見沢 見沢知廉の人生は波乱万丈だ。不良は不良でも「普通の不良」とは異なる道を歩んできた。『天皇ごっこ』(第三書館)を引っさげて世に出たのは、4年前。プロフィールに出ているように、不良から政治運動へ、そして獄中12年を経て作家へ。それからの健筆ぶりはよく知られている。つまり不良時代から現在の作家時代まで要した時間そのものを、「アウトロー」と呼ぶことができるかもしれない。しかし、プロフィールの中に「ブラックボックス」が存在する。少年時代の話......。いつから、アウトローとしての道を歩き始めたのか。自宅兼仕事場に我々を迎え入れた氏は、静かに淡々と「不良」「自分」「反抗」について語り始めた。
今日は少年時代、グレていたころの写真も用意してくださったんですよね。この写真、中1っておっしゃいましたか。写真を見ればおわかりのように、端正な顔立は現在も変わらない。見沢 中1です。
-中学校では、一般的に育ってこられたわけですね。...見沢 そうですね。むしろ教育は厳しかったですね。中学で進学校に入ったんで。
進学校に入った見沢氏がいかにして、不良の道に行ったのか。 -で...ある日ブレイクしちゃったわけですよね。中3のクラス変えで付き合う友達が変わってしまった?見沢 その時に仲良くなった奴の親父がヤクザだったんです。毎晩ゲーセンとか遊びに行って。1975、6年ごろですね。
-暴走族もわりと活発な時期だったわけですね。見沢 僕のころは、まだ暴走族っていう名前は定着してなくて、確か狂走族とかゼロヨンとか色んな名前でした。ゾクが組織化するのが、1977年ぐらいです
地元の仲間とゲーセン、ディスコとかに入り浸っていたわけですか。見沢 そうですね。ゲーセン、ディスコ、パチンコ、ビリヤード...。
-親父さんがヤクザという友達と付き合いをして、遊んでいるうちに・・・。見沢 そうですね、親父がヤクザだと普通には育たない・・・。その友達の家に行った時、親父さんが見せたいものがあるとか言って、それが日本刀なんですよ(笑)。興味もあったから「これ真剣ですか」って顔近付けたら「あんま近寄らないで」って。これじゃあ子供グレるなって(笑)。
-そこで酒やタバコも覚えたりして。見沢 酒は飲めなかったんですけどね。タバコ、シンナーとか。
-シンナーはそこで見沢 何でも一通りやりました。保護観察まではラッキーでうまくつかなかったんですけど、職質で運行っていうのは2~30回ありましたね。管理教育に対する反抗でしたね、きっかけは
-そん時やってた軽犯罪っていうのは見沢 カツアゲ、万引きとか...。そう「万引きコンクール」っていうのがありまして(笑)。クラスの中で誰が、その月に一番高いもの万引きしたか競うんです。
管理教育に対する反抗から進学校を退学になり、定時制に入り直す。そこは、まさにヤンキーの溜り場だった。見沢 家庭内暴力と校内暴力とは違うんですよね。家庭内でやる奴っていうのはむしろおとなしい、ヤンキーじゃなくて。ヤンキーは僕の聞いたかぎりでは、校内暴力はあったんですけど、家庭内で手をあげるのはなかったですね。
-抑圧された家庭内環境が親に向けられるって割とあると思うんですけど。見沢 それはないです。ひたすら外部に向かいました。高1ごろからつっぱって、高2では登校拒否です。学校行かずに本ばかり読んでた。その時将来、小説書こうと思ったんですけど。学年末のテストボイコットして退学になって、定時制に入って。定時制は8割は族だった(笑)。いやー、毎週土曜日になると、校庭がシャコタンの待ち合わせ場所になってるんですね(笑)。すごいワルかった。夏休みの前校長が「皆さん、か。オートバイ乗るのはいい。それはしょうがない。けど後ろに彼女乗せる時は気をつけるように」って(笑)。あきらめてるんですよね。
-当時はパンチが流行ってたんですか見沢 いや、僕が中学に入った頃はリーゼントが多かったですけど。
-学ランですか。見沢 学ランです。
-じゃ、ツメ様こんな高くして。見沢 いや、早稲田中高は服装が厳しくて、学校外に行く時に着るという感じでしたね。今、特攻服ってあるじゃないですか。特攻服って「ティーンズロード」などでも通販されているけど、当時は特注で作らなきゃいけなくて。浅草なんかに専門店があって、古いドアを開けて「特攻服作って下さい」って非常に秘密めいた店でしたね。あの頃は作るの大変でしたね。
-入れてもらった最初の刺繍は何ですか。見沢 うーん。右翼に憧れてたんで右翼っぱいでした。愛国とか。
-右翼はそもそも憧れだったんですか。見沢 そうですね。ヤンキーはだいたい右翼に憧れてるんですね。ただ僕の場合小学校の時から、ナチ好きだった(笑)というのがあって。
-ナチズムっていうのは美意識に関して?見沢 アウトローの美意識ですね。悪の美学みたいな。その延長もあって。潜在右翼って感じでしたね。中学生の時のダチもそうでしたし。2人で左翼の立て看板壊したり(笑)。学校にも民青の奴いたんですね。お前、アカだろとかいって呼び出してフクロにしちゃったり。
-民族間対立はありましたか。朝鮮高校とか。見沢 いやー、とてもじゃないけど早稲田中高なんか、殿られる一方ですね(笑)。高田馬場で見たら逃げろって感じですよ。もう、あれはすごかったですね。ただ早稲田あたりだと弱すぎて相手にされない。で、僕とその友達2人で、8ミリ撮影機取って一番になったなあ。カメラ屋で。1人が見張って、もう1人が取るっていう作戦で見事取ってきたという。万引き記録のノートもつけてました。その万引きしたものをオークションじゃないんだけど、バザールをやるんですね、学校で。そうするとまた、ヤンキーばかり集まっていくらで買うとか(笑)。
見沢氏が、不良の道を歩きだしたのは、友達の影響もあるが実は「管理」に対する反抗が奥底に沈んでいる。 -ということは、進学校時代の友達から、ワルの友達へ付き合う仲間が変わっちゃったわけですね。見沢 そうですね。進学校にも一応ヤンキーはいますんで。進学校のヤンキーの中に入っちゃったんですね。
-で、この写真のように至ったという事ですね。見沢 そう・・・。高1ですね。中3のときの格好は一応普通でしたね。
-ワルをやる動機っていうのは、悪い事は楽しいって単純な動機ですよね。見沢 いや、進学校なんで「あれこれや「っちゃいけない」という管理がすごいんですよ。家もそうでしたし。管理に対す反抗でしたね。
-今、冷静になって考えてみて、親の教育っていうのは当時としては厳しすぎたわけですね。見沢 そうですね。例えば小学校の5、6年から二つの進学教室と家庭教師は2人。だいたい寝る時間が毎日4時間でした。あとは勉強。テレビも週1回1時間だけとか。
「積極的に反抗するというよりも、ドン詰まった反抗だった」見沢 当時、進学中学校受ける人間はみんな、日本進学教室や四谷大塚教室に通ってました。で、もういざ入学したらまた管理管理で。抜け道がなくなっちゃう。だから、積極的な反抗というよりもドンづまった反抗でしたね。
-お母さんも驚かれたでしょう。見沢 そうですね。ただ僕の二つ下の弟がいるんですけど、僕よりもすごいヤンキーで、免疫というのはついていた気がしますね。
-というと、10代の見沢さんは何かにイラ立っていたというのがあったわけですか。見沢 うちは中流家庭だったんですけど、ちょうど石油ショックの時期、父が芸能プロダクションやっていてガタンと落ち込んじゃったんですね。家族の崩壊というか、それも大きかったですね。
-小学校時代欲しかったものも買ってもらえず、それがこういう形で(部屋の中はガレージキットやフィギュアでいっぱい)出ているんですね(笑)。見沢 いや、これは今まで監獄で買えなかったものでしてね。一切趣味禁止でしたからね。
-一家の没落っていうのは相当深刻だったんですか。見沢 第2次石油ショックの時、ついに倒産して。僕と弟がグレたのはそういうのが影響してるんじゃないですか。毎日親がケンカしてますし。僕が見たヤンキたちは家庭になんか問題がありますね。下の方のヤンキーは割と中流家庭が多い。竹の子とか流行りましたね。あれやってるのは割と家が恵まれてるんですよ。族は竹の子狩りとかやってました。高田馬場である時、1人だけチョンバッグ持ってる奴がいて、そいつだけボコボコにやられちゃったんですよ。むしろ、木村(三浩)君がすごいんですよ。彼は國士舘だったんで。
-ところで当時はどのチームが大きかったんですか。見沢 数ではスペクターだったと思います。ウチの学校の近くはエンペラーの白山支部と極悪の千駄木とZERO根津・・・の3つにちょいちょい行ってましたね。他の地区ではバトルやるとこもあるけど、うちの千駄木では、その三つが仲良くやってたんですね。
-見沢さんも集会とか参加されたり・・・。見沢 ええ、しました。
-じゃ、2ケツで流すとか。見沢 そうそう。2ケツやハコノリ。
-いわゆる集団暴走行為なんかして。見沢 ええ。まだ道路交通法が改正される前だったんで。わりとワーッと大がかりにやってましたね。
「割りと硬派でした。女よりも何かを壊す方が楽しかった」 -「壊した」とか「強姦」だとかはどうでした。見沢 いや、今言った三つのグループっていうのはわりとそういう所はどっとしているというか。特に極悪なんかは女人禁制で族を潰すために生まれたような感じで。エンペラーもナンパではあるんですけど・・・、そういうのはあんまりやらなかったんじゃないですか。交番襲撃したりとかは・・・ね。強姦とかはなかったですね。
-今のヤンキーに比べて、ちゃんと規律もあった。見沢 規律はすごかったですね。特に極悪なんかは。先輩に対する挨拶なんかも「押忍押忍押忍」って。
-見沢さんもやってたんですか。見沢 え?とにかく上の人が来ると「押忍押忍押忍っ」ってずっとやってるんです。
-・・・でも、この写真見るとほんと悪そうですね。見沢 ええ。ですから反社会なら何でもいいというか、それもやりつくすというか(笑)。
-勉強は止めてなかったんですか。見沢 いや勉強は・・・、投げてはいなかったんです。完全には投げてはなくって、定時制なんか行くと結構よかったです。
-定時制はほんとワルいのばっかりで。見沢 ええ、校長が「ケンカするなら女連れてやる奴とやるな、ムキになるから」って演説する。校長ですよ校長(笑)。
-女関係はどうだったんですか。見沢 硬派だったんですよ。・・・だいたいパンチに45度メガネじゃ女寄って来ないじゃないですか(笑)。
-でも、こういうスタイルがモテる時代だったんじゃないですか?見沢 いやー、今は「ティーンズロード」とかヤンキーに憧れる女の子がいるじゃないですか。でも、当時は男のヤンキーって孤立しているところがありまして。
-じゃ、この時は野郎とツルんで何かやってる時が楽しかった。見沢 そうそう、そうなんですよ。壊すのが楽しかった。「経団連事件がきっかけです。あれにすごい感動して」
-見沢さんも、でもある意味「本物」になっていっちゃうわけですよね。見沢 そうですね(笑)。どんどん上あがっちゃって。ただ途中で左翼の時代があって「浮気」したんですけど。右翼、ヤクザ、族って体質が似てるじゃないですか。だけど左翼って違うじゃないですか。左翼でそういう(族っぽい)カッコしてたら、「おまえそんなの人民のカッコじゃ「ない」って批判されて。で、違和感があって。結局また元に戻って。でも右翼で任侠右翼と民族派右翼とあって、一水会は民族派で。
-右翼も様式美があるけどヤーサン的ではなくて思想的に目覚めて行ったわけですか。見沢 経団連事件(1977年)がありまして。ちょうど・・・高校生2年の時だったですね。退学になる寸前ですから。それにすごい感動して、雑誌全部読んで一水会とか野村秋介(故人)とか書いてあるんです。で、よし将来入るって決めたんです。
-ヤンキー時代に話を戻すと、車はこれは?(と写真を見る)見沢 シャコタンのスカGです。ハコスカとか言ってましたね。だいたい族の車ってハコスカ、ダルマのセリカ。あとサバンナGT...。
-確かに女性写ってませんね。見沢 色気なかったですからね。
-ジャニーズ系の頭にしようとかはなかったんですか。見沢 ハッハッハ(苦笑)。......でも沢田研二とか、ヤンキーにわりと人気あったですね。だって彼もヤンキーだったらしいじゃないですか。ヤンキーって元ヤンキーがわかるんですよね、匂いで(笑)。あの子キレイだけど昔絶対ヤンキーだぜって。ちょっと古いけどシェリーとか。演歌なら水前寺清子とか。わかるんですよね。これはヤンキーだなって。悪かったなーって(笑)。
-日々ケンカだったんですか。見沢 いやケンカって面白くて、下の奴のケンカってすぐ殴りあったりするんですけどヒエラルキーが上に行くと中々ならないですよね。顔5cmぐらいくっつけて、名乗り合いになるんですよ。昔の源平合戦みたいに(笑)。どういう事になるかっていうと、「俺は●会の誰々を知ってるぞ」と名前を出すんですよ、それぞれ。名刺ジャンケンになっちゃう。名刺が和紙の名刺に墨で書いたの作ってきて。で、ムードがあるじゃないですか、独特の。それで決まっちゃうんですね。負けた方が「スミマセン」って感じで。で、勝った方が「ナメルじゃねえぞ」とか「テメー頭剃れ」とか言って。木刀のことボッケンとか言ってましたねぇ。ゲソパンとかチョーバンとか聞いたことあります?
-聞いたことだけは。見沢 どっちかが頭突きでどっちかがコレ(ヒザ蹴り)なんですよね。
-この時代の思い出の品とかありますか見沢 そうですねー。当時乗ってたスカGのシャコタンとかガレージキットで今組み立ててます。黒で塗ったり。
-スカイラインって代々ヤンキーから愛されていくんですよね。ケンメリとか。見沢 そうなんですよね。初代のスカGが本当のハコスカでレース用のマシンだったんです。人気ありましたね。
スピードと重低音の魅力 -哲学書とかを読んだのは刑務所時代ですか。見沢 いや、登校拒否の時にすでに読んでましたね。他には族の写真集「暴走列島」第三書館)とかアイドル文庫(笑)
-何をやっている時が一番楽しかったですか。見沢 スピードと重低音というのは、麻薬的なものがありますね。
-スピーカのサウンド的なものではなく?見沢 爆音。ブゥーンっていう。そういうの懐かしくてジェットコースター乗ったら全然ダメでした(笑)。爆音ないですよね、ジェットコースターは。
-ヤンキーでハクがついていくのは、警察に引張られていくとかでヒエラルキーが上がっていくわけですか。見沢 そうじゃないですね。技量というか・・・。ケンカ強いのもその一つなんですが、ある意味で頭がよくて、人をまとめたりする奴がなりましたね。だから学がなくても、ものすごい頭のイイ奴とか上に立ったりしてました。独特の求心力、カリスマ性持ってますね。
-一昨日ニューハーフの店行ってたんですけどニューハーフって元ヤンが多いんですよ(笑)。見沢 ハハハ、それは知らなかった。
-見沢さんなんかもキレイな顔立ちしますよね。見沢 いえいえ。でも若い頃前歯一本なかったんですよ。先輩にヤキ入れられて。それに口ヒゲはやして。グラサンは45度に傾けて。
-ドカジャン着て。見沢 ドカジャン流行ってましたね。ハイネックにドカジャン。足袋で歩いてる奴いましたね。土方そのまんま(笑)。聞いた話ではヤンキーの特攻服って右翼の戦闘服からきてるって。
「ドストエフスキーを読んで小説家になりたいと思いました」 -ゾク時代のご友人で本物になった人とかいますか。見沢 わりと多いのが鳶とか水商売とか。女と知り合ったその日に子供できちゃうのが多いじゃないですか(笑)。早いんですよー。そうするとすぐ職持たざるをえない。
-妙にファミリーを守るとか。見沢 そうそう。保守的なんですよね。女つかない方が楽なんですよね。
-女性遍歴ってどうだったんですか。見沢 普通ですね。中(刑務所)も長かったし。深い間柄にはならなかったですね。女連れて流行るのがもうちょっと後の話であの頃はほんと、俺たちは硬派だぜっていうのがありましたからね。
-この写真(戦闘服来てしゃがんでいる)は何やってる所ですか。見沢 行進の練習ですね(笑)。
-こういう人、街歩いてたら怖いなー。見沢 (笑)怖いですよねー。
-顔、ワルそうですねー。シンナーとかよく足洗えましたね。見沢 ええ。本当によく更正できました(笑)ね。
-楽しかったんじゃないですか、仲間がいて。見沢 楽しい時もあったですね。...仲間はいるんですけど根底には孤独感があって、孤独な者どうしが集まって。それはあったな・・・。ヤンキーやめたのは完全な連帯感が得られなかったからですよ。
-小説は誰の作品に影響受けたんですか。見沢 いやー、これが大笑いなんですけど・・・、高2の時、ドストエフスキーなんですね。
-いや、全然大笑いじゃないですよ。見沢 このカッコでドストエフスキーですよ(笑)。
-何でドストエフスキーだったんですか。見沢 ちょうど家庭環境が悪い時、本屋で「貧しき人々」っていう本があって、名前で買っちゃったんです。
-書こうというのは〈救い〉の需要が大きかったんですね。見沢 そうですね。ちょっと22年ばかり〈救い〉の多いとこにいたから(笑)。
見沢氏は、線が細い整った顔立ちのとおり、神経質そうな話し方をする。よく聞いていると、そこに諧謔的な要素が交じる。ブラックなユーモアというか。その落差がこの人の魅力のひとつであろう。今でこそ、文筆の世界に身を投じているが、口から出る言葉は「ワル」をイメージさせる素敵なものが多い。ちなみに、表紙はすべて見沢さんの10代の頃だが、表紙の左の写真は指名手配時の写真だそうである。と笑いながら教えてくれた。戻る