右翼とは何なのか

唐沢 皆様方ようこそお越しくださいました。 今日のゲストをご紹介します。まず、こっちの仲間みたいなのを呼ぼうということで、毛色の変わったオタクの右翼左翼ない話ウォッチャー、奥平広康君です それから、ホントに危ない人を呼ばないといけないということで、ご紹介いたします一水会議長見沢知廉さんです 見沢さんはテレビ、マスコミ、メディ アでもって、顔を知られているので皆さ んご存知だと思いますけれども。 ふつう僕の、いわゆる右翼のイメージというのは、わけのわからないことをしゃべる人とか、ものわかりの悪い人というイメージで、なにかというといつも突っかかってくるという人とか。だから、見沢さん、ちょっと右翼の基準からずれている。

見沢 ま、かなりずれている。

唐沢 普通、右翼というと鈴木邦男とか が右翼だと思っているじゃないですか。

見沢 あれもずれています(笑)。

奥平 オウムの事件でいま、右翼ってい うのがテレビに出ますよね。

唐沢 上祐逮捕のとき、ピストルをパンパンやったとか。村井秀夫を刺し殺したのは、第三国人の右翼なんてわけのわからないものだし。 まず、最初にお聞きしますが、右翼ってなんなんですか。

奥平 いまはほとんど、職業と化しちゃってますからね。

唐沢 右翼っていうのは誰でもなれるんですか。

奥平 けっこう、なりやすいですね。左翼よりは。

唐沢 どういうふうにすればなれるんですか。

奥平 ヤクザから入る人もいますね。族上りとか、いまはあんまりいないけど。昔は多かったですよ。

見沢 東京の新右翼っていうと、生出身も多いですね。普通の市民が入ってくるんですね。

奥平 左翼っていうのは、けっこうピラミッド型になっているんですよ。要する に、活動家がいて、それを支える機関誌の購読者層とかいて、右翼というのは逆ピラミッドというか、購読者も全然いないと。

見沢 偉い人が多いってことです。

奥平 確かにいえているんでよ。なんと か局長とかが多いんですよ。

見沢 右翼なんてそんなものなんです よ。フランス革命の後に保守派は右にい たので右翼、革新が左翼と。

唐沢 いまだに、やっぱり仲は悪いということになっているわけでしょ。

見沢 悪いですね。やっぱり意地みたいのがあるし、体質が全然違うんですよ。

唐沢 体質というのは組織のですか、 それとも個人のですか。

見沢 両方違う。見た目でわかるもんね。右翼と左翼は。

唐沢 奥平さんはオウムのサティアンめぐりをするという同じようなスタンスで、一水会の事務所に行って、いろんなビラとかをください、くださいといって集めているわけですね。

見沢 ものがなくなると彼だろうと。ときどき重要文書がなくなるんですよ (笑)。

奥平 一応、許可はもらっていますよ。

唐沢 こういう人間がときどき入ってきて、一水会ではこれはおかしいなとか、なにこれ?とか思わないわけですか。

見沢 だって、みんなおかしいですもん(笑)。

唐沢 なんかすごく、間口の広いところなんですね。一水会って。

見沢 いや、鈴木邦男からしておかしい人ですから(笑)。 *現在は一水会を離れ作家活動に専念中 見沢知廉氏の経歴

唐沢 唐沢見沢さんの経歴っていうのを簡単 にやっていきましょう。 もと左翼だったんですよね。左翼活動 を長くやっていた?

見沢 三年半くらい。

唐沢 左翼に共鳴したというのはどうい うところからですか。

見沢 たまたま同級生にセクトの活動家 がいて、学校が進学校だったので、試験破いて、演説したりして、ちょっと変なことをしていたら、オルグられちゃったんです。 それからもう一週間後に成田に行っちやったという(笑)。

唐沢 それって、いくつのときでしたか。

見沢 高二のときだから、一七歳くらいじゃないですか。

奥平 でも、あういうの見てるとカッコいいじゃないですか。

見沢 いや、やっぱり浮いてましたね。七〇年代終わりだもの。左翼は国宝ものでしたよ。

唐沢 左翼から右翼に移って、やはり違 うなって思いましたか?

見沢 テクニカルタームが違います。体 質も違いますよね。左翼のほうが、伝統的に上流の人が多いですね。

唐沢 いいとこの坊ッチャンが多いですよね。

見沢 右翼のほうが下層階級の人が多いですね。徐容疑者がなんで朝鮮人だとか言われましたけど、けっこう、多いですよ。在日とかそういうのは。

唐沢 差別を跳ね返す原動力がほしくて、かえって、右翼的なものにあこがれるのかな。

見沢 少数民族というか、差別される側にあるからこそ逆説的に日本へのすごい思い入れを持っちゃうとかね。そういう屈折した心情は特に地方の右翼に多いですね。 殺人事件の真相

唐沢 ではそろそろ「危ない話」に入っていきましょう。見沢さんの殺人事件があったのはいつでしたか。

見沢 昭和五七年です。当時、一水会と統一戦争義勇軍という新右翼の組織で、ゲリラ戦をたたかってたわけです。火炎ピン、破壊工作、放火と、直接行動ばっかりやってました。最後にテロを計画していた時、どうも内部にスパイがいるらしいということになった。それで査問してみたら結局白状した。 最初は殺すことは考えていなかったんですよ。追放すればいいと思ってたんですけど、査問しているうちに、このまま帰したら報復されるな、粛清するしかないということになったんです。

唐沢 富士の樹海に埋めたとか。

見沢 樹海に一ヶ所だけ車で入れる細い道があるんですよ。そこを四百メートル位入った所でちょっと横に入って埋めた。でも計画されたものじゃないから、シャベルも何もなくて、四人いたんですけど手で掘って。だからあんまり深くは と。 掘れなくて、ちょっと土をかぶせたぐらいでした。だから、捜査が入ったって一発だし、その前にもう一度埋め直そうと。

唐沢 それって基本ですか。

見沢 基本です。オウムは基本ができて いない(笑)。一週間か十日位後に、今度 は朝霧高原に埋め直しました。

唐沢 今度はちょっと深く埋めた。

見沢 二メートル。掘ったのは一水会のI君と義勇軍のK君で、僕は死体の処理をしていました。人のいやがる仕事を進んでやると(笑)。 死体なき殺人事件ということで最初報道されてたけど、警察のほうはもう知ってるんですね。普通死体が出ないときは、指名手配とかやらないんです。異例なことなんだけど、僕は殺人犯として指名手配された。二週間ぐらい何とか潜伏してたけど、きつかったですね。友人や知り合いの人の所は、みんな警察がマークしているんで、空き家を探して潜んだ りして。 そのうち、逮捕者からの自供で朝霧の死体が発見されたってことを知って、逃 げても無駄だから出頭しようと。

唐沢 罪は軽くなるんですか、出頭すれば

見沢 それが全然軽くならないんですよ。自首は軽くなるんですけど。自首と出頭じゃ全然違うんです。

唐沢 自首ってのは、犯罪が起きたということを警察も知らないときに実はやりましたといって出ていくということですよね。

見沢 そうそう、事件発覚したあとは出頭っていっても軽くならないんですよ。ただ、逃亡罪がなくなるだけなんですよ。損したなあと思って。これなら、カ ッコよくパクられたほうがよかったなって。 人権がだんだん なくなっていくんです

唐沢 出頭して最初に連れていかれたのはどこですか。

見沢 留置所です。桜田門の本庁、麻原彰晃も入った所ですよ。僕は再逮捕になって容疑が軽くなったので、特別房から別の房に移されて。次に、入ってきたの三越の横領をやった岡田茂、その次がホテルニュージャパン火の横井。

唐沢 大物ばっかりですね。

見沢 そう、警視庁のことなら、聞いてくれって。よくワイドショーで、麻原はこういうとこに入っていますとか、取り 調べ室とか再現するでしょ。全部嘘で す。あれ違うんですよ。房の形からして 四角じゃないんですから。ミカンの房みたいで、取調室もあんなライトとかなくて、真っ白で、窓ひとつないんですよ、警視庁ってのは。

唐沢 えー。よく映画なんかでは鉄格子の檻のとこから外を見ると。

見沢 警視庁は違うんですよ。三帖くらいのものすごい長細くて、白くて、真白で空調だけあって、デスクが二つあって、なんにもないですよ。ライトなんかないし。体験者があまりいないからまちがえるんですね(笑)。

唐沢 留置場ではどんな生活をしていた んですか。

見沢 留置場って、運動が一日三〇分あるんですよ。そこでラジオ体操を看守がかけるんですよ。警視庁の場合は、非常に特殊でなんか途中に、真ん中の屋上があるんですよ。三方が鉄で囲まれていて上だけ空いているんですよ。屋上みたいなとこで。

唐沢 麻原とか、みんなそこで運動するんですね。

見沢 岡田茂がピョンピョン跳ねていたんですよ。おかしくって、やくざなんかタバコ吸っているのに、岡田茂はまじめピョンピョンピョン跳ねているんですよね。

唐沢 運動場みたいなところでは話が交わせるんですか。

見沢 留置場の場合は、房で話ができる んですよ。拘置所からは隔離されちゃうんですよ。

唐沢 留置場ってのは、取り調べとラジオ体操以外の時はなかでは、どんなことをやっているんですか。

見沢 主に取り調べが多いんですよ。

唐沢 取り調べが終わった ら、部屋に帰って寝るみたいな。

見沢 ゴロゴロ部屋で寝て いる。みんなやることがな いので、ピーチクパーチク話しています。

唐沢 そこにどれくらい。

見沢 六〇日いましたね。

唐沢 それって、長いんですか、短いんですか。

見沢 長いですよ。普通は二三日ですよ。麻原は百何日でしょ。あれは再逮、再逮、再逮でですよ。再逮がなければホントは二三日少しで、起訴があって送らなければならないんですよ。

唐沢 法律的には、いくらでも伸びるん ですか。

見沢 再速のときの場合だけですね。再逮 の場合はもう際限なく、代用監獄で行 っちゃうですよね。再逮以外は二三日少しで送らなくちゃいけない。 留置場は接見禁止が多いんですよ。そうすると、全然面会がきかないし、手紙も原則としてできないし、弁護士だけですね。留置場はホントきついですよ。本は入りますけど1冊で夜はダメ、筆記具とかは全然ダメ、ノートとか便箋とか紙類はダメですし、それにニュースとか全然聞けないし。

唐沢 変な情報とか入らないようにということですね。この時点ではまだ犯人にはなっていないわけですよね。容疑者ですね。

見沢 拘置所に行って被告になるんです。裁判が終わって刑務所に行くと囚人。 だんだん人権、人格がなくなっていくと。恐ろしいですよ。階段式に。 留置場はつらいけど人権はかなりあるのです。例えば、喧嘩しても懲罰とかはないんです。刑務所ならちょっと喧嘩したり、暴れたりしたら、一度で保護房とかものすごいところに入れられちゃうんですよね。だけど、留置場なんかだと、ちょっと暴れたりしても、出てこいよとタバコなんか、別室で吸わせて「まあまあ」っていう感じです。 次が拘置所ですよね。東京拘置所は小菅にあるんですよ。昔、小菅刑務所だったけど、いまは小菅拘置所です。あそこはあんまりいなかったんですね。一一月 に行って翌年の四、五月までだから、半年くらいですか。あそこは隔離、隔離なんですよ、とにかく、裁判だから、隔離が原則で。

唐沢 一回、知り合いにヤクザの親分がいて、面会に行ったことがある。あれっ面倒くさいですね。ずーと待って、たかだか面会時間二分とか三分ですよね。

見沢 ただ、拘置所はすごく楽ですよね。一方的ですがラジオはついてるし、お菓子とかも買えるし、弁当も買えるし。

唐沢 差し入れのものを買う売店があって。あそこは、ポルノ雑誌とかエッチなコミックとか、そんなものまである。その人が刑務所のなかのホモの話を書いて『さぶ』に載ったんですよ。それで差し入れしようとしたら、さすが「さぶ』は駄目でしたね。

見沢 刑務所も拘置所もそうなんですけれども。拘置所から検閲っていうのがあ るんですよ。とにかく、事件関係と同性 愛とやくざ関係とかは駄目。 懲罰房は悟りが開ける?

唐沢 『週間実話』とか『アサヒ芸能』とか ありましたよ。

見沢 でも半分くらい切られてしまうんですよ。検閲で。

唐沢 切りとられているけど、いろいろ読める。

見沢 自由ですよ。拘置所はまだ選挙権があるんですよ。選挙のときは投票するかとか持ってくるんですよ。選挙権があるということはまだ人権があるということですよね。まだ被告にすぎない。まだ刑も確定していない。非常に自由で楽しかったですよね。 でも一度懲罰をくらったんですよ。拘置所で懲罰は二舎に行くんですが。

唐沢 なにをやったんですか?

見沢 隣の部屋のヤツがどっかの若い既 成右翼のヤツで、誰も差し入れしてくれない。こっちはお菓子とかいっぱい差し入れしてくれるわけですよ。しょうがないから、お菓子とかやっていたんです よ。それがバレて懲罰になったんですけれども。

唐沢 お菓子をやってはいけないんですか。

見沢 いけないんですよ。隣のヤツと会話するだけで、通声って違反事項になるんです。まして、お菓子とかやっていたら、えらいことなんです。

唐沢 どういうふうにやりとりをするんですか。

見沢 向こうの窓のところに落として、向こうのヤツが落としましたって、拾ってもらうんですよ。

唐沢 生活の知恵ですね。懲罰房ってどういうんですか、それは。

見沢 拘置所も刑務所も同じですが、僕が入ったのは八二年なんですが、最初は一日座っていると。筆記、ノート、本と全部取りあげられて、新聞も駄目、ラジオも駄目。つまりなにもないところでずーっと座っていなければならない。それだけでものすごくつらいでしょ。 それが八七年くらいに改正になって、 こんどはこんな厚いマニュアルがあって’、 一応正座じゃなくて、あぐらでいい んですけど、足の位置何度、手の位置何 度と決まっていて、手の位置もここ四五度につけて、絶対動いちゃいけない。「反省」って紙が張ってあるんですよ。視線を一定させなくちゃいけない。「反省」をずーっとみていなければならない。顎を引いて背筋を伸ばして、それを普通の人の仕事時間である朝七時くらいから午後五時まで八時間。

唐沢 メシとかトイレとかは。

見沢 トイレは午前、午後に一五分の休憩があって、そのときの二回だけ許可取っていくと。原則は禁止なんですよ。便所も。そのときは許可取っていく。それくらい厳しいですよ。食事にしてもすぐ食べて、洗って。ちょっとでも遅いと「早く座れ」っていうことですね。一五分くらいで食べて、八時間ずーっと、「反省」を見ている。悟りが開けそうです。唐沢麻原になれますよね(笑)。 千葉刑務所の有名人たち

唐沢 千葉の刑務所で一一年と八ヶ月。見沢三年半工場にいて、あと八年半は独居にいたんですよ。独居っていうのは、要するに反抗囚とか不良因とか精神障害者とか、刑務所のなかの落ちこぼれとか、ワルとかばかりですよ。

唐沢 落ちこぼれだったんですか。

見沢 ワルだった。反抗ばかりしていたんですよ。宮本顕治もそうでしたが。

唐沢 そうすると、刑期が長くなったり、懲罰くらったりとか不利じゃないですか。

見沢 不利ですね。ですから、満期だったんですよ。仮釈がもらえなかった。めずらしいですよ、いまどき仮釈がないなんてのは。

唐沢 そのうち、そこは第二のふるさとというか、居心地がいいとか。

見沢 そうですね。特に独居舎というのは厳正独房っていって、ずーっと独居で仕事して、全然外へ出ません。誰と会話もない。県の文化財なんかに指定されている古い建物で、そこに人間入れているんだから。明治四〇何年につくったというもの。 そこに代々入った人っていうのは、甘粕正彦とか、大杉栄、荒畑寒村、徳田球 一、堺利彦・・・。

唐沢 みんな教科書に載っているような人だなあ。

見沢 あと、朴烈も入ったし、野村秋介も入ったし、とにかく歴史の偉人がみんな入ったというか。そこに入ったんですよ。うれしかったですね(笑)。 陰部摩擦罪

唐沢 若いから性欲はありますよね。性 欲の発散とかどうするんですか。

見沢 自分でやるしかないでしょ。でも 見つかると懲罰なんですよ。

唐沢 やっぱり、センズリも禁止なんですか。

見沢 陰部摩擦罪(笑)。

唐沢 陰部摩擦罪ってよく聞くけど、ホ ントにあるんですか?

見沢 刑務所の懲罰は行政罰らしくっ すごく厳しいんですよ。ちゃんと調 書とってハンコ押して。

唐沢 第何条、陰部摩擦罪。陰部を摩擦 したる者は・・・。

見沢 そうです。工場の知り合いで放火のヤツがいて、見つかっちゃったんですよ。陰部摩擦のあとちり紙かぶせるじゃないですか。看守が「そのちり紙出せ」って。

唐沢 証拠物件として(笑)。

見沢 そう。「汚いよ」っていったら、「かまわん」って、それをつまんで持っていって、幹部のところに行って、ただい証拠を没収しましたなんて。こんどは調書。「何月何日、陰部を摩擦したる罪において...」。懲罰審査会っていうのがあるんですよ。それを管理部長とい所長の次に偉い、実質上のいちばん偉いヤツが、裁判官役になって、右に検事役の保安課長がいて。

唐沢 所内裁判みたいな。

見沢 それの記録もちゃんととらなくてはいけないと決まっているんです。それで右に検事役がいて、左に弁護士役の教 育課長とか厚生課長とか。そこで、直立不動して、なんの罪によりどうのこうの・・・って。何月何日何時何分。管理部長が証拠物件として、管理部長もやだと思うんだけど(笑)、ビニール袋に入った「ちり紙」を証拠として提出して。懲罰四、五曰くらったようですね。唐沢見沢さんはそこで陰部摩擦はしなかったんですか(笑)。

見沢 したですよ。その頃二三才ですもの。でも、見つからなかったですね。二回くらい見つかったことはあるらしいんですけど、大目にみられたらしい。見つからないように、こつがあるんですよ。

唐沢 妄想をいろいろそれまでやっておいてから、足音が行ってからって・・・。たいへんですね。

見沢 僕は独房だから、いいですけど。雑居はたいへんらしいですよ。ほら、一四・五帖に五、六人いるわけですよ。陰部摩擦は布団のなかでやるんですが、他 人がやっているのって、やですしね。唐沢しかし、そんななかで一二年間、やってると変な話、早くなりませんか。見沢そう、早くなりました。速射法という(笑)。

唐沢 照れていますね。目が可愛いです 塀のなかの面々

唐沢 刑務所内というのは、話が交わせ るわけですね。

見沢 工場の場合はそうです。

唐沢 作業をしながら。

見沢 雑居はいいんですけれど、夜間独 房というのが普通でして、夜には独房で話ができないと。隣りと話をすると通声という罰がある。

唐沢 いろいろ聞いた話のなかでも最もヘビーなヤツってのはどういうのがありますか。

見沢 特に仲良かったヤツが、やくざの 準構成員だったんですけど、親分の娘とできて、それを兄貴分に取られて、その兄貴分を殺しちゃった。二人が寝ているところに電話をかけたら出たんで、押し入って二人を殺ろうとしたら、兄貴分が逃げた。それを追いかけて、刺しちゃったんです。近くにいた警官も止められずにボーゼンとしてたらしいんですよ。刺し終わって立ったら、警官がツカツカと来たんで、なにすんのかなって思ったタバコ出して、一服吸いますかって(笑)。

唐沢 かえってリアルですね、そういうの。

見沢 そのあとで、包丁を「すいませんね、それいただけますか」って。それから、銀行強盗のヤツがいまして、二件やっているんですね、神奈川で。騙されて運用金に穴あけちゃって、金が必要で銀行強盗やろうって。弟はちょっとやくざなんで、銃を調達して、最初は38口径 盗難車に乗って、さあ行こう、さあ行こうってなかなか行かれなくて、例えば、子どもが入ったら、子どもを巻き添えにしちゃ駄目だとか、おばさんが入ったら、おばさんはかわいそうだとか。一生懸命自分で弁明しちゃうんですね。結 六時間いて、夏なんで、汗ビッショビショになって、駄目だと引き返して、喉乾いたんで自動販売機で金を入れてジュースを買ったら、もう一本当たりのがあるじゃないですか、そのときに大当たりで当たったと。これはやるっきゃない と。

唐沢 これはやれっていう、天の声だと(笑)。

見沢 そこで、彼は人格が一変して「いやー、もう自動販売機見てから、気がついたら、銀行押しこんで一発撃っていたんだよ」って。自動販売機の大当たりでいっちゃったと。なんか一回目は一千何百万円やって成功して、戻ってきたと。唐沢その大当たりはホントに大当たりだったわけですね(笑)。

見沢 それでやめりゃいいのに、こんどは愛人がいて遊ぶ金ほしさにもう一回やろうと。一回目は38口径で音がしなかったから、こんどは猟銃をもっていって、猟銃はきいたらしいですよね。二回目はバンッと、いきなりやったわけですよ。そしたら、みんな一斉に伏せるらしいんですよ。伏せろといわなくても伏せるらしい、地面に。行員にしろお客にしろ。申込用紙の台でなんか書いていたおやじが、台の上にパッと伏せたらしいんです よ。お前、意味ねえじゃねえかって(笑)。笑っちゃったらしいです。カウンターにパッて行って袋に金を入れろと。それで幹部が札束出して、入れ始めます。もうスピードフィルムを見るようにパパパッとそれに詰め始めたそうです。

唐沢もう銀行は、そういうときのため の札束を用意しているそうですね。

見沢 出るときには女子行員がありがとうございました、またどうぞって(笑)。

唐沢うそでしょ(笑)。

見沢 緊張しきって、マニュアル通りいっちゃったらしいんですよ。そのときは、成功して三千何百万円。猟銃の免許を持っているプロだったんで、指を伸ばしていたんですね。暴発を防ぐために。それが防犯カメラに映っているんですよ。前科前歴がないので、指紋はとられていないんですけれども、猟銃免許で指紋をとられているんですね。盗難車にあった高速券を一枚使って指紋がでちゃったんですよ。それで、愛人のマンション に踏み込まれた。次の機会があれば・・・

唐沢 何か濃すぎる話がたっぷり聞けた日でしたが、実は見沢さんに前お聞きした話で、今日は出てこなかったのもいっぱいある。次の機会に、今日聞けなかった話なんかをしてもらいたいと思います。 これから、見沢さんもがんばって作家活動に専念してください。それだけの材料を持っていらっしゃるので、素晴らしいものを書いていただきたいと思います。 奥平さんにはこのトークの感想を話し締めていただきたい。

奥平 なんとも(笑)。

唐沢 近くで聞けて、うれしいなって感 じですね。我々も、至福の時間を過ごしたように思います。今日はどうもありがとうございました。



偏見を持っちゃいけないのだが、やはり民族派運動で粛静事件を起こし、獄中にいた人の話を聴くとなればこちらも身構える。客席もいつもの唐沢俊一プロデュースナイトのリラックスした雰囲気とは異なり、やや緊張した(多少恐いものみたさの)空気の中トークがはじまった。 見沢さんはいわゆる美男子。まったく予想と違ったのは、政治運動家に時としてありがちなかたくなな面が全く感じられなかったこと。そして事件についてもきわめて冷静で、決して感情的になったり政治理論的な正当化をせず、ひたすら事実のみを淡々と語っていく。時々ジョークも混じるの客席から笑いすら起き、段々と空気もなごんできた。「あの事件をどう思うか」などと唐沢さんもあえてきかない。それは見沢さんが自分の文学表現の中で答えていけばいいことだし、そう簡単に結論など出せるはずもない。まず事実を語ることからスタ ートすべきで、批判や分析はそのあとだ。見沢さんは粛静事件について「最初は殺人までする気はなかった」と正直に認めていた。これは弁明でも後悔でも多分ない。ある思想のもとにある組織や運動体の中では、このような事件はしばしば起こりうる。その事実を見てしまった人の言葉なのだ。組織というものの力、思想というものの恐ろしさと魅力)をこれから見沢さんが作家としてどう描いていくかが注目される。
 事件から獄中体験に話題が移ると、見沢さんの口調が微妙に変わる。やはりこちらの方が自由に語れるテーマなのだろう。お客の大半は獄中未体験者だろうから(当たり前か)もう聴くものすべてがおもしろい。「囚人狂時代」がベストセラーになったのもよくわかる。しかし、考えてみれば獄中体験も見沢さんにとっては厳しく辛いことであり、精神の危機に立たされたことも しばしばだったはずなのに、何故こんなに軽妙に語れるのだろうか。(「陰部摩擦罪」なんて罪があったとは知らなかった。オナニーもできないなんてまさに人権弾圧もはなはだしい)もちろん、決して語らな内面もあるのだろうし、深く傷ついた事もあるのだろうが、おそらくこの人は運動家・思想家をめざしたのだろうが、本質的に作家・小説家なのだ。小説家に必要なものはまず「眼」だ。いかなる状況下でも自分と周囲をまず見つめ記憶していくこと。そしてその次に記憶をフィクションとして一つのストーリーにまとめあげていくこと。見沢さんはこれができたからこそ獄中を堪え、体験をルポではなく文学作品として成立させることができたのだろう。


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