長線上で「オンリー・ユー」を作ってみたら、やっぱり密度のあるドラマにはなりにくかった。それで今回は連続性もとりこんで映画を作りたいと考えたんです」
後半のあたるの夢のへん歴シーンをのぞいては、この原則はつらぬかれている。
「やりにくかったのは面堂。彼は私設軍隊なんかもひきずっているわけで、そのへんの処理が解決不能のまま終わりました」3あたるとラムの関係は永遠に"このまま”なのか?「うる星」の基本にああたるとラムの関係。モラトリアム”ということばが、若い世代に対してよく使われるがこのふたりも、永遠不減の関係をつづけているようである。今回の映画では、このふたりに変化はあるのだろうか?
「あたるとラムはもはやくされ縁ですね」といいつつも、押井監督は、あたるについてこう考えている。
「あたるという男は、ラムなしではなにもできない男なんです。たしかにラムのことも好きだし。けれど、自分とラムの関係を考え直そうなんて、まったく思わない。今回の映画のなかでも、たくさんの夢をめぐることで、ラムのことを考え直すきっかけがあるはずなんです。あたるにとって、それが試練といってもいい。ところが、そういう思考形態をまったくとらないんです。本質的に悩まないキャラクターだ、とぼくは考えています。
それで、さっきもいったように、あたるがラムを助ける話を考えてみると、あたるがラムを助けようとする動機はまったくないだろう、と思う。TVシリーズの127話で、じつは面堂家にいるラムをあたるが助けにいく話をやってはいるんですが、そこでも、あたるは変わらない。これは“男の立場からの考え方なんでしょうが、今回の映画も127話も、ぼくはこの立場から、あたるとラムの関係を描いてみました」
ところで「ビューティフル・ドリーマー」には、TVシリーズで押井監督が試み、実行してきたさまざまな考え方がつめこまれていると思う。この点についてはどうか?
「たしかに、TVシリーズの積みかさねの上に、映画が成り立っていることはたしかですね。個々のカット作りにしても、全体の構成にしても、とくにオリジナル路線でやってきた成果があって、出てきたものだという気がします。TVのなかでいろいろ試みたものがずいぶん役に立ってますね」
と押井監督。TVシリーズとのちがいについては、
「とくに、コンテの段階ですね。ふだんの倍以上かかったんじゃないかな。レイアウトを考えながらコンテの絵を描いていたら、時間がかかってしまった。今回は、コンテをきったあとは、ラッシュができてくるまで、ぼくはまったくチェックができなかった。自分のやりたいものが、どういう絵になってあがってくるのか、計算できなかった部分があります。
でも、初号を3度見たかぎりでは、3度ともスッと見れた。映画になっているかどうかは、まだ不安だけれども、なんとかまとまっという気はしますね」
と語る。「結局、劇場用でやれるいちばんのメリットは、フィックス画面で動画枚数をたくさん使えることなんですよね」
と押井監督。モブシーンでは、そのメリットが最大に生かされていたと思う。「マルチをたくさん組むとか、オプチカルをたくさん使えるとか、カメラワークをいろいろこってみるとか、そういうことが映画的ではないと思う。今回の映画でも、マルチはほとんど使ってません。カメラワークも、なるべく少なくして、カメラをふる必要性を意識して使うようにしてみました。だから、サクラと先生が対話するところで、360度パンを使ったのが、やや目立っただけで、今回はフィックス、つまり固定画面が多かったという気がしますね」
こうしたテクニック上のことだけでなく、今回つくづく感じたことがある、ともいう。「つまり準備期間をどれだけとれるか。シナリオやコンテに入るまえの時間がどれだけあるかが、映画を作るうえではものすごく大きいなあと思いましたね。準備期間が倍あれば、あと3、4割は映画もよくなったのに、と思いますねえ。それがほんと心残りでした」戻る