李鳳宇 □「ビリケン」以来久々に阪本順治と組むことになった経緯を.....。李 阪本とは「ビリケン』以降も何かやろうとずっと話していて、配給で加わるとか出費だけする可能性もあったけど、ちょっと距離を置いていたんです。「傷だらけの天使」「愚か者」「顔」と、彼の仕事は全部見ていて確実に違う方向で力をつけていると確信もしましたし、阪本も僕とやるなら「シュリ」や「JSA」で受けた衝撃に対する自分なりの答えを出したいということで、どういうものがいいか、『顔』が終わった頃から話をしました。それからいろんな企画を出して、全然違うラブストーリーも考えたりしましたけど何か違う。それは誰かがやったことで俺たちがやるものではないと。そんな時に阪本から金大中はどう?という提案がありました。阪本はあとで後悔したと言ってましたけど、拉致事件をやったらどうなるという単純なアイデアだったんです。ただ、どうやって映画にするんだと何ヶ月も考えましたね。それで最終的に行き着いたのが当時の日本人から見た事件ということなら、日本社会が大きく動いていた時代でもあるしすごくやってみたいと。それから阪本が一緒に作業したいということで荒井さんを交えた脚本作りが始まったんです。
□その段階で原作は?李 荒井さんが脚本を書く段階で金大中の自叙伝とか、検査の過程を描いた本とかいろんな資料を集めたんですが、参考にはなってもドラマのにはどうしてもならない。実際の事件なので全部実名でやるのはどうかという問題もあったので、事実に基づいたフィクションでドラマを描いた原作が絶対にいいということで、中園英助さんがお書きになった「拉致」を原作にしたんです。すんなり金大中の拉致事件と決まったわけではなく、いろいろなやりとりがあったうえで決まったたわけですね。私と阪本は同世代ですけど、日韓関係に関しては上の世代のような強いこだわりもないし、今の十代二十代のように一緒にサッカーを見て楽しむ世代とも違う、中途半端なわだかまりも持ってるんです。彼も僕も関西出身で、関西には在日朝鮮人もたくさんいるし、韓国と日本を往来する人もたくさんいます。そういう意味では東京に住んでいる人たちよりは韓国が身近だったりする。そんなこともあって阪本は私に対し抵抗なく朝鮮や韓国の問題の話ができると思うんです。その上で自分たち世代の日韓関係の根源をやってみたかったんですね。だけど、昔の朝鮮併合も閔妃暗殺も実感としてわからないので、そこまで遡れない。七三年のこの事件が自分たちの記憶の中でれるぎりぎりだったんです。
□いざやるとなった時に戸惑いは?李 第一稿があがるまで、はたしてこれで映画ができるのかという戸惑いは私だけでなく監督、スタッフも含めて結構ありました。荒井さんも一番辛かった時期だったんじゃないですかね。
□第一稿はどうだったですか。李 はじめ荒井さんが書いたものは五百枚くらいの三部作つくれるんじゃないかという膨大なもので(笑)、それを読んだ時にはどうしようと途方にくれました。でも三部作にはできないので何をやるか絞り込んで。
その第一稿ができたのはいつ頃ですか?李 二〇〇一年に入ってすぐですね。分量もさることながら、結局、荒井さんが絞りきれなかったこともある?荒井さん自身も肩に力が入っていたというか、先輩という自負もあって非常に辛かったと思うんです。俺たちがやるんだから恥ずかしいことはできないと。でもプロデューサーの立場からは、とにかく前にできるような柱を作ってくださいという話ばかりしていました。そこから削っていったわけですね。初めから阪本にも荒井さんにもお願いしたのは、日本人が主人公なんだから他のことはどんどん削って、日本人としてのアイデンティティを問題にしないと意味がないという話をしました。
□事件の全体を、となるとあれもこれもになっちゃうんでしょうね?李 主人公を描かないと事件性が際立ってこないし、どうやって主人公が事件と関与するのかがかなり論議されたようです。単に映画でやるというだけなら、もっと面白いストーリーもたくさんありましたけど、人物が弱くなってしまうというのもあったんです。
□一方で、作品を公開する時期というのを考えると、そんなにのんびりできない。二〇〇一年の夏にはクランク・インしないと、というような読みもあったわけでしょう?李 自分の読みでは二〇〇二年五月三十一日に始まるワールドカップ前に公開する映画だと思っていました。というのは、日本でも以前のソウル・オリンピックのような盛り上がりがあるだろうと。そういう時でもないと、こういう映画に興味を抱かないでしょうから最後のチャンスだと思いました。だから夏には絶対インするし、年内にあげるためにも悠長にやっている時間はないんだとみんなにハッパをかけました。
□金大中大統領の任期もありますしね。李 大統領在任中でないとできないので、後半二カ月くらいバタバタやってましたね。□実際シナリオは何稿くらい?
李 荒井さんの中では多分二桁くらいあるんじゃないですかね。阪本に渡ってからも三つ四つありました。最終的にゴーになったのはインする一カ月ですね。基本的なラインは春に出ていて、ラストとか台詞どうするとかの細部ですけど。
豊川京子
阪本さんとは『トカレフ」が初めての出会いで、その後、テレビで室井滋さん主演の「リョーコ!」という作品をやらせてもらいました。阪本さんの最初の印象はすごく食らいつく人だなと。役者さんにはすごく愛情を持って接しながら自分のことはとことん追い込んでいくので、見ていてこっちが辛くなることがあります。
実は私、在日なんです。でも民団との関わりもなく、日本の学校に通っていました。それに金大中事件当時は高校一、二年生だったのでよく覚えてないんです。でも今回の映画の出演者は半分以上が韓国人で台本には在日韓国人も出てくるからすごくやりたいと思いました。久々に私が阪本組をやらせていただくということはオーバーかもしれないけど、神様が私に「やりなさい」と。私、ハングルはできないから甲寿が刑事に質問を受けてチクショって言った気持ちがわかります。うちの親も甲寿の母親役の江波杏子さんみたいに日本人はあーだこーだとよく言ってましたから、彼女の気持ちも良くわかる。私も国籍は韓国でも日本の勉強しかしてない、帰化する気もない。今回韓国行って改めて私って中途半端だな、何なんだろうと打ちのめされました。
クランクイン前には一九七〇年代のことも調べましたが、現場に入ってからは銀残しはやったことがないのでやはり気を遣いました。普通のメイクとどう違うのかカメラテストした段階でもわからない。オープンと屋内で色合いやベースカラーを変えなければいけないのか、一段白く塗らないといけないのか、もっと黒く塗らなければいけないのか、人によって全部違うんです。ノーマルな肌の人や日に焼けてない人は普通におちるけど、色の濃い人とか焼けてる肌に白い色を塗ってもグレーみたいになってしまいます。こちらで変えてもダメで照明で調整するしかないとか、ラッシュを見ながら笠松さんともよく話し合いましたができあがるまでずっと悩みっ放しでしたね。
昔はドーランとか使っていたみたいですけど、今はフィルムの感度がいいので一般的に使われてるファンデーションでも大丈夫です。厚く塗れば厚くでるし薄く塗れば薄くでる。メイクだけでは隠しきれないですから、照明さんの力を借りないと。そこが難しいんです。そのカットだけいきなりライトが変わって不自然でなければいいですけど、流れが変わってしまうこともある。映画はきれいに見せることだけが目的ではないですからね。役が持つ人間性とか状況をトータルした上でのメイクですから。
今回は登場人物がかなり多いですが、自衛隊は短い髪の毛、KCIAの人たちは当時の韓国ではハイトップというきちんと整髪されたへアスタイルが主流だったのできっちり七三分けにしました。その中でも人によってキャラクターを際立たせるため、例えばガプスさんは性格が荒々しい役なのできっちりした七三ではなくラフな感じにするけど、耳はきっちり出そうとか。
韓国の俳優さんとの会話は根本理恵さんに通訳してもらいながらでしたが、基本的には好きにやってくださいという感じでした。若い役者さんとかも「えーなんでこんな変な頭にするのやだこれー」と言いながらも、「時代設定だから仕方ないの。でもかっこいいよ!」と言うと少しずつ馴染んでいってくれましたし。台本を読んだ上で自分なりの人物設定を考え、監督と打ち合わせをします。役者さんの中にはあらかじめ自分の人物設定を考えてくる方がいらっしゃるので、そこで自分なりのメイクプランをどれだけ受け入れてもらえるかが勝負。もちろん監督に対してもそう。でなければ言いなりになってただ作るだけの人。それではつまらないし、そうではないから私も楽しくやってこられたと思います。
『KT』は時代物とはいえあまり古臭さが出てもなと思っていましたが、初号試写で見て古臭さは感じなかったし、スタイリッシュでかっこいい映画だと思いました。後半の拉致が起きてからどんどん引っ張っていくテンポもいいので二時間一八分が長く感じない。すごく私は感動しました。
阪本さんは、役者さんと話をしながら、メイク以上に役者の顔を見ています。『トカレフ』の時には私がメイク的に気付かないところまで良く見て指摘され、自分自身のプライドが傷つき悔しかった!それで、はっきりとは覚えていないんですけど、当時は私もまだ若かったので打上げの席で意見したらしいんですよ。困ったもんですね、ハッハッハッ!お酒飲むとあの時は怒られたねといつも阪本さんに言われます。でも、今回は韓国での打ち上げの席で「もう怒らないのですか?」と阪本さんに聞かれて、「とんでもないです。『トカレフ」の時は失礼しました。阪本さんにずっとついていきます」という感じ(笑)。阪本さんには「トカレフ」の時とはまた別の魅力を「KT」で感じましたね。
メイクというのは現場で衣裳、俳優、各スタッフ、それぞれの話を聞くから一歩引いた目で見られるかもしれない。疲れることはありますけどそのこと自体には慣れてるというか苦ではないです。出過ぎでもダメなので見て見ないふりというか今はほっておこうという時もあ
今村治子
金大中拉致事件の起こった一九七三年は、社会が激動していた時期でした。私にとってもまさに青春真っ最中でしたから、今回の映画化の話を聞いた時は、あの時代の記憶が一気に蘇ってきました。映画にも出てきますが、金大中氏が日本での活動の基盤としていた仲間や支援者たちの事務所が高田馬場のマンションにありました。私はその近くでいつも遊んでいたんです。まさか隣りであのようなことが起こっているとは知らず、後から報道で知ってとても驚いた記憶があります。また、七〇年、友人が欄の会の制服を着て現れた時の驚きは非常に大きなものでした。
ですから、私にとってはあの時代に遡っていろいろ掘り起こすことは容易で、シナリオの上がりを待つ間は、当時の資料を集めて読みながらワクワクしておりました。私は映画において小道具や衣裳風景などだけで時代の雰囲気を伝えきれるとは思っていないんです。確かに映画にとって最初に目に映るものが「伝わる」ことの一番大事な要素ですが、それだけでは観客は二十年前なのか三十年前なのか、はっきりとした確信は持てません。ましてや今、あの時代を認識しているのは五十歳前後がやっとです。七〇年代を体験していない世代にどのように伝えていくのかはやはりシナリオに負うところが大きく、その意味でも非常に期待して待っていました。
第一稿の印象は、事件が時系列的にドキュメントされているなというものでした。どのようにドラマとして成立させていくのかが見えなくて、これは大変な作業になると思いました。やはり推敲途中、激しい論争があったと聞いています。そして、決定稿ではドラマが丹念に描かれていましたので、これを阪本監督が撮るとなると優に三時間は超えると予想されて、今度はそれが心配されたのです。でも、クランク・インの数日前に監督調整のために手直しをした撮影台本が届きました。それは阪本監督の特色が出ていましたかち、少なからずホッとしました。それでも、急に設定が変わった部分の辻褄を合わせていくとなると、とても二時間程度には収まらない。後はもう現場で調整をしながらやる以外にはないなと覚悟しました。
映画は七〇年の三島由紀夫の自決事件で始まって、朴正熙と金大中の確執のシーンがありますが、この二つはなくてもいい、七三年の拉致の話だけでもいいという意見もありましたが、私は拉致の話だけではとてもあの時代を伝えられなかったと思います。富田は三島の信奉者だと語っていますが、三島事件のシーンがないと自衛官としての彼のジレンマが見えませんからね。
阪本監督は映画の中にイデオロギーの問題を極力持ち込まないようにしていました。この映画はどちらかに偏ったりしない人間模様を描き出し、エンタテインメントにすることだと、現場のスタッフはみんなそう捉えていました。ですから、決定稿を読んだ感想として、私は監督に「これはスリリングでミステリアスな感じの映像になれば充分なのではないか。それ以上は作り込まないほうがいいような気がします」と申しました。
クランクインの初日は、三島事件のあった東部方面総監室と防衛庁の屋上のシーンで、成蹊大学での撮影でした。映像では涼し気に見えますが、本当は真夏の暑い日でみんな汗だくでした。またその日は、映画のラスト近くで、富田と佐竹が廊下で別れの挨拶を交わすシーンも撮りました。これは佐藤さんと香川さんにとっては大変難しかったと思います。前半部分の二人の交流をまだ演じていないのに、初日にいきなり別れの挨拶をしないといけないのですから。特に廊下の端と端で二人がそれぞれの存在に気付いた瞬間が最も難しく、監督と役者さん各々が考えた二つのパターンを撮りました。敬礼の仕方もどの程度まで感情を込めればいいのかみんな本当に悩みました。恥ずかしながら、私はその時点ではこのシーンがラストシーンと深く関わり、この挨拶が永訣を予兆するものになるとは思ってもいませんでした。結果的には想像以上に重い挨拶だったわけです。
初日から三日後の千鳥ヶ淵での撮影も落ち着いた現場というわけにはいきませんでした。ちょうど小泉首相の靖国参拝問題があり、なんだか物々しい雰囲気で。無事に撮影が終わるようにと、私はカメラや俳優さんの背中にお清めの塩をかけて回りました。英霊の眠る前で騒がしいことをするわけですから、お怒りに触れないようにという心遣いです。 見事な演出に手応え充分
撮影が進む中、この映画で阪本監督が伝えたいことを私が確信した瞬間がありました。金大中が拉致されるホテルの廊下の撮影で、監督が自分のイメージとして「廊下をダーッと行ってダーッと帰ってきてほしい」とおっしゃったんです。その時に、そうか、監督が一番やりたかったのはこれだったのかと思いました。拉致を実行する前の男たちのその時”を待つジリジリとした時間の表現、そして拉致が終わった瞬間の誰もいなくなった廊下。あんなに小さな狭い空間の中で、ある一瞬において時代が、国と国の関係が、個人と組織が、男と女が、友情が思いもかけない方向に陥っていくこの空間の演出が彼のメッセージであり、この作品において最もスリリングでミステリアスな表現だなと。これは良い感触を得た瞬間でした。
この作品に限らず、どの作品でも撮影中にそのような手応えを一瞬にして得ることがあります。『顔』の場合は冒頭で藤山直美さんがミシンを踏んでいるシーン。撮影の初日、彼女と真正面から向き合い、その手元を、顔を、アップサイズでドンドンと撮っていった時もそうでした。『KT」では、キム・ガプスさんが初めてカメラの前に立った時です。李政美のアパートの前で車を降りた瞬間、芝居が色っぽいと感じたんです。舞台出身で映画にも何本か出演しているなどの情報は得ていましたが、彼の映像は見ていなかったので少危惧がありました。しかし、それは杞憂でした。ガプスさんは声も佇まいも美しい人でした。余談ですが、日本の女性スタッフは全員ファンになりました(笑)。
韓国と日本の俳優の違いを一番感じたのは芝居の間です。韓国は芝居の間がとても短い。監督が「もう少しゆっくり間を取ってください」と言うと、「いいんですか?こんなにとって。韓国では『もっと短く、もっとつめて』と言われ続けてきたのですが」となる。監督の「ゆったりしてください、ゆったりしてください」が二、三日ほど続きました。しかし、どの役者さんも勘が良く、すぐに阪本監督の独特の間合いをつかんだようです。特に金俊権役のキム・ビョンセさんはハリウッドで仕事をされていた方で、監督が何か注文を出すと、何を要求されているかすぐ判断し、通訳が間に入るのを断っていました。それから、韓国の男性俳優は、軍隊経験があるためなのか我慢のしどころが違う。金大中役のチェ・イルファさんは最後まで役そのままの真面目な佇まいで現場に向き合ってらっしゃいました。ガブスさんは日本語の台詞をすごい集中力で覚え、感心しましたが、韓国の方々からは佐藤さんのハングルは完璧だと絶賛されました。また、平田満さんは在日の人と間違えられるほど、巧みなハングルでした。
二カ国語が入り混じる映画の現場は、スクリプターにとっても大変でしたが、日本語とハングルが左右に並んでいる対訳台本を作ってもらい助かりました。たまたま『KT』の前に日中合作のテレビドラマに付いていまして、日本語本の横に中国語台本を貼り付けたものを自分で作ったものですから、監督にこういうものを作ってほしいとお願いしたんです。この台本は他のスタッフにも、役に立ったようです。また、私はハングルが分からないので現場では韓国の俳優さんが何を言ったかをカタカナで台本に書き込んでおき、あと通訳の根本さんに教えてもらっていました。
最も大変だったのは釜山の港での撮影です。アメリカの同時多発テロの直後で不安材料がいっぱいありました。特に、ヘリコプターを日本の自衛隊機に模様替えして釜山上空を飛ばすことでした。冗談で間違って撃ち落とされるのではなどとうんぬんしている中、船とヘリコプターのドッキングに手間取った時は本当に不安でした。許可された飛行時間内での撮影が厳しくなりましてね。あのシーンのガブスさんの台詞は監督がだいたいの台詞はこうしてほしいとその場で作り、注文を出してハングルに直す作業はすべて彼に任せました。ヘリと船の位置関係、芝居の動きとカメラワーク、発砲の仕掛け、すべてのタイミングを測りながら通訳をはさんで行う監督の作業は大変でした。
ラストシーンはシナリオ通りに交通事故の場面を撮影していたんです。富田が車にはねられた姿に大統領就任式の映像をオーバーラップさせるはずだったのですが、韓国から借りたニュースフィルムがファンファーレのラッパで始まっていて、それを使うと、いかにも現職大統領の宣伝映画になってしまう。ノーベル平和賞式典のフィルムという代案も、やはり違う方向にいくからやめようということになり、映画の終わり方に監督は悩みました。何度目かのラッシュの時、富田の何気な振り向いた顔にピストルの効果音を付けてみました。知らされていなかったスタッフは息をのみ、やがて静かなざわめきに変わりました。監督のメッセージが明確になった時だったと思います。 本当にフィルムは怖い
編集はいつものごとく地獄でした(笑)。OKだけで四時間、最初のラッシュで三時間二〇分ありました。あるシーンは実際は分あるのをし秒ぐらいしか使っていません。このように時間という上映時間枠に収めるための調整に苦しみました。例えば、たった一つの台詞を抜くだけで、その前後のドアの空き具合が違ってしまい、つながらなくなってしまう。それでも時間軸を崩さずギリギリのところでつないでいけば見逃してもらえるかな......と、スクリプターは命の縮む思いでビュアーをのぞき込み、エディターは最少の一コマを探り出してつなぐのです。神川が金大中を訪れ、インタビューするシーンも二人が握手したら、中ほどをオミットして次は金大中がインタビューに応えて理念を述べる箇所をつないでいたのですが、どうも映画のリズムが悪いし尺のバランスがとれないので最後まで課題として残っていました。オミットした箇所を復活させ、入れ替えてやっと今の形になったんです。そんなふうにあのシーンはいらないと抜いたり、しかし、ないとドラマが伝わらないと戻したりと、ほとんどの監督は上映時間との闘いでご自分の理想の作品を生む結果になっていないことが多いのです。私はこれが一番辛いことだと長年思っています。
この作品もシーンをまるごと落としたところがいくつかあって、個人的に残念に思ったのは富田が約束の小切手を金車雲の娘に手渡すところです。現場で涙が出るほど良いシーンだったんですよ。それが、尺を少しずつ削っていくと、ただ渡しに行っただけにしか見えなくなってしまい、現場では泣けるほど良かった気分が感じられないんです。本当にフィルムは怖いです。結局、ただのシーンになるんだったら思い切って抜きましょうとオミットされました。筒井さんが「金大中を返せ!」という抗議文を書いた赤旗を持って、叫びながら韓国大使館に突っ込んでいくところも良かった。李プロデューサーは残してほしかったのではないかと思っています。また、金大中がホテルの洗面所で自分の下着を洗っている姿を見て感動する金甲寿のシーンも.....。残念ながらこれらもオミットせざるをえませんでした。シナリオの段階からすでに監督、脚本家、プロデューサーそれぞれに思い入れがあったわけですから、撮影後ではなおさらのことです。ましてやこのように大きなスケール、テーマであればあるほど関わった一人一人に様々な思いが込められていますから。切って良かったのかどうか、作り手の自分たちだけでは分からないことがあります。でも「上映時間」という制約の中で断腸の思いをしてオミットしたことは事実です。ご覧になった方がどんな感想を聞かせてくれるのか楽しみですね。戻る