どのような意図で企画されたのですか。

落合: いってみれば、「毎日お祭りだったり、お正月だったらいいな」という共通の願望があったはずです。楽しいことは、いつまでも終わりたくないですよね。でも私たちというのは、余計な知恵がついちゃって、「楽しいことは、瞬間のことで、いつまでも続くもんじゃないさ」などと、わかりきったようにしてしまっている部分があります。その部分で、ラムというキャラクターはひじょうに素直で、「きょう楽しいことは、あしたも楽しむんだっちゃ」と言える女の子でしょう。毎日が楽しければ、その毎日が永遠であって欲しいと、素直に願う少女なんです。そういう素直なラムが、素直に願った世界を実現してしまおう、という発想なんです。

---そのラムが素直に願った世界というのは、具体的にどんな世界なのですか。

落合: 日常性の中にみんながいるわけですよね。友引高校があって、あたるの家があって、生活す舞台がそれぞれあります。その日常性の中でみんなが生活しているときに、ラムの願望の世界がそこに作られたら、さあどうなる?という話なのです。ラムの願望する世界というのはつまり、今、ラムが暮らしている日常性以外は必要のない世界なわけです。必要なのは友引高校であり、諸星家であり、食糧調達のためのスーパーマーケットであり、諸星家にだけ電気がきて、水がきて、ガスがきていればいいんです。そして、ラムの周辺の好きな人たちと、いつまでも楽しく、仲良く暮らしていきたいという願望もあって、仲間たちだけが諸星家に集まり、なに不自由なく暮らしていけるという世界が現出するわけです。

その世界は、どのように現出するのですか。

落合: ひとことで言えば、ラムの夢の中の世界なのです。夢をつかさどる夢邪気というキャラクターがいたでしょう?最初は純粋に夢を見ることができた人間が、欲望とか煩悩とかで、不純な夢を見たいと願うようになる。人間に夢を見せてきてあげた夢邪鬼は、そういうことに失望しているわけです。そんな夢邪鬼とラムとの出会いが、物語の基盤になっているのです。

ストーリーはどのように展開 していくのでしょうか。

落合: どこかでラムが眠っていて、その夢の中に現実のあたるたちが居るという状況ができるわけです。そこで、たとえば「この人は居て欲しくないっちゃ」とラム思えば、その人間はいなくなってしまうという、ある種のサスペンスタッチで、話は展開していきます。ラムの夢の中で生活しているみんなも、能天気な連中ばかりで、「今が楽しければいいじゃないか」と、なにかおかしいと思いながらも毎日毎日騒いでるわけですが、「なにかおかしい」と探求心を持つ人間も出てくるわけです。それがさくらであり面堂なのですが、彼らが真相を発見していくプロセスを、観客も一緒になって発見していくという形になってます。

この映画の見どころというの はどういうところでしょうか。

落合: たとえば、ラムにとって学校というところは、必死に勉強するところではなくて、みんなと遊ぶ場所なんです。逆に言えばみんなと遊ぶ場所があれば学校は必要がないわけだから、しまいには友引高校も、廃墟になる。それから、あたるがしのぶにちょっかいを出すとなれば、ラムにとってしのぶは邪魔になるわけで、しのぶが消えてしまう。そうやって、ラムが願望する世界の極限にまで突き進みます。あたるたちはサバイバル的になって、どんどん追いつめられ、その夢の世界からどうやって脱け出すのか、というのが見どころでしょう。その部分は、物語のオチにもなるわけですがね。


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