『地獄の黙示録』は、朝9時からの試写で観た記憶がある。これは怠け者の俺にとっては奇跡的なことだ(笑)。やっぱりすごい気になってたんだね。ちょうど『太陽を盗んだ男』が終わった後だった。コッポラは『ゴッドファーザー』が圧倒的に面白かったから、とても意識していた。お前がヴェトナム戦争をやるなら、俺は連合赤軍を「俺たちの戦争」として撮るんだ、という気分だった。俺自身、戦争と人間の本質なんか?みきれていないところがあって、コッポラはどうやるのか、という関心だったね。
 実は(村上)龍とかと遊び歩いていた頃、六本木のいつも行くバーにコッポラが何度か来ていたことがあった。フフィリピンロケの最中にお忍びで抜け出していたんだな。やたら疲れた疲れたとぼやいてた。オレは老人だって。今思えばまだ40歳だったんだが...ともかく「悩める、か弱きインテリ監督」という印象だった。でもこいつは俺とは規模の違う映画を作っているんだな...と、その時には嫉妬半分で思ったよ。
 映画を見ての本音の感想は、「一見の価値ある壮大なる失敗作」だったな。ウエルメイドの映画が人を打つとは限らないけど、とりわけ後半になって、コッポラ本人が混乱したままで終わってる映画に思えた。西洋人にとっての「未「開」が問題になるんだが、その未開の人間が人間として見えて来ない西部劇の昔から、連中の「未開/異文化」への対応は、恐ろしいほど幼稚で残酷だ。原住民であるインディアンのことなん人間とは思っていないんだ。俺は何故かガキの頃から、インディアンが悪者として描かれた西部劇を観ても「頑張れ、インディアン!」と思うほうだったから、いまだに「自己日中」な白人は許せん(笑)。結局、アメリカはヴェトナムでも現在のアフガンでも、ずっと同じバカをやってきている。コッポラにしても悩むには悩むが、それは持てる者の悩みで、帰る場所のある者の悩みに思えるね。それが正直な悲鳴であるとは認めるが、なんだ、レッツ・ゴ・ホームで終わりかよ、俺は家庭なんか解散したぞと思う(笑)。
 ロング・ヴァージョンを観て、カンヌで受けた理由はわかったよ。仏人植民者が「もともとベトミンを作ったのはアメリカじゃないか」とクレームすくだりは笑った。「ベトミン」を「ビンラディン」に置き換えても成立する台詞なんだ。ま、俺にはフランスもアメリカも、相変わらずの「目くそ鼻くそ」に思えるがね。
 一番大きな違いは、ラストの爆撃があるかないかだろう。意味が180度違う。プロデューサーとしてのコッポラは、当時はあのカタルシスを入れておかないと興行的にコケルと思ったんだろう。監督としては「本来自分が作りたかったのは、こういう内向したエンディングだったんだ」と言いたいんだろうが、ちょっとズルイ感じはするね。そんなにポジション使い分けるなよと(笑)。
 今度のを観て、コッポラはほんとに甘え上手の甘ちゃんだと思ったな。彼の映画では主人公がどこかで強い女性に救済されたいと願ってるんだろうが、それをこんなにストレートにさらけ出せるものかと感心した。俺も甘ちゃんだから奴の気持ちはよくわかる。ただ残念ながら俺の場合、超・甘え下手でね。グズな自分に腹が立つばかりだよ(笑)。

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