〇一九七八年一月三十日
 待ちに待った第一篇が、やっと出来上る。クランクイン予定日から、すでに半月遅れている。大船より本社へ。刷り上ったばかりのホンを手にする。一気に読了。更に精読「どう?」と言われても、すぐにはこたえられない。

〇一月三十一日
 待ちぼうけーーたった一匹のウサギは、いったい何だったのか?納得出来ないことが多すぎる。第一篇の大きな疵は、解決をすべて、ラストに持って来てしまっていることだ。情念ほとばしるクライマックスで、説明的な料白はしゃべれぬ。
 

脚本検討ーー於・製作本部・PM3~
 意見集約。直しが必要という結論。しかし時間切れで大直しはむつかしい。小直しで、どれだけよくなるのかーー封切延期は出来ない。2・9にはインしなければ、役者がいなくなってしまう。それでなくても現場の時間は大きくけずられているのだ。
 せっかくの映画を、こんな形で、つくっていいのかーーこれが一番大きな問題ーー。
 決定稿配本からインまで、少なくとも、二週間以上の準備期間を用意しなければ、いいものは出来ない。例え赤字になることが判っていても、系列館への配給本数を確保しなければならない辛さが、ここにも出て来ている。みんな判っているのだ。判っていてもおしてゆかなければならない矛盾。
 ともあれ、役者がいなくなっちまうんじゃ仕方がない。はじめて希望キャスト通りに組めたのだ。ロケハンでフィルムを、すでにまわしてしまってもいる。今更、後にひけない。

〇二月三日
 出来るだけ早く、第二稿をあげようということになる。今度も、またまた追いこまれる破目になってしまった。
 勝野洋、原田芳雄、桃井かおりの主役三人と、メーン・スタッフの意見集約・打合せ(2/1・2/2)を済ませて宿へ入る。体調、著しく悪い。躯をこわしたら、元も子もない。なんとなくゾッとする。

〇二月六日
 ともかく終りまで通す。(AM・7)これ昼からの衣裳合せに間にあう。
 すぐれたプロのライターが、二ヵ月以上かかって考え抜いたホンを、三日で手を入れるなんて、ゴーマン以外の何ものでもない。
 それはよくわかっている。しかし、納得出来ない限り(この状況の中では)おれが、やるほかない。そして、やってみて、いまなお納得出来ていない。
 また、今夜も徹夜になるだろう。
 いつものように、撮影終了までを、ホンナオシと考えてやる他ない。

〇二月九日
 クランクイン。完徹が五日続いたので、昨夜はぐっすり眠る。昼すぎ、第二稿上ってくる。
 タイトル「夜が崩れた」に決る。(原題通り)

〇三月三日
 おれは「あいつら」としたかったのだが刑事物のにおいが強いと、こまるンだ。これは、ラブストーリーなンだから。ホン、まだまだ納得出来ない。つくづく、こういうナオシはもうやりたくないと思う。こんなことをすると、脚本家と気まずくなったり、いろいろとロクなことはないのだ。
 小直しをこえたので、脚本、連名にすること、田坂啓氏の了解を得る。
 北海道ロケ。役者四人が揃う日は、今日一日しかない。もしとべば、封切に間にあわないということになる。
 吹雪で欠航が続き、役者の到着が、危ぶまれたが、辛うじて間にあう。ホッとしながら、緊張の強行撮影。ひとりは午前中にあげ、空港に送らなければならないのだ。しかし、天候にはめぐまれ、まだ、問題の残っていたラストシーン八頁余りをなんとか納得出来るかたちで撮り終える。
 つくづく映画は、人との出会いで決まると思う。このスタッフがいなかったら、おれは途中でバテていたかもしれない。
 いい“出会い”があった。この映画は、その中で、そのみんなでつくりあげたというおもいが、いま強い。
 ともかく、明日のロケが済めば、実質的にクランク・アップである。よくもわるくもこの作品は今日で決まった。

〇三月十五日
 初号試写。評判はいい。妙なことだがこういうときの方がそうなる。
 しかしおれとしては、やはりとことんつきつめきれなかったうらみが残る――パンチがない。テンポも、もうひとつ足りない。ラストがやはりつきぬけてない。ふっきれてないのだ。

〇三月二十一日
 封切(地方・18日より)新宿松竹へ行く。
 客が来てくれない。予想はしていたが、この事実の前に、やはりガックリする。

〇三月二十五日
 読売(夕刊)に作品評が出る。
 河原畑寧氏にほめられたのはたしかこれがはじめて――。何より現場のつくり手たちの心意気を認めてくれたことがうれしい。

〇三月二十八日
 一週間で打ちきり、という無残な目にあう。
 何ということだ。はじめての経験にいろいろなおもいが錯綜する。
 いま松竹が、そしてその中で映画をつくる人間が考えなければならない、いろいろな問題が、このことの中に、はっきり出てきているように思う。しかし、つきつめれば、これの力不足ーー精一杯やったから、それでいい、という仕事ではないのだ、この仕事はーー。
 つい十日ほど前、文春からのアンケートにこたえた自分の言葉が、いま、おれをつきさしている。えらそうなことはいうものではない。

〇三月十八日
 再度「日本映画論」を組みたいからと、文芸春秋社よりアンケート依頼あり。
 (主な質問事項――)一、日本映画不振の最大原因について。二、日本映画の将来について。三、その中での監督の仕事について。
 (アンケートへの返事)

一、要するに、いま、映画産業は他の娯楽産業より知恵も力もないから。
 映画をつくる人間が、その"真の主人”となりえていないから。
 創る側も、送る側も、観る側も、みんな砂のようにバラバラで、てんでに勝手なことを言っている。自分の狭い経験や好みだけで作品への価値判断基準を立てている。有無をいわさず、ぐいぐい引っぱってゆくだけの個性も力もないーー自己批判としてそう思う。映画界全体が貧しくなっていて、貧すり鈍するという状況にあるその中で溺れかけているのが、企業内の監督でありスタッフである。ほんとうに納得出来る仕事など、なかなかできはしない。また溺れまいとすることで精一杯の人間に出来るはずもない。同じことが、送る側にも言えるーー
 ブロック・ブッキングという配給興行のシステムは、内実、とうのむかしに崩れているのに、それを守らなければならない矛盾をかかえてその形骸の中でアップアップしている。

二、これからの日本映画は、この”貧し、鈍してしまった”流れに棹さし、変えてゆく意志と力をもった人たちのものになるだろうし、また、そうならなければならない。
 まず、流れに棹さす力を持つことに努めること――これが、映画への”こころざし"と"おもい"を持つものへの課題だろう。監督はもちろんその中のひとりである。

三、監督の仕事は、この意志と力を持つところからはじまる。ない者は、この仕事から去るほかない。
 大作路線・プログラム・ピクチャーの減少、をはじめ、いまいろいろ出て来ている現象的事態にまどわされない強く大きな目をもって、具体的にひとつひとつの仕事を大切にやり通してゆくこと――。監督の仕事が職業として成立たなくなってきているということに耐えて、やれるだけやることやらないより、やった方がいいのだ。現状を見据え、居直って、進むほかに、道はないのだから――。

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