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「勝田久の声優入門 三浦雅子(俳協)の巻」『ジ・アニメ』1981年4月号
三浦雅子、と聞いてもご存じのない人のほうが多いだろう。それもそのはず。 できたてホヤホヤノ声優さんなのである。
今年1月12日にタイムボカンシリーズ、ヤットデタマンにひめくりコヨミ役でデビューしたばかりの、81年第一号の新人である。
まったくのしろうとが、どうやって声優になれたのか、読者諸君も興味津々であろうと思って、今回登場してもらうことにした。
・・・といっても、僕の教え子。日曜日のアルバイトの早くひけた日に、ぼくのところへ寄ってもらっただけのこと。こういう取材は楽でいい。いつもこうだといいなぁ。
いつものつなぎのジーパンの上に、赤いチェック模様のプルオーバーをひっかけて、いかにもアルバイト学生という姿でやってきた。 どう見ても声優には見えないところが初々しくていい。 アルバイト、今何やってんの?とぼく。 「はい、アイスクリームの売り子、高田馬場駅横のビッグBOXで・・・。」 そう、がんばってるね。辛くない? 「いいえ、とっても楽しいんです。あの、売り子が楽しいってことじゃなくて、養成所へ毎日通えるってことが・・・ 毎日いろんなことが新しいことばかりでしょう。それをどんどん吸収できるってことが・・・。それに…私は、まったくのズブシロ素人で、 何も知らずに入所したのに、廻りの人たち上手な人ばっかりで、スゴーク刺激受けちゃうし・・・あ、それから今年は先生のおかげで、念願のアニメに出られるようになったし・・・ まだまだあるんです。あの・・・アルバイト。今までより昇給して時給500円になったんです。」 ふうむ と思わず。
この子はなんでも楽しいのだ。毎日毎日を明るく屈託なく、強く逞しく生きている。
僕が初めて彼女と出会ったのが一昨年の5月、あの時、この子はいけると直感したが、まさにズバリ当たった。 僕の発掘した横沢啓子。高木早苗と出会った時と同じひらめきを、あの時感じたものだ。
三浦雅子。昭和34年11月29日生まれ。大分県。臼杵市、静かな城下町に生まれ育ち、県立臼杵高校を卒業。 神戸西の宮の夙川学院短期大学幼児保育科に進学。本来なら幼稚園の先生になるところであった。
だが、やはりアニメ育ちのアニメっこ、短大へ進んでも、寮生活では楽しみと言えばテレビのアニメを見ることくらい。
学校の勉強とアニメを比べたら、どっちが楽しいってことになったら大抵の女の子はアニメーっ!と答えるだろう。この子も多聞にもれず、そういうことになった。
アニメ雑誌はもちろんのこと、アニメ雑誌も毎号読んだ。僕の声優入門も欠かさず読み、(ここが大切なところなのですぞ!) せっせと僕の所へ手紙を書き送って寄越した。
僕の通信教育勝田話法研究所声優講座の会員となり、基礎学習を受け始めた。 短大二年の5月、連休を理由して上京すると、俳優養成所を見学し、ぼくを訪れた。 あの時が、君との最初の出会いだったね 「はい、先生にお会いできて、本当にラッキーでした。 もしあの時、お目にかかれなかったら、養成所へも入れなかったろうし、声優にもなれなかったかも・・・。」 いやいや、そんなことも(ここで僕大いに照れてコーヒーカップをひっくり返しそうになる。) ヤットデタマンの方はどう?うまくいってる? 「はい、私はまるでヘタッピイでダメなんですけど、スタッフの方や先輩の方たちがとっても親切にしてくださって、何とか毎回オーケーを出していただいています。 …もうオーディションのときから周りからヴェテランの方ばかりだったのでびっくりしました。どうして私がパスしたらわからないくらいなんです。 …プロの方たちの間に入れていただいて、自分が全くしろうとだということが、つくづくわかりました・・・。」 それだけでも勉強になったね。これから大いに頑張って、プロの声優として生き残らなくちゃね。 「はい!一生懸命やります!」
彼女はぴょこんと頭を下げると、コートの襟を立て、火の気のない四畳半のアパートに帰っていった。 狭いアパートの部屋や、売り子のアルバイトとも決別できる日が、もうすぐそこまで来ているのを、彼女は知っているだろうか。 ・・・