かつて日本中の男たちを熱狂させた。ヤクザ映画史上に燦然と輝く金字塔「仁義なき戦い」。この名作に「どついたるねん」でデビュー以来、男の世界を描くことには定評のある阪本順台が挑んだ。脚本はヤクザ映画のスペシャリスト、高田宏治"水と油のふたりの壮絶な(笑)戦いの記録。阪本 最初の試写のとき胃が痛くてね。高田先生が後ろで観てるよって。
高田 いや、全然そんなことないよ。僕の脚本、もっと無茶苦茶にされてるかなあと思ってたもの。僕は終わった後、真っ先に拍手してたからね。タイトルロール全部終わるまで誰も立たなかった。『仁義なき戦い』を観たことがないような女の子たちが、通路歩きながら、「面白かったね」と言ってたからね。それがものすごく嬉しくてね。
阪本 最初、東映からオファーが来たときは、正直なとこラッキーだと思いましたよ。前作の『顔』インディーズでやって、僕も事務所もリスクを背負ってしまったんで、今回はリスクを背負わなくてすむと。ギャランティだけもらって映画が撮れるという。で、次の正直は、「でも、この題名を背負うというのはあまりに損な役回りだな」っていうね。ただ、前のシリーズが好きだったし、マイナス要素ばっかり考えてその挙げ句に自分が断ると、結局誰かが受けるわけで、そのときに非常に嫉妬するだろうなっていうのが見えたんで、まあ、お受けして
高田 最初は単にニューウェーブのヤクザ映画をつくりたいなとホンを書いてたんです。それを東映が『新・仁義なき戦い。」というタイトルをつけて、阪本順治という監督を引っ張りだした。彼の映画は、まあ、『愚か者」という題名にも代表されるみたいに、どうにもならんことのために、心ならずも突っ走っていく男のおかしさじゃないですか。彼が男を描く原点はやっぱり「どついたるねん」でしょう。赤井英和という実際に地獄を見た男に興味持って、ああいう映画を撮るという発想はすごい。『ロッキー』とは全然違うからね。ヤクザ以上にヤクザ的じゃないですか。やっぱりわれわれが一番真似できない、人間としてのアウトローというかね。組織としてのとか、法律的な意味でのアウトローじゃない。その阪本順治が本格的なヤクザ映画にどう切り込むのかにものすごく興味があった。
「仁義なき戦い」のプレッシャーから解放されたきっかけとは?阪本 前のシリーズが公開された73年は中学3年で、リアルタイムでは観てないんですよ。実家の真ん前が東映の映画館なんだけど、やっぱりヤクザ映画はコソッと観にいくわけにはいかなかった(笑)。初めて観たのは、映画を志した18か19の頃に、たぶん大阪で2日か3日に分けて仁義フェスティバルみたいなのがあって、いっぺんに観てる。ただ、死んだ人がまた生き返ってくるんで、まとめて観ると訳わかんなくなりますね(笑)。結局あとでビデオ観直したりしてるわけですよ。
高田 あなたは舞台挨拶で、「賛否両論があるのは覚悟している」と言ってたから、気にしてるんやなあ、と思って、ちょっといじらしくなってね。そんなことは気にする必要ないのよ。この映画は否があるから面白いの。『仁義なき戦い』のリメイクやるなら、呉(広島)の話とかまだいっぱいあります資料を持ってるしね。だけど、そうじゃないんだから。
阪本 テーマはいまのヤクザでしたからね。そこの空虚感みたいなもの。何というか、ヒーロー像の不在みたいな部分も、そういう気分も描きたかったし。
高田 いまの時代、ただ生きようと思ったらヤクザは簡単だからね。組織を守ろうとするから大変なんだ。前作の広島の話は自分が生きようとする戦いだから、それに組織が乗っかっていってでき上がるまでの話だからね。
阪本 まあ、いまみたいに整理されてない時代の話ですから。
高田 今回主演の豊川悦司は初めから阪本監督が目をつけてたんだけど、ヤクザになりきれんタイプなんですよ。非常にインテリジェンスのある狂気、醒めた狂気は演じられても、ほんとの馬鹿にはなれない役者なんですよ。彼の存在感で27年のギャップは埋められるかなと思ったの。そこへまた布袋さんという独特のキャラクターがくわわって、これを阪本監督は堅気の役にしいと
阪本 高田先生と二十数回、お宅にお邪魔して、お酒をごちそうになりながら、脚本について、グジュグジュ、グジュグジュ言わせていただいて。結局、僕自身が肝がすわってなかったんです。『仁義なき戦い』を期待して来る人もいるだろうなという、折衷案みたいなとこがあったんですよね。だから、もっとドンパチを激しくとか、カメラを振り回すとか(笑)、現場のことまで想像してで、とりあえず、脚本がまだ決定稿を見ないうちに、誰とやるのかを先に決めようと思って、豊川、布袋のコンビネーションが浮かんだときに、前作を気にするっていうことはかなり払拭されたんですよ。違うものなんだっていう。ただ、布袋は堅気という発想は、一番最初の高田先生のホンから思いついたんですよ。
高田 いや、僕が「新・仁義なき戦い。」という題名が決まる前にやりたかったのは、やっぱりいま一番失われてる男らしさ、それこそ仁義だと思うんですよ。仁って自己犠牲の愛でしょう。義は筋通すことでしょう。ヤクザの社会だと、とにかくそれが巧妙に結びつくんだけど、あえて、ヤクザ対堅気といいう男の戦いを書きたかった。だから、最初から布袋さんのやった役は堅気の在日韓国人で、これがアングラ経済でのし上がってと書いてたんですよ。ただ、同時にいまのヤクザにリアリティを持たせるためには、組織論の中でどう動くかを無視することはできない。岸部一徳さんとか佐藤浩市さんが演じる幹部たちの跡目争いを集団の中で描くのに、監督はものすごく往生したと思うんだよね。
阪本順治vs高田宏治はあくまで仁義ある戦いだった?阪本 高田さんにはすごい失礼なんですけど、結局シナリオ預からせてもらったことがあったんです。「ちょっと僕、ゼロから書きたい」って。もう先入観でね、これだけ年代と会社を背負ってきた人と、インディーズやってきた人間がいくら話をしても合わないんじゃないかというのがあったんですよ。で、プロデューサーに、「高田先生にはうまく言ってよ」と頼んで、それで、ヤクザの本30冊ぐらい読んで、ヤクザ映画観直したりして、気づいたんですよ。結局いまのヤクザの組織論を語ることに興味が生まれなかっだし、自信がなかった。で、「すいません。僕の書いた台本をナッシングにして、もう一回お願いします」と。
高田 僕の最初のホン読んだときの監督の非常に遠慮がちな批評は、「余韻がない」とプロデューサーから聞いたんですよ(笑)。逆に僕に言わせたら、彼のそれまでの映画は余韻だらけ(笑)、冗談で言ったんだけど、階段の描写で、人が1段目から、上がっていくような絵は僕は耐えがたいと。あんなの下から来るより最初から上がってたらいいんじゃないのと。でも、それが彼の映画のよさなんですよ。ただ、彼が書いてきたホンは、面白い面もものすごくあったけど、バラバラだったから、本人も持て余しただろうなとは思う。「仁義なき戦い」は集団でしょう。彼はたいていの場合、自分でホン書いて、一人の男なり2、3人を追っ掛けてるじゃないですか。これはね、はっきり言ったら作業としては楽なのよ。集団で大勢の人物を書くのはものすごくテクニックがいるんですよ。
阪本 自分で書くなんて、あんな邪魔くさいものないですよ。フルネームの役で47人ぐらいいましたからね。高田さんのホンは、最初もっと色気があったんですよ、女っ気というか。全部これはいらない、いらない、いらないって。
高田 それは必要ない。男が色気があるからね。舞台挨拶でズラッと並んで、すごいもんね。この監督が上品に見えるからね。みんな大きいしね。
阪本 そう。完成披露のときね。僕は一ぺんに会ったことないわけですよ。部分に出会って部分的に演出してるわけですから。ズラーッと並ぶと、おい、こんなやつらと仕事してたのか(笑)。
高田 あと、阪本監督は主役二人の少年時代から始めることにすごくこだわった。
阪本 この映画を受けた以上、自分がこの作品をつくるときの根っこみたいなものを見つけないと、ただ重圧を感じるだけですから。まあ、深作さんにとって少年時代の闇市の記憶みたいなものがあるとしたら、自分には、光化学スモッグで朝礼も体育の時間も校庭に出れず、家へ帰ってチャンネルひねりゃ、あさま山荘みたいな。実際に下校のときに、小学生でありながら、「もう日本終わるで」と言ってたのは、すごくよく覚えてる。たぶん僕の同世代はわかってくれると思うんですよ、あの冒頭のシーンはね。それ以外の人は、何のこっちゃ、というのはあったとしても、あの根っこがないと始められなかったんですね。
高田 僕はでき上がって3べん観たのかな。とにかく僕がいままで気にしてた部分、全部ぶっ飛ばしてる。この台詞だけはお客に聞かなきゃならん、このストーリーではこの場面が大事、この人物はこれをやらなきゃだめだということを、全部無視してる(笑)。僕ははっきりいって4年間脚本の仕事してきて、映画だけでもう200本近く書いてきてね、一つのシステムというか自分のやり方で通してきた。だけど、試写に連れていった僕の会社の若い事務員5人ぐらいがみな、拍手喝果だったんですよ。結局、われわれが気にしてるところはね、いらないんだな。
阪本 まあ、僕は寸止めが多いですからね(笑)。もうちょっとで泣けるのにってところで、寸止めしますからね。
高田 それはみな言うね。あれはなんで?テレるの。もったいないと思うの。
阪本 人間そんな簡単に感動できんやろうって。
高田 いやいや、やっぱりね、観にくる人はね......しかし、この人の今度の「仁義」なんかそれやるとよくないのかなあ。集団劇のはっきりいって説明的な部分を思い切り省いたから、あの二人の男がカッコよく絡めたなとは思いましたね。ヤクザと堅気が並行して絡んでいくドラマ作りというのは難しいんですよ。会わすと身も蓋もないしね。これがシナリオ的には非常にテクニックのいったとこでね。途中、布袋さんのやっている雑貨屋の前をパッと豊川さんの車が通り過ぎる。あれは監督のアイディアなんだけど、僕は正直どうかなと思ったけど、やっぱりいいですよね、ああいうシーンすごくね。あと、やるなあ、と思ったのはね、「ウンコの世の中じゃ」というセリフのシーンなんですよ。あんなもんまったく僕はシナリオにも書いてないし、現場であとで入れたんだけど。うちの女房はまだ若くて、看護婦しててね。映画観たある日、先輩と喧嘩して、今日病院辞めるっちゅうて行くときにね、「お前、大丈夫か」言うたら、「どうせウンコの世の中じゃ」言うて、あのおとなしいのが飛び出していったんで、ムッチャクチャ嬉しかったの。それをね、平気で言えるのが豊川なんですよ。菅原文太なら本物になるんですよ。あの臭気が伝わってくる。豊川はそれがソフィスティケートされてね、女でも言える。
阪本 自分で拙いホン書いてると、その部分を課題として現場に持ち込んじゃうわけですよね。で、課題の穴を埋めようとすればするほど、悪い意味での作家性こだわりばっかりが突出して、逆に作品を硬くしていくみたいなとこがある。高田さんに書いてもらったホンを持って現場へ行くと、たとえば台詞増やしたり削ったり、号外出しても、それは僕の中で遊んでるんですよね。今回、一番大きかったのは、最後は高田さんのホンに立ち戻ればいいという安心感ゆとりを持てたことですよ。水と油とか先生は言うけど、水と油も一生懸命かき混ぜ続ければ一個の液体かな、みたいな先生との二十数日だったんだけど。
高田 わりに融通無碍に、阪本監督の疑問に答えて、聞いてようが聞いていまいが喋りまくって、その間に彼の中この映画が発酵して固まってくるの待ってるという。最後に、「このホンでいけるからあとは自分に任せてくれ」と言われて、お任せした段階では、僕はもう阪本監督のファンになってしまってたから、そこから先は傍観者ですよ。
阪本 ホンに対する負担が少なかった分、キャスティングも楽しめましたね。コラボレーションというかバランスというかね。準主役まで人数も多かったから。いつもの常連の俳優さん、豊川も浩市岸部さんも、続けて仕事すると仲良しクラブみたいに思われるかもしれないけど、逆に続けてやるから、彼らは僕に対してものすごい厳しいんですよ「なんでまた僕なの」という突きった方が電話して、「ちょっとやるねんけど、出てよ」では当然すまないし、ホンを持っていって、「あなたでやりたい」ということをダイレクトに語っていかないと。
阪本流の暴力的演出は俳優のイメージに役柄をねじ込む高田 いまの俳優さんの話でいえば、阪本順治はものすごく怒ると思うんだけど、彼は珍しいタイプでね。はっきりいったら俳優さんをこの人ほど大事にしながら、同時に映画の中で一つの尾びれとして考えてる冷たい男はないと思うんですよ。なんでかというと、役柄を俳優さんに放り込んでいくわけね。たいていの場合、深作欣二さんも五社英雄さんもみな、役柄に対して俳優さんをはめていく。役柄を立てるんですよ。彼は反対に俳優という一つのイメージに役柄をねじ込んでいく。僕はそういう映画のつくり方をする人は初体験ですね。俳優さんは自由に泳がしてくれるから、気持ちいいよね。ところが、完全に操られてるんだよな。だから、画面の中であまりクローズアップもないしね。カッコのいい顔もあまりさせてないんだよね。すぐメガネかけさせたりね。いやな監督だと僕は思う。
阪本 今回はアップいっぱい撮ったんですけど、編集で全部外しちゃったんですよ。
高田 ウンコのとこだけきれいなアップで、いい顔で。
阪本 決めですから(笑)。要するに僕は役者の素の部分を全面的に借りますからね。だけど、その素の部分は僕が観察して見えてる部分であって、本人たちが意識的に出してるもんじゃないんですよ。いえば嫌らしい見方をしてるんですね。俳優さんを一個の人間として一般人とどれだけ違う生活をしてるかっていう。やっぱり俳優って異形だと思うんですよね。その異形性がほしいわけで。だから、設定された役柄を誰にやってもらうかじゃなくて、おっしゃった通りなんですけど、その俳優に何を設定するかっていう。結構暴力的なぶつけ方だと思うんですけどね。
高田 だけど、それはある意味で非常に鋭い究極の演出術だと思う。黒澤明さんがそういうとこある。あの人もいつも同じメンバー使うしね。ヤクザの撮り方も、板付きでズラッと黒服が並んで喋ってるなんてお決まりのパターンは嫌いみたいで、全部動きがあるからね。組長のお葬式のシーンは彼のイメージにあったんですよ。あれはすごい。
阪本 シナリオには一行だけ。「一斉に降りてくる」。これだけはやらせてほしいって。ほんとはね、大阪の千日前とかに黒塗りのクルマをズラーッと並べてと僕は思ったんですけど、それは無理だって言われて。
高田 いや、あれは田舎の畦道だから面白い。
阪本 結局、予算が限られたときに、全国組織という設定じゃないですか。それをどこかワンカット、ワンシーンでもいいから一点集中で、一点豪華主義で示すのに、どうしてもああいうのを入れたかったので、車20台よろしくって。
スクリーンの大きさは映画の命絶対、大画面で観てほしい!高田 ヤクザ事務所の焼き肉シーンも、あれはあれでいいんですよ。大したこと喋ってないんだけど、雰囲気が伝わってくる。
阪本 最初、高田先生のホンではお鍋でしたよね。
高田 いや、僕はただ事務所で話し合ってると書いただけ。
阪本 そうでしたっけ?あれはジンギスカンなんですけど。「仁義好かん」。幹部クラスが密談してるのに、駄洒落で焼き肉食って、チャンチャンって。
高田 あ、ほんと?そんな大事なこと言わんとあかんがな、台詞で効かすように。
阪本 いやいや、そこまで遊んでいいかどうか悩んでたんですよ。
高田 じゃあ、それ、次使わせてもらうわ、僕が(笑)。
阪本 でも、ラストシーンで母親が出てくるのは、僕の案でもなんでもなく高田先生のホンに最初から書いてあったんですよ。僕はそれを読んだ瞬間にあの映像が浮かんだんですね。これはぜひ、実際に映画館で観てほしいんですけど、すぐに正面の同じ高さの部屋がダイレクトに抜ける場所を探したんですよ。
高田 もうひとつ阪本監督がすごいなと思ったのは、東映の試写室とかじゃなしに、大きい画面のほうがわかりやすい映像を撮れるとこなんだね。それは処女作の『どついたるねん」から、一貫してずっとそうなのよ。試写室では音がこもってしまっていたセリフもよく聞こえるし、この人の作品は絶対に映画館で観たほうがいい。やっぱり大画面に堪えるものを撮れるというのは、彼に監督としてのスケールがあるんでしょうね。
阪本 スクリーンの大きさって映画の命ですよ。日本では映画館がビルの中に入ってどんどん小さくなったりしてけど、こないだ韓国の釜山映画祭に行ったんですが、町中の映画館は全部1500人キャパですよ。まあ、韓国では今でも映画は娯楽の王道の位置をキープしてますからね。それが日本では、ビデオが出るのを待って観ようという人もけっこういるわけです。だから、こっちは、「ビデオで観たら損ですよ」と断言できる豊かな映像表現を、少ない予算の中で(笑)常に自覚しながらやってるわけです。
高田 確かに映画を観る環境を何とかしないとね。特に今回みたいなエンタテインメント作品はチマチマ観てもつまらない。やっぱり大画面で観ないとね。
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