不二恭介


●西部戦線異状あり


 老教師カントレックの煽動的な熱意あふるる教壇からの演説に、愛国の名に目覚めた17才の若い生命が、第一次大戦の華と散ってゆく――といえば、まったく戦争讃歌になる。事実は,大戦の犠牲となって毎日毎たくさんの戦士が死んで行くのである。
 タイトルの言葉のごとく,当時、人間が武器だったという、近代戦の序幕は,いかにも悲惨そのものだった。にもかかわらず,なぜ,「西部戦線異状なし」(allquiet)なのか?
 戦争という極限状態では人間は兵器以下である。「異状なし」というゆえんである。すなわち,戦争非情をスクリーンの中でみつめてきた終了5分前に,われわれは,レマルクの痛烈な批判を見出す。この映画を支えてきたボール少年兵に,また彼が人として生まれて来て,生涯最大の異状のあった日に司令部の受けた報告は本日も西部戦線異状なし......であったからである。
 そしてより不幸なことは,数日後に戦争の終わったことであった。

●大本営発表・・・・


 第二次大戦中、日本には「大本営発表」というのがあった。事実は,何人何百人もが戦死し,撃遂、沈没させられ,そして敵の被害が僅少であっても、大本営の発表は,「敵××に甚大なる被害を与えた......。吾が方の損害若干のみ...。であった。
 神風日本は強い,と喜々としたのも今は愚かしい。この「大本営発表」は「異状なし」という報告と同様,たいへんな戦争責任者であり、戦争で死んだ夫,息子,兄の死刑執行人でもあった。

●戦斗的な非戦争参加者


 カントレック先生に,起つのは今だ,とかき立てられて、戦場へ戦場へと志願した少年たちを待っていたのは,発狂せんばかりに追いつめられた第一線であった。先生の言葉に煽動と情熱はあっても責任はない。大衆が、この矛盾を見つけることが,重要なことだった。しかし言うは易く行なうは難しということでさえも、現実に遭って見なければ,理解できることではない。結果的に平凡な市民が,無垢な少年が、戦争の熾烈さや自国の現在置を知るためのリトマス紙になったゆえんである。
 地図を開いて机上プランを立て、御国の老人は,パリへ進攻せよと口角泡をとばし、先生は,教壇で死へとそそのかす―すべて戦場のさなかの兵士には無関係である。
 戦う人と戦わぬ者,現場と非現場,この救いのない矛盾が,戦争を拡大させる原因であった。

●ポールの体験


 愛国心なんか持つまい。毎日毎日死におののいている。これが君たちに話せるただ一つの体験ですー
 死の直前ポール少年が,1羽の蝶と戯むれるシーンが、人間味あふれて悲しい。

かねこかずひろ


 1930年度のアカデミー作品賞と監督賞を獲得した映画だといっても、驚く人は少ないかも知れない。だが、当時のアカデミー賞は、今のようにたくさんの部門に分かれていなかったので、いわばアカデミー賞を独占したようなものだといえば,なるほどこりゃ凄いと思うだろう。
 それほどの名作でありながら,50才以下の人で、この映画を見た人はほとんどいない。リバイバル・ブームのお蔭で、往年の名作がつぎつぎと再上映されてきたが,この「西部戦線異状なし」は昭和5年に,邦楽座,浅草電気館,新宿武蔵野館の三館で、同時公開されて以来、今日まで遂に陽の目を見ずに,幻の名画として多くの人の口に語り伝えられてきた。
 昭和5年ごろの日本は、軍部の勢力が次第に強まってきたとき。反戦思想の強いこの映画が無条件で公開できるような社会状勢ではなかった。3分の1ちかいカット。その上,憲兵まで立ち会っての公開。近ごろの映倫どころの話じゃない。「問題の雄篇遂に通過、今や満帆,風を孕んで公開の日近し世界を震駭せる名作は,トオキイ機構の完璧と製作意識の適確とによつて映画化の偉業茲に成る」。
 昭和5年10月のキネマ旬報の紹介記事である。「問題の雄遂に通過...風を孕んで公開の日近し」とい表現のなかにも、当時の社会状勢がうかがわれる。
 この映画は,ダイアローグ,サウンド,サイレント三種提供であったが,当時の日本では,トオキイの機核がまだ普及していなかったので、活動弁士の語りで映写された。
 その後,満州事変、支那事変、第二次世界大戦と,戦争の泥沼に足をつっ込んでいった日本。その間にも、この幻の名画はいろいろな話題を海の向うから伝えてきた。
 すなわち、この映画で主人公のポール・バウマーを演じたルウエヤーズ(1908~ミシガン州ミネアポリス生まれ)が,この映画出演が契機となって,反戦思想の持ち主となり,第二次大戦に当たって兵役を拒否し,一部ジャーナリズムで問題になったことなどである。
 おそらく日本でも、この映画の影響で戦争に懐疑的になった人がいたであろう。
 これほど強い反響をもたらしたこの映画も、製作過程での苦心はそれほど知られていない。
 製作者のレムレエと監督のマイルストンは主要な撮影と編集を終えても,なお映画の終末に不満を感じ、「最後の笑い」などで有名なカメラマン,カール・フレウンドと食事をしながら、このことについて議論した果てに,フレウンドが現在有名なチョウと伸ばした手を含む最後の場面の助言をしたといわれている。
 つぎの日,マイルストンは自分の手を使って、チョウをつかもうとする場面を撮影し、この場面カットを最終プリントに入れて最初の試写に持っていたのである。
 近ごろ封切られた戦争映画では、アクションの面白さをねらった「大脱走」スペクタクルの要素が濃い「史上最大の作戦」など,それなりに若い観客を楽しませた。
 だが、同じ観客がこの映画を見て、どんな反応を出すか?この映画に取りあげられた現実を、単なる過去の幻と感じるか、身近かな問題と感じるか、わたしは非常に興味を持っている。

佐藤忠男

リバイバルの意義


 名作のリバイバル公開は一昨年あたりからの流行だが、せいぜい10年前ぐらいの大ヒット作の再上映あたりが常識で、今回の「西部戦線異状なし」のように、1930年作品,つまり35年も前の作品が一般の映画館で上映されるのは全く異例のことである。この映画で主役の少年兵を演じているリュー・エャーズは、最近ではオットー・プレミンジャー監督の「野望の系列」や、エドワード・ドミトリク監督の「大いなる野望」などの大作で、老練な脇役としてつつましい洗い演技を見せているが,前者では副大統領、後者では大会社の顧問弁護士といった,もはや初老の役どころである。これほどさように,この作品は古い昔に作られたものである。
 が、しかし、見ていて,古さの良さは感じたが、古さの古臭さは感じることがなかった。35年の時間をこえて、今日の私の心にもストレートにとびこんでくる力強い誠実な作品であった。
 いっしょに見た淀川長治さんが、はじめて見たときには、あの大砲の音やなんかにびっくりしたものです。と、おっしゃった。そう言われれば,これは正にトーキーの草割期に作られたものであり、監督のルイスマイルストンにとっても、これはトーキー第1作なのである。今日のわれわれは,第2次世界大戦を題材にした戦争映画のすごいのをすでにたくさん見ているから、大砲や機関銃の音の量それ自体には、もはやそれほど驚きはしない。しかし、この映画に録音されている砲弾の響きは、やたらと華々しくショッキングな今日の戦争映画の音響効果とはまた違った,一種,息も絶え絶えといったかすれた断続性があり、それは案外、当時の録音技術の未発達さのせいかも知れないのだが、それが実に荒涼として魂も凍るようなさむざむした印象を伝えてくるのである。今日の戦争映画もっ戦争の悲惨さは良く描いている。しかし一面、戦争を華麗なショーのように恰好よく描き出すような傾向もないではない。「西部戦線異状なし」には、そういう恰好のいい戦争はなく,ぶざまでみじめったらしく、それに巻き込まれた人間の心を枯れさせてしまうような戦争の無残さ─肉体的な無残さだけでなく精神的な無残さを良くとらえている。そしてそれが,今日のより大規模にショー化した戦争映画を見なれた眼にも、実に意外なほどに生新な一途な訴えとなって感じとられるのである。

原作者:レマルク


 原作者のエリッヒマリアレマルクは,1898年にドイツのオスナブリュックの製本屋の子として生れ、17才で第1次大戦に志願兵として参加、西部戦線で戦った。復員後は教員やジャーナリストとして生活したが、戦後ほぼ10年たった1928年にこの小説を書き、世界的なベストセラーとなった。バカげた観念的な愛国主義の大人たちに煽動されて第一線に行った少年兵たちの体験した戦争の愚劣さをいやというほど書いたものである。その後、彼は、ナチスの台頭によってドイツには居られなくなり,アメリカに亡命して、第2次大戦後は、これもベストセラーとなった反ナチ小説の「凱旋門」や「愛する時と死する時」などを書いた。前者は「西部戦線異状なし」と同じくルイスマイルストン監督により、後者はダグラス・サーク監督によって映画化され,いずれも大作で,映画として一応の水準に達した作品ではあったが,通俗的な向がかっていて特にすぐれたものではなかった。レマルクの名は、やはり「西部戦線異状なし」の一作で残るものであろう。そこには作者の青春の痛恨があますところなくつぎこまれてしまったのであろう。

演出法・古さの良さ


 映画の最初の場面は、前線に向う軍隊を見送る群衆の歓呼を見せ、カメラをバックさせると、高校の教室で老教師が生徒に軍隊へ志願せよと熱弁をふるっている情景になる。窓外の歓呼と教室内の愛国的熱狂とを同一の画面内で一気に見せる演出は壮大で、作品のテーマを端的に示している。一場面の中で、言いたいことをぎゅうーと圧縮して示すこうした演出法は最近は流行らないが、これは古さの良さである。
 この場面での教師と生徒の熱狂は,後半,主人公のボールが負傷して病院に入ったあと、休暇を得て故郷に帰り、母校へ行ってみると,あいもかわらず老教師は子どものような生徒たちに従軍熱をあおっており,ボールはすっかり憤りを感じる,という場面と対応し合っている。
 戦前に輸入されたときには、この後半の再訪の場面は検閲でカットされていたので、最初の愛国的熱狂の場面しかなく、老教師の偏狭な愛国心が、けっこう素朴なまごころの発露みたいにも感じられたものだそうである。この再訪の場面の前後で、ボールは故郷の町の人々が相も変らず景気のいい勝った勝ったの戦争談議にうつつをぬかしているのにすっかり幻滅を感じる数場面がある。余談になるが、のち、ナチス時代に作られたカールリッター監督のドイツの戦意昂揚映画「誓いの休暇」で、やはり第1次世界大戦当時のドイツの兵士が、休暇で故郷の町に帰る場面があり、そこでは、故郷の人たちが反戦的な議論を盛んにや っているのに主人公の兵士が腹をたてることになっている。同じシチュエーションを扱っても、作る者の立場でまるで逆のことが描かれる興味ぶかい例である。
 主人公たちが前線に送られる最初の場面で、画面の手を送列車がのんびり走っていて、まだここは安全な兵站基地。みたいな感じなのに、画面の奥の方へ行軍してゆく隊列の中で突然爆弾が破裂して、たちまち修場になる。この場面も、最初のシーンと同じく奥行きが深く。同一場面内に表現したいことをぎっしり詰めこんだ演出の好例である。景気のいい場面に,いきなりぐわーんと戦争の酷さ、みっともなさをつづける。こういうある意味では素朴な作劇術が、ここでは非常に直観で率直な良さとして効力を発揮する。

秀逸なルイ・ウォルハイム


 第一線に出た志願兵たちは,老練な古参兵のカチンスキーから指導を受ける。これを演じるルイ・ウォルハイムが実にうまい役者で豚肉を丸々一匹ぶん貨車から盗んできて新兵たちにわけてやるあたりひょうひょうたるユーモアがただよって,後半にある村の女たちと兵士たちとのささやかなロマンスとともに、この悲惨な戦争映画の中で僅かな救いとなっている。
 同じ部隊のボールの学友たちは、戦死したり,発狂したりして次々に死んでゆく。第1次世界大戦の戦闘における特質は,長い長い塹壕と鉄条網とで荒野に向い合った敵味方が,大砲,手榴弾,小銃,そして肉弾戦による一進一退を果てしなく繰り返していたことで題名の「西部戦線異状なし」というのは、兵はどんどん死んでゆくのに、戦線が膠着状態であれば"西部戦線異状なし”と報告されるという、悲惨な皮肉を含んだものである。
 ある塹壕戦のとき,ポールは一人のフランス兵を夢中になって剣で刺し,そのフランス兵が息もただになって死ぬまで,一夜、敵味方の中間の塹壕でうめき続けているそのフランス兵と二人きりで過す。そして,そのフランス兵が死んでしまったあと、殺そうと思わなかったのだ。と,死体にとりすがって叫ぶ。

ノーマンス・ランド


 塹壕と塹壕の間の地帯を、当時、ノーマンスランド(無人地帯)と呼んだ。その言葉はただ実際に人がいないということを示すだけでなく、人間性そのものが失なわれる地帯,といった荒涼たる響きをもっている。その言葉の響きを、この映画は実に誠実に刻みあげているし、そこから,人間はこうであってはならないのだ、という声を切々とほとばしり出させている。この映画のスタイルの古さは、むしろ、人間性回復の主張を率直に露させるのに役立ってさえいる,と感じられるのである。

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