■「KT」の映画化が具体的になったのは、いつ頃ですか?阪本 僕は日記をつけているので、はっきりしているんですが、二〇〇〇年の十月二十六日です。その日に「金大中事件を真正面からやる」という文字が具体的に登場してるんです。■日韓合作映画をやろうというそもそものきっかけは何だったのですか。釜山映画祭に何度か参加しているうちに、日韓合作で何かをやりたいと思い始めて、それについては『顔』を撮る前からシネカノンの李(宇)さんに話はしてたんですよ。でも、すぐに『新・仁義なき戦い』のオファーがきたので、その撮影が終わってから何をしようかと話を練り始めたんです。当初は、韓国で警察に追われた中年男が釜山から漁船で日本に密航してきて、日本の中年女性がかくまってやるというラブストーリーのプロットを書いてたんです。「金大中事件」にいきつく二ヶ月前まで。そうこうしているうちに、いろんな媒体で日韓合作を目にしたんですが、そのほとんどが海峡を越えたラブストーリだったんですよね。そうすると、人と同じことはやりたくないという生来の性格が出てきて、例えばラブストーリーでも、その中年女性の過去の話として、泊まっていたホテルで金大中の拉致事件に遭遇していたらどうだろうかと、サイドストーリーを思いついそれは、韓国や日韓関係の本を読むうちに、「そういえばこういう話があったな。これを絡ませたらどうだろう」というので出てきたんですが、そのちょっと金大中が出てくる段階から、いっそのことまともにやった方がいいか、となった。何かと組み合わせるのではなく、真正面からやろうと思い始めたんです。
■それで金大中事件の資料を集め始めた?阪本 そうです。最初は本屋に行っても事件についての本というのはほとんどなかったんですが、彼が大統領になってからはにわかに何冊か新刊が出たり、過去に出版された本が再販されたりしたんですね。それを読んでいくうちに、これをやるには日韓の歴史的な認識が必要で、俺には書けないなと思い始めました。にわか勉強じゃ無理だなと。それで、ある人にオファーしたわけなんです(笑)。
■中薗英助氏の原作にはどの時点で出合ったのですか。阪本 僕は何か作品をやろうとすると、とりあえずありったけの資料をまとめて購入するんですよ。その中に「拉致」(新潮文庫)があった。この一冊だけフィクションでね。それを読んで「原作があった方が楽じゃないですか」と、すぐに荒井晴彦)さんに薦めたんですよ。原作があった方が自由にフィクションにジャンプできるんじゃないかということで。
■「荒井晴彦」という名前は当初から念頭に?阪本 荒井さんとは十年以上の付き合いがあって、それも飲んでる席ばっかりですけど、話をするといえばほとんどが映画の話。それで、二人で話ばっかりしててもしょうがないから、一回仕事してみたいな、ならばどんな素材、どんな企画で仕事するのかと考える状態が続いてたんです。今回は歴史的背景にも知識があり、なおかつ話が小さくならない、また、単なる社会派でまとめるというのでもなく、きちんとエンタテインメントにできる人はと考えていて、荒井さんが得意な分野だと思ったんです。その前にまず、韓国人が起こした事件を本で撮るのに日本人が主役でなくていいのかという問題がありました。金大中のボディガードの在日の若い子(金甲寿)が主役であればそれでいいのか、自分も荒井さんも、その迷いを抱えたまま一稿目に向かってしまったんです。だから、第一稿を読んでズレを感じたというよりは、その疑問が疑問のまま残ったなと思いました。日本人のキャラクターたちが主役になりきれてなかったので、やっぱりこの企画で日本人が主役というのは無理なのか、それが一番大きな問題でしたね。それで、日本人を主役として成り立たせるためにはどうしたらいいのか、あるいは努力したら成り立つものなのかと、発想の転換をしていったんです。全く違う切り口で考えてみようと。
■第一稿では金甲寿(筒井道隆)と俊子(中本奈奈)が主人公として描かれていましたが、そこに違和感を持ったということですか?阪本 いや、第一稿の時点では、お互いに日本人が主役足り得るとまで思いいたってなかっただけですね。そのホンでは、佐藤浩市が演じた自衛官(富田満州男)は拉致が起こった後は一切出てこなくなるんですよ。その尻切れトンボの感じが一番気になっていたので、逆にそこから作れないかなというふうに思えてきた。
■荒井さんにとっては、甲寿と俊子を主人公にすることに、ある種のカタルシスがあったのではないかと思うのですが。阪本 うーん。プロデューサーに日本人が日本映画として立ち上げるわけだから、日本人が主役じゃないとまずいんじゃないかと言われた時、在日でもいいんじゃないですかと言ってたのはむしろ僕なんですよ。それがいろんな資料を読んで、事件に関与した日本人を描こうとしたら、やっぱりあの自衛官をもっと見てみたいなと思うようになった。そこから、資料にはないところをどう作るかとなっていったんです。
■学生運動を経験している荒井さんにとっての一九七三年は、いわば政治の季節の終わりであり、当時十五歳だった阪本さんにとっては、政治意識に目覚めた時期だったわけですよね。その七三年に対する脚本家にとってのいわば「総括」が監督にとっては「原点」であるというベクトルの違いが第一稿で露になり、それを引きずったのではないですか。阪本 一番ギャップを感じたのは「共産主義」という台詞でしょうね。たぶん、荒井さんは共産主義という言葉を普通の会話の中で実際に使っていたと思うんですよ。共産主義が好きでも嫌いでも、とにかく共産主義が何々と。僕らにはそういう経験がないわけです。だから、共産主義という言葉をナマで言うことがどういうことなのかわからない。第一稿の五百枚のホンの中には、台詞としてかなりの回数で「共産主義」が出てきて、そこをどう演出したらいいのか、共産主義を台詞として言うことにどう取り組めばいいのか――そうなってしまった。ホンが長いとか、日本人キャストがどうこういう以前にそこが一番のギャップでした。荒井さんにはシナリオライターとして、いかに共産主義という言葉をあからさまに触れないで政治的にやっていくかということがあって、それを今まで封印してきたんだと言ってましたけど、それがもう一気に吹き出したという感じがしましたね。
■七三年前後の政治状況が映画の背景としてある以上、そのギャップは避けられないですよね。 ■社会的背景をきちんと理解しているという点がオファーの最大の理由ですか。阪本 そうです。一九七三年当時、僕はガキだったけど、荒井さんはそれなりの大人だった。金大中事件のことも記憶していて、事件に対して何らかの言葉を持っているということが大きいですね。それにやっぱり、荒井さんはいわゆる大作、製作費の大きな作品をやってきているから、どうしたらエンタテインメントに転がしきれるかわかっているということもありました。
■確かに荒井さんの作品にはエンタテインメントもありますし、荒井さん自身の七〇年代の体験を反映させた作品というのもありますが、ドキュメンタリーな作品はないですよね。今回のオファーはかなり冒険だったという気がします阪本 いや、ピッタリなんじゃないかと思ったから頼んだんです。とにかく、僕と一緒に冒険しましょうよという気分ではなかった。例えば、僕がある政治的な含みを持った台詞を書こうとしても、自分に認識がないから書けないんです。言葉の意味はわかっていても、その言葉がある時代の状況下で持ちうる意味までは思いが及ばない。それをきちんと汲める人、そしてそれを社会派で括るのを一番嫌がる人、と考えたらピッタリだなと思ったんです。皆には企画が進むにつれて荒井さんに苦手なことをやらせていると言われましたけど。ちなみに荒井作品ではどういう作品が好きですか。いろいろありますけど、やっぱり『遠雷』ですね。あと『神様のくれた赤ん坊」とか。
■荒井作品の特質はどういうところにあるとか?阪本 ストーリー性だと思います。いわゆる文法通りの起承転結がよくできているということではなくて、途中で大きなどんでん返しもないままに客を引っ張っていくという。それはストーリーテリングの力がある、だからこそ面白かったという印象が残るんだと思うんですよ。
■阪本監督自身にはストーリーテリングの力はない?阪本 僕の映画見たらわかるじゃないですか。僕の映画はよく言えば人物像で客を引っ張るという......どこかでストーリーが破綻していてもね。あるいは、自分なりにストーリーをガチッと組んだつもりでも、編集の段階になって話の転がりがあまりに良すぎると嫌になるからシーンを入れ替えてわざと破綻させるというところがあるんですよ。今まで、自分でホンを書いて自分が監督するというパターンが多かったわけですが、ホンを書く時は構成力とかストーリーは二の次で、どういうキャラクターを作るかが一番重要だった。だいたい、先に主役をキャスティングするので、あて書きしていくと、どうしてもストーリーが二の次になってしまうんです。だから、そこは一番僕の苦手な部分でもあり弱点でもあるんですね。脚本は台詞が命といわれますが、僕は脚本は構成力が命だと思ってます。これまで組まれてきた丸山昇一さん(「傷だらけの天使」)や高田宏治さん(「新・仁義なき戦い。」)、宇野イサムさん(「顔」)もストーリーテリングの部分を担ってもらった感じでしたか?そうですね。高田さんと「新・仁義なき戦い。」で仕事をした時も、一度、自分でゼロから書き直そうとしたんですよ。後半に向かってそれぞれのケツをふいていく形のものを書こうとしたんですけど、群集劇というジャンルが初めてだったこともあり、頓挫してしまったんです。それで高田さんに「失礼しました。直そうとしたんですけどダメでした」と返しました。結局、東映の大きな作品、例えば役名が百人くらいあるような映画を何十本もやってきている高田さんの技術に最終的に委ねたということですよね。現場の演出で人物像を膨らませたり、地に足がついたものにするのは苦手だとは思っていないんですが、人間関係の入り組んだ様をホンの段階で構成していくのは難しいですね。そして今回は荒井さんのストーリーテリングの力に委ねてみようと。うん、まず自分にはできない。整理しきれないから。
■そうすると全体のトーンは荒井さんという人間の歴史性や体験、生理的なリズムがベースになってきますよね。阪本 確かに委ねはするんですが、自分の生理をいくら横に置いておいても出てきてしまう。僕は今まで自分の生理をいかにインパクトを持って映画の中で具体化していくか、その辺のところで生き残ってきたと思うんですよ。インディーズの中でね。だから、荒井さんに委ねているといっても、実は全く委ねていない部分があるんです。
■そのお互いの生理という点でまず格闘があったとそうですね。あとはプライドの闘いだった尺を短くしていくという闘いです。発想の転換で映画が見えた実際に第一稿があがってきて、ご自分の描いていたイメージとの最大のズレはどこだったのでしょうか?阪本 どっちが正しいとか間違っているとか、どっちが映画的か、そうじゃないかという話ではなくてね。あの漢字四文字に対しては、どうしてもギャップが出てくる。それでどうしたらいいかと考えて、失礼だとは思いつつも僕なりの案を書いて渡したりしました。その辺りから、「灰とダイヤモンド」や「暗殺の森」といったテロリストの話にするという大きな転換があったんですか?そうですね。刺されてもいいと覚悟したその後、稿を重ねていくわけですが、荒井さんの体験が、例えば甲寿と俊子の部分に投影される形で残ってはいるものの、決定稿では荒井節はかなり後退して、極端に言えば骨組みしか見えないぐらいの印象を受けました。クランク・インの数日前、阪本さんに行間から荒井さんがいなくなって、これで思う存分撮れますと言ったところ、いや、まだいっぱいゴロゴロしてますとおっしゃった。それは具体的に、どの辺りに荒井さんの生理が残っていると感じていたのですか。李政美というキャラクターが出てくる辺りです。ただ、女性が絡む部分にいつもの荒井さんの生理があるというよりも、今回はむしろ男の部分にそれが出たという気がするんですよ。男二人の話であるといっても、僕が過去に書いてきたバディ・ムービーとは全く違いますから。それは、荒井さんが連綿とやってきた、いわゆる荒井色みたいなものとは別の形で、この映画と向きあって出てきたんだと思うんです。男二人のエロチックな関係という形でね。
■車雲と富田の関係ですか?阪本 そうです。それで、富田に絡んでくる政美が現われるのも三稿目くらいから、それまではいなかった人が忽然と現われて・・・・・・。
■例えば神川昭和(原田芳雄)とゴールデン街の「雑苦場乱」のママの関係にも、荒井色が感じられたと思うんですが、それをカットしたというのは、やはりどこかで生理的に辛いと感じたからですか。阪本 いや、ゴールデン街は一回撮ってみたいなと思っていて、実際撮ってはいるんです。結局、尺との闘いで、短くするためにどこを切るかと考えた時に、切ってもストーリーはわかるという判断で、編集段階で切らざるを得なかった。でも、そういうことより、僕はこれまで扱った題材に関して周りからいろんなことを言われてきていて、今回も企画を立てた時点でなんでそんな七三年の話をやるの?とか、客は入るんですかとか言われたんですよ。例えばこれがあさま山荘事件だったら、時代や思想性を越えた映画的ダイナミズムを作り出すのかな、と皆さん思ってくれるかもしれない。つまり、過去の話、こういうことがありましたで終わる映画ではなくて、今もし起きたらどうなるのかと、現在に置き換えて見られるように作らなきゃいけないんじゃないかと思った。そう考えると、例えば背景にゴールデン街を出したり、街中に当時の行歌をどんどん流したりすることが果して有効なのか、逆になくした方がいいのではないか、そこが一番迷ったところなんです。その迷いはクランクインまでありました。
■荒井脚本は、例えば神川とバーのママの絡みや甲寿と俊子の情的な、阪本さんの迷いのポイントになったところにウエイトを置いて、人間の背景を描きつつストーリーを引っ張っていったと思うのですが。阪本 「金大中事件」を真ん中において作家二人が映画を思い浮かべた時、差が出るのは当然だし、その差を期待してお願いしているというのがあるわけです。だから、荒井さんに自分の考えのすべては言えなかったし、言ってはダメだなと思っていたので、結局、言い続けたのは、長すぎるとか、物理的な条件の闘いに関してだけですよ。そこを解決しておかないと、準備に入る時に余裕がなくなって無駄な動きをすることになりますから。そのために、ここはいらないんじゃないかと候補を挙げた。その中に神川や富田というキャラクターの裏付けになるような背景や人物があったということで。具体的に言えば、神川は記者クラブに入っていない記者だという説明を切ってますけど、僕ももったいないと思いながらなんですよ。いらないからではなく必要なんだけれども短くする必要があって切ったんです。
■そういう部分を切ってしまうと、逆に思想性が際立ってくることになりませんか。阪本 でもね、演出する僕も演じる俳優も、最初の長尺な脚本の段階からそれぞれヒントを見つけてるわけですよ。だから、神川が記者クラブに入ってない記者だと映画の中で説明されなくても、何らかの屈託を抱えている人間だということは伝わる。だから、そこを描いたホンがあるとないとではずいぶん差があると思うんですよ。言い訳っぽいですけど。
■神川は決定稿では政治というより芸能、風俗記者的に描かれていました。完成した映画でもそのキャラクターは色濃く出ているとはいえ、向からは左翼的な、思想性を持った人間に見えますが。阪本 シーンとしては全部撮ってるんですよ、台本でカットしたんじゃなくて。でも、芸能記者としての面も入れる、記者クラブに入っていないという要素を入れれば入れるほどゴリゴリになりますよ。芸能とか柔らかいニュアンスが入ると、思想性の強さみたいなものが薄まるかといえば、そうじゃないと思います。これは、ラッシュを見た僕にしか言えないことかもしれないけど。柔らかいものが含まれたとしても思想性は多分変わらないと思うし、逆に柔らかいものの方が際立ってしまうと思う。
■これを作品化した以上は、自身の思想性も問われることになるという怖れはありましたか。阪本 うーん、それはもう撮影前から、荒井さんに確実に挑発されてるなと感じてましたからね。撮れるもんなら撮ってみろと。多分できあがったものを見て、荒井さんは僕が日和ったと思っている。ダイアローグの変え方とか縮め方を見てね。でも、ここを日和ったら、荒井さんとやった意味がなくなるというところだけは、僕は怖れと共に残そうという意志でやったわけです。だから、どこかで刺されてもいいと。誰にかは知らないけれど・・・・・・荒井さんと両面からだったりして(笑)。僕は派手であるとか強いとか、とにかくインパクトを好む人間なんですよ。だから、パフォーマンスにしても言葉にしても、インパクトのあるものは怖ろしいと知りながらも、やってみようと思うんです。
■様々な思想や意図が込められた台詞を、俳優が実際に話す段階で問題は起きました?阪本 当然ディスカッションはありました。俳優から、ちょっと時間作ってくれって電話がかかってきて。それは俳優が自分の思想性と合致しなければしゃべれないということではないんです。現実ではそういう台詞は言えないとしても、架空のキャラクターとしてしゃべるということでは全然OKだと思うんですよ。でも、一度自分の中で噛み砕いて、人間の言葉として出す時に引っかかりがあるとどうしてもしゃべれない。だったら、ディスカッションしましょうということになる。荒井さんは、俳優の言うことなんか聞かなくていいからといつも言っていて、僕が俳優の誰々さんがこういうふうに言ってますけどと伝えても拒絶する。それは当然だと思うんですけどね。とは言っても、荒井さんも一対一になると、結構、話を聞いたりするんだけど。まあ、僕的には、金大中事件を「007」みたいにやりたいという単純なところから始まってますからね。そういう僕の方向と真逆のものを荒井さんが書けば書くほど、そこに取り組むのが楽しい、しんどいけど。マゾじゃなくてサド。自分に対するサドで、人に対してサドなの(笑)。複雑さは複雑さのままに
■映画が完成し、ご覧になって納得のいくところと、いかないところがあったと思いますが。阪本 企画段階からこの映画を誰に見せるのかという課題があったわけですが、やはり、何よりもまず映画的な昂揚感まで持っていかない限り、金大中事件を知ってる知らないの区別をしてもしょうがないと、現場では開き直ってやりました。堂々とやるしかないと。独立した一本の映画として完成させることを第一に考えて、観客を事件当時を知っている人、知らない人という風な予想をせずにやりました。何ものにも振り回されないでやると。それで良かったと思っています。九月十一日の同時多発テロなどが起きて、社会情勢の方がこちらに近寄ってきて、映画の中のダイアローグがどんどん現実味を帯びるようになってきたんですが、それには巻き込まれないようにどこかで突っぱねて。最初の企画意図を大事にしてやり通したという点では、いつもの技術的な破綻はともかく、全体としては面白いものができたと宣伝的な意味でなく言えます。
■映画を観た方々の中で、四十代前半くらいの人は、今までの日本映画の中で描かれてきたような、ベタッとした人間関係を意識的に排除しているところが新鮮かつ面白いと。一方、五十代以降、つまり当時を生々しく体験している人からすると、時代の雰囲気が感じられないとか思想性が不十分だという意見もありますが。阪本 年代によって感想の違いは当然出てくるだろうし、韓国の観客からもなぜ日本人が撮るんだとか、韓国のことをよくわかってないと言われるかもしれない。でも、それは予測してやっていましたから。四十代の僕が作るんだから四十代の僕にしか作れないものになるわけで、この映画に対して、世代によって意見や感想が分かれるということであれば、僕はそういう評価がわかれるものに手をつけたということです。完成披露試写会での二十代のアンケートを見ると、わからないこと=面白くなかった、とはなっていない。古めかしい話だと先入観を持ってきたにもかかわらず、そこはすっ飛ばして観られましたと。四十代、五十代の反はある程度は予測できたけれど、予測できない二十代にこの映画がどのように伝わるのかということの方が気になっていたし、話も聞いてみたかった。団塊世代の人たちにとってはそう括られること自体が嫌だろうし、自分たちの経験に照らし合わせれば当然、拒絶反応もあっただろうと思う。けれど、試写で観た人たちの感想では、予想以上に伝わってるなと手応えがありました。政治的な部分のわかりにくさを越えて、映画的な躍動感みたいなものは感じ取ってもらっている。嫌いという意見は意外とない。つまらなかった、乗れなかったけれども、嫌いだとは言い切れないと。三島由紀夫の自決や連合赤軍のあさま山荘事件、日航機ハイジャックを子供の目で見人間が、同時期に起こった金大中拉致事件というものを扱う。それは、重さがちょっと違うけれど、戦争中は子供だった人間が戦争を描くようなもので、実際に兵隊に行った人間が描く戦争とは全く違うだろう、それは自覚してやってます。開き直るしかないんです、その時代を知らずにやるのは無理だよと言われても、そんなことはわかってますと。ベルリン映画祭で賞からもれた瞬間、ガプスさんが「ヨーロッパの人間はアジアを無視している、アジアの国で起こってることなんかに関心ないんだ」と興奮しながら言った時、芳雄さんが「僕らはナンバーワンを狙っているわけではなくてオンリーワンを狙ってるんです」と言ったんです。いかにオンリーワンであり得るかというところで作り手に満足感があれば、賞を取る取らないは関係ないんだと。そう言われて、これはやはり僕にしか作れなかった、僕以外の誰が作れたんだと開き直れました。この間、様々なメディアから取材を受けましたけど、観て面白いと思ったから取材をしてくれるわけです。いろんな質問をされているうちに、逆に質問者の感想がいろいろわかってくる。例えばこの映画を誰で観たかというところで、夕刊紙の記者はやっぱり芳雄さんで見る、すごい親近感を持ってね。ちょっと若い女の人だと筒井君ですよね。ある程度大人の落ち着いた人なら佐藤浩市で。
■広範囲な人たちに観てもらおうという意図通りになったわけですね。阪本 主役の富田にしても、僕と浩市のいつもの意図でもあるんですけど、簡単に感情移入されないようにしようというのがあるから、観客それぞれがどこで観ようかと逆に探ってくれるんだと思う。
■登場人物の台詞から心理的な状態や説明を極力排除して、そこは観客に想像させるという狙いで、台詞で補完するのではなくて身体だったり体の動きで演出する......。阪本 僕の演出は登場人物たちのイデオロギーを外しては成り立たないものなので、この事件そのものが持っている複雑さをあんまり整理しないほうがいいという気持ちもあるんです。簡単に感情移入させないということは、人間の複雑さを複雑さのまま受け取ってほしいということです。複雑さを複雑さのまま演じてもらうということは、この世界は見えてなんぼですから、演じる人間も一貫性を持ってないといけない。その技術力を期待して浩市や芳雄さんに頼んでいるんです。『トカレフ」の時も単なる精神病者と思われないようにするにはどうすればいいか浩市と話し合って、正常と狂気のすれすれを狙おうということで、そういう複雑さを極端に提示したわけです。それは映画をシンプルに観ようとする人にとってはネックになって、混乱するかもしれないけれど、逆に観客を信頼してしてみたんです。一方では、デビュー当時に赤井と、最初から最後まで全く成長のない、変わることのできない人間像を描いてみた。こういう全く違う二つのことをできるのが映画の醍醐味なんですよ。僕の映画的な趣味もあるんですけれど。原田さんの初日は千鳥ヶ淵のシーンだったそうですが。芳雄さんは、撮る順番はできるだけバラバラの方がいい、順番通りに撮った途端、無意識に自分なりの計算が働いて、前のシーンを引きずりながらそこに繋げよう繋げようとしてしまう、それはキャラクターが淡白になるだけだからと言ってくれたので。浩市にしてでも、防衛庁の屋上で柄本さんに指令を受けるシーンと、ラスト近くで香川君と廊下ですれ違いながら敬礼するシーン、ものすごくタイムラグがあるシーンを同じ日に撮っている。だけど、浩市は誰もがそれはないだろうと拒否するところなのに、自分ならできるという回答をしてくる。大変だけどやれる、自信はあると言い切るんです。
責任を背負う監督だからついていく ■ベルリン国際映画祭のコンペに選ばれたという報せを受けた時の感想を阪本 日本からコンぺを目指して十八本くらい出品作があったらしいんですが、試写で何人か欧米の人間が観ていて、日本人と韓国人の区別がつかないとか、金大中なんか誰も知らないとか言われ、半分諦めてましたから、選ばれたと聞いた時は素直に嬉しかったですね。でも、儀式めいたことは肌に合わないし、その時はまだ賞のことは意識していなくて、僕の想像では、一般のお客さんの半分近くはすぐに椅子の音をたてて出て行くだろうと。で千三百人中二人しか出て行かなかった。みんなオーとかアーと言ったり笑ったり、が出てきた瞬間にドイツ語で「殺さないで!」と叫んだり。そういう反応は楽しんでくれてる証拠だから、愚かにももしかしたら、とかかすかな期待をしたんですけど。翌日、映画祭が出してる新聞の、審査員ではない西洋人のジャーナリストによる星取表を見たらそんないいことはなくて。コンペの対象作品の場合は観客との質疑応答もないし、舞台の上で何の挨拶もさせてもらえないまま終わってしまう。異国の人に観てもらっての感想を言葉で聞きたいと思っても機会がない。ロッテルダムやトロントでは質疑応答が怖くもあり楽しみでもあったんですけど、今回は赤い絨毯の上を歩いて、今日は監督以下スタッフが来てます、どうもみたいな。記者会見はありましたけど、映画の中身や俳優に関する質間は全くなくて、監督はどのような思想背景をもとにどれほどの日韓関係の知識をベースにこの映画に取り組んだのかという質問がほとんどで。閔妃暗殺事件とか日帝三十六年、日本が朝鮮を植民地にして終戦まで日本名を名のり、日本語をしゃべることを強調し......と僕がずっと一人で日韓の歴史についしゃべっていました。日本人女性でドイツ在住のジャーナリストは、韓国人のプレスもいる中で、映画の中で戦争に対する謝罪をしていないことが良かったと。監督は政治的な映画と言うけど、ちっとも政治的には思えないという韓国のプレスがいたり。だから日本人としては、ダイアローグも含めてタブーに触ってるつもなんだけど、韓国側にしたらタブーとは思えないんです。僕が言っている政治的なタブーというのは、日本映画の作り手が今まで触ったりなかったことに触ったということなんですと言うと納得してくれましただから中身のテイストとか映画作りに関する質問は一切なかった。そのあと十本くらい、いろんな国のジャーナリストの取材を受けましたけど、国際映画祭に慣れている人たちなので共通してることは、私生活であったり個人にスポットを当てた細やかな描写の日本映画しか観てこなかったので、こういう政治的なものは初めてだ、ショックだったと言われました。それと、富田が劇中で語ってるイデオロギーは今の日本人の一般的なイデオロギーなのかとか。富田イコール今の日本人なのかと。コンペに対してはそもそも何を基準にして選ぶのかという不信感の方が強かったんですけど、賞にもれたことで、今回の映画に関してはそういう正義感よりも、作り手の最高責任者として、劇場でどういうふうに公開され、どう完結するかという責任をものすごく感じました。何もかも全部の責任を背負っているわけではないんだけれど、帰ってきた途端、急に寂しくなって岸部一徳さんに電話をしたんですよ。二人でご飯を食べながら、ベルリンで落ちたのは僕の責任ですと言ったところ、いや、そこまで考えることないよと言ってくれるだろうと思ったら、岸部さんは「そうやって監督が好きに撮ろうとして、そこまで責任を感じてくれてるから僕らはついていけるんだよ」とありがたい言葉をいただき、癒されました。
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