私がベッドに上がると、高島さんがいった。「ベッドの間の仕切りカーテンを閉めましょうか?」「さしつかえなかったら、しばらくそのままにしておいてください。あとで私が閉めますから」「いいえ、私のほうが若いんだから、自分がやります。しかし、今夜はお話ししたい気分です」
 私も同感だった。入院第一夜、早い夕食を終えて、あとは眠るだけでは、あまりにももの悲しい。年は私より若いが、入院生活の先輩の話を聞くのも、また一興というものであろう。「峰尾さんは、今度がはじめての入院でしょう?」
 これは図星に近い。まだ二十歳前後のとき、胸部疾患で入院したことはあるが、四十数年もの間、病院の門をくぐったことはない。

「はじめての人には気負いがみられるものです。元気でもないのに元気ぶったり、逆に自分を大病人ときめこんだりするものです」「私も気負ってますかね?」「峰尾さんは、ご自身疫病にとりつかれたと思っている。違いますか?」
 私よりはるかに若いこの人は、なんと凄い洞察力をもっているのだろう。すると、この人は自分の病気について詳しく知っていながら、家族や医師に対しても、なにも気づいていないふりをしているのだろうか。それが、入院経験豊富な人の心のもち方なのだろうか。「高島さんは、もう何回も......」「ええ、去年もその前も一回ずつ、そして今年は二度目です」「では入院生活の大先輩だ。いろいろ教えていただかなくてはなりませんね」「教えるなんてとんでもない。ただ、そのたびごとに身体が弱ってきてることがわかります。そして、それに順応するようになりました」「順応か、やさしそうでむずかしいーー」「仕事中に倒れましてね。担ぎこまれたのが十日前です。肝臓がいかれてるらしいです。仕事がしたい、身体が思うにまかせない。焦りはありますが、焦ることが一番病気に悪いようです」「なるほど......」「峰尾さんは大丈夫ですよ。あなたの元気そうな血色は偽物ではないと思います。私と違って、すぐ退院できますよ」
 最後の�≠キぐ退院�≠ヘ比較的大きな声であった。その前の�℃рニ違って"は静かな低い声で、すべての淵に沈めるような、呟きに近かった。
 私は、高島さんが自らの業柄を察知して、近い将来訪れるだろう運命を、快く受け容れようとしていることを知った。「高島さんも頑張らなくては......」「気長に療養します。病気になんか負けてなるものですか」「そうですとも、その意気ですよ」
 私は高島さんがますます気にいった。若いながらも悟りを開いた巨像のように思えた。こういう人こそ、長生きしてほしいものだ。そして、うんと仕事をしてもらいたい。私は心底から、そう願ったのである。
 夜は更けた。彼は二人のベッドの仕切りカーテンを静かに閉じた。「おやすみなさい」
 二人は互いにあいさつして、枕許のライトも消して、眠りに入った。
 心が和んだせいか、私の眠りは、早く、深く、長かった。



「高島さんの父上は、お酒をおやりにならないわけ・・・・・」
 私は急に酢の愛飲に興味を覚えてたずねた。「断固、禁酒が目的で、酢の水割りを愛用しはじめたんです」「偉いものですね、重大な決意がなければ、とても禁酒なんか、できませんよ」
 私は現在、禁酒している。これは私の意志で行なっているのではない。入院患者として、当然のきまりだから守っているのだ。入院を命ぜられなければ、酒好きの私が、簡単に禁酒できはしない。しかし、私は考えた。酢の力を借りて、酒を断つ、身体にもよいとなれば、まさに一石二鳥ではないか、と。
 高島さんは、私の気持ちを見抜いたように、おもしろそうにいう。「父の目的は立派ですが、駄目なんですよ。晩酌がわりに、酢の水割りを飲むのですが、それは、とても二杯飲める代物ではありません」「そうでしょうね」「二杯目から、父はウイスキー・ロックにして、シングルで五杯ぐらいやるんじゃないかと、思いますよ」「それでは、なんにもならない?」「いや、父にいわせると、それでも身体にたいへんよいそうです。最初に酢を飲むから、ウイスキーは五杯で終わりにできる。はじめからウイスキーでは、飲むたびに一本空けてしまう・・・」
 高島さんは、童子のような、翳りのない顔で笑った。「父上はお酒に強いんですよ。そしてなによりお好きなんだ」「そうです。だからこそ、断固禁酒なんて誓いを立てたんでしょうね」「その気持ちわかるなあ......」「この黒酢は、父の差し入れです。自分の分担といわんばかりで、女房にも母にも、触れさせない、父の聖域だった・・・・・・」「いい話ですね。しかし私はまだ、父上を存じあげていない」「父の聖域も近ごろ怪しくなりまして、これが切れるころには、家内がかわりをもってくるでしょう」
 高島さんは、瓶をつまみ、振ってみせた。瓶の中の液体は、五分の一ぐらいしか、残っていない。「では、まもなく父上がお見えになるかもしれませんね」「今度はどうかわかりません。このところ、無性に父に会いたくて、酢を飲む回数も量も、増やしているのです。父には計算できない・・・・・・」「子どもじみていて、かえっておもしろい。私でもそうするかもしれない」「家内は毎日、酢のへり方を見ていますから、自分で補給するでしょう。もう父の出る幕がない」「父上の計算では、何日ごろ空になるわけですか?」「あと十日です。なにか待ちきれない気持ちが、ふーと湧くんです。すると、余分に酢をグラスに注いで飲む」「高島さんは酢を飲むたびに、父上と会っていることになりますよ」
 私は、せめてもの慰めと思い、とおり一遍のことを口にした。「いや、逆のような気がします。早く飲んで空になれば、家内が必ずかわりをもってきます。父には会いたいが、会う必要もない気持ちが、心の片隅にある。その気持ちを増幅させているようで・・・」
 高島さんは、言葉を切った。余計なことをしゃべったと、後悔しているようである。
 私にとって、高島家の家族関係は無関心に属することがらだ。こちらから質問するのは、失礼にあたる。「酢を口に含むと、父を思い出します。厳しかった父、優しかった父、酷かった父が、すべて懐しく思い出されます」
 高島さんは、グラスの底に残っていた酢の水割りを、ごくっと飲みほした。酢が濃くて舌を刺激したせいか、高島さんの顔は、渋面そのものであった。こんな高島さんを、私はいよいよ好きになった。「私も、酢を愛用してみようかな」
 と、口を滑らした。「それでは手はじめに、一口いかがですか?けっしておいしくはありませんが......」「ありがとう。しかし、父上の計算がますますあわなくなってしまいます」「大丈夫です。父はもう関係ありません」
 私はベッドを下りて、高島さんに近寄り、自分のグラスを差し出した。高島さんは、瓶を傾けて、二滴ほど注いでくれた。それに水を注いで薄める。
 グラスを唇にあてる。傾ける。液体が口中を刺激する。舌といわず、内顎といわず、咽喉の奥まで、酸っぱさを覚える。いや酸っぱいというより、苦いという感じだ。まさに、良薬口に苦し、である。
 高島さんは、思いついたように、手にしている自分のグラスに、再び酢を注いで、水割りをつくった。
 窓際に並んで立った私たち二人は、グラスをあわせた。「酢の愛好者の健康のために......」
 と私はいった。高島さんが、あとをつないで、「新しい酢の愛好者を迎えて・・・・・」
 と応じた。
 異口同音に「乾杯!」と叫び、目八分にささげたグラスを静かに下ろし、二人はともに、いっきに飲みほした。
 高島さんは慣れているだろうが、私にとっては、はじめての経験である。五臓六腑が驚いている。全身が、しめ鯖になる思いだ。
 が、不思議なことに、酢の魅力に引きずりこまれていく自分を意識した。そして、その意識はすこぶる感じがよい。「私も、酢のとりこになりそうです」「きっと、そうなりますよ」
 高島さんは断言した。
 洗面器に勢いよく流れる水で、最初に私、次いで高島さんと順番に、それぞれのグラスを洗い、二人はベッドに横たわった。
 私は、まことによき隣人と知りあえて、本当によかった。



「峰尾さん、よかった、よかった。本当によかった」歓声そのものであった。彼の祝福の声は叫びに近かった。心の底から喜びが湧き出て、自然に口からほとばしり出る歓声そのものであった。彼の病状悪化は素人の私でもわかる。本能的にでも彼自身承知してるはずだ。それなのに、羨望や嫉妬のかけらもなく、たかが同室者の健康回復を手放しで祝福できるとは、高島さんはいったいどんな魂の持ち主なのであろうか。私はただ「ありがとう」としかいえなかった。




 私の海兵同期生は、終戦までの間に三分の二が戦死して、生き残りは六十名ほどであった。死んでいったクラスメートの顔が、若々しい昔のままで、闇の硝子窓に映っては消え、浮かんでは沈んでいった。
 私は生きている。逝った友はどんな気持ちであったろう。いま見下ろす大東京は唸りを立てて生きている。住民の一人として、私も生きる仲間に入れてもらっているが、逝った友は果たしてあの世で浮かばれているだろうか。名誉の戦死と崇められても、けっきょくは無でなかったか。
 この病院にも死に臨む人が大勢いる。その死もやはり、重大な意義はなく、無に過ぎないのではないか。
 暗黒の窓に映る戦死した友の顔を、一つ一つ消しながら、私はもの思いにふけった。
 三十分ほど経って病室に戻った。静かにベッドに横たわったつもりだが、気配を感じて目覚めたのか、高島さんが声をかけた。「長いトイレでしたね、心配しましたよ。看護婦を呼んで捜してもらおうかと思っていたところです」「ごめんなさい、出が悪かったので・・・・・・」私は余儀なく嘘を吐いた。「それにしても、高島さんはもっと眠らなくてはいけませんよ」「いや、今朝は早くから仕事に出かけるのです。いまから目覚めてないと、芝居をする体調にならないんですよ」「えっ、仕事ですって......」
 私にはとても信じられない。やせ細った身体で、点滴をつづける重病人だ、一日一日、すこしずつ衰えていくのが、傍目にもわかるほどなのに、仕事なんて無茶だ。「すこしでも稼がないとね」
 高島さんは、明るく笑った。「文字どおり朝飯前ですが、これも契約がありましてね、私の出番があと三回残っているんです。きっちりやり遂げないと、金も稼げないし、劇団にもほかの俳優たちにも迷惑がかかりますからね」
 早朝、砧の撮影所で一仕事して、朝食ごろ病院に帰ってくるというのだ。契約の厳しさはわかるとしても、これでは命がけではないか。昔の戦争よりもっとひどい。戦争は参加してもかる公算がある。高島さんの場合は、特攻隊と同じだ。私は驚きおののいていた。「私は十分眠ったから、高島さんさえよかったら、お話し相手になりますよ」「ありがたいな、すこし声を出しておいたほうが、本番で具合がいいんですよ。返事をしていただかなくてけっこうですから、私の話を聞いてもらえますか」
 彼は前置きしてしゃべりはじめた。およそ一時間半は語りつづけた。私はときおり相づちを打ったり、感心したりしていたが、そのやりとりの全部を、ここに記す勇気がない。なぜなら、話を聞くうちに彼の心中の大きな苦悩を知り、あからさまな姿を見る思いがしたからである。「私の母は、私が三歳半のとき亡くなった」といった。そして絶句した。
 私は、高島さんと母堂の応対がさっぱりしすぎていて、いまひとつぴったりしていないのを思い浮かべた。だが、彼がいいたかったのは、いまの母堂のことではなく、若くして世を去った産みの母が、自分と同じ病で死んだ、と信じていることなのだ。「母はいまの私より、十歳以上も若いのに死んでしまったのですね。それに比べれば、私は幸せですよ」
 こういう一人語りに、返答できるはずがない。黙って聞くしかない。「子どもは男の子が五年生、下は娘で、今度一年生になるんですよ」[............]「娘にはいいました。私が死んだら空の星になって、晴れた夜はいつも会えるよ、ってね。でもクリスマスには家に戻って、サンタのおじさんになれというんです。困ってしまいますよ」
 このとき彼の声は引きつっていた。こみあげる激情を抑えこんでいるのだ。「お前はもう六つじゃないか、お父さんは三つとちょっとで母を失った。子どもには、父より母のほうが必要なんだ。だからお前はまだ幸せもんだよ」
 がまんしているが、彼は完全に心の中で泣いていた。言葉はしっかりしていた。いつものように、かみしめるような口調だった。「しかし、この言葉は娘に聞かせていないんです。黙ってるほうがいいでしょうか?」「黙ってるもなにもありはしませんよ。娘さんや息子さんのためにも元気になって、幸福にしてあげなくてはね」
 精いっぱい、私は高島さんを励ましたつもりだった。その一方で、おそらくこの人は、生きて家に帰ることはあるまいと思った。
 局外の私が彼の命運を察知していること、あるいは夫人や母堂が知りながらかくしていること、そんなことよりも、本人が厳粛な事態を一番よく知っていて、あきらめと悟りに近い境地にいることが、この世でもっとも酷いことなのではあるまいか。
 窓の外は真っ暗だ。五時半、彼は電気カミソリで髭をシェーブし、髪を整えた。折目のきちんとついたズボンをはき、カシミヤのセーターを着て、革ジャンパーを羽織った。首に薄黒いマフラーを巻くと、凜々しい役者に仕上がった。顔にいささか疲れが見えるが、この衣装の下に蝕まれた肉体があろうとは思えない。役者というものはさすがである。
 迎えがくるといって、午前六時前、高島さんは出ていった。エレベーターの扉が閉まる音を、私はかすかに聞いていた。



日がとっぷり暮れてから、撮影関係の人が高島さんを迎えにきた。彼は一段と引きしまった役者の顔になって、勇ましく出動していった。誰もいなくなった病室で、私はもの思いにふけっていた。四十年前、私はフィリピンの戦線で特攻隊の出撃を幾度も見送った。国のために生命を投げ出す若鷲たちは、未練残さず散っていった。当時、私は彼らの純粋な行動に胸を締めつけられたものである。
 いまにして思えば、なんのための特攻だったのか、歯車の狂った戦争指導の犠牲に過ぎなかったのではないか。
 高島さんは、なんのために出動するのだ。契約がたいせつなことも、仲間に迷惑かけないよう働くこともわかる。それ自体、立派なことだ。しかし、出動によって彼が得るものはなにか。名声であろうか、巨額の報酬であろうか。
 敵があらわれたから、体当たり攻撃を加えるために、特攻隊は勇躍飛び立っていった。二度生還しえないことを知りながら出撃した。
 高島さんはどうか。そこに仕事があるから、逆らうことなく仕事の完成のために出動した。それは自殺行為に似て、もはや生命を捨てているといわねばなるまい。
 気持ちのうえでは、特攻隊と同じではないか。若鷲たちが、澄みきった顔で敵陣に突っこんだように、高島さんも、凜々しい顔で仕事場に出動した。いずれも、いきつくところは「死」だ。高島さんを待っているものは、まもなく訪れる死にほかならない。
 午後九時の消灯になっても、高島さんは病室に戻ってこなかった。どの病室も寝静まるころ、つまり十時をだいぶまわってから、彼は帰ってきた。「お帰りなさい。お疲れさま」
 ベッドに上半身を起こして、私は彼を迎えた。消灯を過ぎていたが、室内灯を煌々と点けた。明るい光の下に、疲れ果てた男の姿があった。「でも、終わりました」
 ゆっくり、万感をこめて、彼はいった。仕事をやり終えた男の満足感を、その言葉は十二分にあらわしていた。
 彼はすぐパジャマに着替え、口をすすぐ。黒酢を飲んで、ベッドに横たわる。まもなく、軽い軒をかきながら、眠りに落ちていった。
 私はベッドから下りて、彼の真似をするように、日曜日もち帰ったリンゴ酢を水に割って飲んだ。いつもなら、高島さんが灯を消していたが、今夜は疲れと満足感で、眠ること以外念頭になかったのだろう。私は静かに灯りを消した。頭を枕に横たえたが、どういうわけか、なかなか寝つかれなかった。
 寝つかれないと、いろいろな想念が吹き出る。重病を押して”出陣"した高島さんは、疲労と満足感で眠りを貪っている。だが、その眠りは、前に見せた健康そうなものではなく、倒れこんでいる感じなのだ。
 私は、高島さんはこのまま、世を去ってしまうのではないか、と思った。おそらく仕事をし終えて、男子の本懐と、心ではほくそ笑んでいるだろうが、五体はもうズタズタに切りさいなまれて、生きる力を無くしているように思われる。
 例の軽い軒も、今夜は聞こえない。目覚めることもなく、逝ってしまうかもしれぬ。いや、もう逝ってしまったかもしれぬ。
 私は、心配になって、仕切りカーテンをそっと開き、高島さんの顔を眺めた。
 薄暗いベッドに高島さんは姿勢よく、仰向けに寝て、顔を真っ直ぐ天井に向けていた。確かによく眠っているが、生きているかどうかわからない。
 すると、彼の鼻孔が大きく開き、一つ大きく息を吐いた。端正な顔が、急に崩れたようで、私は思わず微笑した。
 ーーああ、大丈夫だ、生きているーー。
 私は安心して、仕切りカーテンを閉めた。



「今夜はよかった。峰尾さんの話を聞いて、心が安らいできました。私は安心して死ねる......」「高島さん、それは禁句です。いまのあなたは元気になることだけを考えなければいけませ「わかっています。しかし、生命の灯がもう消えかかっています。これはどうしようもありません」
 私は、高島さんの要請とはいえ、余計な昔語りをしたのであろうか。無用な口舌を振るったのではあるまいか。高島さんが、果たしてどう受けとめたか、私は心配になった。「峰尾さん、最後に一つだけ、ご意見を聞かせてください」高島さんは、改まった口調で、私にたずねた。「峰尾さんは、どんな死に方が最高と思いますか?」「別に、深く考えたことも・・・・・・」「いいえ、かくさずに話してください。それだけの経験をされて、なにかつかんでおられるはずですから」
 ――この人は自分の死に様を考えている。間近に迫った自分の死が、どう評価されるのか気にしている。「もう戦死ということはありませんね。やはり、自然の条理に従って、生命をまっとうするのが、一番ではないですか」「天の命令に従って、生死をまかせる。それしかありませんよね!」「高島さん、もうこの辺で話をやめましょう。ただ私は、予感した憤死でなく、ごくあたりまえの死に方に恵まれそうで、感謝しています」「今夜は本当にうれしかった。胸がすーとして、立派に死ね・・・・・・」



「私が眠っている間、お前も眠っていればよいのに」
 高島さんは、優しく洋子夫人をいたわってくれたそうです。夫人のほうは逆に、高島さんが眠るときが一番気がかりで、自分もともに眠るどころではありません。
 厳しい睡魔と闘いながら、眠りと目覚めを十数回繰り返して、一昼夜を過ごしました。
 洋子夫人にさえ、もう限界と思われるのに、高島さんは、強烈な精神力で意識をしっかり保っていました。
 十二月十六日(日)午後、私が病院に帰ってきたころは、高島さんはまだ意識鮮明で、娘さんの彩ちゃんとの約束が守れないのを悔やんでいました。「クリスマスのサンタのおじさんになれないで、彩に気の毒してしまった」
 高島さんは、心底から詫びる顔つきでした。夫人に答える言葉が見つかるはずがありません。「オレ、彩を一晩中見つめる星になるよ」
 死んで星になるというお伽噺も、この人なら本当のことになると、夫人は感じとりました。
 ロビーに屯する高島一家について、役者らしいカンか、あるいは小耳に挟んだせいか、ちゃんと見抜いていて、高島さんは洋子夫人をたしなめて、こういいました。「みんな、なんのためにロビーで待っているの。ロビーは入院患者全員の憩いの場だよ。他の人に迷惑じゃないか。私の末期の水のために待つなんて無用のことだし、かっこうわるいよ。」
 十七日(月)の明方前、眠りと目覚めの間隔が変わって、高島さんは眠りが長く目覚めが短く、これを数回繰り返して、遂に混濁に落ちていきました。彼特有の精神の灯も消えるときがきたわけです。
 それからの一昼夜を洋子夫人は、とても長く感じた。そしていま振り返ってみると、あまりにも短かった、と逆に思うそうです。
 ゆすっても、たたいても、もう返事はありません。わめいても、叫んでも、高島さんにはもう聞く耳がない。二人いっしょにいても、洋子夫人は、孤独になってしまいました。
 洋子夫人は、一人坐って、思いにふけるしかありません。物いわぬ夫の寝顔には、昔日の活力はまったく見られませんでしたが、洋子夫人の心の中には、元気なころの高島さんの面影が蠢いていました。
 洋子夫人は、高島さんに叱られたことも、夫婦喧嘩のことも、ご両親との板挟みになったことも、次から次に思い出していました。
 不思議なことに、苦々しい経験もいまはもう最高の思い出となっていて、自分は高島さんの妻でよかった、とうれしさで胸がいっぱいになりました。
 私は一生、この人の妻として生き抜いてみせる。二人の子、郷と彩は立派に育ててみせる。主人の弟たちとも仲良くやってみせる。それが、至上の愛を注いでくれた主人に対する恩返しだ、と洋子夫人は固く決意されました。「あなた安心してください」
 平凡だが、万感をこめたこの言葉を、洋子夫人は何回も呟きました。
 こうして、洋子夫人にとってもっとも長く、そしてもっとも短い一昼夜は過ぎていきました。
 高島さんは、眠りこける童子のような安らかな表情で、心臓の鼓動をとめました。十八日(火)の午前一時過ぎでした。




 それから、夕刊を買いに門の外に出た。私は、高島さんの死亡広告が多分出ていると思ったのだ。
 やはり、掲載されていた。小さな写真が付けられて、悲しい文面がそこにあった。「竜崎勝(本名・高島史旭)十八日、午前一時すぎ、国立東京第二病院にて、肝硬変で死去、四十四歳。TBS系、転校少女Yが最後の出演番組となった。告別式は渋谷区金王八幡宮にて、十九日午後一時・・・・・・」
 私はこのときになって、高島さんが竜崎勝であることを知った。いくら私が芸能オンチでも、竜崎勝の名前ぐらい知っている。
 彼と私の病室暮らしは「高島さん」「峰尾さん」と呼びあうことで、十分まにあっていた。そこには、竜崎勝という芸名は必要ではなかった。
 彼も私も、病室にテレビを置かなかった。タレントらしい人が彼の見舞いにきても、「いまのは誰?」と聞くほど私は野暮ではない。
 だが、彼の死によって事態は一変した。『転校少女Y』という番組をどうしても見なければならない。
 夕刊の番組欄を見たら、偶然にも、火曜午後八時がその放送時間になっている。私はテレビをもちこんでいる同室の人に頼んで、いっしょに見ることにした。
 時間になって、チャンネル6にあわせた。スーパーが入って、「竜崎勝は本日午前一時すぎ死去されました。謹んで哀悼の意を表します」と流れた。
 この連続ドラマは、いわゆる“根性もの”で、他愛のない筋書きらしい。家出した娘が不良グループに巻きこまれ、父の眼科医が娘の身を案ずる。その眼科医を演ずるのが、竜崎勝である。
 画面に、眼を患っている少年があらわれて、医者の診察を受ける。竜崎勝の演ずる眼科医は、「きっと治る、治してみせる」と励ます。彼の演技は快調である。科白もはっきりして心地よい。
 やがて、彼は廊下をいく。突然、腹を押さえて倒れる。人々に担がれて病室に運ばれる。
 画面は別のシーンに移る。バレーボールの練習風景や不良少女グループの描写がつづく。
 再び彼の出番がまわってきた。私は思わず驚きの声をあげた。その演技は、どうしても芝居とは思えなかったからだ。
 彼はベッドに横たわり、鼻腔の傍からゴム管を口に通しているのだ。頭上には点滴用の瓶が吊られ、彼の腕に液体が導かれている。
 喘ぎ喘ぎものをいう。ときおり左手を振って意思表示をする。
 この姿は、高島さんの実際の最期と、まったく同じではないか。十四日夜、彼が私の眼の前で処置してもらった姿そのものなのだ。
 それより三日ほど前に、彼は病床から出動し、こんな演技をしていたのか。
 死の演技、実際の場合と寸分違わぬ同じことをーー。
 私は夢想もしていなかった。
 ドラマの制作関係者は、竜崎勝の寿命を知っていて、ドラマから彼の姿を消すことにした。消すのには死が一番手っ取り早い。脚本は竜崎勝を殺すことにした。
 竜崎勝は不平もいわず、死を演じた。自分の生命の灯がまもなく消えることを知って、敢然と死を演じた。
 私は、最後までドラマを見る勇気がなかった。同室の友は、私の顔色でなにかを察したのか、スイッチを切った。
 ふと、戦死という二文字が、私の頭の中を駆けめぐった。軍人が戦場で死ぬことより、竜崎勝の死に方が、戦死の二文字にふさわしいのではないか。
 最後の出番を終えて、夜遅く帰ってきたとき、彼は吐き捨てるようにいった。「でも、終わりました」
 私は幾度となく、この言葉を呟いていた。
 酷い。あまりにも酷い。
 これはまさしく、役者の戦死だ。
 私は、やっと知った彼の芸名と本名とを、交互に諳んじた。


 十二月十九日(水)
 朝ーー、七号室の窓カーテンが開いていた。すでに新しい患者が入り、ベッドにのんびり寝そべっている。
 その人は、昨日のことはなにひとつ知りはしない。病院も、なにもなかったかのように、今目も整斉と活動している。
 午後一時、高島さんの告別式が行なわれているころ、私は退院した。




 現在(昭和六十一年二月)、郷君は私立小学校六年生、彩ちゃんは同じ学校の一年生、二人とも、すくすく育っています。暗い影など微塵もありません。
 郷君は友人との付き合いもよく、夏休みを利用して、軽井沢での野外訓練に励んだり、仲間とスポーツを楽しんだりでけっこう腕白ぶりを発揮しているそうです。
 彩ちゃんに「星は好き?」と、私は聞いてみました。彼女は聡明で、私の質問の底意を見抜いて、こう答えてくれました。「一番星がお父さん、暗くなるのを待てないで、私に話しかけるんだわ」「どんなお話するの?」「学校であったこと、お母さんに叱られたこと、そして、彩は元気よって......」「お父さんの返事は?」「お父さん星は瞬くの、そうかいって、笑って返事してるみたい」
 純粋でかわいらしい。願わくば、いつまでも純粋であってほしいものです。
 高島さんが「血を半分分けた」といった弟さん二人も、家族を連れて、洋子さんの家を訪ねてくれるそうです。すると、郷君も彩ちゃんも賑やかに遊び、疲れることを知らないといいます。(峰尾静彦)

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