ヤクザ映画は嫌いだとおっしゃってましたね。佐藤 要するに、僕自身、そこにあまり美学を感じないという意味でね。それとは別個に深作欣二監督の「仁義なき戦い」に対するオマージュはあります。戦後の日本についてまったく知らない僕らでも入りやすい間口の広さを持っていて、影響を受けましたね。「仁義なき戦い」シリーズの第一作、第二作、第四作と「仁義の墓場」は、完成度が高く、突出していますよね。
今回、それを演じるのはどんな感じですか。佐藤 自分のなかにヤクザをやりたい部分がないということが最初にあって、それでも演じるとしたら、そうじゃない人間をつくりたいし、それでいてしょせんヤクザになるようにしたい。反語というか、どう勇ましく見えてもしょせんは、と、最後に“しょせん”がつく形で中平という役を締めくくれたらいいな、と。
ストレートではなく屈折した形でヤクザを演じる。佐藤 この中平は二十数年前に「仁義なき戦い」を見て育った男なんですよ。だから、組織のなかで、周りに対してどう振る舞えば美学として成立するかとか、見せ方を知っている。それが最後の最後になって泥酔したとき、小さな本音が見えるわけでね。前の「仁義なき戦い」でいえば小林旭さんの役のように、そういう風情のなかである匂いを感じさせながら、やっぱり最後は“しょせん”という形が悪く出ればいいなあと思っているんです。
それにしてもビッグなタイトルをやるのは冒険ですよね。佐藤 出演を決める前に阪本順治と飲んだとき、勝算はあるのかと聞いたら「うん、まあ」と言う。わざわざ枠というか枷のあるものにトライすることはないのに、彼なりの挑戦意欲があるわけで、潔いと思って、だから僕も参加したんです。
共演者がすごく個性的な顔ぶれですね。佐藤 豊川さんとは前に「LieLieLie」で共演してるんです。布袋さんは、音楽をやっている方ですから、やっぱりご自身のリズム感をつくりだすのが上手ですよね。芝居が素人だとかは僕らは問題にしないし、カメラのこちら側というのは独特の空気感があって、そのなかに自分がいるというスタンスを出していらっしゃる。僕はあまり共演者のことは考えないほうですが、やっぱり同世代の人とやるときは、気の入り方が違いますね。この歳で恥ずかしいんですけれど、負けたくないというのがあるし、出演者たちのそういうエネルギーが作品の方向性に沿ってうまく継続すればいいな、と。
そこには阪本組の常連ということもある?佐藤 やっぱり一徳さんとか僕とか常連は、このシーンでは何が必要なのかということに関して、何となく阪本順治のイマジネーションが感じ取れますからね。だから、それに沿った形で自分にやれることをやる。で、ほかの人と阪本監督とのコミュニケーションのために僕らはなるべく時間をとらないでおく。
この映画の観客についてはどう思いますか。佐藤 うーん、難しいですね。こういう楽しみ方をしてくださいという作り方はできないし、自分の投げたボールをどう客が受け取るかなと思っても、今回「いや、カッコ良かったすよ」と言われたら、僕としてはアウトな部分もあるわけで(笑)。映画でもテレビでも、お客のことって僕は考えてないな。良くないですね。
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