「天使のたまご」では、天野喜孝さんが担当していられるアートディレクションという部分が、大変重要だとうかがったんですが。

押井 アートディレクションていうのは、実写映画の場合だと、アートディレクターっていう人がいますよね。画面にててくる灰皿からコップ、あるいは部屋の内装とか、またはどういうところでロケしようとか、ようするにその映画のスタイリングに関して、全部責任持ってやるわけです。昔からあるんですけど、特に「エイリアン」みたいな最近の特撮映画とか、そういう実写映画のほうでのアートディレクターという立場の人間を、アニメでも想定してやってみようかと、前から考えていたんですよね。アニメーションだとキャラクター・デザインにはデザイナーがいて、設定は設定マン、背景は美術監督っていうふうに全部分業化しているでしょう。それを監督なり演出なりがまとめあげるんだけれども、そこにはある種の限界も当然出てくるわけで、そういうのとは別に、絵的には1人の人間のセンスだけで全体をまとめるって作業をやってみたかったんです。いわゆる美術監督の立場というのとは、また別個に想定してるってことで、アートディレクターが美術的なものに全面的にたずさわって、背景の作監までするってことではもちろんないですけどね。今回の作品に関しては、そういうふうな人にキャラクターと、そのキャラクターにふさわしい住まいとかコップみたいな物の形に至るまで、一応全部まかせてみようということなんです。それによって、1人の人間の映像的なセンスを作品全体に反映させることができるんじゃないかというね。キャラクターとキャラクターのいる世界を経的に調和させる1つの試みっていうふうに考えてるんですけど、うまくいけば毎回やっていきたいという気なんです。ただ、今まではそれをやれる人がいなかったというわけでね。天野氏の絵柄から相当喚起されて話を作ったそれが今度、天野喜孝さんを得て・・・ということですね。天野氏の場合、キャラクター・デザイナーをやっていて、今はイラストレーターとしての仕事のほうが多いらしいんですけど、彼の絵を見ていると、キャラクターが個性的というだけじゃなくて、やっぱり1つの世界を展開できる男だなって思ったんです。それは「ダロス」をやった時に、彼のイメージボードを見て、いつかキャラクターから世界の造形に至るまで、作品作りのすべてに関わりを持ったうえで、いっしょにコンビを組んでやってみたいって思ってましたから。「天使のたまご」では、最初はイメージボードをずいぶんおこしてもらってるんですけど、それからキャラクター・デザインはもちろん、状況設定みたいなものも含めて、細かい小道具とか、イメージシーンの画面構成とか、そういうこともやってもらっています。ただし、話作りとか絵コンテの作業であるとか、フィルムを作るうえでの演出の作業とかは全部僕がやりますけれども。

「天使のたまご」は、そうすると押井さんと天野さんのどちらが欠けても成立しないというわけですね。

押井 言ってみればね、なぜ今回こういう寓話的ストーリーにしたかというと、天野氏の絵柄との出会いがあると思うんですよ。彼の絵柄から、相当部分いろんなものを喚起されて作った話だから......。そこから必然的に導き出されてくる世界っていうのは、どうしても念みたいなもの、現実的なそれというよりも、ある種の寓意であるとか、象徴的な世界であるとか、簡単に言っちゃえということですね。ば、ファンタジックな世界ということになると思うんですよ。ただファンタジーといっても、僕のめざしてるのは、存在感というかリアリティのある、非常に重たいファンタジー。ハードな・・・。妙な言葉だけど、そういうファンタジーなんです。「天使のたまご」でいうと、僕は昔から宗教史みたいなものに興味があって、世界中の神話を見てみると、卵とか魚とかは非常に霊的なシンボルとして扱われている。鳥が死のシンボルで、魚が生のシンボルであったり、卵は宇宙のシンボルであって、卵を割るというシチュエーションが世界の誕生を意味していたりとかが、いろんな神話にでてくるんですよ。そういう象徴性をうまく物語に生かして、意味をまったく現代的なものに置きかえてやってみたいという考えが前からあったんですね。絵的な発想としては、卵をかかえた小さい女の子が廃墟を歩いてるっていうのを思いついた時に、生理的にこうゾクゾクってくる感覚があったんで、そこからいろんなことを考え始めて。で、そのへんの感覚で、絵的に一番連想できるのは誰かっていうと、前から気になってた天野喜孝氏でね。だから、物語ができあがる前から、もう彼だっていうのは決めていたわけなんですよ。



自分にとっての少女はこれだと出してみたい

そういう2人のイメージがあわさって、主人公の妖しい魅力を持った少女が誕生したということですね。

押井 少女というのは、文学や映画や音楽の世界にもでてきますけど、普遍的なイメージですよね。この作品をやる時に、映画「シベールの日曜日」のパトリシア・ゴッチとか、少女のイメージをいろいろ思い浮かべましたけど、ズバリこれっていう感じはなかったわけです。けれども、天野氏とも話したんだけど、結局絵描きっていうのはね、自分の中の理想の少女を求めて絵を描いてって気がするんですよ。それを造形しされた時に、ある種の作品行為っていうか、そういうものが描き手の中で成立するんじゃないかな。だから僕も、自分にとっての少女はこれなんだと出してみたい。少女と社会全体を対峙させるというそんな構図にひかれるんです。やはり誰でも一度は描いてみたい素材ですよね。特に男性にとっては(笑)。でも少女が主人公だとロリコンものだとか始めたころ言われたりしたけど、はっきりいってロリコンアニメとかまんがにでてくる少女っていうのは、僕が考えているのとは全然違いますよ。非常にこう、生々しいでしょ。顔はかわいいけど、体見ると少女とはとても思えないわけて、少女の体ってのはもっと内臓がパンパンに詰ってるようなね、赤ちゃんのお腹みたいなもんでしょう?ただの肉の塊っていうか、たぶん、少女というのはある種の観念そのものなんだろうって気がしてるわけです。生と死とかと同じようなね。その意味からすれば、ロリコンアニメってのは、発想の原点から違うんじやないかな。

ただ、少女というとどうしてもエロスの問題とからんでくるところがあるように思うんですが。

押井 エロチシズムってことになると、昔もまあ「千夜一夜物語」(88年)とか「哀しみのベラドンナ」(15年)とかあったわけですけど、そういうエロチシズムを、またアニメーションでやってみようというのが、今までなかったと思うんですよ。だから、絶対こういうものしかないはずだ思うんですよ。最近はアニメの中にエロチックなものをめざそうというのがでてきてるんだけど、実際にはエロチシズムというよりズバリ、セックスというふうになっちゃってるから(笑)。そういう意味では、自分でも1度はエロチシズムをアニメでやってみたかったというのがあってね。「うる星やつら」やっているころはね、ああいうビキニの女の子がでてくるものを作っていながら、むしろそういうものをまったく排除してやってたわけだから。その反動かもしれないけど、やってみたいと思ってて、でもアニメーションでは難しいだろうと思っていたらたまたま天野氏がいて、それならそれというものを中心にして、エロチシズムを体にしてね、やりたいテーマに接近していこうと考えたんです。そのへんではわりとすんなりと、天野氏と一致できましたね。基本的には彼の描くキャラクターっていうのは、あまり感情移入できないキャラクターというか、常にある種の冷たさがつきまとっているように思う。だけども、見る人がキャラクターに同化するってことじゃなくて、むしろ彼の絵から逆に見られているというような、マゾヒスティックな官能性があるんです。そういう意味で彼の絵はとてもエロティックですよね。男も女も、たとえ怪物であっても彼の絵は妙に色っぽい。だから普通のね、泣いたりわめいたりとかで彼のキャラクターに存在感をひきだすってことはできないわけで、僕にしてみれば、彼の絵柄でアニメーション作るんだったら、絶対こういうものしかないはずだと思ってた方法があるんですよ。今回はそれをそのまま持ちこんだだけでね。



「天使のたまご」はね、全編夜の物語なんです

今の押井さんなりの方法というものについて、より具体的にお聞きしたいと思います。

押井 「天使のたまご」はね、全編夜の夜という空間の中に作られる光と影の...。物語なんです。その瞬間はそこにあってもそこを離れると消滅してしまうような、極めてデリケートな光と影の空間の中、彼のキャラクターの持ち味を生かしつつではなく、すごく空間のある時にできるんじゃないかと考えているんですよ。ですから1カット1カットものすごく密度あげて作っていかないと、これはまず成功しないだろうと。それで、今やってもらってるのは、1カットごとの設定を全部描いてもらってるんです。主人公の女の子が建物の前に立った時、どこに窓があって、どんな装飾があって、壁にあるヒビ割れはどんなで、光がどういう方向から差しているのかっていう、そこまで必要なんですよ。だから1カットごとにもっとも効果を高めるための、見える部分だけの設定があればいいと思うし、建物全体の設定書みたいなものを作っても役にたたないというね。相当しんどい作業になるけれども、1カットごとにイメージとしての設定を作ってもらうしかなそれと、イメージで描くといっても、頭だけで作るものの限界というのはあるだろうし、でてくるあらゆるものに関してある種の具体性を要求してもいるわけですから、具体的な資料も参考にしています。それは、完全に現実から切れた世界を作るっていうんじゃなくて、「ピューティフル・ドリーマー」の時もやろうとしたんだけど、夢っていうのは現実以上にリアリティがある世界なんだってことでね。ぼやけてボワッとした世界が夢なんじゃなくて、カチッとパースのある、存在感のある空間がつまり夢の空間なんだとそしてそれが破れる瞬間があるから夢なんだという、そういう世界を作りたいわけなんです。今回も同じ、そこに女の子が立っているだけでその空間は作品的にリアアリティのある空間でなきゃいけない。しかも同時に、そこは女の子が立つことによって成立する空間でしかないということで、非常なもろさ、はかなさというものも感じさせなきゃいけないんだと。「天使のたまご」て描かれる世界は、いつでもどこでもない世界だけど、もう1つの現実であることも確かでなければいけない、そんな世界なんですね。



「天使のたまご」の製作スタッフが、新たに次のように決定。完成がますます楽しみになりそうな豪華な顔ぶれとなりました。●作画監督・中村たかし●美術監督・小林七郎●色指定保田道代音楽監督,管野由是

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