子供たちは狂気している!密命の旅へ・・
結論を先に、それもひとことでいえば、こんな映画はかつてなかった。メイン・タイトルもなく始まり、エンド・マークもクレジット・タイトルもなく終わることも含めてということになるだろう。
最初のシーンではなく、サウンドは虫のすだきである。夢であろうか、超望遠レンズにとらえられた椰子林、上空を舞うヘリコプター、燃え上がる椰子林、逆さまになった男の顔のクローズアップが二重三重に焼きつけられて不安に左右へ流れ始める。今は故人になってしまった“ドアーズのジム・モリスンの歌「ジ・エンド」が、この映画のために書かれたオリジナルではないかと思わせるほどの効果をみせて、主人公ウィラード大尉の登場へブリッジしていく。
・・・・・・すべての子供たちは狂気している。夏の雨を待ちながら......。
ウィラード大尉(マーティン・シーン)はやはり夢を見ていた、いや、夢にうなされていたのだ。黒い大きな扇風機が天井でガタガタと回っているサイゴンの薄汚いホテルの1室である。
68年のある日、南ヴェトナム・コンソム地区にあるCIA第2軍団司令室に極秘命令が届く。現地人部隊を組織、訓練するためにカンボジア国境に近い奥地に潜入している第2特別戦闘隊を率いるウォルター・カーツ大(マーロン・ブランド)を殺せ!というのがその内容であった。後方との連絡を絶ったばかりか、アメリカ軍にも攻撃を仕掛けて異常な反逆行為が見られるからだという。しかも彼は自らの〈王国〉を築いて神の座にもついているというのである。
白羽の矢は空挺旅団第1大隊第4偵察隊に所属するウィラード大尉に立てられ、彼はホテルの1室での眠りを破られる。その時、大尉はオフがオフにならない悪夢の中で自らを傷つけて血まみれになっていた。
見事な導入部である。戦場が出てくるのはまだ後なのに、アメリカがヴェトナムの中で抜き差しならぬ状態におちいり始めていた頃の焦燥感が司令室とホテルの1室だけの描写でひしひしと伝わってくる。臨場感といってよいかもしれない。激しい戦火をくぐり、日常とは遠くなってしまった男を表現するマーティン・シーンが既に好演である。空しいだろうに、妙に澄んだ目が印象的だ。 もっとナパームの匂いを!ワグナーによる地獄絵を!!!
メコン河をさかのぼる長い水路の旅が始まる。機関砲こそ備えているが小さなボート、部下も白人兵シェフ(フレドリック・フォレスト)、ランス(サム・ボトムズ)と黒人兵チーフ(アルバート・ホール)、クリーン(ラリー・フィッシュバーン)の4人だけだ。
最初の停泊地は河口ぞいにあるキルゴア中佐(ロバート・デュバル)指揮下のヘリコプター基地。彼らはここでヴェトコン部落のナパーム弾攻撃作戦を目撃する。ヴェトコンの部落とはいえ殆ど女子供しか残っていない。いわば非戦闘員を殺戮するのだが、その目的は、といえば水辺まで迫った部落を焼いていい波を呼びたいからだという。キルゴア中佐はサーフィンを楽しみたいのである。「朝のナパーム弾の匂いはたまんないぜ」などと口走るのも彼だ。
ロバート・デュバルによる快(あるいは怪)演が展開する。最初ジーン・ハックマンに与というえられるはずだった役だ。月並な言い方だが戦争では何をしても許される、そして戦争は人間を狂気に追い立てるーーそれを絵にするとそっくりこうなるに違いない、そんな芝居で圧倒するのである。本来うまい者が、今日までの彼のキャリアにも、他の俳優による名演技といわれる芝居にもこんなに高いテンションを張りつめたものはなかったと思う。ただ、凄いのひとことに尽きる。
ジム・モリスンの歌の使い方も優れている。が、このヘリコプター攻撃のシーンを流れる(実際にヘリコプターにテープによる再生装置が仕掛けてある)ワグナーの「ワルキューレの騎行」に至って、コッポラはその抜群の音楽的なセンスの良さを実証する。「ワルキューレ」は序劇付き3部構成の楽劇「ニーベルンゲンの指輪」の中の1つで、「騎行」は3幕の前奏曲であり、ワルキューレ”とは空も飛べる神の子たちのことである。ヘリコプターの機首をとらえたクローズアップは異様で昆虫のバケモノ風だし、アイロニーとしても効果を発揮する。このシークェンスの迫力は巻中の白眉、ということは長い映画の歴史の上でも類を見ない大スペクタクルだということになる。 そして「サティスファクション」また夜がやって来た
大河だったメコンの流れは、いつしかジャングルの中を奥深く縫っていく谷川になっている。
黒人兵クリーンはラジオから流れてくるロックン・ロール「サティスファクション」に夢中だし、舵を取る同じく黒人兵のチーフはニューオーリンズ出身の南部者シェフといい合いばかりしている。ランスはカムフラージュだといって、女性の化粧道具を持ち出して顔を塗り上げる始末。ウィラード大尉は司令室で渡された“カーツ・ファイル”を読み返しては、秀才エリートのコースを歩いてきた。グリーン・ベレー”の勇士像に思いをはせていく。マーロン・ブランドという大スターの存在から生まれるのだろうか我々もまた吸い寄せられていくような緊張感を強いられる。
ウィラード大尉とシェフはマンゴーを求めて足を踏み入れたジャングルで虎に襲われる。シェフがショットガンをめくら撃ちしてもあたりはすぐまたもとの静寂を取り戻す。目的地にはまだ遠い地点であろうーー。深々と広がるジャングルの美しさは、それだけ戦争の意味を問いかけているかのようであり、この後に来る〈プレイボーイ>派遣のバニー・ガールズの前線間ショーに狂暴なリアクションを示す兵士たちの描き方と衝突し合って、ドラマは1つまた大きな角を曲がっていく。漆黒の闇の中に突然現れるUSOコロシアムの昼をあざむく明るさがショッキングである。
5人のボートは行き違う小舟をとめてチェックをする。実は、恐怖のせいで身がすくみ、舟の揺れてバランスを失いかけた少女の動きに誘発されて、ランスの銃が火をふく。2人の少年も後ろ向きに頭から流れ落ち、一瞬の間に無防備の現地の若者が殺される。後には主をなくした白い犬が残っただけだ。
また夜が来て、ボートは最前線と思われる基地へ近づいて行く。
そこで彼らが見たのは指揮官を失った兵士たちがLSDとマリファナに身をまかせて闘う姿であった。 神の<王国>狂人か、偉大な指導者か!?
カンボジア領内に入ってすぐ、ボートは、カーツ軍団の兵ともヴェトコンとも知れぬ、姿を見せない敵に一斉射撃をくらい、クリーンが最初の犠牲者になる。その死を泣きじゃくって悲しんだチーフも飛んで来た槍が背から胸へ突きささって命果ててしまった。
3人になったボートの行く手に何かが待っている。
彼らの視線にそってキャメラが前方を向く蛮族のメーキャップも荒々しい異様な形相の男たちが、水路いっぱいに舟を並べて気をはらみ出迎えていたのである。
白人とおぼしき者もまじっている。カーツの<王国>の住人に違いあるまい。黄褐色の城前の広場にも何百という数の無気味な歓迎の群れがひしめき、その中の1人が周囲を制止してボートの岸をリードする。一見してアメリカ人報道写真家の来てだとわかヒッピー風な男(デニス・ホッパー)である。
ウィラード大尉はシェフとランスをボートに残して、単身カーツ大佐の神殿に引かれて行く。
カーツ大佐はウィラード大尉の出現を予知していたのかもしれない。大佐は大尉が自分と同じオハイオ州出身なのを知り動揺する。しかし、この地にとどまって部下になることを要求し、応じないとわかると拷問を加え、挙句の果ては切り取ってきたシェフの首を、しばられて自由のきかない大尉の体の上にすえ置く。
縄をとかれたウィラード大尉は、カーツ大佐の説得は不可能だとし、鉈を手にして神の奥へと忍び込んで行く。大尉を自由にした大佐の真意はわからない。ただいえるのは、今が地獄の人生を終える時だと自覚したのではないかということだ。何故なら、鉈を振り上げて迫って来る大尉をふり返った顔には恐怖を突き抜けた後のあきらめの色が浮かび、抵抗もしないからである。
カーツ大佐を倒したウィラード大尉は、当然、新しい神となる!
その輩下につきたい意志を表して、群集は大きな円陣を作ろうとする。しかし、ウィラード大尉はランスの待つボートに戻り、エンジンを始動させる。返り血をあびたその虚脱した顔を、不意に襲ってきたスコールが激しく叩き始める・・・・・。*
おそらく、ウィラードは残りの人生を生きていく中で“カーツ殺害”の意味を自分自身に問い続けていくであろう。戦争によって課せられた殺人だったのだから、間違っても個人的な憎しみはなかったはずである。ブランデーの酔いの中に逃げ込もうとしていた巻頭の彼を思い出せば、彼もまた被害者だったということに気がつかざるをえない。
使命を終えた、といえば男っぽくて格好はよいが、しかし後に何が残ったのだろうか。長くて辛かった旅がプツンとふいに切られて終わる、胸にひびく幕切れである。戻る