ポスト上祐史浩氏を狙うオウム真理教の最後の最高指導者が初めて姿を現した。元車両大臣の野田成人氏(28)である。 上祐路線に反発もあり、偽名で支部に指令を出したこともある。その野田氏とジャーナリスト有田芳生氏がオウム東京総本部で激論を交わした。途中で警察の強制捜査が入り、対談は5時間に及んだ。

有田 いま、上祐史浩氏の逮捕がしきりに取りざたされています。あなたは「最後の最高幹部」として捜査当局からもマークされている。

野田 きょう、このビルに入るときマスコミはノーマークでした。一部の報道でオウムには裏部隊があり、僕が「陰の司令塔」だなんて書かれたことがあったけど、そもそも裏部隊のメンバーなんていないんですよ。 警察が僕の所在確認をしているのは確かです。僕の顔写真を持っている。検問ではしつこく質問されますよ。八月ごろ「武器を隠しているんじゃないか」と警視庁が施設を家宅捜索した際、僕の八畳の部屋だけが徹底的に壁を剥がされていました。僕の部屋がどこかまで調べ上げているんですね。



対談は九月二十六日午後四時半から南青山のオウム東京総本部で行われた。総本部のドアの内側には、「九月十二日、ナイフを持った男が逮捕されました。オウムなら誰でもいいから刺そうと思ったと供述しています。 みなさん注意して下さい」という張り紙がある。エレベーターで地下一階へ。有田氏との本誌対談で過去三回、上祐史浩氏が座った応接室の白いソファに、この日は野田成人氏が座った。

有田 一時、僕が教団の広報にあなたの所在を聞いても「わからない」と言われたことがありました。行方をくらましていた時期があったようですね。「林英一」の名前で「最高責任者」の指令がパソコン通信を使って教団の各支部に流されたけど、あれは、あなたでしょう。なぜ変名を?

野田  僕のことで不当に騒がれたくなくてね。ちょうど本籍や両親の名前を知っている在家信者がいたものだから、その人の名前を使わせてもらった。各支部にあてた指今は確か五月二十五日に出し一通だけです。

有田 その時期は上祐氏が東京総本部で緊急対策本部長としてソフト路線の教団新体制を打ち出していた時期だ。でも、この指令の項目を見る「極秘拠点作り」に「裏経済活動」「警察の捜査状況の調査」。明らかに路線が違う。いったい、あなたは教団でどういう立場にあるの?

野田 うーん。当時は警察の活動で信者の生活や仕事が妨害されるのを危惧していました。でも「極秘」とか「裏」という表現はちょっと大げさだったかな(笑い)。 一部で「警察官を尾行せよ」なんて指令したという報道があったけど、とんでもない。実際は「警察官の尾行に気をつけてください」というものだったんですよ。尊師(麻原被告)が逮捕されてから教団の指導者は知子さん(麻原夫人)、石井久子、上祐でしたが、僕はその人たちとの狭間にあって中途半端な立場でした。逮捕されていない幹部では正大師が上祐一人、その下の正悟師は四人いますが、宗教的な順位は山本まゆみ、私、村岡達子(現教団代表)、鎌田紳一郎の順です。

野田氏は兵庫県出身。都内の白鴎高校から八五年、東大理I類に入学し理学部物理学科に進学した三年生のとき、麻原教祖に見込まれ、東大を中退して出家し、ドイツやアメリカで活動した。九四年六月、オウム車両省大臣。同時に科学技術省の中心メンバーでもあった。今年三月、弟子としては上から二番目の地位の正悟師に抜擢された。麻原教祖の信任はあつく、三女アチャリーの勉強をみたこともある。「あの子は何というか、すごい子ですよね」野田氏は、そう言って自分のズボンの膝頭を見せた。そこには三女がイタズラがきした女の子の顔があった。上祐氏の拠点が東京総本部なら、野田氏は上九富士山総本部が活動の中心だ。

有田 上祐氏との関係はでじっくり聞くとして、あなたが正悟師に昇進したのは今年三月十七日の「尊師通達」だ。その三日後、地下鉄サリン事件が起きた。

野田 あのときは僕と一緒村岡子や井上嘉浩(殺人罪で起訴)など九人が昇進しました。東京の高円寺の教団のラーメン店に夜中、昇進する者たちが呼ばれてラーメンを食べた。これが一部で「地「下鉄サリン事件」の事前議だったと報道された。でも、僕とか数人が自分の霊的体験発表して尊師がそれについ講話しただけです。地下鉄サリン事件は上九の第八サティアンで、事件の日夕刊紙で知り、新聞片手に百五十人くらいの信者の前でしました。「教団が攻撃されている。自分たちが疑われ、今後、教団はムチャクチャになるかもしれないけど、耐えていかなきゃいけない」と話した。

有田 さらに三月二十二日には教団施設が一斉強制捜査を受けた。そのときは?

野田 逃げていました。前日の二十一日夜九時ごろ、村井秀夫(・元オウム科技省大臣、故人)から「不当逮捕されるかもしれない。逃げるか」と電話がかかり、科技省の十六人が上九を出て、僕らのグループは名古屋まで行った。いったん上九に戻り、翌朝、また上九を出て八王子の多摩川の川辺で落ち合い、その後は名古屋や御殿場、池袋...と転々としましたね。

有田 池袋というと生史被告(営利略取などで起訴)がいたアジトだ。彼は近くの鉄板焼き屋でよくタコ焼きを肴にビールを飲んでいたという確実な目撃証言がある。

野田 本当かな(笑い)。僕が出たあとに彼が入ったので知らないが。

有田 一斉強制捜査のころ、あなたは逮捕されるかもしれないと思い当たることがあったんですね。だから逃げたわけだ。

野田 最初に逃げた十六人のうちサリン事件など重大事件にかかわっていたとして捕まったのは四人くらいかな。僕自身は所在確認の写真手配になり、微罪で逮捕されるかもしれないと思いましたが、これは杞憂でした。第六サテイアンとは絶えず携帯電話で連絡を取っていた。で、四月中旬ごろ上九に戻りました。

有田 そのころ麻原教祖とは話しましたか

野田 何回かね。僕は不安でしたが、尊師は、たんたんと修行されていて、「とにかく七月ぐらいまでは耐えるしかないな」と話されてました。強制捜査以降は幹部がどんどん逮捕され、あとの人事をどうするかとか簡単に決められない相談もありました。四月二十三日の村井さんが刺された夜は、すぐ病院に行きました。



対談が始まってから約一時間後、館内電話を取った荒木浩・オウム広報部副部長告げた。「警視庁の強制捜査が入るようです」対談は中断。野田氏は幹部しか着用できないショッキングピンクのクルタ(修行服)を脱ぎ、Tシャツ姿になった。そこへ警視庁公安部の捜査官がドカドカと入ってきた。立会人の女性信者に令状を示す。「三階の道場にいた砂押(光朗)さんが逮捕されました。容疑は職務強要罪」荒木副部長が私たちに手短に説明する。国松孝次・警察庁長官狙撃事件でテレビ局などに「オウム捜査をやめないと井上(警視総監)や大森(内閣情報調査室長)もケガをする」とい電話をかけた疑いだ。有田氏と編集部員は地下一階の三畳ほどの小部屋で搜索が終わるまで待機することになった。外との電話連絡もできない。換気が悪く、息苦しい。しばらくすると、三階の道場にいた上祐氏が地下におりてきた。無精ひげにラフなTシャツ、サンダル履き。「有田さん、ガサ(家宅捜索)なんて初めてでしょう。僕らはもう慣れっこですが」そう言い置いて去った。室内では捜査員のカメラのフラッシュが光る。ときおり捜査官に抗議する女性信者の甲高い声がする。約二時間して捜索は終了し、野田氏が戻ってきた。



有田 あなたは村井氏直属科技省の中心メンバーでした。科技省の人事部長だったこともあると聞いています。サリンや銃器の製造をまったく知らなかったんですか。

野田 人事の責任者だったのは科技省の前身の真理科学技術研究所のころのことです。村井さんの補佐役だったのは彼が考案したPSI(ヘッドギア)を作るときでした。各部署から二百人くらい人員を集めましたか。九四年六月、省庁制ができると、はずされ、車両省の大臣になり第八サティアンの仕事の一部を任されてました。

有田 サリン副生成物が上九一色村で見つかったという報道があった今年一月以降、第七サティアンから機械類が移され、偽装用のシヴァ神がつくられ、清流精舎には銃密道の機械がたくさんあった。あなたのような機械の知識のある人が見れば変だと思うはずだ。村井氏に何か聞かなかったんですか。

野田 確かに不思議な感じはしました。でも銃器を作ったといわれるマシニングセンターやNC旋盤は極めて汎用性が高い工作機械だ。あのこはいろんなものを作っていましたからね。村井さんに尋ねても「それ君が知る必要はない」と言われる。そういう人でしたから。よけいなおしゃべりはしないという「不綺語の戒律」というのがオウムにありまして、他人のことに関心を持たないようにしてました。

有田 脱会信者のT君が、「昨年からオウムは戦争状態だった」と証言しています。当時、教団は「米軍やJCIA(内閣情報調査室)に毒ガス攻撃を受けている」と主張していた。あなたも教団のビデオに出演してサリン検知器の説明をしていましたね。井上被告なんてサリンを浴びて血を吐いている。でも、「毒ガス攻撃」もオウムの自作自演と明らかになった。まさか、この期におよんで信じてはいないでしょう?

野田 井上が血を吐いたのは知らなかった。僕自身も原因不明の頭痛がして三日間寝込んだことがありますね。当時から「毒ガス攻撃された」というのを百パーセント信じていたわけではないが、村井さんに指示されて旧ソ連製の検知器を説明書どおりに操作したらサリンの反応が出た。それで(毒ガス攻撃の真偽については)白黒が混ざったような気持ちになった。もっとも機械が壊れてしまって、それ以上、調べられなかったんだけど。あのころオウム自体が被害妄想になっていたところはありました。たとえば、ある女性信者は「私が携帯電話の電源を入れるとヘリコプターが飛んでくるんです」と言うんだけど、僕には全然、見えませんからね。

有田 自分は半信半疑だっだけど、そう思い込む信者はいたと......。ところで教団で省庁制が敷かれた日を覚えてますか。

野田 昨年六月下旬、やはり夜中に高円寺のラーメン屋幹部が集まって発表されました。一階に大臣や次官の六大人くらいが集合した。二階に尊師や村井さんたち幹部がいて、人事が発表されるごとに一人ひとり上に呼ばれて決意表明しました。省庁制は発表の一週間くらい前から幹部で検討して決まった。中川(智正被告、殺人罪などで起訴)が、「宮内庁みたいなものも必要だと思います」と提案したら、尊師から、「じゃ、お前、大臣にしてやるよ」と言われ、法皇内庁の大臣になったなんてこともありました。サマナ(出家修行者)が急激に増えたので指揮命令系統をきちっと整備するのがねらいでした。

有田 へえ。麻原教祖はミ国家を目指していたといわれていますよ。憲法草案やオウム刑法まで作っていたじゃないですか。

野田 あれは物好きな家信者が調子に乗って勝手に作った。ちょっともてあましてます。

有田 省庁制の人事が発表され、幹部が「決意表明」し会議が終わったのが六月二十七日の午前六時ごろ。それから上九に帰った村井氏たちは一眠りしてから松本市に向かって出発してサリンを噴霧したんです。

野田 事件は新聞号外で知った。ここにきてオウムとの関係が取りざたされるに至ってビックリした。

有田 坂本弁護士一家殺害松本と東京地下鉄のサリン事件・・・・・・と、これだけ逮捕者を出し、幹部も供述しているのに、いまだに「麻原教祖もオウムも無罪。陰謀だ」と主張するんですか。

野田 報道される捜査内容は確かに信憑性の高いものに映るでしょう。だから国民が信じるのも当然かもしれない。もしオウムがやっていたとするなら被害者の方たちには、お気の毒としか言いようがないし、心苦しいですね。だからどうだと言われれば私としては絶句するしかない。

有田 この期におよんで黙るんですか。そこがおかしいですよ。何かコメントすべきじゃないですか。

野田 私としては、あくまでも信教の自由を守りたい。でも破壊活動防止法の適用についても、なにか世論が感情に流されている部分がありますね。

有田 麻原教祖の犯した罪について、どう考えているんですか?

野田 親子の情というか、親が罪を犯したと世間から指弾されても子供が「まさか」と信じられないのと同じような気持ち。

有田 それを言うなら「信じたくない」じゃないんですかね。もう一人、あなたが出家させたという豊田亨被告(殺人罪などで起訴)に対しては、とくに責任を感じるようなことはありませんか。

豊田被告は科技省の中心メンバーで青島都知事小包爆弾事件にも関与したとされる。野田氏とは高校、東大と同窓で一期後輩。東大の寮でも一年間、一緒だった。豊田被告は東大大学院修士課程に進み最難関の素粒子物理の研究室に入ったが、博士課程に進む前後に出家した。野田氏は対談中、「蓮華座」に足を組むことが多かった。少し迷うと目し、言葉を選びながら話す。

野田 やはり尊師と同じように、彼がやったとされることは信じられません......。

有田 そう言うしかないんでしょうね。ところで、ともかく上祐氏逮捕のような事態になれば、あなたが指導力を発揮しなくちゃならないと思っているんでしょう。でも上祐氏とは反目しあっているという内部情報がありますよ。

野田 上祐に何かあって活動できなくなり、そのうえ、教団を取り巻く環境が変わっていたら、そのときは僕が何らかの方針を打ち出さなければならないでしょう。上祐がいるかぎり、彼の方針に沿って教団は運営されるでしょうね。上祐は僕よりステージの高い正大師だ。僕がニューヨークに派遣されたときの上司ですよ。身内で争うことはくだらないことです。もちろん考え方の違いはありますが。五月に出した「林英一」の指令は、まだ逮捕前の知子さん(麻原夫人)と相談して出した。でも、その中の「経済活動」は、いまでは必要ない。そこまで気を使わなくてもよかったようですね。

有田 上祐氏との対立は、たびたびあったんですか。

野田 それを「反発している」と言われるんでしょうが、あくまで意見の違いです。僕も人間だから業がある。その悲しさとでもいうのかな。戒めとしなくちゃいけない部分でしょうね。
 強いて上祐との意見の違いをあげるなら、信徒の勧誘の仕方でしょうか。サティアンショップなんかを打ち出している。ただ、いまは彼がやってきた「流れ」というものがあるから、それに任せてます。構成本誌・岩田一平



オウム真理教「陰の最高実力者」などとかれている野田成人氏は、噂に違わぬ人物だった。自信たっぷりのインタビューから得た印象は、「ボス上祐」体制の最高実力者として、教団を運営する自負にあふれていたことだ。
 野田氏は今年五月、すでにパソコン通信で指示を出している。そこには「現存する最「高指導者」の方針だと明記してあった。指示は野田氏が使っている「林英一」という名前で発信された。野田氏によれば「現存する最高責任者」とは知子夫人を指すという。しかし、この説明は不自然だ。組織に出した指示文書「松本知子」の名前を隠す必要はなにもないからだ。
 素直に読めば「林英一」こ野田氏こそ「最高指導者」だと読めるのである。
 教団の表部隊では上祐氏が注目を集め、新方針などを明らかにしてきた。その一方で野田氏は極秘裏に内部通達を出していたのだ。
 野田氏の発言でもっとも注目されるのは、上祐氏との意見の対立を公然と認めたことだ。ギャルを勧誘する上祐スタイルではオウム真理教が変質していくという、麻原崇拝派による危惧だと私は受け取った。そこには「これまで教団のなかで頑張ってきた信者たちこそ大切にされるべきだ」という思いがある。
 上祐氏と知子夫人の間で、教団運営をめぐる対立があったことも野田氏はほのめかしていた。入信をめぐって麻原教祖の直接の指導を受け、教逮捕後は知子夫人の知恵袋だった野田氏は、自分こそ教団の本流を継ぐものだと自覚しているのだろう。
 おそらく彼にそう自覚させるだけの、教祖もしくは知子夫人からの「言葉」があったのではないか。「マスコミの前に出なければならない時期がくるかもしれない」こう語った野田氏は、すでに今後の教団を率い心づもりでいるようだ。
 野田氏との対談に上祐氏は同席しなかった。上祐氏は、「僕がいると彼が話しにくいだろう」と配慮したのだ。野田氏との対談が終わったあと、私は二時間ほど上祐氏と話した。その間、野田氏は二度、私たちの近くを通り過ぎた。その部屋の一隅が「外来者」である彼の寝室になっていたからだと後で説明されたが、私には何を話しているかを気にしていると思えてならなかった。エレベーターを待つ間、じっと私たちを見つめていた野田氏の心に、上祐氏に対するどんな思いが渦巻いていたのだろうか。
 二人の意見の対立が組織上の対立として姿を現す可能性が高まりつつある。
 これが延べ八時間にわたる彼らとの会話を通じて得た私の結論だ。 戻る inserted by FC2 system