生きてきた時代、育った環境などによって、その人の映画体験や映画観はかなりちがう。では、ある世代独特の映画についての感想は、ほかの世代に伝えられるものなのか。いま30代のふたりが、10代の人間にどんなことを語ろうとしたのか、その体験から想いまでを、語りあってもらった。
��四畳半映画�≠ニいう物理的限界を感じていた大学生時代
東京では16年ぶりという大雪がようやく降りやみ、久しぶりに快晴となった1月20日、大森一樹監督と押井守監督の初顔あわせ対談が実現した。2月1日から東宝系で2本立て公開となる「すかんぴんウォーク」と「うる星やつら2ビューティフル・ドリーマー」をそれぞれ監督したおふたりは、ともに30代前半。年齢ばかりでなく、大学時代に16ミリ映画を作った経験があることなど、共通点も多い。
大学生の自主製作映画といっても、現在のように話題になることも少なかったマイナーな時代を経験し、その後メジャーな商業映画に携わるようになった両監督の世代的こだわり”を語ってもらおう、というのがこの対談のテーマ。
当日は札幌から帰ってくるという大森氏を待ちながら、先に到着した押井氏と「うる星2」についての話をするうち、大森氏も到着。
話はまず大学時代の思い出からスタートした。
大森 大学映研というと、いまは冬はスキー合宿いったりとか(笑)、そんなんですけど、ぼくらがいたころはいちばんハードやったころで...
AM 何年ぐらいですか?
大森 70年ぐらいでしょう?
押井 70年。ぼくが入学したのが70年だったから。
大森 ぼくは入学が2年だったです
押井 たぶん卒業が同じなんじゃないかな?ぼくは6年間いたから(笑)。
大森 いや、ぼくは8年おった......。
押井 (笑)。
大森 大学の映研にいたときは、どういう映画を?
押井 ぼくらがやっていたころは、みんなわりとこむずかしいことをいっていた。
大森 うん、政治的な......。
押井 大学に入ったころから「三里塚の夏」とか・・・・・・。
大森 小川(紳介)さんの
押井 ええ小川プロが最も戦闘的だったころでしたね。だから、ぼく自身の映画の好みは、ポーランド映画とか、クリス・マルケル(フランス映画監督)とか、そのあたりにイカれてたので、非常に観念的な映画を作っていました。
AM 大森さんも映研で?
大森 いや、ぼくの大学には映研はなかったんで、神戸の友だちと作ってたんですけどね。
押井 まあ、自主映画というか、仲間を集めてだいたい100万は超えないぐらいの予算でしかできなかったんだけど、映画を作ってみるしょう。そのときに、もう限界といそんなことを感じてたわけです。まず資金集めの苦しさがあって、1本作るとだいたい翌年はアルバイトで1年間終わってしまう。借金返すためにね。
大森 あのころは4年に1本や、いわれましたね。
押井 映画を作って、それを公開することで資金を回収するということがあり得なかったのね。
AM なぜですか?
押井 映画を見て、資金を回収することに情熱を持たなかったのね。最初から、もう見てくれないものだというふうに思ってたから(笑)。発表の場もなかったし。勝手に作って、勝手にちょろっとやって、あとはもうオシマイ。あとは借金返すために働くのみ、ということのくり返しだった。
AM 大森さんも似たような感じだったんですか?
大森 16ミリのお金かかるやつはそうでしたね。8ミリなんかはすぐ撮れたから。大学の時に16ミリ撮ったのは「暗くなるまで待てない」というので、あれが100万でやって、3年かかって回収しましたね。
AM 3年・・・。
大森 わりともてはやされたほうの映画ですよね。関西で作って、東京のほうへ持ってきて、わりと珍しがられて。それですら、そんなんやったからね。いまはずいぶんちがうらしいけどね。ぼくらのころはやっぱり、現場そのものが貧しいのよね。友だちの下宿にとまりこんで2週間だんだんお金がなくなって、最後には食うものもなくなって。だから、まず役者に金かりて、女の子からも金かりて、それで最後までやって、とりあえずラボ(現像所)にフィルムをつっこんでしまう。ラボは金を持っていかないとフィルムを渡してくれないから、ほとんど数か月あずけっぱなし、とかね。
大森 「暗くなるまで」のときでも、撮影は2週間終わってるのに、撮影後は1か月休みとかね。お金がなくて、3か月か4か月かかりましたね、完成するのに。
押井 クランク・インしてから2週間ぐらいしか支えきれないのね(笑)。金がつきちゃうから、自然解散になってしまって。そういう物理的限界はいつも感じてた。セットなんかくめないから、オールロケーションで、自分の下宿とか、友だちの下宿とかが当然舞台になってくるわけて。みんなにいつもバカにされてたものね。四畳半映画”とかいわれて(笑)。レンズがないので撮りたい映像が撮れないとか、フィルムのまわしができないとか。そんなときに、クリスマルケルの「ラ・ジュテ」(63・全編のほとんどがスチール写真によって構成されている)を見て、スチールショットの映画の可能性みたいなもを考えて、急きょ写真を撮りまくったり。大学時代にはまとまったものは3本しか作れなかったね。またそういうふうに映画作っていても、商業映画をやるということは、まるで考えなかったですよね。
大森 いや、押井さんが大学映研出身の人やなんて、いまはじめて知ったことで、こうしてふたりの映画が2本立ててやられるというのは立派になりまして(笑)いう感じですね。あのころのことを考えていると、ちょっと想像ができんのやないですか?
押井 そうですね(笑)。前回の「オンリー・ユー」のときにふとなにげなく「ぴあ」を見たら、自分の名まえが出てるわけ。あ”とか思ったよね(笑)。後輩に“あっという間にメジャーになりましたね”とかいわれて、はじめて気づいたのね。別に商業映画を自分は撮るんだとか、自分のなかで方向性がかわったという経験はないのに、気がついたらそうなっていた、という感じ。思うに、アニメーションの仕事に入ってから忙しすぎて、自分の仕事をふり返る余裕なんて、まるでなかったということだと思うんだけど。
自分のなかの高校生をよりどころに、10代むけ映画を作る
大森 映画館にかかる映画は、この前のが最初ですか?
押井 そうです。こんどのが2本目で。ニルスのふしぎな旅」の映画がオクラになっちゃったものだから。
大森 ぼくは、今回は「うる星やつら」と2本立てということを聞いていたから「うる星やつら」のお客を意識してね。世代が一世代ちがう人たちにむかって作るわけでしょう。やっぱり考えますか、ティーン・エイジャーむけというのは?
押井 前回の「オンリー・ユー」のときはそうとうあったことはたしかですね。だから併映の「ションベン・ライダー」という相米(慎二)さんの映画を劇場でみてびっくりしたんだけど、自分の作ったものと、あまりにも対象も傾向もちがうしこういうものを2本立てにしてどうなのかなあと・・・。
大森 でも、今回は番組としては、「うる星」がメインですよ(笑)、東宝の方針としては。そうすると、これのペアとなるような映画を考えるのは、わりとシンドイですよね(笑)。
押井 具体的になにか要求されたわけですか?たとえば、このぐらいを対象にしてほしいとか......
大森 いやそれは自分で考えますねん。今回はこのあたりを狙わないといけないな、というのは。
押井 ぼくは逆だった。というか、とにかく前回、相米さんのと2本立ちで封切られたものを見たとき、アニメーションといえども同じ映画であるはずなのに、どうしてこうもちがうのか、その作り方のあまりの落差にショックをうけたのね。むこうはかなり奔放にやっているのに、こちらはテレビの作り方の延長線上でやらざるを得なかったし、そういうものも要求されたし。だから、今回は逆にこちらも思いきってやらせてもらおうという決心は、あのときついたわけでね。
大森 その落差というのは、どういうふうにしていこうと思っているわけですか?クリス・マルケルが好きやったわけでしょう(笑)。
押井 (笑)。ただ、アニメーションの現場に入ってから、いろいろ気づいたこともあるわけてね。アニメの演出家というのはまず技術者でなければいけない面があって、その技術のエキスパートでないと演出家にはなれない。最初の数年は、とにかくそれでいっぱいだったわけです。映画を見る機会もなくなるし、まわりの話題はアニメーションばっかりだし。ようやく考える余裕ができたのは、竜の子プロからスタジオぴえろに移ったころからかなあ。自分が要求されているものに、ある程度こたえられるようになって、はじめてやりたいものが浮上してくるわけで、そのひとつの、そしてはじめての解答がこれ(「ビューティフル・ドリーマー)だといういい方はできると思うんですね。ただ単純に演出家は作家であるとはいえないんで、とにかく演出家は要求にこたえるというか、1本の映画を、とにかくお金をとって見せて、楽しませてあげる。それで、解放感を味わわせてあげて、外に送り出す、それを受けおうのが演出家なんだと思うのね。ただ、学生時代にイカれていたクリス・マルケルだとか、ヤン・ニメッツ(チェコの映画監督。代表作は「夜のダイヤモンド」)だとかの、なんというか燃えかすみたいなものはまだ残っていて、今回の映画なんかにも多少、出ているかな、という気がしないでもないんだけれども。そういう自分のこだわりをどこまでやれるかというのは、まるでわからないんですけどね。1本のアニメーションを作るということは、おもちゃ屋さんとかTV局とか代理店とか、いろんな人間の利害が一致するところはじめて作品が作られるわけで、そこから後に何を作るかっていうのは非常にむずかしいわけですよね。
大森 押井さんがおっしゃったように、最低のそういう期待にはこたえないといかんしね。プロの劇場映画なんだから。ただ、ぼくの映画でもそうなんやけど、なんかよりどころみたいなもん、あるでしょ。よく、テーマはなんですかと聞かれたりするけど、たいていテーマということばになるようなものじゃないと思うんですよね。て、ゴモゴモいうてたらなんだ、テーマないんですか。いうて軽蔑されるんやけど。
押井 (笑)。
大森 でも、なんかよりどころになるものはあるんよね。そうするとやっぱり「すかんぴんウォーク」は、とりあえず興行関係者がまあいいだろうというものを作ったうえで、16歳から16歳ぐらいの男の子や女の子に見せる映画なんだということで、そのなかで自分に何ができるかみたいなこと考えるわけです。それで、まあぼくたちよりひとまわり下の世代の人たちなんやから、ちょっとは何かいってもええやろと思ったりなんかするんだけど、そういうことって考えるでしょ?
押井 考えますね。ただ、それがいつもわからないわけね。アニメーションというのは子どものものだ。というのが、ぼくらの場合絶対的にあるわけなんだけど、ぶっちゃけた話、どういうものを考えて、どういうものを(子どものために)作るのかということは、ぼくもわからないし、だれにもわからないと思うわけです。で「うる星」なんかでもそうなんだけど、自分自身、高校生のころからたいして変わっちゃいないという部分もあるわけで、そういう部分で、つまりいい方としては、自分のなか高校生とか、自分のなかの子どもとかをまん中にすえてやってみる、ということしか残らなくなっちゃうのね。そのなかで、ある程度、まあちょっといってもいいんじゃないかという部分が加味されるということになると思うんですよね。
大森 あの、ぼくらの高校、大学のころと、いまの高校生、大学生ってぜんぜんちがうじゃない。よりどころになるのは、たしかに自分たちの7、18歳の気分なんだけど、これで通用するんかねっていうのはありますね。
押井 うん、あります。それは確実にあるんだけど・・・。
大森 自分と同世代にむけて作るぶんには作りやすいゆうか、甘いといえば甘いんやろうけど、同じ70年代の最初に大学生活をすごした人にはどこかわかってもらえるだろうなあというのがあると同時に、いまの高校生にあわせて作ったら、それこそその子たちは映画を見て別世界にはいかないからね。気恥ずかしいけれどちがう世代に作っているときに、自分たちの世代の感じ方とか考えてきたことっていうのは、やっぱり入ってくると思うし「うる星やつら」なんかにも入っているわけですか?
押井 入ってると思いますね。いやおうなく入ってしまう部分もあるし。ある意味では、青春映画みたいな高校生活なんてぼくらのころはなかったし、女の子の問題とか(笑)いろいろあったりして、それはいまでも変わってないはずだと思う。そんなに自由奔放にやってるという気はぜんぜんしないし、実際には殺ばつしているだろうと思うけど。だからある人にいわれたこともあるのね。「うる星」ってのはなんか非常にエキセントリックなやつが出てきて、やっとみんなが迎合して、ワーッとやっちゃうような感覚があると。でも、ぼくが呼吸してた高校生活はそういうもんだったもんね。
「映画はとにかく作りつづけることに意味がある」(押井氏)
押井 結局「うる星」でたいして一生懸命でもないけれど、やってる部分というのは「巨人の星」とか「宇宙戦艦ヤマト」とか、そういうものが信じられない連中のドタバタなんだと思うのね。若い人にいいたい部分があるとすればそのへん、ということになるんだけど。「うる星」の登場人物というのは全員がエゴイストで、だれかにものを頼むなんていうのはラムぐらいのもんで、みんな自分の利害のために突っ走る。だから平気で他人を裏切っちゃって、裏切られてもあまり傷つかない。そういうものをかなりデフォルメしているだけだと。この作品に関しては、そういう部分でやるしかない。
大森 それはよくわかるな。
押井 あたるが映画を作る話があってテーマは愛だとかいってるけど結局は全部お題目なのね。そういう気分が横溢した世界が出てくれば、いちおうぼくの狙い目としてはOKだと思う。もっと突っこんでいえば、映画そのものがもってるおもしろさというものを、もっと前面に押し出してもいいんじゃないか。もしかしたら、いまそういうのがわりと自由自在にできるのがアニメーションじゃないか、という気がするね。
大森 そういうふうに考えたのは最近ですか?大学のころは、他人がみなくてもいいと思ってたみたいなおもしろくなくてもいいという気持ちだったわけでしょう。
押井 いちばん感じたのは竜の子に入って二年目ぐらいかな。ギャグばっかりやってた時代で、自分で書いててもギャグを作るのがおもしろくてしょうがないとかね。意外だったね、自分はこんなにサービス精神のおう盛な人間だったかなって(笑)。
大森 あの、そうやっておもしろいもん作るサービスの自分というのがあってね。すると、いわれるんやけどほんとはほかに作りたいものがあるんでしょって(笑)。
押井 (笑)
大森 今はこうやっているけども。そういわれればいわれるほど、自分のやりたいものはないんですよね。
押井 たしかに自主映画やってたころの感覚からは逃れられないと思うのね。そういうアドレッセンス(思春期)からは自由じゃないにしても、そういうところから離れたところで自分が評価されたり、ものを作ったりするのは、自分でも納得できるということはありますね。たしかに、きりかえされて、じゃあ、おまえの作りたいものはなんなのかといわれて、明確にこれですと出てくるかというとわからないし。わからないからあまり好きではなかったギャグをやって他人に認められたりする、それがもの作りのふしぎさで。
大森 ぼくもゴダールの「男性・女性」(66)みて映画やろうと思ったほうやからね。それでいま「すかんびんウォーク」で、どうなったん思うんやけど、じつはいまこんな映画撮ってますけど、ほんとは「男性・女性」みたいな映画が撮りたいんです、やないもんね。あれをもう忘れたとか、どうでもよくなったんじゃなくって、どんどん形を変えていったんだと。「男性・女性」をみて思った。映画というのは時代をとらえるものだし、時代と自分がどう関わってくるかがみえてこないといけないんだ。というむずかしいことからはじまって(笑)、ここまで来てるんやけど、そのへんはいまでもちがいないと思う。だからアイドル映画だってそれなりに時代がみえてくるし、アニメーションだって、そうだと思うんやけど。
押井 学生のころはまったく逆に、映画は時代をどうやって超越できるかと考えていたね。映像の持っている普遍性とは何なのか、とかさ。でも、当時も、クリス・マルケルを見る一方で、東映の映画も毎週見にいってたわけで、分裂してたよね。いまはどんな会議に出ても、いま何がはやりとか、来年何がはやるかとか、アニメーションというのは、時代性の色濃い世界になっていると思う。で、あんたどう思うかといわれてもわからないのね。わからないけど、このなかで、こういうものはこうなんじゃないかという自分のものを出していくということしかできない。
大森 「うる星やつら」は?
押井 やれたという気はしてるんですけどね。
大森 ぼくはわりと、今回の「すかんぴん」みたいなアイドル映画までやると、素直に見れるなという感じはしましたけどね。逆に、同世代にむけて、自分をどうのこうのというのは、もう、すかーんと・・・。
押井 あの、アルドリッチ(アメリカの映画監督。昨年12月没)みたいな生き方があって、映画作る以上は作りつづけないと意味がないんだ、あるときズバーッと自分のいいたいこといった映画を作ったからいいんじゃなくって、一生作りつづけなきゃいけない。30代、40代、30代にそれぞれの映画があって、そのなかで一貫したものが出てくる。それを自分自身もたしかめたくて作りつづけていくみたいな。クレマン(フランスの映画監督。代表作は「禁じられた遊び」)なんかも、老境に入ってからのほうが好きなんだけど「雨の訪問者」(70)とか「パリは霧にぬれて(71)とかの感性は、20代で日本に生きてる男にもわかるところがあるのね。ある種の存在感というか、生きてきた実感というか。
大森 しみじみと画面からにじみ出るというのが映画だと思うね。それが映画の本質というか。目ざすものがどうこうという問題じやなくて、自分の生きてきた軌跡が出る、そういうものだと思う。
大森 でも、完成してから会ってよかったと思うのは、やる前に会ってどうしましょうなんていってると、クリス・マルケルとゴダールの2本立てみたいな(笑)ものになってたりして、東宝が怒ってしまったんやないかな(笑)
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