―この5月にカゲキなヌード写真集を出すというので週刊誌などで話題になっていますが、高部知子さんというと、かつて欽ちゃんの番組や「積み木くずし」で人気を博し、「ニャンニャン写真」事件(少年とベッドに入りタバコを吸っている写真が『フォーカス』にスッパ抜かれた)で躓いた。それ以来ある種のイメージがついて回っていると思うのですが、それは現実とだいぶ違うとお聞きしました。また先日、作家の見沢知廉さんのファンだとお聞きして、これもちょっと意外な気がした。そこで見沢さんとの接点がどこにあるのかも含めて対談をやってみようかと思ったわけです。プライベートな部分も含めて、高部さんがこれまでどう生きようとしてきたのかといったお話をきょうは伺おうと思います。まず見沢さんの作品に関心をもったきっかけといった話から始めましょうか。 自分と同じ「風」を感じた高部 2~3年前だと思いますが、テレビドラマの仕事があって、プロデューサの方たちと話していた時に、見沢知廉さんの『天皇ごっこ』がすごく面白いという話が出たんです。その人は恐らくかつて学生運動をやっていたらしくて、世の中を変えようと考えているような人はいないのかなあ、と確かそんな話をしていたと思います。その中で見沢さんの名前をお聞きしたので、興味を持って、すぐに『天皇ごっこ』と『囚人狂時代』を買って読んだのです。もともと私は本を読むのが好きで、1冊読み終えてしまうとすぐ次の本を探して、次から次へと読んでいく、読んでいない時がないといった状態だったんですね。ちょうどその時、次はどういう本にのめりこんでいこうか模索していたので、さっそく見沢さんの本を買いに走りました。読んでものすごくインパクトを受けたんですね。自分が感じているのと同じ「風」のようなものを感じて、すっかりファンになりました。ちょうどその1年ほど前、母がある病気にかかって入院しました。治療をめぐって医者とやりあいになったことがあったのですが、その時に医者から「素人に何がわかるか」という言い方をされたんです。自分の母親なのに何もできない。部外者扱いをされることにものすごい悔しさを覚えました。冗談じゃない。じゃあこっちが玄人になったら話を通してくれるのか、という気持ちでした。それで子供を2人抱えながら学校に通って臨床心理士になろうと決心したんです。通い始めた学校は、事情があって今は中断しているのですが、必ずまた続けようと思っています。病気になって管理されている母の境遇、それからかつての私自身の事件で甘んじなければならなかった自分自身の境遇、そういうものへの思いが重なって、一度お会いしたいと思っていました。それで今回写真集を作る過程で、出版プロデューサーの高須基仁さんとお話をしている時にたまたま見沢さんの話が出て、じゃあぜひ紹介してほしいとなったわけです。
虚像の高部知子が一人歩きした 見沢さんは2年間も刑務所で暮らしていたわけですが、高部さんのことは知ってました?見沢 もちろん知ってましたよ。ちょう東京拘置所にいた頃、欽ちゃんの番組で高部さんたちが歌った「めだかの兄弟」がヒットして、「反抗の季節が過ぎ去って、世の中に流されてもいいという歌詞の歌が流行っているね」といった友人への手紙に書いたのを覚えています。それが『フォーカス』に少年とのニャンニャン写真が掲載されて人気絶頂だったのが一転したわけですね。あれは何年でした?
高部 1983年、私が15歳の時でした。でもあの事件は世間で言われていることと現実とでは相当違いがあるんです。あれをきっかけに虚像の高部知子がどんどん一人歩きしていったんです。あの写真だって、撮影した時にはほかにも人がいたし、ワイワイ言いながらプリクラ感覚で撮った写真なんです。だか最初は、何であんなに大騒ぎになるのかわかりませんでした。あの少年とも会ったのはたった4回ですよ。
見沢 中学生だったからタバコが問題になった。謝ったんですよね?
高部 学校に呼ばれて、「高部、お前タバコ吸ったか?」って言われて、「吸いました」。「自分で買ったことがあるのか「?」と言われて「あります」。それで停学になりました。そこでマスコミは「やっぱりやったんじゃないか」と。そこか話が大きくなってしまって、あとは何を言っても駄目でした。でもあの当時は全くとりあってもらえなかったのですが、タバコは自分で吸いたくて買っていたわけじゃないんです。「積み木くずし」に出演していて、タバコも吸ったことがない人間がどうやって不良の役ができる?オートバイに乗ったこともない人間がどうやって暴走族の役をやるの?そう考えてあちこちリサーチをしてづくりをしている過程でタバコも吸ってみたんです。練習なら鉛筆だってできるじゃないかと言われればその通りですし、タバコを吸うのがよいとととは思いませんでしたが、ひとつの役を演じる時にはそれにのめりこまなくてできないというの私の考え方なんです。あの少年ともその過程で知り合ったんです。彼は私のファンだったようで、オートバイを持っていたから、たまたまあの夜私の家へ来て、私を連れ出したんです。学校にはタバコを吸ったことを謝りましたし、所属事務所には内緒で家を抜け出して友達と遊びに行ったことを謝りました。たとえ役柄のためとはいえ、自分でタバコを買って吸ったのは事実だから謝るのは当然と思ったんです。恐らく事務所も私が不良だったと思ったでしょうし、むしろ事務所は迷惑を被ったと思ってたんだと思います。15歳の私が自分のことを弁明する術なんてないですし、「積み木くずし」のドラマのイメージや虚像の高部知子だけがクローズアップされていったんです。
見沢 なんかの雑誌で見たんですけど、謹慎中、事務所でお茶汲みをしてましたよね。
高部 はい。言われることを言われるままにやってましたね。
見沢 色々とこうして話してると、高部さんは正直ですよね。僕もお会いするま週刊誌に書いてあったことが全部本当だろう、と思ってました(笑)実は僕の方が中3の時はけっこう非行やってたんです。シンナーもタバコもやってましたしね(笑)。
非行少年の後に左翼へ走って、その右翼に行ったわけだ。でも非行少年は普通、右翼に行くのにどうして左翼になったの?見沢 ちょっと間違えちゃった(笑)。
「ニャンニャン写真」の少年の自殺高部 どうして非行少年は右翼なんですか?
見沢 よく暴走族が日の丸掲げて走ってるじゃないですか。
高部 そういえばそうね。よく「愛国」とか書いてる。「積み木くずし」の時に「極悪」(暴走グループ)の人たちが全員エキストラできてくれたんですよ。「おす!」ってあいさつしてるのを控え室で見てて、あこうやるんだ、頭は下げなくて首だけだなとか(笑)、すごく研究したのを覚えてます。
見沢 「極悪」は女人禁制なんですよ。暴走族の中で一番強いというかハードなところ。右翼になった人も多かった。
高部 いかにもそんな雰囲気ありましたね。あの頃、私はずいぶん非行について取材しました。「不良全集」とかそんなのを買ったり、人に会って話を聞いたり......。知られてないけど「積み木くずし」の衣装とかも全部私がアイデアを出したんですよ。でも断っておきますが、私は非行はしたことはありません。シンナーもやったことがないし、ドラマ上だけですから(笑)。マスコミはさんざん勝手なことを書きたてて、あげくの果てには新宿の地下街でシャブの売人をしてたことにされちゃいましたけどね(笑)。あの「ニャンニャン事件」と言われるものも、たとえ非難されようと、マスコミの作り出した高部知子が実際の自分そのものだったら、たぶんあれほどつらい思いはしなくてすんだと思うんです。虚像の高部と実像の高部で本当に大きな差が出てしまって、そのうちに分裂状態。どっちが自分なのかわからなくなってしまう。会社の人には「あんた開き直りなさいよ」なんて言われたけれど、開き直りたくても根が不良じゃないから不良を演じられないんです。それで結局、20歳でちゃぶ台ひっくり返すみたいに芸能界をやめたんです。あの写真の少年がその後自殺してしまったこともショックでした。真相は結局わからなかったし、新聞に出てから私も知ったんですけどね。ある日、家から新聞がなくなったんです。で、父親が深刻な顔をして「おまえにつらいことを言わなくちゃいけないんだ」と。直感的に「死んじゃった?」ときくと「そうなんだ」と。その会話だけでした。どこがどうなったのか真実がどうなのか、いまだに私にはわかりません。ただ自分が多少なりとも関わった人間が死んでしまったことに対する恐怖といか畏怖というか、それがずっと後になって出てきたんです。眠れなかったり、その時期、生と死の問題について考えていたんですね。最初の夫との間に生まれた2人の子供がいずれも心臓疾患を抱えていたのですが、このことにも私は円形脱毛症になるほど思い悩みました。そんな時、見沢さんの本や大塚公子さんの『死刑執行人の苦悩』、あるいは『快楽殺人者』『FBI心理捜査官』などにのめり込んでいったんです。もうそれこそ「生と死」について考えるために、乱読でした。その頃は図書館に通って本を読んでいたので、買って読んだの見沢さんの本と『FBI心理捜査官』あと何冊かだけでしたけれど(笑)
見沢 光栄です(笑)。『FBI心理捜査官』も面白い本ですよね。あれを読む世の中の見方が変わってくる。そういう本を僕も強迫観念に捉われたように乱読した時期がありました。
高部 見沢さんの『天皇ごっこ』は理解できないところもあったけれど、「囚人狂時代』にはすごく感じるところがあっ自殺そしてオートバイの音を聞くと体が震えちゃったり、タバコの匂いがすると吐き気がしました。ちょうど、暴走族の人たちと会っている時に中森明菜ちゃんの「スローモーション」だったか「セカンドラブ」がかかってたので、その歌が流れてくるとめまいがしちゃったり......。そういうことがずっと続いたんです。でも、当時はまだ死にたいとか逃げたいとか思ったことはないんです。それが落ち着いて日常に戻ってからですよね。事件から4~5年たってなぜか自殺が好きになってしまった(笑)。落ち着いてから何か糸が切れたみたいに自殺マニア殺になってしまったんです。恐らくベトナム戦争から戻った人たちが後で後遺症に悩むように、何かフラッシュバック的なものなのでしょうが、その時にはそれが何なのか自分ではよくわからなかったんです。
見沢 自分で心理学的にそれを分析するのはもっと後になってから?
高部 臨床心理士をめざして勉強を始めるのは数年たってからです。でも自殺したくなる時の自分の気持ちって説明するのは難しいんですが......。
何度も手首を切って自殺を図った見沢 リストカットですよね。
高部 そう。見沢さんはやっぱりわかってくれますね。見沢さんと私の共通の何かは、まさしくリストカットですよ。
見沢 自虐の美学ですか(笑)。『調律の帝国』にもそういう場面が出てくるんですが、被虐の極致ですよね。
高部 そういうニュアンスかもしれませんね。こういう理由でリストカットに走ったとか説明つきませんが、なぜか手首なんですね。例えば本当に死のうと思うなら首を吊るとか飛び降りるとか、頸動脈を切るとか、もっと確実な方法があったわけですが、私の場合は例えばカッタとかですから。結局4回切っているんですが、最初は10.6携帯用の小さいナイフだったんです。最後の大きいのは、木工工具屋で売っているようなナイフで切りましたけどね。おかしいのは痛いから氷で冷やしたりするんです(笑)。よく冷やして切るとどんなに深く切っても血が出ないんです。それを自分でじっと見ていました。それを見ると嬉しくなっちゃう。フフフみたいな(笑)。2度3度は水につけてみました。水につけるとしみるけれど、血がぼーっと広がっていくでしょう。ああきれいだあ、これで死ねるんだなあと思って見てるんです。でも死ねなくて父が見つけて手当てしてくれた。その時はバケツの水につけたんですが、段々バージョンアップしていってお風呂になりました。最後に切った時は、私もちょっと本気で死のうと思ったようで、やる直前に中学時代の友人のところに電話をしているの。それで様子がおかしいと彼らが私の家に飛んできたんです。私は腕をお風呂の中につけていたところを発見されて応急処置されたんです。でも後で友人にきいたんですけど、私が意識不明で寝ていた時に、突然目を覚まして、すごく楽しそうにぶっと吹き出したというんです。まわりは一瞬、私がギャグでやっているのかと思ったそうです。私は何も覚えてないんですけれど。この時の傷は今でも大きな跡が残っているほどで、これ以降家中から刃物が消えて、入れ替わり立ち替わり人が私のととを見ているようになりました。でも不思議なもので、その後結婚し子供が2人できて、心臓疾患で生きるか死ぬかという話になったら、もう自殺するなんてのは愚かなことだと思い、死ぬなんて考えなくなりました。子供が闘病生活で、今夜が峠というのを5回くらい繰り返したんです。おかしいのは、一緒に子供とお風呂に入ってた時です。子供は無心に抱きついてくる。「こいつめ、こんなに私のこと信用して。もし私がこの子を殺そうと思ったらどうするんだ」なんて言いながいたずらで子供をお風呂の中にぶくぶく沈めようとしたんです。そうすると、その子が小さな手でぎゅーってしがみつくの。それを見て「この子を全力で守ってやらにゃあいかん」と改めて思いましたね。その話を兄貴にしたら「お前、なんちゅうことを考えてるんだ」と言われましたが(笑)。
子供は2人とも同じ心臓疾患なんですか。高部 夫と私の遺伝子が一緒になって減数分裂する時に、DNAに傷がついてしまうらしいんです。だから3人目は確実心臓病になると言われて、3人目はあきらめました。でも子供を見ていて、これはもしかしたら、このままでは私がろくでもない母親になりそうだから神様がプレゼントしてくれたものかと思いましたね。それから辛い時は高校の時に恩師が教えてくれた「艱難辛苦汝を珠にす」「冬きたりなば春遠からじ」を呪文のように唱えていました。大変なことを潔く甘んじて受け入れることによって、必ず何かが生まれると信じていました。
どん底から這い上がった点が共通見沢 きょうは高部さんと対談するので、何を話したらいいかメモしてきたんです(笑)
高部 実は私も(笑)。2人でおんなじことをしていたんだ(笑)。書いている時は「これを話したいな」とか思っていたんだけど、今読んでみると、どうでもいいことばかりで恥ずかしい。右翼って何?左翼とは?とか。
見沢さんはどんなことをメモしてきたの。見沢 高部さんとの共通項といえば1つめはアウトロー、2つめは非行......。
そんな要点なら初めに言ってくれなくちゃ。ここまで話してからそれ持ち出しても、話を戻すだけだって(笑)高部 アウトローって言われても私だって語るすべがないですよ(笑)そういえば虚像・高部知子が非行とかアウトローって言われたので、却ってアウトローを知ろうとしましたよね。知らぬ存ぜぬで通せない位、虚像の高部知子はアウトローですからね。でも一生懸命知ろうと思ったけど、いまだに不良もわからなければアウトローもわからない。映画での松田優作さんみたいな「滅びの美学」「アウトローの美学」は私にとって魅力的でしたけれどね。松田優作さんには「嵐が丘」で最初に会ったときに「お前には俺と同じ匂いがする。そう思ったのは女じゃお前だけだからがんばれ」と言われました。すごく素敵な人でしたね。一緒にカンヌ映画祭へ行って、「美学」とかそういう論理を教えてくれたのは松田優作さんでした。
見沢 松田優作さんに男性ファンが多いのはそういう美学があるからでしょうね。高部さんも話を聞いてると男的なととろがありますよね。
高部 そう?女を追求してるのにね。
見沢 確かオートバイにも乗ってますよね。
高部 どこでリサーチしたの!それも「積み木くずし」の虚像・高部知子と帳尻合わせたかったんですよ。私はのめりこんでいってしまうと、エピローグをつくれない。ジ・エンドにできないんです。「積み木くずし」の時にオートバイに出会って虚像の高部知子ができた。引退間際の30歳くらいですよ、わざわざオートバイの中型免許をとりにいったのは。免許をきちんととってオートバイに乗るようになってから初めてエンドマークをつけられた。オートバイの音を聞いても怖くなくなったんです。それまでは音を聞いただけで震えがきたりしましたからね。103
見沢 でも高部さんと僕は、人の生き死に関わってドン底まで落ちて、そこかいかに這い上がるか悩んだというところが似ていますね。しかもそういう状態の時にわかってくれるのはやはり肉親やほんのひとにぎり。
高部 その人たちがいるから立ち上がれるんですよね。よく「強いですねえ」と人から言われるんですけど、決して私が強いんじゃなくて強く支えられていたんだと思います。本当に孤独だったら今頃どうかなっちゃってますよね。
見沢 でもこうして聞いてみると高部さんの人生って波瀾万丈ですよね。
高部 Sや、見沢さんにそう言われるとは(爆笑)。見沢さんは獄の生活がどのくらいですって?
見沢 僕の事件の判決が82年。それから12年入っていたんです。だから高部さんと同じくらいの期間が経っているんです。
高部 私もあの事件を契機に何かに捉われてから、それを乗り越えて言葉に出せるまでにやはり10年以上かかりましたね。私って本当に何かあるとのめりこんでしまうところがあるから、きょうも見沢さんと対談するというので、きのうまで作品などを読んでいたり、もう2~3日、頭の中はすっかり見沢ワールドでした。でも見沢さんの本の中で『獄の息子は発狂寸前』だけはつらくて読めなかったですね。見沢さんが獄にいる間お母さんがどんな思いをしながら息子を助けようとしたか、その気持ちが伝わってきて、私の母のことや、母親としての私と子供のことにそれがだぶって映ってしまって、せつなすぎて読めなかったです。少し読んだだけで、目が潤んできてしまってちゃダメだと自分に言い聞かせたりして(笑)。
2度の結婚と「性」への関心見沢 今度写真集を出すというのは、性というものにのめりこんだ結果なんですね。
高部 ピンポーン(笑)。私は、最初に結婚した夫とは幼なじみだったんですが、子供をつくるためというくらいしかセックスがなかったんですよ。生殖行為だと思っていた。男の人に生理的欲求があるって知らなかった。
相手の男も欲求がなかった?高部 いいえ私が拒んだつもりもないんだけど、言われなければしなくていいものだと思っていたんです。夫と私は共同経営でコンビニをやっていたんですけど、2人が12時間交替でやっていたんです。だから昼夜ちょうど逆になっていたんで、ほとんどセックスらしいセックスもないし、恋人らしい雰囲気もなかったんです。しかも12歳の時から交換日記をしていた幼なじみなので、今更......という気持ちもあった。「子供つくろうか」といってセックスをしたくらい。その後妊娠期間はエッチもしないし、子供が生まれたら心臓病ですからそれにかかりっきり。2年くらいして2人目をつくったのも、上の子が一人っ子では可哀相という理由。彼もその頃は別の女がいたらしくて「1分でいい?」という雰囲気(笑)。でもそれ一回でできちゃった(笑)。2人目ができる頃にはもう彼は別の女と住んでいたんです。
結局、相手は不満だったってこと?高部 .....みたいですね。わかったのは離婚してずっと後だけど。ある時「あれ自分が悪かったのかな?」と。それで鏡を見たら太ってて髪もぼさぼさ。母親の名を借りてだらんとぬるま湯につかっている感じ。「ああこれじゃあ立つものも立たんだろ。女は終わった」と(笑)。でも段々ふつふつと悔しさがわいてきて、どうやったら女を取り戻せるかというのがチャレンジの始まりだったんです。男性の生理なるものから研究を始めました。兄や友達に「何日に一回出さなきゃいられないの?」とか尋ねて(笑)。見沢さんの本で、獄中でオナニーをする「陰部摩擦罪」になるというのには大笑いでしたよ。男の人ってそうなのか!って。
ニャンニャン写真の彼とは当然何もなかったわけ?高部 ないですよ。会っている時は友達も一緒だったし、当時は殺人的スケジュールでそんな余裕なかったですからね。だから今、必死こいて性とは何だ、男の生理とは何だとか調べまくってるんだわ、きっと。
見沢 調べた結果どんなことがわかった?
高部 男も女も雄と雌なんだなと。文化とか知識とか社会的ルールとかいろんなベールで包んでしまうけど、もしセックスという行為、雄と雌の生殖行為以前の求め合うという気持ちがなくなっちやったら、根底がなくなっちゃうんだろうなあ、と。そういうところに今のところは行き着いているんですけどね。
見沢 それは、環境とか経歴とか関係なく、セックスとしての男と女がということですか。
高部 求め合うという意味。よく白馬に乗った王子さまを女の人は待っていると言われるでしょ。でももし白馬に乗った王子さまがインポだったらきっと離婚するだろうな、とか(笑)。
見沢 『週刊ポスト』のインタビューによると、2番目の夫と別れた後に男にめざめたとか......。
高部 『週刊ポスト』は勘違いして書いてるんですが、その「彼」というのは2番目の夫なんです。それを新しい彼と勘違いされちゃった。今、別に付き合っている人はいません。だってついこの間、籍抜いたばかりなのに、いくら何でもそれはないでしょう。そうとっかえひっかえもしてません(笑)。2度目の夫と暮らしてた期間もマスコミは若干間違ってるんですよ。トータルするとちょうど1年位しか一緒に暮らしていないから。
見沢 週刊誌の記事がすごく混乱してましたよね。僕も読んでてわかんなくなってきちゃった。
構想3年という今回の写真集のSMというのはどこから出てくるわけ?高部 そう、人物関係がいっぱいでてきちゃうから。でもこの対談、あまりマジにしゃべっちゃってるから、どこまでのっけていいのか心配になってきちゃった(笑)。
麻酔なしで小陰唇にピアスを高部 SMって言われるとちょっと違うんですね。広い意味で言うとSMでしょけど、私が表現したかったのは究極の貞操観念といったものなんです。インドの王様がペニスのところにピアスを入れるんですけど、対になる女性を選んだ時その女性の小陰唇の部分に同じようにリングを入れ、錠前をつけてしまうの。両方のラビアが閉まるような形で錠前をつけてしまって、その鍵を自分がもつんですね。そうすると、その鍵は王様しか開けられない。つまり所有しているという意味合いと、女性側からしてみれば、唯一選ばれし者のプライドと。そういう意味あいがあるものなんですよね。で、最後王様が亡くなって荼毘に伏される時に女性は荼毘に伏された炎のなかに入っていって、一緒に死ななければいけないという厳しい掟があって。それだけプライドと愛と、所有されるという究極の貞操観念がある世界にものすごくひかれちゃったんです。そこで、これは入れてみるしかないとまたもやのめりこんで(笑)。とりあえず小陰唇に関してはノー麻酔でぶすっと一発。だってその頃麻酔なんて当然なかっただろうから、痛みを感じてみなけれその世界観も当然わからないだろうみたいなところから......。でも麻酔もなしにやったら気を失いそうになって(笑)。そのうえ2つ開けてみたら、実は5個で肌1セットだったという事実を知って、仕方ないので、あとの3つは病院にいって麻酔してもらって入れた(笑)。それが2度目の夫と一緒にいる時。たまたま2度目の夫自身もボディピアスに違った側面から夢中になってたりしたから、まあ共通点はあったんですよね。
見沢 最初の旦那さんと別れて1年半くらいの間に、価値観が変わって自分の人体改造を500万円くらいかけてやったと書かれてましたね。どこにそんなにかかったんですか?
高部 最初はわからないですから怪しげ通販から始まって(笑)。
見沢 危ねえ(笑)。
高部 手当たり次第怪しげな飲み物は飲んじゃうわ(笑)。それから次は「下着で女の脂肪は移動する」って話を聞いて、「こりゃあ移動だ」って強制下着みたいのに走ってみたり、もうありとあらゆるものを試してみた。おかしかったのがね、「おっぱいは吸えば大きくなる」って怪しい通販があるの(笑)。これ大笑いなんだけど、大きなカップが届くわけ。それをおっぱいにぴっと当ててスイッチ入れるとビイーンて・・・「おっ吸われてる吸われてる。これで大きくなるぞ」(笑)結局、それがすべて無駄なことだとわかりましたけど。あ、それからちょっと真面目に産婦人科医に相談したりもしました。結局産婦人科医の先生が一番有効な手段を教えてくれたんですけどね。「あんまり言わないでね」って言われてるんだけど、ホルモンのお薬とかが一番有効だったみたい。それと同時に試したのが「はくだけでやせるストッキング」とか(笑)。「赤外線によってやせタイツ」とか。もううちに山のようにあるわ(笑)。
見沢 通常のダイエットも当然やってた?
高部 基本的に食事から始まったんだけど。主食食べず、副食だけ。インドのジャムーからきたおっぱいを大きくする薬とか怪しげなものもやっちやって、飲んだそばから気持ち悪くなって(笑)もうとにかくありとあらゆるものをやりました。残念ながら鈴木その子さんのトキノ食品だけには手を出しませんでしたけど。あとはボディピアスとかタトゥーとかもやりました。
足首のタトゥーと手首の傷見沢 タトゥーはどこに?
高部 よっ(足首をまくりあげて)。これはやっぱりインドの装飾からきているんです。インドの人が足首によく鎖を巻いてるでしょ。これは所有を意味するもので、今回の写真集のコンセプトの一つにもなってます。これが痛かったっす。
見沢 えっ、麻酔やんなかったんですか?
高部 当たり前!これね、浅草の三代目彫り若っていう人の系列であるタトゥーショップへいったんです。私のちょうど前のお客さんが「すいません、タトゥー入れたいんですけど」って。「はい、いいですよ、予約してください」。でその人が「すいません、麻酔とかありますか」って。そしたらでっかいトンカチがでてきたの。トンカチで殴って気を失わすのが麻酔だって、その人たちはブラックジョークで言うわけ。タトゥーをしにくるのに麻酔なんて軟弱な気持ちでくるな、って言いたかったんだろうけど。だからノー麻酔。ひたすらちくちく。
見沢 手首に残っている傷跡がリストカットしたものですか?
高部 (手首を見せながら)傷跡が段々太くなっていっているでしょ。
見沢 自分の体に危害を加えることでつらさを忘れるっていうのがありますね。僕もばかみたいな跡があるんですけど(手のひらを見せて)、自分の手相の運命線を変えようとして。ちょっとつらい時に運命変わるかと思って切ったんですけど、見つかっちゃった。
高部 刑務所で?
見沢 ええ。本当はいけないんですよ。自傷っていって重罪です。古い窓の錆び釘でやった。あとピアスも見つかってるんですよ。運命変えようと思って針で穴開けて子刺して、それも見つかっちゃった。。
高部 怒られた?
見沢 20人くらい監守が飛んできて、えらく怒られて受けました。刑務所で自分の体に傷をつけるのは最大のタブーですから。
高部 でも、どこかでそれで楽になろうとするところってありますね。
見沢 ありますあります。それが治るまでそれ見て気が紛れるっていうか。
写真集は高部さんが企画したものなんですか?高部 それすっごくわかります。だから痛みをもってる間はすごく安心する。
辛かった時期がフラッシュバック高部 知り合いの松竹の女性プロデューサーの紹介で1~2カ月前に高須さんとお会いしたんです。写真集のコンセプトのお話をして撮影に入るまで2週間くらいしかなかった。でももうその時点で衣のデザインも、すべてのコンセプトは私の中にあったから、話が決まっちゃえば早かったんです。衣裳も全部つくりました。写真集に限らずこれからエッセーとか書いていきたいし、最終的にはこのコンセプトを全部ひっくるめて小説化したいんです。完全な小説にしてみたい。
見沢 これから本格的に仕事を始めるわけですね。
高部 でも業界の仕事に戻ってきて急に最近、10年前のフラッシュバックが起こるんですよ。えらく人込みが怖くて。人込みの中にいるとあのつらかった頃に、自分がこうやってどんどん話題になっていくっていう、あの頃欽ちゃんや「積み木くずし」で話題になっていった時期とオーバーラップしてっちゃう。そうするその次の未来はわかってるでしょ。どんと落っこちること。それが何かすぐそこにありそうな気がしてものすごい恐怖を感じることがあるんです。虚像の高部知子と実像の高部知子と戦うために、それを乗り越えるために今戻ってきているんだけど、乗り越えきれなかったら10年前の私に負けたら、結局そういう状態が続いてっちゃうんじゃないかなって、自分で今感じたりして、なんか妙な感覚に襲われる時がある。だから気をしっかりもって、今日やるべきことをしっかり反復してそれこそ綿密に何時にどこいって何してっていうのをメモして、今自分が何をすべきか確認しなければよくわかんなくなっちゃう瞬間があるんです。
見沢 それよくわかりますね。僕だって1年間刑務所にいて、いまでも後遺症に悩まされてますから。毎晩悪夢を見たりしますね。高部さんの場合は、芸能界で一度人気が上がって急に下がったでしょう。その落差が大きかったから余計にそうでしょうね。
高部 刑務所の中に取材にいってみたいとか慰問してみたいとか文通してみたいとか思いますね。誤解される言い方かもしれないけど、私は反省するような期間、場所、環境がかえってなかったというんですか。たとえばここからここまでやったならばいいよというような限定がなくって、いつまでもエンドマークをつけられずにずるずる引きずるはめになってしまったような感覚があって。
見沢 高部さんの場合は、満期がないですからね。
高部 そう満期(笑)、区切りがないですからね。どこで私は自分にふりかかった大きな事件の終止符を打ったらいいかわからなくて多分ここに戻ってきちゃった。今日もきかれたんですけど「あえて何で逃げないんですか?」って。何かひとつのものつきつめていくのってすごいリスクを背負うんじゃないかと思う。自分もそうだし、ごめんなさいって逃げちゃうのって簡単なことでしょ。でもごめんなさいしながら貫き通すって一番しんどい作業じゃないかと思うんです。それをたとえば弁解したり自分を保護するような言い訳がましいことをしないでただ言われるままやられながらなおかつ潔くごめんなさいし、それでも自分の信念を貫こう。そういうのにすごい憧れを感じちゃう。見沢さんのそういうところにもきっと惹かれたんですね。
戻る