「映画を作りながら考えたこと」(東京vol.6 1988年12月)


 実は私は反戦のメッセージを伝えようということでこの映画を作ったわけではないのです。
 この映画を作ることに決まったとき、原作を読んでいる人から、なぜこんな話をアニメーションでするのか、とよく聞かれました。暗すぎる、観たくない、という反応が出るのではないかというのです。 私はもちろん、その問いにうまく答えられませんでしたし、出来上がりを見てもらった時、やはり同じというが出るようだと映画作りに失敗したことになりますから、製作中もずっとどう受け止めて貰えるかが気がかりでした。 しかしただ一つ、私は、この物語が若い人々にはよくわかってもらえると確信していたのです。それは、この物語の主人公、清太の生き方に今の若い人が共感できるはずだと思ったからです。
 十四歳の清太は、人付き合いの辛さに絶えることが出来ず、そこから外れて結局妹を死なせ、自分も死んでしまいます。わたしよりも上の世代、戦時中も滅私奉公させられ、頑張って耐え、戦後の行動成長期にも頑張り、 「頑張る」ことこそ人の道だと思っている世代は、この『火垂るの墓』の原作が世に出たとき、その哀切さには打たれても、どこか反発する気持ちもあったのではないかと思います。
 例えば、結果的に主人公の兄妹を追い出すことになる親戚のおばさんを見て、今の若い人は「ひどい」と思うだろうし、清太があの家を飛び出す気持ちに全面的に共感するはずです。 しかし当時の状態を経験した人は、あの程度のいやみは特別の事でもなんでもなく、ひどい「いじめ」といえるかどうかさえ怪しいことを知っています。 あのおばさんは利己主義ですが、それは多くの人がそうだったわけです。だから清太はもっと耐え忍ぶべきだったのではないか、わがまますぎたのではないか、と思う人がいて当然なのです。
 若い世代は違います。「人間、辛抱だ」と言うのは大嫌いで、人間関係のしがらみや争いはできるだけ避けようとします。個室を与えられ、ウォークマンやファミコンなどの一人遊びがあふれていて、人付き合いなしでやって行けそうに思えるのです。 パチンコという一人遊びの代表が今も廃れないのに麻雀は下火だと聞きます。 だから、若い人たちは拘りなく清太の気持ちがよくわかるのでないか、清太と同じ状況に立ち至ったら、隣組や意地の悪いおばさんから逃げ出して、やはり清太のように生きたいのではないか―― ただし清太と今の若い世代の違いはおさんどんや煮炊きができない事ですが(笑)。 しかし清太は結局死ななければならない。頼みのお金に価値はなく、ましてコンビニエンスストアもない。そこから戦争と人の心、そして人々のつながりを考える糸口のようなものを、若い人たちに見出してもらえるのではないか、そう考えたんです。
 これが私が『火垂るの墓』を作りたいと思った大きな理由の一つです。それからもう一つ、『みじかくも美しく燃え』なんていう題の映画がありましたが、清太と節子はまさに蛍のように一瞬輝いて燃え尽きる、そういう一生を送ります。 物語としてこの完結性にひかれました。この簡潔な強さを支えにして、アニメーションの新しい表現を開拓できないか――ただ現実にはスケジュールそのほかのためにできませんでしたが――これらがこの物語を映画にしたかった理由で、 いわゆる「反戦」ではなかったのです。
 私は「反戦」アニメーションはひどくむつかしいと考えていたし、今もそう思っています。空襲や原爆投下でもたらされる戦争の悲惨を感情的にドラマ化するだけでは現代の状況となかなか切り結ばない。 むしろ知的に冷静に、ドキュメント的に過去の戦争がなぜ起きたのか、将来あるかもしれない戦争をどう防ぐのかを考えて行けるものにしなければならないと思うのです。 もちろん戦争中に日本が他国に対して何をしたのかも含めて戦争の悲惨ということを考えなければいけない。とすれば、もうお手上げにならざるを得ません。だから、私は「反戦映画」などという難しいものは到底作れないと思っていました。 しかし『火垂るの墓』を見て、圧倒的多数の方々がその中に反戦のメッセージを読み取ってくださったようなのです。
 小学生からは、戦争は怖い、主人公の兄妹が可哀想、その死に強い印象を受けた、戦争は悲惨だ、絶対にしてはいけないなど、単純だが素直な反響が全国的にありました。最前列で観ていた中学生の男の子たちが声をあげて泣いていた。 見てきた子供が父親にヴィデオを借りてもらって一緒に見ながら解説をするのだけど途中から涙ぐんで黙ってしまった。など、大人も子供泣いた人が非常に多い、そして反戦映画だと受け止めておられるのです。 私はあらためて、それはそれで当然なのだ、と反省させられたわけです。
 予想外だったことは、私より上の世代にも先ほど言いましたような拒否反応的なものがほとんどなかった事と、 逆に私が最も共感を示して欲しいと思っていた高校生から20代にかけての人の中に、重苦しい、暗い、観たくない、あるいは涙も出ない、という人々がかなりいた事です。 しかし、これもまた当然と言えば当然かもしれません。老境に入りかけた上の世代にとって、あの戦争は胸に迫る「想い出」に違いありません。 また、「むかつく」と言う言葉が示すように、快不快で物事を感覚的に判断しがちな若い人々は、たとえ清太の心情が自分とあるところまで似ていたとしても、それはかえって不愉快な気持ちを起こさせられることになる場合もあると思います。 むしろ自分とは程遠い大ヒーローに感情移入して、気持ちよく映画館を出てきたのでしょう。
 この映画には清太の幽霊らしきものが登場して、自分たち自身を見つめたり、こちらを見つめたりします。実は今、私たちは先だった人たちに見つめられているのだ、という日本人の昔からの感覚を持つことが必要ではないかと考えているのです。
 日本の幽霊は、心残りや、し残した事があって現世への想いが経ちきれなくて現れるものらしいです。 でも、そう言ういわゆる幽霊でなくても、無宗教の人が「亡くなったお父様がきっと天国から見守ってくださっている」とか、「そんなことをしたら死んだお祖母ちゃんがさぞやお嘆きになるだろう」とか、平気で言います。 神に対してではなくて、他人の目をいちばん気にして行動する日本人の恥の思想も、どうやら生きている他人だけではないようなのです。 死んだ人たちも、実は極楽の様な遠くへ行ってしまったのではなくて、このあたりにいて、生きている私たちを見ているのだ、と日本人は感じてきたのではないでしょうか。 「安らかに眠ってください。あやまちは繰り返しませぬから」という広島の原爆碑も、決して眠ることの出来ない死者たちが私たちを見つめている、そういう意識が潜在的にあって描かれた言葉だと思うのです。 戦後これからどうしていくんだ、戦後40年経ってこれからどうするつもりなんだと問いかけられている、見つめられているという意識を持つことが、いま改めて必要になっていると思いまし、そんなことも考えて、二人の幽霊を出しました。


 私たちの作った『柳川掘割物語』には、清太が抜け出したがったような人間関係、人と人の、そして水と人の「わずわしい付き合い」というものが描かれています。 この映画は、柳川という小都市で汚れ切った掘割のかなりの部分を埋めてしまう計画がたてられたときに、一人の勇気ある係長が出てきて、市に計画を撤回させ、市民を説得して 行政住民一体の水路復活再生事業を成功させた、そして、今も町内会ぐるみの定期清掃を続けている、という話が中心になっています。幸い多くの方が見て下さって、柳川で起きた出来事に感心し、又励まされたと言っておられます。 しかし、少数ですが、この「行政と住民の連帯」を古い体質だと言って批判する人もいます。
 確かに、市役所という「お上」のいうことだから住民が従った側面もあるかもしれないし、 町内会ぐるみで協力しようという時に、いやだけど言い出せなかったと言う人もいたでしょう、しかしその古い体質が良い方向に他の地域では出来なかったことを成し遂げる原動力の一部になったことは紛れもない事実です。 これは考えてみる必要のあることだと思います。古い体質を壊すことによって得た者も多かった一方、失ったものも大きかったことをいまみんなが気づき始めています。 戦後ずっと、近代的自我の確立とか、この確率の上に立った連隊・団結の必要が言われてきました。しかし戦争責任の追及を始め、おおもとの所で古い体質が温存されたまま、 結局利己主義・拝金主義と事大主義・権威依存の両極がのさばっています。 リクルート問題や天皇騒ぎや環境のひどさを見るにつけ、私たちが真新しい教科書で習った民主主義は一体どこへ行ったのだ、40年を経て全然根付くことがなかったのか、と絶望に駆られます。 真の民主主義が育たなかった焦りかもしれませんが、柳川の経験から、自我の確立が先で、団結はその後というのでは間に合わない気がするのです。
 誤解しないでいただきたいのは、最近また日本が威張り始めて、天皇制とかの根源的な古い体質を讃える日本人論が流行していますが、それはもちろん危険極まりない事で、わたしの言いたいこととは違います。 戦争中の隣組が良かったというのは絶対間違いです、しかし隣組を作れた能力を地方自治に生かすことも出来るのではないかと思うのです。


 個人主義ということでは、むしろ最近の日本人はヨーロッパ以上に欲望を抑えられなくなっているのではないか。原発問題だって、ますます大きくなる需要を満たせば電力が必要だから反対できない、 消費増が欲望を刺激企業の作戦だと分かっていても人々はそれに負けてしまうだろうから、という人々がいます。 しかし戦争中の灯火管制だって、「お上」の強制だけでなく、隣も我慢するのなら内も、といういかにも日本的な平等主義が羽田らして協力した面もあると思います。 いじましいかもしれませんが、この気持ちのおかげで「我慢」がしやすくなった事は確かでしょう。例が悪いですが、隣が我慢するからうちもという考え方を絶対悪とは言い切れない気がするのです。 いずれ全世界でエネルギー消費を無限に増やせば利休の資源が持たなくなるのですから、日本も我慢しなくてはならないことになるはずです。 要するに、今の民主主義の危機をのりこえ、日本に相応しい民主主義を確立しようと言うとき、少数意見の尊重という重要課題を一方に起きながら、大局的なこういう知恵もまた生かせないだろうかと考えてしまうのです。


 今、地縁から社縁の時代へ移ったとよく言われます。しかし自然があたえてくれる恵みの中で出来るだけ効率よく省エネをやって行こうと考えたとき、煩わしかろうが何だろうが、地縁を見直すしかないのでしょうか。 東京中心主義という成り行きは変えられないから無制限に地下開発を進めるとか、新幹線通勤をすると言うような、エネルギー消費型の社会形成は必ず息詰まると思います。 東京は古市園が嫌で出てきた人が多いけれど、自分の住む知己の問題を解決するために、新しい遅延を作ることが絶対に必要になると思うのです。 特に21世紀を背負う若い世代の人に、成り行きは変えられない煩わしい人間関係はイヤだなんて言っていないで、ぜひ考えてもらいたいところです。


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