重なるように2本の作品がつづくのは初めてだと思うんですが、どんな感じですか。

阪本 「顔」が終わるなりこっちに入ったので、その連続性は気持良かったですね。いったん温度が下がる間もなく、ものをつくっていく体温でずっとつながっていくというのは。

-「新・仁義なき戦い」は東映からオファーがあったとき、高田宏治さんの脚本はすでにあったんですか。

阪本 ええ。ただ、高田さんのホンを読む前に、プロデューサーから「実はヤクザ映画で、タイトルは「新・仁義なき戦い」というんです」と電話で聞いていたんです。それで、いろいろ迷ったんですが、そういうタイトルで僕にオファーがくる喜びも強くて、ホンが来て、実際に東映の人と会うときには、もう読む前に、受けたという感じでした。僕にオファーをくれるということは、僕がやりたかったヤクザ映画をやればいいんですねと

で、脚本の改訂に入ったわけですね。

阪本 最初のホンから次の段階まで、もう何十回と高田さんの家に行って夜までディスカッションしました。僕の思いも語らせていただき、高田さんは今まで書いてきたヤクザ映画と違うものを入れたい、と。時間がかかったのは、僕自身が昔の「仁義なき戦い」から離れられなかったんですよ。自分がやりたかったヤクザ映画をやろうというのは変わらないけれど、どうしても山守親分みたいな存在が期待されるかなとか、ドンバチは激しく連打で見せないといけないかなとか、3か月ぐらい背負ってしまいましたから。

じゃあ、門谷と栃野という中心人物は?

阪本 最初の台本では両方ともヤクザでした。それを僕が、どっちかをヤクザ組織の外に置いて、幼なじみの関係にしてほしいということで、高田さんに何回も何回も書き直してもらって。

深作欣二監督「仁義なき戦い」シリーズはヤクザ抗争劇をとおしての一種の戦後史になっていますよね。

阪本 ●それを僕がやったとしても、もう時代劇をやるようなものですから、自分の語れるリアリティがないし、自信もない。ただ、深作さんが闇市時代の気分を持ちつつその時代のヤクザを描くというのは、自分が撮るとき、どこかで真似したいな、というのはあったんですよ。だから、主人公二人の少年時代を入れて、ガキなりに日本はどうなるんだろうと思っていた時代から始めよう、と。

・光化学スモッグで「日本も終わりや」と言う。

阪本 あれは僕が友だちに言った言葉で。テレビをつければ、学生運動の終末で、学校に行けば、校庭で遊べない、朝礼も教室のテレビ放送で、何かこの時代に生まれて損をしたかな、と、小学生なりに思ったことを思い出したんです。子ども時代から始めるパターンの臭さはあるけれど、そこから始めないと「新・仁義なき戦い」の取っ掛かりを見つけられなかった。

あの少年時代は何年と画面に出るんですか。

阪本 出します。1972年と。浅間山荘事件の年です。

豊川さんと布袋さんが1962年生まれで、彼らが11歳のときは1973年で、「仁義なき戦い」の年ですよね。

阪本 ●そうです。撮影は1972年で。

撮るときに深作版は気になりました?

阪本 やっぱり撮影が終わってホテルの部屋に戻って、台本を開くと、ふっとよぎるものがありますよ。でも、スチール写真構成とか、ストップモーションにして字幕で「何とか組長死亡」とか、手持ちカメラでとか、あれは深作さんのスタイルですから、僕が真似をしても仕方がない。じゃあ、どうやって今のヤクザ映画として見てもらえるか、何をビジュアル的に変えようかといったとき、やっぱり今の人間をキャスティングすることで、できるだけ前の映画との類似性を取っ払っていこうと。

―その核が豊川さん布袋さんですね。

阪本 彼らの門谷と栃野のストーリーがなかったら、僕はこの仕事をやれなかったと思うんですよ。二人だけに集中していっても駄目ですけれどね。だから、門谷と歪んだ関係にある栃野を組織の外に置いて、これがどう絡んでいくか、門谷は組織の跡目争いのなかでイラつき、幼なじみの栃野の存在がそれをするカッコいい主役でも何でもないですよ。昔の「仁義なき戦い」の菅原文太さんはひとり筋を通していくのでカッコ良かったわけで。魂の小さな情けないヤクザを豊川君とやりたかったんです。

-豊川悦司、佐藤浩市、岸部一徳、大和武士と、阪本組の常連が何人も出ていますね。

阪本 阪本劇団みたいなものですよね。じゃあ今度はこの役で、と(笑)。

でも、以前と役柄がまるで違って、いい味を。

阪本 それはどこかで、ヤクザという役は関係なく、浩市君にしても岸部さんにしても、自分の生きてきたなかで自然に生まれるものが出てくるんでしょうね。そういう人をキャスティングしたいと思うし、つまらない人生を送っている人間は何も出てこない。架空の人物をちゃんと地に足をつけるには、やっぱり役者本人の何かを持ち込んでもらわないと、面白くならないわけですよね。だから、岸部一徳という人のなかにあるものを絶対的に信用できるので、一緒にいろいろ引き出してもらって、ヤクザ役は初めてらしいんですけど、面白く造形しましょうよ、と。もしかしたらこれからヤクザ役がくるかもしれませんよ、と(笑)。

布袋寅泰という配役は意表をつきますね。

阪本 男二人の話でどっちから決めてもよかったんですけど、今の人を入れよう、と。誰が菅原文太の役をやるのかなという感じを早く払拭するには、今の人間をキャスティングする。“今”ということは、映画界だけを見ていたら駄目なんで、ミュージック界とかいろいろ外を見たら、「SF-SamuraiFiction」での布袋さんのスクリーンでの映り方を思い出したんですよ。ただ、ミュージック界からロックスターを招いて特別出演というのは、僕の狙いではないので、映画のなかでちゃんとひとりの俳優としてキャラクターを背負ってもらえたから、やっぱりスゴイなと思いましたよ。

哀川さんは初めてですね。

阪本 ええ。僕は哀川君がヤクザをやってないときが好きなんですよ。本当なら、こんなにヤクザがいっぱい出てくる映画で、哀川君をヤクザにキャスティングしない手はないんだけれど、初めて一緒に仕事をするんなら、あえてこっちをやってほしい、と。-村上淳の感じがこれまでと違って、いいですね。

阪本 雪駄を履いてお守りを下げて、それでも今風というのは、なかなかいないですよ。彼、ファッションリーダーですからね。プロデューサーから最初、チンピラどもの話ではなく、おとなの話にしてほしいと注文があって、で、チンピラヤクザの悲しい話の部分を彼ひとりに背負ってもらったんです。

小沢さんもいつもとガラっと違うイメージで。

阪本 怖い顔の銀行員という感じで、眼鏡を掛けてもらい、服も派手にせず、怒鳴り方も抑えてやってもらった。彼、普段着のほうが怖いですよ(笑)。

-俳優の豪華さに加え、初めての東映京都撮影所ということが今回の最大のポイントですね。

阪本 やっぱり、自分が撮影所のなか、しかも東映京都という伝統のなかへ入って、群像劇を撮れるんだということが、この仕事を受けた大きな要素ですね。結局、総勢何人になったのか、その活気でものをつくることができるんだ、と。東映京都は16年前に助監督で来て、システムは分かっていたんですけれど。

カメラはずっとコンビの笠松則通で。

阪本 今回は僕の作品では撮影日数がいちばん短いんですよ。「愚か者」はVシネマ予算なので例外とすると。で、少ないスケジュールのなかでいいものを撮るとき、笠松さんがいてくれれば、僕は芝居のほうに集中できますよね。撮影所システムの合理性を借りて突っ走らないと、撮りきれないだろう、と。また、普段主役をやっている役者さんを集めているから、スケジュールの調整がたいへんなんです。そういう意味で笠松さんがいてくれて良かった。

撮影所で撮るので困ったことはありますか。

阪本 自分のリズムと違うのは撮影時間ですね。その日、撮影が終わってから次は10時間後に開始する、という基本があって、これは東京では経験のないことで、夜中の2時に終わろうが、翌朝6時出発、とかやっているわけだから。前に来て知っているけれど、リズムが違いますよ。いつも寝れないでやっていたのが、時間はとれたけれど、時計を見ることが多くなりましたね(笑)。

「顔」から「新・仁義なき戦い」へとつながって、しかも別映画だという点が面白いですね。

阪本 ●中身が全然違い、仕事をする土壌がまったく違い、スタッフがガラッと変わり、集団という新しい試みで、と、映画づくりが何もかもチェンジするので、いろいろ心のなかで割り切れたんじゃないですかね。いつもの俺は、と言えないし、言わない。だから僕は東映京都に飛び込もうと思ったし、みんなもやっていることを尊重してくれたし、そういう意味では、始まってしまえば現場の雰囲気は東京のときと同じでしたね。

音楽監督も布袋さんですね。

阪本 僕はいつも音楽を頼む人にシナリオだけでイメージで音楽をつくってもらうんです。で、デモテープをもらって、それを現場で聞きながら、例えばこのシーンで音楽を使いたいなと思ったら、ズームの速さと音楽を合わせたり、カセットで音楽を流しながら移動車を動かしたりする。だから、先へ先へ行ってもらって、布袋君も役者として来た初日からホテルでも音楽づくりを始めていったんですよ。絵と芝居と音楽は三位一体だから、現場に音楽があってもいいし、音楽の作用で撮り方が変わってもいい、と思う。合わせるのは、音楽を乗せると決めているシーンです。僕の映画は必ず音楽シーンがあるんですよ。音楽を乗せる数は少ないけれど、乗せるときはちゃんと曲として聞かせるんです。「顔」にもダーッと音楽が流れているシーンがあるでしょう。

・今回、初めて東映からのオファーで撮って、このあと自分が何か変わっていくと思われますか。

阪本 東映マークで撮影所システムのなかで娯楽映画を撮るんだということで、僕なりに同じことをやっているつもりだけれど、身構え方はやっぱり違いますよね。封切りの映画だと10万人相手で考えていたのが、100万人相手ですから、一口で娯楽といっても違うでしょう。だから、またこうやって会社からオファーを受けてエンターテインメントを目指したいし、片一方で、自分の非常にこだわっている部分だけで映画を撮りたいし、それの往復になるんじゃないですかね。

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