まもなく映画100年を迎えるという現在、産業としての日本映画は大きな転換期を迎えている。システムとして映画を製作し続けていた撮影所はその機能を縮小し、製作のノウハウを最も蓄積して製作会社は殆ど映画を生産しなくなってしまい、一部のアメリカンメジャーに日本の企業が出資しているというのがそれを象徴している。しかし変わらず映画を志すものは存在し、その存在は日本映画学校などの学校を志望するか、あるいはある偶然の出会いによって、映画を造っている。学校というのはかつてない映画への入り口となっている。いま、映画の学校が人材を育成するとは、どういうことなのか。根っからの現場育ちの監督(長谷川和彦)とシナリオライター(荒井晴彦)にこれからの映画の学校を体験的に語ってもらった。両氏は学校否定派�≠ネがら、30年9月24日~10月6日、札幌NTTセミナーセンターで、プロの映像作家の育成を目的として、はじめて開催された「さっぽろ映像セミナ-」にメインの講師として参加した。このセミナーは、講師9人(長谷川、荒井、澤井信一郎、田中陽造、前田陽一、澤田幸弘、根岸吉太郎、吉田博昭、黒沢清)が二人のシナリオを合宿方式でマンツーマンで直すという、かつて監督、シナリオライター、プロデューサーがこもった旅館を彷彿とさせるきわめてユニークなセミナーであったという(表参照)。日本映画学校、日大芸術学部、鎌倉塾、映像塾青山シナリオセンター等々、これからの現場人を養成する映画の学校はどうあるべきか。長谷川荒井両氏が!01年の出口出(でぐちいずる)を語る。(*出口出とはかつての若松プロを支えたシナリオライター数人の共同ペンネームである。)

二人の学校否定派による初めての映像セミナー

お二人が初めて映像セミナーの講師を努められたというのがまず大変興味深いのですが、その経緯をどういうものだったのですか。

長谷川 映画学校って色々あって、ないよりはあった方がいいのだろうが、映画ってのは人に教えるもんじゃない。カメラワークとか技術は教えられるだろうが、俺にしろ荒井にしろ、技術で監督なりライターをやっているわけじゃない。俺にとっての映画の学校ってやはり日活撮影所だったわけで、単なる映画学校と日活の違いは、映画という商品を完成させるかどうかなわけだ。映画という商品を作るのなら、新人の同業者と出会うわけだから。このセミナーも映画を製作する可能性があるということで引き受けたわけだ。

荒井 僕も学校へいったわけじゃないし、先生をやったこともない。先生って現役じゃない人が食べるためにやるものだと思っていたし、学校に行けば何とかなるという生徒の姿勢も問題だと。それがどうして今回のセミナーを引き受けることになったかというと、まあ現役意識が薄まってしまったんだろうね(笑)、それとゴジと僕というのも面白いかな、と。二人の先生否定派がいて、しかも今のウレセンじゃない二人ね、そこにどういう連中が応募してくるのか、興味があった。それからシナリオって自分で書けたと思っても実は全然書けてない、商品にならないという事がある。見えない壁があって、みんなそこで苦労するんだけど、その壁の突破方法だったら体験的に話せるかなということもあった。しかし、二人の映画を見たことないという奴にはちょっと驚いた(笑)。

長谷川 半数くらいは俺たち二人の作風や作家性とはあまり関係がなかった。22歳の女子大生で、お二人の作品は何も見ていませんというのもいた。まあ、そんなもんかと思ったが、ディレカンでシナリオ公募した時も、俺を指定して応募してきたのは全部レベルがひどくて。あと俺は女からはこなかったね(笑)。荒井、野沢尚、野島伸司、一色伸幸といった連中ならどういう仕事してるか明確だし、たくさん来ると思うけど、長谷川、荒井じゃ来るわけないんだ(笑)。事実、締め切りの10日前で応募がひとケタ。大森一樹に行ってやろうかってからかわれた。セミナーの場所が札幌だし、戸塚ヨットスクールと思われていたのかな(笑)。

荒井でもゴジが暴力派だなんて情報も彼らは持ってないわけだからね。最終的には115篇の応募だったから僕らも捨てたもんじゃないと思ったが、一番ほっとしたのは事務局だろうな。

長谷川 まあそんなこととは関係なく応募作の大半はかなりのしろものだったが、全部気を入れて読んだよ。しかし、応募規定の200字120枚というのは中途半端な枚数だったと思う。募集期間が短かったからというのもあるだろうが、20枚はテレビの1時間ものの長さなんだ。映画の脚本を書くんだという感覚は120枚じゃ出ない。120枚過ぎてからがきついんだから。300枚あれば何とか力を出すものなんだ。

荒井 確かにテレビの脚本という印象のものが多かった。このままテレビのプロデューサーに紹介しても良さそうなものさえあったけど、それは最終的には落とした。

長谷川 今回、映画セミナーではなく映像セミナーと謳っているだろう。それが広いようで、結果浅い印象を与えたんじゃないかな。腰のすわりの悪いシナリオが多かった。

応募してきた人の中から何人か面接を行って最終的に参加者を決定する、しかもその面接には第二稿を書いてきてもらうという、このシステムは最初から予定に考えられていたわけなんですか。

長谷川 主催者と俺たちが共同で考えたわけです。

荒井 全応募者の中からまず3、4人くらいはすぐ決まるんだけど、残りの数人を決めるのに面接が必要だった。整っているけど何か物足りない奴や、また逆にメチャクチャだけど何かある奴を選ぼうとした。

長谷川 何日間か一緒に集まって脚本を書こうとするわけだから、書かれた脚本が問題じゃない。書いた人間が問題なんだ。第一稿が決定稿じゃないし、だからといって8日間札幌でカンツメにするだけで書き上げられるわけではない。5月7日に応募を締め切って、そこからセミナーというかガイダンスがもう始まったんだ。ゼロからセミナーに参加するのではなく、逆に最後の仕上げが8日間のセミナーというつもりだった。

荒井 これ以上叩いてもたいして面白い映画にはならないという脚本もあるわけで、そういう人には、全く別のを書いてきてもらったし。

長谷川 応募を締め切った時点から、とにかく直させたね。1位、2位を決めるコンクールならただ選考すればいいだけだが、今回は全部映画化するつもりで直させた。森崎(東さんが監督した「ロケーション」とか、(藤田)敏八さんの「帰らざる日々」とかも公募シナリオだと思うけど、それらにしてもそのまんまでは映画にならないわけだし。

荒井 受講者も面食らっただろうけどね。応募者の中から選ばれたはずなのに、ボロクソに言われ、そして直せ、直せで(笑)。

シナリオは決して渡して終わりではない

長谷川 俺が日活撮影所で初めて脚本を書いた「性盗ねずみ小僧」(72、曾根中生監督)の頃なんかは、撮影所はさあ書け、書かなきゃスクリーンが白くなる、とプレッシャーをかけてくるわけで、だからこそ素人の俺でも書けたわけだ。映画になるという出口があったから、書くことが出来た。

荒井 出口まで含めて初めて本当のシナリオの勉強だと思う。自分の書いたものがどう映画になっているかを見て、頭にきたり、そうか、これが映画なんだと思ったりするのが一番の勉強なんだ。

長谷川 今回の受講者にもそういう、映画として本当に使えるところまでいくように直させたわけなんだけど、彼らはきつかっただろうな。映画にするということ自体が、まだ良く分かっていないんだから。

荒井 映画化する可能性もあるというだけで、今回は出口がはっきりしていなかった分、つらい作業だったと思う。ただシナリオは決して監督なりプロデューサに渡してそれで終わりじゃなくて、そこから色々な人が色々なことを言って映画化に至るんだからね。今回も日替わりゲストに来てもらって、色々受講生にアドバイスしてもらったわけなんだけど、言うことがとても実践的だったね。また改めてその人の作風を感じさせた。

長谷川 ゲストにもきちんと受講者一人一人のシナリオを読んでもらい、意見を言ってもらったからね。みんな予想以上に真面目に取り組んでくれた。

荒井 わが師匠、田中陽造もふだんは他人のことなんか我関せずでクールな人なんだけど、メモを見ながら意見を言ってるんで驚いた。

長谷川 澤田さんなんか1人の受講者全員の克明なハコ書きを作ってきたし。受講生すら作っていないんだぜ。色々な年 齢の色々なプロが来て次々とアドバイスしてくれたわけだから、充実したものになったと思う。

荒井 言い方は違うだろうけど、同じところを欠点として複数の人間に言われたりするわけだから、受講者もちゃんと分かってくる。

長谷川 ゲスト講師もそこで自分がプロとして試されている気がするって言っていたよ。1本のシナリオについて、ポイントがずれたことを言うとキャリアにかかわる。怠け者の根岸でも読み切れなかったシナリオを札幌に来てから徹夜で読んでいたからね。ホットな場だったと思う。

荒井 受講生は徹夜で書き直しの作業をして、朝は朝で講師がらみの映画を見て意見も言わなきゃいけない。ちょっと時間的なゆとりがなかったかな。もっと交流の場があればなあとも思ったよ。澤井さんのように、封切中の「わが愛の譜」を撮った現役バリバリの人がそばにいるんだから。でも、受講生の勉強不足というか、映画を見ていないことには呆れた。どういう映画を撮ってきた監督か知らないわけだから、勿体ないなあと思った。知ってればね、その人が目の前で言ってくれるわけだから。昔の俺なら、夢のように思ったろうね。嫌いな監督なら反発するだろうし、

長谷川 撮影所ならそういった交流ももっと出来るんだけど、今回でも疑似体験はできたかも知れないな。ただ8日間じゃあシナリオを書き上げられなかったわけで、ピリオドじゃなくカンマを打ったということ。完成稿を送ってこいといって解散したし、セミナーの後も一緒に飯を食ったりの付き合いは今でもあるから、それも含めて受講者にとっては意義あるセミナーだったと思うよ。受講生の中に長谷川、荒井をやっつけてやろうという人はいなかったんですか。

荒井 やっつけようにも知らないんだから。

長谷川 いや、そういう奴がいない方が良かった。ファンの集いをやってもしょうがないからね。

荒井 しかし講師がどういう仕事をしているかくらいは知っていないと成果はまた少ないよ。せめて長谷川和彦はこわい人だという認識くらいないと(笑)。

どんな規模にせよ出口を作ることが必要だ

このセミナーの今後の展望についてのお二人のご意見は、

長谷川 結論は出口だよ。つまり映画を作るということ。単なるカルチャー・センターにしないためにも。

荒井 3千万の予算でも5千万の予算でもいいからね。

長谷川 映像セミナーというものが発展していくためには、スタートはシナリオなんだろうが、続けていくためには出口必要なんだよ。

荒井 現状では、映画界には受け皿がない。ただ教わって、ただ教えてもね。何のためなんだということになる。

長谷川 今平さん(今村昌平)ところの日本映画学校にしても、何本かは作っているんだろうが、群としてミソもクソも生まれてこないと日本映画の活況はない。映画がメディそのものとしてかつてのように最大の娯楽になることはあり得ないだろうが、ともかく群れとして作っていかないと。

荒井 そうじゃないとフジテレビのヤングシナリオ大賞だけにしか応募しなくなっちゃう。

長谷川 かつて日活の存在理由は、今から見ると新人を取り込んで映画人にしたというのが最大の功績であり、そこではロマンポルノは出口として機能したんだ。これからは撮影所と学校が掛け算されたもの、学校が習ではなく映画という商品を作る形態をとることが必要なんじゃないか。

荒井 僕なんかも、ゴールデン街でプロデューサーにからんで、じゃあお前書いてみろで世に出られたんだけど、今は個人とコネクションを持っても映画にはつながらないからね。

長谷川 俺たちのような作り手の側から言うと、企業が現場の人間までも育てようというのなら、それぞれ別個の文化事業ではなく、入り口があって出口があるという一貫した構図を作ることだ。

荒井 今回のセミナーにしても10日近く受講者と一緒にいてある種の一体感ができたからこそよけい思うんだけど、資本がシステムとして、映画の場で機能していくためにはまず出口、製作までもっていくことだと思う。いま、色々な規模の映画があるんだから、5千万7千万、いや3千万の予算でもいいから映画を作るべきなんだ。

長谷川 出口を設けないのは全て意味がないというわけじゃあないが、小さいよな。今回の映像セミナーで、シナリオは実際一番大事な設計図だけど、シナリオ学校で終わらないためにも、作るということが必要。書くことはもちろん必要だが。

荒井 書くということは(シナリオが)読めるということだからね。どのポジションにとっても必要だよ。

長谷川 かつて俺も審査員をやっていたPFFもようやく劇映画を作るようになってきた。俺の場合は8年助監督やって、結果シナリオを書く監督する時にそ助監督時代の経験が役立ったんだから、やはり一番は現場が大事だと思うけど。今じゃ8年は長いか(笑)。今は塾、学校、セミナーとたくさんあるんだから、なぜドッキングして映画を作らせないのか。最初から無理だと言っていたら何もスタートしないわけだからな。

荒井 このまま何もしないと本当にテレビしか、あるいはテレビ的なものしか残らないからな。それでいいなら別だけど。

長谷川 具体的な展望や出口を見せなければ、今までなかった新しいセミナーというわけにはいかない。

荒井 僕とゴジで他のところと同じことをやってもしょうがない。せっかく受講者を選んで、しごいて、終った今もつきあっているんだから。仕事紹介しようにも、かんじんの後に無いんだから情無い。

長谷川 ここ何年かに育った新人が北野武しかないのを見ても問題だよ。新人が自己営業能力をすごく持ってないと出られないというのも問題だ。映画はシステムとしてどんどん作られていくことで監督の自己活性化が行なわれる。ロマンポルノがいい例だ。場が映画を作る。そのシステムをいま新たに作った奴が一番儲かるよ。そこからなら面白い新人も出てくるはずだ。

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