高畑勲 監督

「『火垂るの墓』を映像化するにあたって、何とか達成したい、また、達成しなければならない課題が山ほどあり、 そのうちの多くは、近ちゃんにしか達成できないような、いや、近ちゃんならかろうじて達成できるかもしれない程の難題と思われた。 その難題とは、簡単に言ってしまえば、日本人をちゃんと描こうという事だった、こうあってほしいという理想主義的なキャラクターでもなければ、漫画的様式的なキャラクターでもない、 まぎれもなく日本人がこうあって、という現実的なキャラクターで、なおかつその特徴を戯画的侮蔑的な誇張によってではなく、日本人ないし東アジア人としての尊厳を保ちながら ユーモアを交えて捉えることはできないか、仕草や表情に関しても各年齢感じ応じつつ、そのように描き出せないかという課題である。」

百瀬義行 作画監督補佐

「『火垂るの墓』のキャラクターは、近藤さんと五人によって造られた物だという印象がありました。 そう言うキャラクターを描かなければならなかった原画のスタッフは、かなり大変だったみたいです。 ある種のはっきりした様式があったわけではないですから、近藤さんの修正なら、ちょっとしたラフスケッチを見ながら感じを掴んでいくしかなかったわけですから。 そうすると、どうしても近藤さんが描いたキャラクターよりもキャラクターとしての味が薄くなってしまってね、そういう意味では、近藤さんはアニメーターではあったけれども、絵描きとしての素養を多大に持っていたように思ます。」

山本二三 美術監督

――今回、準備期間中ロケハンに何度も行かれて大変だったそうですね

「一番初めは、野坂さん自身が原作に沿った形で、ご自分の昔を回想しながら神戸界隈、芦屋、御影、満池谷あたりを案内してくれました。 現実と物語とでは違うところが大きいので、どの程度物語として考えるべきなのか、ぼく自身迷いながら見て歩きました。野坂先生が丁寧に案内してくれましたし、作品への意気込みが違うなということを再確認できました。 あとはこれから大変だな…と帰ってきましたね。」

――あのあたりの土地は土の色が監督とは全然違っていて非常に白いそうですね。そういった点は美術にするときに難しかったのでは。

「晴れ渡っている時の色は、いわゆる花崗岩の黄色っぽくて白っぽいという色合いで意外と出しやすいんです。 印象派の絵描きの色なんか見て見ると分かると思うんですが、光っている部分が黄色くて、影のところが青い。 そういうものは意外と強調できるから素材的にはすごく面白かったんです。でも、雨や曇りのときには地面自体の印象が普通の地面よりも明るくなるんですよ。 水を吸っている割には白っぽんです。例えば、雨の中で盗んだジャガイモを落とすところがありますよね。あの辺りは少し道路が白っぽいかなと僕自身思いながらも、地域的なものだから多分これでいいんだろう、と。 でも、監督から水たまりを置いてくれと言う指示があったときは、そのほうが画面的にも面白みがあると思っての指示だったと思いますし、 ぼく自身も面白いと感じましたが、花崗岩だから水たまりはあんまり出来ないんじゃないかと…実際どう言う風にできるのかを見たことがないので、そこはある程度感覚的に作っていますから難しかったです。 でも、結果的に画面があまり暗くならなくて、ぼく自身はこのシーン好きですね。」

――空襲があった後の国民学校の校庭のシーンもかなり白いですよね

「それは意識的に白くしたというのもあります。この作品では情景描写を描く場合にものすごく象徴的な面が強いんです。 監督からも、詩人の黒田三郎さんの詩を読みなさいと言う指示がありました。少し詩的な要素をここに入れた方がいいんじゃないかっていうことを。 それは僕自身も感じていましたし、確かにあそこは難しかったです。やはり水蒸気の問題だとは思うんですけど、夏で、火事が、それも大火災があって、 煙もある、水蒸気もある、そこに光も入っている、そうすると乱反射して広い運動場が白く輝くんではないかと。 元々モデルになった小学校も白っぽい感じでしあし、ディティールを一切潰して白く飛ばした方が、説得力を持った一つの場面を作り出せるんじゃないかと。 僕自身は、関東ローム層とかの赤い土で魅せるよりも、節子の感情を出す意味ですごく役立っていると思うので、成功したシーンだと思っています。」

――例えば青々とした緑や空の青さなんかも難しい部分だと思うんですが、雨に濡れた緑の感じとか、 すごくうまく表現されていたように思いますが、こういう所は美術的にはどういう工夫をされているんでしょうか

「やっぱり今までの訓練だったり、色彩設計の安田美千代さんの色合いとぼくら美術の調和というか、 どういう形が一番キャラクターが見えて、そういうしっとりした感じが出せるかというのを最初の段階で工夫しました。 何枚か描いてみて失敗したものあります。まあ、安田さんの色合いというのが絵画的にものすごく高度なテクニックを持っていますから、 そうした様々な事の積み上げの中で方向性を決めて言ったんです。絵を描くときに、僕らは指揮下といっているんですが、それを工夫しました。 花崗岩の色はそんなに赤くないのに、そこではウソをついて土を少し赤く描くわけです。紅いって言っても茶色系の赤茶ですが、その上にグリーンの恋のとか暗い色を乗っけていくわけです。 そうするとあの柔らかい雑草の色が、補色関係の効果でしっとりと見えてくるわけです。土地が赤井と草をいわゆるオリーブ系の暗い色で塗ったりして、オリーブ系の上に乗せるハイライトは少し蒼くするわけです。 で、青の上の夏の光は少し黄色っぽくするんです。ヒカリを黄色くして、黄色っぽい部分の影を蒼くして、青いものをオリーブ系にして、オリーブの下は赤とか、それは本当の基本でしたが、 それでテストして、セルを乗せてみて「ああ行ける」っていう風になるわけです。そういう方向性を発見するまでは結構かかりました」

――色彩的なことで高畑監督から注文はありましたか?

「最初のオープニングの赤い色合いのシーンがありますよね。そこについては高畑さんから夜の三宮駅の写真を基にセピア色の夜の風景を描いてみてくれないかと言われました。 ただセピアばっかりでやると、少し白っぽくなるんですよね。セピア系っていうのは再度が弱いんです。それで高畑さんからもっと赤くしたらどうかと言われて。 僕自身はそのセピアでもういけると思っていたんですけど、監督はまた違う要素が頭に入っていたんでしょう。キャラクターとの関連だと思うんですけど、もっと赤くしようと言われました。 でもこれ以上再度が高い赤はポスターカラーじゃ出せないので、じゃあガッシュを使おうってことでチャイニーズレッドっていう、描き方によって紅く見えるものをけっこう多用しました。 清太の色もかなり赤いですからね。それで描いてみて、いけるんじゃないかってことになりました。監督の考えていることは深いなと思いましたね」

――節子が死んだ後、壕のところの風景とか色合いみたいなものが変化しているように思うんですが、あのあたりへの監督の注文は多かったですか

「監督は秋めいてきている風景とか、爽やかな風景がすごく好きらしいんですね。僕は梅雨時、梅雨明けが好きなんですけれど、あの辺りは秋めいた空にして、 節子と清太とか当時の子供たちに対するレクイエム的な要素をどこかに入れなきゃいけないんだろうなって。監督はムードを出せとは絶対に要求しないですが、そこは僕自身がやはり感じました。 どこまで描ければいいのか見極めがつかなかったシーンではありますけど、自分たちが持っている力で補色関係を多用して綺麗に光を描ければいいんではないかと。 ただ光で空を白くし過ぎて、監督からもっと青い方がいいのではないかと言われました。でも青くして失敗するよりは、自分の得意な分野で少し白っぽくしようと。 ここは反抗的だったかなとは思っているんですが、ぼく自身レクイエム的な部分を大事にしたいという気持ちが強かったので、一生懸命やったシーンだと思います。 僕はこのシークエンスで実際の背景画は数カットした描いてないですけど、それを参考にしていっぱい描いてくれた久村さんとか、そういう人たちの努力でいいシーンが出来たと思っています」

間宮芳生 音楽

――イメージアルバムを作られて、その中の曲を使われるかどうかという、高畑監督との打ち合わせは、まだこれからということになるんでしょうか

「ええ、実は一昨日、大体のプランにしたがって、絵コンテをつなげてビデオに撮ったものを見たばかりなんです。それで、話し合いをしていた段階の高畑さんのイメージがつかめて来たところなんです。 そのイメージをどういう風に固めていくかということは、これからの高畑さんとの話し合いの中で、決めていくことなんですが」

――その絵コンテのビデオをご覧になって、どんな感想を持たれましたか

「それは、高畑さんから窺っていた事と、ほぼ一致するわけですが、とにかくあの兄弟二人が一緒にいる絵が圧倒的に多いわけです。 その中でも、半分近くは、清太が節子を負ぶっている。負ぶっていない時の絵の中で、非常に印象的なのは、節子がむこう向きに座っていて、こちらに背中が向いている――という絵が、かなり長い時間あるみたいですね」

――つまり、それは清太の見た・・・

「見た目の節子ですね。これは、かなり印象的なんです。その辺りに、この物語は清太の主観であくまでも見て行くという、そういう一つ一つの視点が、非常にはっきり印象付けられている感じがありました。 高畑さん自身は、何のとりとめもない、ふつうの日常生活――例えばご飯を食べている所や、荷物を片付けているところ、おばさんと従姉妹が生活をしている所――その中で、招かれざる客として、あの二人がいる状況、 非常に日常的な生活の中での、彼と彼女の存在の違和感みたいなものを、むしろ日常的なものを重ねることによって出したい、というようなことを盛んにおっしゃっていたんです。 けれども、やっぱり絵コンテをつなげてみると、ぼくの印象としては、二人だけでいるカットが、かなり強いですね。」

――絵コンテだけでも、二人の心情は伝わってきますか

「それはもう、相当強烈に伝わってきますね。それでやっぱり期待しているのは、蛍のシーンなんです。 蛍を見ている二人、それから二人を包んでいる蛍の光。包んでいるところが、綺麗にいったら、凄くいいなあ。蛍の場面と二人の場面を音楽のイメージで、どういう風に表現するかというのが、かなり重要な問題になってくるでしょうね。 イメージアルバムに入っている『母』については、レコード・ジャケットの解説対談の中でも言いましたように、戦争直後に体験した、僕の母から僕が受けた印象が、非常に強くあるんです。 それは、戦争中から戦後にかけての僕の、ある種の支えみたいなことがあったんで、そういう支えをぱたんと外された、あの二人から逆に今度は母親というものを、ぼくのイメージ、あの曲に託したわけですけどね」

――映画の中で母はどんな場面で生かされそうですか

「さあ、どう生かすかということになると、これは、かなり難しいんですとね、節子が、盛んに、「おばさんのところへは帰りたくない、家に帰りたい帰りたい」と言う、これは小説の中にあるんですが、 そういう場面に、たぶん母の音楽が活かせると思うし、それがこの物語に対する、ぼくの一つのアプローチになるな、という風には思っていますけど 今度の『火垂るの墓』は、人間対人間の争いが作り出した、あるのっぴきならない環境が、兄弟のいのちをさらっちゃったという話でしょう。 つまり、戦無派にとって、戦争なんて物は、まったく絵空事になっている。ある世代にとっては、非常にカッコいい事にすら、なっている。 そんなもんじゃないんだという提示を、高畑さんは、したいんだなあと思う。 僕が共鳴して、この仕事に取り組む姿勢としては、その辺りを、何か出来るだけ、分かりやすい形で表現しないといけないんじゃないかという風に思っているんです。」

村瀬拓男 製作委員会

「一九八六年ごろの新潮社は、老舗の文芸出版社として、コミックや映像事業の分野にどう進出するかが課題になっていました、当時の僕は、それを担うセクションに移動してきたばかりの入社二年目の新人。 『カリオストロの城』から『ラピュタ』まで 宮崎さんの映画をすべて映画館で観ていたので、鈴木敏夫さんが企画を持ち込んでこられたときには、すぐ企画担当を買って出ました。 『となりのトトロ』『火垂るの墓』の二本立てという今からすれば贅沢極まりない組み合わせも、当時は地味なプロジェクトでした。 実は新潮文庫の『火垂るの墓』は、絶版待機リストに入っていました、野坂さんはそれほど売れている状況ではなかったので新潮文庫でも版が活きているのは『火垂るの墓』と『エロ師事』のみ、という状況でした。 でも、故佐藤亮一社長は、「この作品を映画にしようとする人がいた事に感動した!」と、企画にゴーサインを出します。

 今でも社長室でのやり取りを覚えていますが、「一番損をするとしたらどうなる?」「一人も観客がいなければ、3億円の損失ですね。」「分かった、やろう。」 「FOCUS」が売れていた時代だからこその決断だったのかもしれません。こうして『となりのトトロ』の製作は徳間書店、『火垂るの墓』は新潮社という二本立てプロジェクトがスタートしました。

 僕は、実質的なプロデューサを務めていた鈴木敏夫さんと行動を共にして、配給や宣伝に関わりました。当時鈴木さんはアニメージュの編集長をしながらやっていて、いったいいつ寝ているのだろうという仕事ぶりでした。

 いまでこそ複数の者が参加する製作委員会方式が一般的になりましたが、当時はまだ一社製作のケースが多く、権利関係・契約については専門家へのヒアリングも含め何度も打ち合わせをして勉強しながら、すべての契約書をぼくが作りました。

 権利関係のことについて、エピソードを1つ、火垂るの墓では、清太が節子を背負って雨の中、七輪などを買った帰りに歌を口ずさむシーンがあります。 「あめあめ降れ降れ、にいさんが」というものですが、これはご存じにように北原白秋の『あめふり』の替え歌です。 当時北原白秋の著作権は生きていて、JASRACの管理楽曲でした。JASRACに対し映画での使用を申請したところ、「替え歌であるので、著作権者の承諾を得てください」と指示されたのです。 そこで継承者に連絡をしたところ、「白秋が心血を注いで作詞していたことを知っているので、一言一句変えることはまかりならない」という返事が。 困りましたが監督には伝えざるを得ません。監督は「当時も、今も、誰もがその状況にあわせて思い思いに置き換えて歌っていたはずです。清太と節子なら、絶対にこのように歌ったでしょう」と言います。その通りです。

 結論を後押ししたのは監督の言葉でした。「そんなに大切なら、世に出さずに金庫に閉まっておけばいい」。少々感情的になったときの言葉ですからその分差し引く必要はありますが、著作物の権利性を考える時に非常に参考になる言葉だと言えます。

 最終的には社長にも了承してもらい、JASRACには新潮社が全責任をとるという念書を差し入れて、台本通り『あめふり』の替え歌を使用することにしたのです。 幸いなことに継承者からのクレームはなく、理解していただいたのだろうと思っています。

 映画公開後『火垂るの墓』の文庫は売れに売れ、公開から3年の内に100万部売れました。暗いよね、という当初の反応が、ジワジワと口コミで評価が上がっていき、結果、原作本も大きく動いたのです。」


戻る
inserted by FC2 system