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どうしたんですか!その足は。 見沢 ちょっと転倒しちゃって。やけに痛いと思ったら骨折と靱帯損傷という大怪我だったんですよ(苦笑)
新作「蒼白の馬上」の出版を妨害する何者かが、襲ってきたんじゃないでしょうね見沢 あはは。そうかもしれない。
ところで、執筆はどのくらいまで進んでいるんですか見沢 ラッシュという感じでは9割ぐらいですね。いま、これを整理しています。何しろ冒頭の候補だけでも、20〜30バージョンぐらいあってちょっと収拾がつかなくなって・・・
小説の出版は「調律の帝国」以来3年ぶりですね。見沢 そうなんですよ。出所していきなり色々とやりすぎて、2年半前に立教大の講演中に倒れてから、獄中生活の後遺症が一気に出て。 抗精神薬の反動とか、運動をしなかったために弱った筋肉や骨などで、こんなことになったりと、ここのところ、入退院を繰り返していましたから。 したり、健康状態があまりよくなかった。父の急死ということもありましたし・・・。 父とは思春期からずっと不仲で、というよりも憎んですらいたんですが、指名手配で逃げ回っていた時に和解して。10年ぶりであって、匿ってもらいました。 出所した時も、とても喜んでくれましたし、晩年はとてもいい関係だったんですが、その父が亡くなった。それから小説がかけていなかったんですね。
ガロの連載は、最初は時事的なエッセイ「世紀末の風景」でしたね。それが日本の現在を語るうちに、突然小説になだれ込んで言って「さあれ、神は死んだ!」になった。 これが今回の「蒼白の馬上」の原型となるわけですが、日本の現状について考察するうちに、書かざるを得ない内的な高まりが生じたという事でしょうか。見沢 1つはそういう流れもありました。特に、例のセブンティーンたちの殺人が相次いで起きて、それはかなりの刺激になりました。というのも、その行為について語る世間や各専門家も、あの殺人について全く説明できず コメントの最後の駆け込み寺となった精神病理学者も、実は臨床例がなくて全く分からず、判事が精神鑑定の内容に怒っちゃったりして、その上それを伝えるマスコミはさらにめちゃくちゃで「行為に障害がある」とか「偏食の所為」って。 でも私にはやたらに判るんですね、彼らが、以前、私のところにも17歳のテロリスト志願者が弟子入りしたいと言ってきたことがありました、彼を半年ぐらい観察していて、我々の頃とは根底に彫り込まれているものがまるで違うな それに、考えてみると、私が入っていた刑務所では、受刑者の9割が殺人犯ですから、廻り中が、過去に殺人を犯したのが当たり前という世界だったんですね、そういうサンプルはイヤという程見てきている。
なるほど見沢 もう一つは高見広春の「バトルロワイヤル」が若い人に読まれている事です。私は読みながら、こんなことで人が死ぬかよと、その描写に疑問を感じたりしたんだけど、若い人たちは受け止め方がまるで違うんですね、私が見て 大げさで滑稽に見えることが、若い人たちにとっては別の方向でとんでもなくリアルなんだと知った衝撃も、久しぶりに長編を書こうと思った動機の一つです。
今回のモチーフは、単なる殺人ではなくて粛清ですね。粛清というのは、殺人の中でもかなり特殊なものだと思います、しかし、過激な闘争を極めた政治組織にとっては、必然的なものでもある。 それを正面からとらえるというのは大胆な試みだと思います。見沢 ドストエフスキー、上谷雄隆、高橋和巳。これまでいろいろな作家が粛清について描いてきた、描こうとしてきた。そのうえ70年代以降は、思想、政治はダサいという文学状況ですし、文学賞を受賞するのも 沖縄や在日や精神疾患など扱うテーマが決まっている。誰も政治を描かなくなってしまった、しかし、政治はやはり続いてきたんです。私自身、最悪な時代の政治運動の中を生きてきた。街頭演説をしてもだれ一人振り返らないし ビラも受け取らない。だから、逆に、少数精鋭の武器政治結社として、非常に厳しい戒律の中に身を置いたのかもしれません。
粛清というのは、思想という抽象的なモノに待って、人が人を殺してしまう、確かに今この問題をリアリティをもって描けるのは、日本では見沢さんただ一人しかいない、 今回のテーマは、見沢さんこそが描くべきものだったと思います。見沢 うーん。たとえば連合赤軍のイメージと言うと、みんなくらいじめじめしているというんです。それじゃあ新選組はどうなのかと言うと、男の美学潔いだのときれいなイメージで語られるけど、やっていることは同じなんですよ。 そういう意味では、今の人たちが刷り込まれているまがい物や嘘を解いてやらなくちゃ、という義務感があります。むろん、私自身がやったことに関して、弁解したり、開き直るつもりはありませんが・・・。
今回の小説では、主人公を女性にしていますね。性別以外のキャラクターは、見沢自身とかなり重なるんですが、女性にした理由は何ですか?見沢 余りにも自分を投影してしまうとつまらないですし、細部に拘り過ぎてしまいがちになるので、それを避けたかった。 もう一つは、重信房子や永田洋子のように、日本では女性の活動家の方がカリスマ的、あるいまシャーマン的な凄い力を発揮するんですよね。 ですから、小説では女性の方が面白く動かせるんではないかと考えました。
現在の粛清というのは、殺さなきゃ、殺されるという、緊張した関係の中で起こるものですか。見沢 そりゃあ、むろん、それまで仲間だった人間を一時的な感情でいきなり殺すことはできませんよ、粛清の前には必ずスパイ問題がある。疑惑が持ち上がり、スパイ探しが始まり、特定し、査問に掛ける。 この一連の流れは、心理的にも非常にきついし苦しい、しかし、査問の結果の粛清は、むしろ淡々と行われる。査問までの過程であまりにもピリピリしていたがために、突き抜けてしまうんでしょうね。 スパイの容疑者が一人ならともかく、3人もいると文字通りの疑心暗鬼で、誰も信じられなくなる。
社会変革を志す政治組織である限り、査問は不可避のモノですか。見沢 そうかもしれませんね。だからこそ殺人を粛清と言い換えたり、総括と言い換えたり、でも、だからと言って、しょうがないと言っていいものではない、もちろん、いやなものですよ。 例えばマルクス主義の場合は、彼らに世界観があるから、それによって世界のすべてが見えてしまう、見えてしまうことによって、殺人すらも楽に思えてしまう、ただ、組織とスパイという問題を考えると、査問=粛清という一連の流れを完全には 否定できない所もあるんです。
ガロでの連載中は、過去の様々な小説な論文が引用され、それをあたかもサンプリング安堵リミックスするように物語が進行するダイナミズムがありました。それは意図的なものですか見沢 ときどき、天皇ごっこはポストモダンを挑発しているんだと言われるんです。今回も、ポストモダン的にポストモダンを潰してやれ、という気持ちはありました。それと、3年ぶりの長編小説という事もあって、なかなか自分のリズムがつかめなくて笑 小説というのは、書いていてなかなか辛いものですが、同時に、とても癒しになるんです。ただ、連載では引用が多かったんですが、単行本版ではかなり整理されると思います。
タイトルの「蒼白の馬上」はサヴィンコフ=ロープシンの「蒼ざめた馬」からとられているわけで、そこには、あの馬上から世の中を見ると、もうこんなになっているぜ、というメッセージがくみ取れるんですが見沢 また、何回か「蒼ざめた馬」を読み直して観たんですが、ヨーロッパは二つの革命に失敗したと言っている部分があるんですね、1つは自由主義、もう一つは社会主義、つまりロシア革命禅に、社会主義も失敗しているとロープ審は言っている。 我々には建設はできない、建設は後の頭の良い若い世代だけがなし得ることで、我々にできるのは遺物である歴史の残骸をテロルによって生産することだと、すごいなあ、こんなことを描いている、と思いました。「 レーニンもスターリンも本気で恐れたというのは、なるほどと思いました。
その意味では、今回の「蒼白の馬上」は見沢さんが20世紀の歴史を串刺しにする、組織とテロルの問題、個人と殺人の問題を大胆にも総括してしまう小説になるのではないかと期待するのですが。見沢 そうですね、そうなればいい。しかし、小説というのは、緻密に構成を考えたつもりでも、書いている内に思ってもいない方向に向かうものですし、書きあがってみない事には、何とも言えません。
発表を楽しみにしています。見沢 ありがとうございます