細川俊夫(ほそかわ としお)

1916年9月6日東京市赤坂区表町の生まれ。本名・細川常憲。父・政夫は大正後期から昭和初期にかけて政界の惑星といわれた床次竹次郎の懐刀として知られた。母・俊子。四男一女の二男で小学校からフランス語を教えるエリート校の暁星で小学校から中学まで過ごし33年に慶応義塾大学予科に入学、39年に文学部仏文科を卒業する。卒業目前の同年3月、松竹大船撮影所に見学に行ったさい、育ちのよさそのままの端正な容姿を注目されて俳優になるようにすすめられ同年4月1日付で松竹大船へ入社。5月封切りの原研吉監督「あこがれ」に新スターとしてデビュー。続いて佐々木康監督で高峰三枝子が主題歌を歌い、彼女の歌手としての地位を決定づけた「純情二重奏」に高峰と共演。映画の大ヒットとともに新鮮な魅力で売り出す。さらに大庭秀雄監督の出世作「姉の秘密」に三浦光子、森川まさみと、原研吉監督「波濤」39に負傷し帰還した兵士として桑野通子と共演、幸運そのもののすべり出しを見せ、上原謙、佐野周二に次ぐ存在として期待されるが、時局がら出征兵士の役が三本続いたのが何かの因縁か、その後、「花嫁競争」「妻と戦争」「わが子の結婚」39出演し、翌40年1月、彼自身が出征するはめとなり歩兵第一聯隊に入隊し、これが九八一部隊と改称、満州・孫呉に派遣され少尉として勤務。43年5月除隊、松竹に復帰して「生きてる孫六」43に出演するが、三年余の空白に加えるにその後の戦争の激化、敗戦という時代の転換でスターとしての地位を確立するチャンスを失う。したがって戦後も松竹に所属するが主役は得られず、一年契約で「リラの花は忘れじ」47、「嘆きの女王」48「海の花火」51「母の誕生日」53などの松竹作品に助演する一方、芸研プロの佐分利信監督「女性対男性」50に助演したり、同じく佐分利の東映「人生劇場・残狭風雲篇」53に宮川の役で出演したりする。54年、佐分利の監督でスタートし阿部豊に交代した新東宝の「叛乱」二・二六事件の首謀者・安藤大尉の役で出演したのを機会に松竹を離れて新東宝の専属となり、五所平之助監督「大阪の宿」54で佐野周二ふんする主人公の親友を好演して見せ、以後「日本敗れず」54、「人間魚雷回天」55ほか多数に助演。端正な容姿そのままの折り目正しい演技で、つねに好印象を残すが、「女の防波堤」58では小畑子、三原葉子と共演、「勝利者の復讐」58では前科者の錠前破りの天才で再び悪に引きずり込まれ、口封じに妻子を誘拐され、命を賭けて復讐する中年の男性を熱っぽく主演した。主演はほかに中川信夫監督「亡霊怪猫屋敷」58、曲谷守平監督「女軍医と偽狂人」58、「陸海軍流血史」58と、軍服姿がよく似合う役柄が多く、準主演作品に「貞操の嵐」59、「大虐殺」「スパイと貞操」60など。また「明治天皇と日露大戦争」57では岡沢侍従長、「皇室と戦争とわが民族」60では近衛公爵にふんした。新東宝倒産の61年以後はフリーで各社に出演するが、この間には佐野周二らの俳優集団・まどかグループに参加、自主作品「花ひらく」55、「青春の音」56などにも出演。また上原謙を社長とし、松竹出身の俳優たちが結束したジャパン・シネテックス・サークル(JCC)に75年3月解散まで重役として参加、自主公演として福岡市民会館などで『人生のお荷物』を上演した。大学時代、マラソンを始め、軍隊でも続けていたが、戦後は競歩に転向、全日本陸上選手権大会に52、53、54年と三年連続優勝したのをふくめ、二十二回のレースに連続首位を占め、64年のオリンピック東京大会では競歩のコーチをつとめて『競歩健康法』76の著書もある。へら鮒釣りにかけても有名で、TBSラジオで『万歳!釣り仲間』の番組を持ったほかテレビにも出演している。映画の近作に山口百恵、三浦友和主演で三浦の両親を木暮実千代と演じた「炎の舞」79がある。48年4月2日、太田通と結婚二男二女がある。夫人の姉・澄は椿澄枝の芸名で戦前の東宝で女優をし、のち佐藤一郎(現・芸苑社社長)夫人となり、俳優・藤木悠はまた澄の義弟である。

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