自分が映画に関わり始めた頃にはもう、日本の映画界ではスタジオシステムが機能しなくなり、監督やプロデューサーがメジャーから飛び出して映画製作を始めた頃でした。実際、僕はATGなどの独立系映画に数多く出演しました。六〇年代から、雑誌などに日本映画はダメだとよく書かれていたけれど、「日本映画」というくくりが何なのかはっきりと分からない。鈴木清順の世界、大島渚の世界と言われると多少イメージがわくけれど、大きく「日本映画」でくくりきれない多様さをその頃すでに感じていたからです。先頃、アメリカ遊学中だった林海象氏が「日本ほどいろいろな質を持った映画を数多く生み出しているところは他にはないことがわかった」と言っていましたが、個別の監督、作品それぞれに世界がある。阪本順治というはまさにそのような作家で、自分の世界が定義されることを嫌がっているように思いますね。前作を自分からぶった切るような作り方をしている。デビュー作の『どついたるねん』『鉄拳』『王手』の浪花三部作から、『トカレフ』では全く質感の違うものを打ち出して観客や批評家をあっと言わせたように。ですから今回、阪本順治が金大中拉致事件を映画にすると聞いても、全く驚かなかった。いかにも阪本らしいなあと思っただけです。
  出演のオファーは企画の早い時期に受けていました。まだシナリオはなく、金大中拉致事件の話だということと、新聞記者をやってほしいということしか聞いていなかった。シナリオの初稿があがり、神川の役割は拉致する側と守る側の中間の立場にあると思ったのですが、その後シナリオが四、五回改稿され、そのたびに守る側と拉致する僕の描写の比重と、神川の両サイドへの関わり方が変化したので、全体のバランスの中でポジションを取っていくのが難しかったです。撮影ギリギリまで大幅なシーンの入れ替えやカットの変更が幾度となくあったので、正直言って随分混乱しました。今回のように激しくシナリオが変わった経験はあまりないですね。監督と脚本家のせめぎ合いが生々しく聞こえてくるようでした。
  神川の役作りについては、僕は新聞記者の役をあまりやったことがないし、職能的な細かいところが分からないから、多少の調べものをしなくてはいけなかった。もちろん、新聞記者にはたくさんお会いしてますがね、職業柄(笑)。でも、具体的に言えば衣食住がどうなってるのかまでは分からない。それから、映画は七一年の三島由紀夫事件から入るので、その時代に流れている社会の水脈を意識しないといけない。加えて、神川は敗戦の一歩手前に特攻隊員としての訓練を受けた世代です。様々な歴史的、社会的なバックグランドをもつ人間ですからね。実は、『KT』がクランク・インする前に、一九四五年の八月十五日前後を舞台にした『美しい夏キリシマ』(黒木和雄監督)の撮影が九州のえびの市であり、特攻隊員だった神川の青春時代と自分を重ね合わすことができたんです。また、偶然にも行きつけになった喫茶店のマスターが元西日本新聞の記者だったので、レクチャーを受けて神川の日常的気分というものを探れたのは本当にありがたかったですね。九文字原稿のことなどは初めて知りました。不思議なめぐり合わせでしたが、拉致事件が起きた一九七三年、僕は撮影中に事故を起こしまして、金大中さんの記事とその記事が隣り合わせに載ったことも何か因縁めいているんですよね。

誰も勝者にはならなかった


  僕にとっての初日は、八月十三日の千鳥ヶ淵のシーン、いきなり、富田と正面切ってりあう場面です。神川は映画がイデオロギッシュな方向へ流れそうになるところへ出て行って、それを軌道修正するようなニュートラルな役割でしょ。元特攻隊員であり元共産党員として両極端な立場を生きた後、いわば中庸を生きている人間です。そういう複雑な過去をもつ人間として、いきなり初日に富田に憲法改正や特攻隊の話、イデオロギーはいらない、こんな日本でいいんだと話すわけですから、これは厳しかったですね。まだ神川の何も演じていないんですし。初日だったら、普通は尾行のシーンとかだろうと思いましたよ(笑)。それに、このシーンは神川と富田の関係性が位置付けられる大事なシーンで、富田がどんな風に出てくるかも分からなかったので、本当に緊張する撮影でした。おまけに上空にヘリコプターが飛んでいて騒がしいんですよ。落ち着かないなあと思っていたら小泉首相が参拝していた。これもまた妙なめぐり合わせで。
  初めからかなりハードな撮影でしたが、神川という人間をラストまでどのように演じていくのか、緊張の連続、まったく息の抜けない撮影でした。この映画は一つ一つの政治的な関係性よりも人間としてのぶつかり合いがむしろ重要だと思うのですが、初稿には入っていた神川と金甲寿との絡みーー彼の懐まで入り込んでいくシーンが決定稿ではなくなった。そうなると、この拉致事件に対する神川というジャーナリストの目線をどこで表すかといえば、富田との対峙においてしかないわけです。千鳥ヶ淵のシーン、大和リサーチで「俺は豚でいい」と話すシーン、それから事件が収致した後のグランドでのシーン。この三つの柱を際立たせ、一つのシーンから次のシーンへ行くまで、どのようにさせるかがたいへん難しかったですね。
  神川という人間は心のどこかに鬱屈としたものを抱えながら、一方では拉致する側も守る側も蹴飛ばす。ある距離感を持って社会を見ている。上から降りてくるものではなく、実は大事なのに見過ごされていることを下から掬い上げていく。記者クラブに入らず芸能記事でもなんでも扱うフリーランスな記者というメリットを生かした独自の取材網を持っている。勘が良くて情報を呼び込む力もある。そういった神川のバックグランドを説明する台詞やシーンは、撮影や編集の段階でカットされた部分もありますけど、私はそれを常に意識して演じていました。本当は神川を中心に一本の映画が撮れるほど後ろに言葉があったんです。今回、どの役もそういう要素を持っていました。逆に言えば、それほど一人ひとりのキャラクターが魅力的だった。だから、撮影しながらも尺の問題でカットしたところについては、監督には相当の葛藤があったと思います。
  抱えているものはそれぞれ全く異なるけれども、登場人物に一つ共通しているのは、誰も勝者にはならなかったということです。一個人として大きなうねりに巻き込まれていき、そして誰もが負けていく。それは撮影現場でも実感しました。撮影が進むにつれ、ものすごく哀しくなっていくんです。特に韓国の俳優さんの表現は素晴らしく、側で見ていてもゾゾーッとくるものがありました。最後、自衛隊のヘリコプターに向って空砲を撃つ金車雲、あれほど哀しいものはないですよね。
  映画そのものについては、自分では評価はつけられないですね。いつもそうですが、現場でやっていると分らなくなってくるんです、現場は生ですから。だから、むしろ観客の素直な感想から教わることのほうが多い。「面白かった」と言われれば、「どこが面白いか教えてくれよ」と聞きます。面白いと言ってくれる人もいれば、批判的なことを言う人もいる。でも、その一つ一つが的を得ているのではないでしょうか。監督にしてもやはり本当のところは分からないんじゃないかな。

■映画は「飛び道具」


  映画が完成して、ベルリン国際映画祭のコンペに招待されましたが、ベルリンは一言で言えば、派手になってましたね。昔は赤い絨毯といえばカンヌだったのがベルリンでもありました。二十二年前の『ツィゴイネルワイゼン』の時は、静かで地味な映画祭だなと思ったんです。鈴木清順監督と大楠道代さんと一緒にベルリンへ行きまして、監督は「私はこんなとこにいてもつまりません」とか「他人の映画を観たって分かりません」なんて言っていたんですが、審査員特別賞(銀熊賞)をもらいましても「あっ、どうも」みたいな感じでトロフィーを受け取っていたのがおかしかった。
  『KT』の上映は最終日の二月十六日で、チケットがあっという間にソールドアウトしたらしいです、千人も入る劇場なのに。観客の反応は非常に良かったですね。監督は、渡航前はヨーロッパの人に日本人と韓国人の顔の区別がつくのかと心配してましたが、それは取り越し苦労でした。スクリーンは日本の劇場の四、五倍もあり、満席だった。やはり映画は満席で観るものだなと思います。他人の反応振動になって体に伝わりますからね。それがまた劇場中に波動し、大きな感動のうねりが起こるんですよ。神川が千鳥ヶ淵のシーンで、いったんスクリーンの右に消えて「あ、こっちだった」と戻ってくるところや、編集部でデスクに「何書いてるの」と聞かれて、「アルバイトの原稿です」と答えるところで大爆笑するんです。香川照之さんの「美人は三日で飽きるけど、ブスは三日で慣れる」という台詞も大受けしていました。
  賞をもらえなかったことを、金重役のキム・ガプスさんは本当に悔しがってましたが、「ナンバーワンでなくて『KT』はオンリーワンの映画なんだから」とか訳の分からんことをほざきながら、その夜はドイツビールをたら飲ませてもらいました。それとまた別に、海外の映画祭で上映されることにとても意義があると思っています。いろんな国のいろんな人が見てくれる。それだけでもいい。壁は厚いですが少しでも喰い破れたらその方がいい。映画は「飛び道具」ですよ。いわば散弾銃。この先、どの国のどの人に当るか分からないんですから。
  今や日本の若い映画人はあたり前のように英語版やフランス版のパンフレットを持って世界中映画をセールスしに飛びまわっている。素晴らしいことです。神川だったら当然メールマガジンなん作って発信しているでしょうね。(訳)

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