小林雅明
「ファイト・クラブ」というタイトルにごまかされてはならない。この映画は、エドワード・ノートン扮する主人公ジャックの肉体ではなく、彼の脳細胞�≠フ超クローズアップから始まる。タイトルから容易に想像される肉体”ではなく、全編でナレーターを務めてもいる彼の”頭の中�≠�極端に大写しした場面からスタートするのである。この映画「ファイト・クラブ」の中枢機構を担っているのは、もちろん監督のデイヴイッド・フィンチャーだ。彼がチャック・ポーラニックの原作を読んだのは、前作「ザ・ゲーム」の編集段階だった。
もっとも、この原作に最初に目をつけたのは、20世紀フォックスのプロデューサー、ローラ・ジスキンだった。10年前に、全世界的な成功を収めた、あの「プリティ・ウーマン」を手がけた彼女は、既に90年の段階でこの小説の映画化権を手に入れていたのである。彼女は「真夜中に電話口で仲間に小説の一節を読み上げる」ほど、小説『ファイト・クラブ」に引き込まれていたのである。
原作者のチャック・ポーラニックは、故郷のオレゴン州ポートランド機械整備工をしながら、この作品を書き上げ、小説家デビューを果たした。ちょうど同じ頃、フィンチャーは、あの「セブン」の成功により、その名が広く知れ渡っていた。そんな彼ではあったが、20世紀フォックスで撮った長編デビュー作「エイリアン3」(9)が、自分で納得できる4分の1程度しかできていない段階で、会社に持っていかれてしまったことがトラウマとなり、「メジャー・スタジオで撮るなら、大腸ガンにでもなったほうがマシだ」と言っていた時期でもあった。 「エドワード・ノートン扮する人物の気持ちは痛いほどよくわかった。あの人物が考えているのと同じことをみんなも考えてるんだ。人生のある時期に「もしも、もっとお金が使えたら、あのソファを手に入れて、その次はそのソファに合わせて・・・・・・」と言っていたことがあった。僕はあの本を読みながら、自分が恥ずかしくなり、ゾッとしたよ。この本の作者はよくみんなが考えていることを理解しているなって。おかしなことに、モノに対しては、みんなが適正な感覚を持っている。微妙に違うところはあるけれど」
原作を読んで心を動かされたフィンチャーは、トラウマさえ振り切って映画化に乗り出した。「ローラにこう言ったんだ。映画化する方法は何通りかある。300万ドルでヴィデオで撮れば、アナーキストのお料理ブック風になる。でなければ、原作に出てくるすべてを映画に盛り込む。飛行中に航空機の爆発や、自動車事故の場面だとかを・・・・・・。僕が考えているのは「トレインスポッティング』みたいな映画ではないと言ったんだ」
そうして、原作本は、ブラッド・ピットとエドワード・ノートンに送られた。と言っても、タイラー・ダーデン役にピットより先に名前が挙がっていたのは、ショーン・ペンであり、マーラ役の候補も、ヘレナ・ボナム・カーターではなく、コートニー・ラヴだったのである。当時コートニーと交際中だったノートンによれば、彼女は多忙を理由に出演を取りやめたという。フィンチャーは2人から本の感想を聞いた。 「エドワードはあの本を読んだ時、20歳だった。スラッカー(怠け者)だということでなく、神経が麻痺していて、自分でもわけがわからなくなっていたり、鬱積した怒りを抱えているということから、あの本には自分の世代のことが書いてあると思ったのさ。そして、ブラッドだ。彼にはそういった無力感はわからないだろうと思いきや、こう言ったんだ。「こういう奴なら俺にも心当りはある』」
ちなみに、ブラッド・ピットは、出演依頼の電話を切った4分後には、監督の家のドアの前に立っていたという。2人が同じコミュニティに住んでいるとは言え、彼の意気込みが伝わってくるようなエピソードである。
この二人だけではない。原作本は新進脚本家のジム・ウールスにも渡された。フィンチャーは、ウールスの仕上げた第1稿を基に、彼と約8ヶ月をかけて脚本を練り上げていった。第1稿は、物語が直線的過ぎて、この作品で何よりも気に入っていた内なる声"によるナレーションを削りすぎているというのが、フィンチャーの感想だった。次に、彼は出来上がった脚本を持って、フォックスに向かった。「これはここにおいてゆく。製作費は6千万ドル。主演はエドワード、ブラッド。オープニングではエドワードの脳の中から外に向かってカメラを引いてゆく。飛行機も爆破する。2時間与えるから、興味があったら教えてくれ」
こうして、因縁の相手フォックスから最終的なゴーサインが出たのである。「フィンチャー、ノートン、それに俺とで撮影に入る前に、延々と話し合いをしたんだ。何ヶ月も、テーブルを囲んで、あれこれ議論を重ねた。台詞を一行ずつ吟味していった。シェイクスピアの台詞を扱うようにね。これはかなり扱いにくい映画だ。何しろ今まで見たこともないものの役作りするんだからね」
こう語るピットが演じるタイラ・ダーデンは、ニヒリストのアンチ・ヒーローである。高級カフェテリアでウエイターとして働き、シチューに小便をかけたり、怪しげな石鹸を製造したりする。一度姿を消し、髪の毛を剃り落とした姿で再びジャックの前に現われるなど、ダーデンは強烈な存在である。
だからと言って、ピット自身は、「やり過ぎだとは思っていない。自分が勇気を奮い起こしたとも思えない。むしろ、あの役を演らないほうがバカだと思うね」「セブン」に続いて、ピットとは二度目の顔合わせとなるフィンチャーも、ピットにダーデン役には違和感はないという。「ブラッド・ピットのことを知らない人は、あんな役を演るなんておかしな選択をしたと考えるだろう。でも、彼のことを知っている人なら、あの選択は完璧だったと思うはずさ。ブラッド・ピットは自宅では5匹の犬を相手に遊ぶし、チェーン・スモーカーだ。それに、家には埃がたまっているのだから」
また、監督はジャック役のキャスティングについて、冗談めかしてこんなふうに言っている。「語り手(=ジャック)はタイラーを偶像視している。タイラーになりたがっているんだ。もしも僕が自分以外の人間になれるとしたら、ブラッド・ピットになりたいな。あの役に合うのは、マット・デイモンでもなければ、ベン・アフレックでもない。自信を喪失し、エドワードが「ラリー・フリント」で演ったように、真っ当な手段を切望している人でなければならないんだ」
主役を演じたノートンは、この作品を60年代のラヴ・ストーリーの90年代アップデイト・ヴァージョンとして捉えている。「『卒業』を思い出したんだ。僕の祖父は『卒業』がとても不愉快だった。ネガティヴで不適当だと考えていたんだ。ところが、僕の父は気に入っていた。隠喩に満ちたブラック・コメディであり、あの時代にあった支離滅裂な感じを取り入れていると思ったのさ。これはそのまま『ファイト・クラブ』に当てはまる。僕の役はベンジャミンみたいなものだし、ブラッドの役は、ポスト・モダンなミセス・ロビンソンといったところだね」
最後に出演を決めたのは、ヘレナ・ボナム・カーターだった。「フィンチャーに会って、彼がオンナ嫌いなどではないことを確かめたかったの」彼女はなかなか手厳しい。「スクリプトはすごく暗くて、細かなところまで手が行き届いてなかったわね。生煮えだったのかもしれないし、何か無責任な感じさえしたわ。でも、彼に会ってから、特に引っかかるようなところはなさそうだって言ったの。彼には男性ホルモンが詰まってるわけではなかったわ。健全なフェミニスト的なところもあったわ」
かなり強気なところを見せるカーターだが、フィンチャーはそんな彼女の対照的な面を明らかにしている。「彼女は僕のところまで来ると、声を震わせてこう言ったんだ。「あの台詞のせいでこの映画は公開できなくなるかもしれません。撮り直してもらえませんか?」
完成した映画では、ノートンに向かって彼女が「小学生の時以来の最高のファックだったわ」という場面がある。ここが元の台詞では「あたを妊娠させてよ。あんたにあたし胎児して欲しいわ」となっていたのである。
こうして完成した映画は本来は「アイズワイドシャット」の対抗馬として7月に全米公開される予定だった。それが3ヶ月先送りになったのは、4月にコロラド州の高校で、生徒2人による無差別大量殺人が発生し、その余波を受け、映画で描かれている暴力シーンが厳しく非難される恐れがあり、それを避けるためだったと噂された。 「この映画が暴力を擁護しているって言う人がいるけど「MA★S★H/マッシュ』が、アル中を擁護したっていうのかい?あの映画の登場人物はああやって韓国での状況に対処している。この映画の登場人物も自分たちの置かれた状況に対処しているんだ。「時計じかけのオレンジ』ではないんだ。それを狙おうとも思わなかった。成熟への道を選びとるフェアリーテールであり、新世代の物語なのだ」。
フィンチャーは、自作に対する指摘にこんなふうに応じているが、公開の延期には、全く別の理由があったようだ。「準備ができてなかっただけだよ」。フィンチャーはさりげなく受け流す。「映画の長さがかなり気になっていたんだ。長さは2時間半だった。でも、2時間18分にまで縮めたかった。そのために時間が欲しかったんだ」戻る