正月作品は、十二月九日の日比谷映画の「バラキ」を筆頭に続々と登場してくるわけだ。 外国映画新作対リバイバル
一応封切順に検討しよう。
「バラキ」は"アフター・ゴッドファーザーといわれる作品で、作品内容は十一月下旬号で特集研究されているので、すでぶ御存知のことと思う。
マフィア・ブームといわれる現在の日本にあって、「ゴッドファーザー」との対比でかなり浸透してきたことは強味だ。実録映画でアクション大作とはいささか異っているが、まあ正月作品の中での浸透度からいって一応本命といえるだろう。
「アフター・ゴッドファーザー『ゴッドファーザー』はこの作品の偉大なる予告編の役割りをはたしてくれた」などというキャッチフレーズで初期段階の宣伝が展開されたわけだが、これはアイ・キャッチとして重要なポイントであり、話題としてもジャーナリスティックであることから、かなりのスピード宣伝が進行した。
宣伝アニマルといわれたヘラルドの宣伝部が誇大にこのキャッチフレーズを考え出したといわれるが、もし本当にこのキャッチフレーズをオリジナルでヘラルド宣伝部が作り上げたものならこんな素晴らしいことはないと思うし、さすがにヘラルドだと感心したいところなのだが、このことばは全世界の宣伝キャンペーンに使われており、テレンス・ヤング監督がメッセージとして語ったというのが真実の話なのだ。 製作者と監督の話題づくり
この「バラキ」をここまで位置づけしたのは、製作者のディノ・デ・ラウンティスの絶対にヒットさせる、という態度とともに、テレンス・ヤングのジャーナリスティックな話題づくりにあったといえるだろう。
「ゴッドファーザー」が予想以上の狂気の配収が記録されるが、その第二弾として、つまり柳の下に二匹目のドジョウがいることはほぼ確実で、かなりの高配収が見込めるだろう。といっても「ゴッドファーザー」と同じように二十億円なんてとても考えられないが、まあ常識的な考え方としては五~六億円というところだろう。
「ゴッドファーザー」の時にもいったように映画の予想は、作品が社会現象になってしまった時にかなり大きく狂うことがあるが、まあこの「バラキ」についてはそう大きく狂うことはなさそうだ。
日比谷映画としても十二~三週で興収二億円というところが妥当な線だろう。
「バラキ」は、ピーター・マーズ著「ヴァラキ・ペーパーズ」(邦訳名「マフィア」)の映画化である。ジョゼフ・ヴァラキは、いわゆるマフィアあるいはコーザ・ノストラと呼ばれる組織についてはじめて告白した内部の人間だそうで、これは画期的なできごとであったらしい。
スティーヴン・ジェラーが脚色した映画は、だいたい原作にそって、ジョゼフ・ヴァラキという人間を中心に、コーザ・ノストラの事件史をつづって見せる。実際にあったことの映画化らしく事件のおこった日時をタイトルで出したりしているが、しかし、テレンス・ヤングの演出は、実話の再現”といったタッチではなく、より��劇映画"的だ。つまり、ギャング映画ふうのものになっている。
一九六二年六月二十二日、ジゼフ・ヴァラキ(チャールズ・ブロンソン)は、麻薬密貿易の罪で服役中のジョージア州アトランタの刑務所内で、通りかかった囚人を鉄パイプで殴打し、殺害した。当時、ヴァラキは、自分の命が狙われていることを感じていて、見知らぬ囚人を組織の殺し屋と誤認して鉄パイプで先制攻撃をかけたのであった。シャワー室でナイフをもった男二人に襲われたこともあった。このシャワー室の事件では、ヴァラキは脇腹に三十八針も縫う傷を負わされたらしいが、それは映画でははぶかれている。
組織のボスのヴィート・ジェノヴェーゼ(リノ・ヴァンチュラ)も服役中だったが、自分が消されるいわれがないことを彼に釈明しようとしたヴァラキは、逆にジェノヴェーゼから死の接吻"をうける。そして、そのことが、ヴァラキの告白の決定的な動機となる。
貧しいイタリア移民の子としてニューヨークに生まれたヴァラキは、不良の泥棒グループの運転手役を勤め、やがて、刑務麺所でトニー・ベンダーとギャプリと仇名される男(ワルテル・キアーリ)の二人に出会ったのがきっかけとなって、サルヴァトーレ・マランツァーノ(ジョゼフ・ワイズマン)の一家に加えられるようになる。
見どころは、その後はじまるカステラマレーゼ戦争の殺し合いや、またヴァラキが正式にコーザ・ノストラの一員となるときの儀式などということになろうか。マランツァーノの保配によって、ヴァラキは、一家の幹部のガエタノ・レイナと、たがいに針で指先を突いて血を出して、それをまぜあわせ、さらに手のひらのなかで紙を燃やす。これは、沈黙を約束するオメルタの誓い”というものだそうだが、結果としては、ヴァラキはその誓いを破ったことになるわけだ。
原作にないのは、マランツァーノが読書家でシーザーを尊敬しているという挿話だ。脚色者は、ここで、腹心トニー・ベンダーに裏切られて殺されるマランツァーノの運命を暗示して見せたかったのかも知れない。が、"人"がたくさんある映画なのだから、マランツァーノに関してだけそういう挿話でいろどるのは、ちょっと話が横道にそれたという感じがしないでもない。
ヴァラキが、ジェノヴェーゼをなかに立ててレイナの娘マリア(ジル・アイアランド)に求婚する場面は、ヴァラキの粗野で朴訥な感じがユーモラスに描かれている。
全体的に見ると、原作によるコーザ・ノストラの内部の事件を一応もれなく描こうとしたせいか、ヴァラキ自身に関する描写はかなり少なくなっている。ヴァラキは、ナンバース賭博、スロット・マシーン、暴力金融、洋服縫製、競馬など、いろいろな金儲けに手を出していたらしいが、映画では、レストランを経営するだけになっているといったぐあいだ。センセーショナルな事件を中心に物語をつくっていくと、どうしてもそういう細部が削られ、結果としては、ギャング映画ふうになってしまうようだ。
なお、この映画では、ヴァラキ今は、ヴァラチと発音されている。(原題VALACHI日本へラルド配給) 品田雄吉戻る