村野鐵太郎 高山由紀子戻る
映画に登場するポルシェ959という車、 随分話題にな っていますね。 村野 平行輸入された車が2億円で売れたとかね。
高山 映画を作ったのに、車だけ話題になったみたいで......。
村野 写真週刊誌で、車の横に立ってる写真を撮らせてくれって言ってきたんだけど、断わったんですよ。小道具を売り物にして映画の内容をないがしろにするっていうのはスタッフ一同心外だと。で、車の写真と、映画のことに触れてくれるならどうぞって言ったら、やっぱり車のことしかとり上げない。 高価な車を持ってるって大騒ぎされたけど持ってるっていったっ映画を作るために買った車でね。まずドイツ大使館に行ってシナリオ読んでもらったら、ポルシェ社への推薦状を書いてくれたわけ。これはヨーロッパと日本の文化交流だと認めてくれてね。それを持ってポルシェ社へ行ったんだけど、彼らは変な東洋人が来たって感じで半身に構えてるの。で、二つの点を強調してみたわけ。レオナルド・ダ・ビンチが今生きてたらポルシェ959のようなものを造っただろう。最高のメカニックを持ったポルシェをダ・ビンチが育った風景の中に置いてみたいと。もう一つは、ポルシェ・サウンドという人間が作り出したメカニックな音楽を表現してみたいこの2点で映画を作らせて欲しいって迫ったわけ。そのことも含めて、高山さんのシナリオに大へん共鳴してくれたんです。��車は思考の芸術だ"という車に対する姿勢に賛同してくれたんだと思います。たまたま僕たちがドイツに行ってる時、「マイアミ・バイス」の俳優さんがポルシェを使わせてくれって言ったら断わられましたね。つまり、車をアクションだとかスピードの暴力として使うなら嫌だということなんですね。
何故、ポルシェ959を使って映画を撮ろうと?村野 「ニューズウィーク」誌で、偶然、この車の記事を読んだの。公道を走る最高の車というね。こういう車でヨーロッパのアウトバーンを走ったら、どんなに素晴らしいだろうと思ってね。それどうするのって皆んなが聞くから、シシリーで海鮮料理を食べるんだって。皆んな笑ったんだけど、そのとおり絶対に夢でね、日本の貧しい映画監督がそんな車買える訳ない。でもポルシェ959を買ってヨーロッパ3千年の歴史の中を突っ走って、世界の珍味といわれるシシリーの料理を食べるという一人の貧しい映画監督のうっ屈した欲求不満の夢を、僕がシナリオに書いていったの。だけど、貧乏な監督が借金の催促ばかりにあってて、なかなかヨーロッパへ車を買いに行く所までシナリオがいかないわけ。
高山 借金の言い訳してる所しかないんだもの、いつまでたっても(笑)。
村野 それで高山さんにストーリー作ってもらったわけ。伝説の音楽家を想定してくれて、ポルシェがうまくのっかるような話を。僕はだそのシナリオをなぞって、毎日おいしい物を食べてブドウ酒を飲んで。これで借金が残らないように映画をまるごと買ってくれたら、こんないい事はないんだけど、そうはいかないよね(笑)。"人生の冒険にはツケがまわってくるんですよ”ってシナリオの科白にもあるけど、最もこのシーンは最終的には削ったけど。 僕はシナリオの後をついていっただけ。だから高山さんに監督しろって言ったの。そしたら知性が邪魔して現場で理不尽になれないって(笑)。
高山 私は人の心が分かりすぎて理不尽になれませんって言ったんです。監督にはなれませんって(笑)。
"夢"と"冒険”を求めて ヨーロッパでのロケはいかがでしたか?村野 日本でロケーションするより楽で、楽しかったなあ。ヨーロッパの人は、ムービーだっていうと、1時間でも2時間でも車止め待っててくれたりするんですよ。映画っていう創作物に対して尊敬っていうか、寛容でね、場を与えてくれるわけ。俳優さんにOKが出ると回りの人が拍手したり、"静かに"って言うとイタリア人が日本語を真似て言ったりとか、すごく楽しいんです。日本の公道でやると、"天下の公道で何だ"みたいな事を酔っ払いがすぐ言うけど、そういう事はなかったですね。 それから日本では、シナリオにドラマ性がない、もっと起伏がい 起承転結が必要だとか言う人が居たけど、ヨーロッパではそういうこと一切なかった。この狙いがいい、こういう哲学があるとか、いいシナリオだと言われた。日本の映画会社の人なんかは、もっとアクションを、対立をって言ってたけど、ドイツでもイタリアでもそんなこと一切なくてすごくシナリオ誉められたけどね。見方が違うんだねえ。
企業からの制約は一際ないわけですね。村野 だからこそ、僕たち頑張ってやってるんですけどね。制約がないということは逆に助けもないって事なんですよ。自分たちがれたらシャシンも疲れるし、自分たちがあきらめたらシャシンもあきらめるし。だから自分たちの手の内にある範囲でしか映画作らないけど、今回みたいにメジャーにのって全国55館もロードショーやる映画を作るっていうのは大へんですね。かなり大きな製作会社とそれに匹敵する力がなきゃできないのに僕たちだけでやってるわ けでしょ。作品だけが勝負を決めるって言っても、やっぱり宣伝もしなきゃダメだし。
高山 独立プロの映画っていうのは、名画座みたいな感じの映画館の公開になりますでしょ。一度でいいからメジャーで公開してみたいっていうのがあったんですよ。独立プロで映画作るともう製作費だけで手いっぱい。それ以上の宣伝費とかは考えられないから、動員とかもまず考えないでしょ。そういう手作り的な映画で、手作り的な公開っていうふうに常になってしまうことが、私は何かつまらなくて映画っていうのは、大きいスクリーンでガーンと見るっていうのが好きなのね。自分の映画も一度そういう所でやってみたかったんです。だから今回は大へん嬉しいんですけど、逆に心配でもあるんですよね。
村野 今の映画って、団体券を何枚売らなきゃダメだとか、あるでしょう。
高山 私たちはそういうものなしでハダカだから、その辺がすごく心配なんですけど。
村野 スポンサーなしで借金して作ったからね。皆んなバカだとかいろいろ言ってるけど要するに僕たちの夢なんだよね。夢にお金を投じてくれるほど、世間の人も甘くないしね。
今までお二人は日本的な題材を扱ってきていますが、今回はヨーロッパで最新鋭のポルシェを走らせると。関心が変わられたのでしょうか。高山 私は今度の作品よりも「遠野物語」「国東物語」のほうが外国を意識して書いたんですよ。そういう意味では変わったとは思っていません。ただ今回の場合は監督もおっしゃったみたいに自分も旅行を楽しんだりした部分があったので、そこがちょっと違うかも しれませんね。外から見ると変わってるかもしれないけど、別に地方を設定したからといって地方を描きたいわけじゃないし、時代劇だからといって時代劇そのものを考えるっていうことでもないしね。隣のビルにちょっと散歩しにいく感じ。結局、作品は自分でしかないでしょ。
村野 そうだね、誰から指図されたわけでもないし。だから自分たちが作りたいようにやったんだから幸福じゃないかとも言われるけど、そう言われても困っちゃってね。それしかないんで。ツケが回ってくるのに(笑)。時々、シナリオに書いてあることが教訓めいていて困るんですよ。
-映画に出てくる映画監督は村野さんですか。村野 いや全然違いますよ。僕、あんなにカッコ良くないもの(笑)
でも、ちょっと文字を変えると監督さんの名前ですね。村野 名前だけは引き継がれたんだけど(笑)。
高山 冗談言ってたの。映画の最後にこの映画はフィクションであり、実在の人物とは何んら関係ありません”って入れておこうかって(笑)。ただ、今回の作品も含めて私はよく現場に行かしてもらうんですよ。現場で見るスタッフっていうのは監督をはじめとしてとてもカッコいいんですよね。すごくドラマチックなんです。そちいちドラマチックさをお客さんに見てもらいたいっていつも思ってたのね。そういう意味では映画の中に出てくる人たちは、村野監でありスタッフであるのかもしれないのね。
それで、映画内映画という設定をなさったわけですか。高山 二つ理由があったんです。一つは今言ったことで、もう一つ は、あれだけの長い距離を旅行する映画だから、飛躍と省略っていうのが必要だと思ったのね。その二点が一番よく出る構成というので、ある時は劇中劇である時は現実に戻る、そうすれば飛躍もできるのではないかと、そういう手法をとってみたんです。
-伝説の音楽家マサツの存在というのは、登場人物たちにとってどんな意味をもっていたのでしょうか。高山 ちょっと難しい質問だけど、皆んなが持ってる"夢"と"”って、私は思うんです。映画にマサシは出てきましたけど、出てこないケースっていうのも考えてみたんですよ。
『自分が見たい映画を作る』村野 今の映画っていうのは組織化されて、皆んなのハンコが要る5ようになって、各々責任を分担してやってるでしょ。沢山の人間が参加するとそれだけ力が結集されるわけですよね。僕たちは現場スタッフの力で対抗しなくちゃいけないわけ。でも、ヨーロッパに行って数千年前の建て物がそのまま残ってる風景の中で撮影してると、人間のエネルギーとか存在のようなものをひしひしと感じて、にすごく自由になれるんですね。生きてるのは素晴らしいことじゃないかとか、それが旅を続ける気持ちにつながっていったんですよ。ヨーロッパに行ってポルシェに乗って走ると、それも一つの人生じゃないか夢じゃないかって気がするんですよね。だから、映画を見てくれる人もそういう気持ちになってくれればいいなと思ってるんですけどね。ポルシェっていうのは、僕たちの思考の夢だから。現実には一番安いポルシェもプライベートには買えないですよ。
高山 私はどの種類の車じゃなきゃだめだっていうのはないですね。ポルシェっていう車に対するブランド志向もないし、ただ私はこのポルシェ959は本当に素敵だなって思ったの。すごい性能だとか未来の車だとかって情報聞いて想像してたのとは全然違う形だったわけ。流線型でもないしクサビ形でもない、本当に美しい形してたのね。メカニックの行きつくところは美にもつながるのかって感激しました。
その美しさを撮ろうと、監督は演出したわけですか?村野 まだこの車はドイツ国内から外へ出たことがなかったの。それを我々のイメージの中を走り続けて、ついに初めて国外へ出た時、映画的な感動を味わったな。僕はイメージが燃焼したからそれでいいと思ってる。
高山 監督が車を撮ってるのを見て、ああ車と一体になってると思ったの。そういう気持ちよね。
村野 自分の分身みたいな気がしてきますよね。 この映画は、社会的な刺激を受けて作ったとかいうものじゃなくその裏返しで、一番できない事で一番楽しい映画はどういうものだろうって......。
楽しいっていうのは、監督さん自身にとって?村野 作る過程では、楽しい事はつらい事かもしれないですね。でも、自分が一番見たい映画を作るのがいいと思いますよ。客が何を見たいんだろうっていうんじゃなくて。それでダメだったら自分の責任だし、自分のキャパシティの問題だから。シナリオでも、会社だったらこの箇所どうしようかってやるけど、個人経営だから(ラ(イターと監督が)お互いに気に入ればそれで済んじゃう。それがお 客の気に入ってもらう事につながるかどうかでプロとしての厳しさにさらされるわけだけどね。 だけど試写を見たドイツとイタリアの人たちが大へん喜こんでくれたんでね。彼らは自分の主張っていうのを持ってる国民だから、日本とは違う。極端な事を言えば、イタリアの映画評論家は、日本のどの文芸評論よりも素晴らしい評論するよ。微に入り細に入り成っていうね。そういう批評だとこっちも納得する。自分が分からないものはけなすとか拒否するっていうことはないね。
――それは、日本の映画評論家?村野 自分の認めたものはいい、自分の分かんないものは拒否。それでいいんだろうけど、そのレベルの問題ですよね。僕の言う映画評論っていうのは誉めるけなすじゃないの、私自身成程と思ったら認めざるを得ない。でも印象批評的なアマチュアくさい映画評論に5惑わされている暇なんかないからね。我々の置かれている場はもっと過酷なんだから(笑)。 この作品はオリジナルですが、今の映画界では少ないですね。村野オリジナルに対する尊敬ってないね。原作をいかにうまく理したかということばかりで。この「シナリオ」誌にもいえることだけど。
いいえ、オリジナルだから脚色だからという区別は一切しておりません。村野 だって料理法ってテクニックの問題だもの。そうじゃなくてゼロから人間を作り、ドラマを作っていくことに本当の面白さがあって、そこにこそ作家性があるんだもの。もっと日本のシナリオラ イターはオリジナルを書いてさ、映画を世に問うていかないとね。日本映画がダメになったのは、俺みたいなのが映画作ってるってのもあるけど、シナリオライターがオリジナルを書かないってことですよ。
――しかし、今の映画会社のシステムとして、原作で企画を通してから、というのがありますよね。村野 一番安易だからね、作らせるほうにとっては。だけどさ、シナリオ作家なんだから是非オリジナルをね。勿論、面白い原作の脚色があってもいいけど、今はほとんどが脚色でしょ。でも、皆んなそんな暇ないのかな。
高山 脚色にもその難しさがありますけど、やっぱりオリジナル書くほうが苦しいですよ。それは絶対。両方ともプレッシャーはあると思いますけど、もうちょっとオリジナルシナリオを大事にしたほうがいいんじゃないかなと思うとこあります。
村野 不朽の名作といわれた映画のシナリオは、原作をはるかに越えてる部分もあるわけね。しかし世間的には原作があると安心するっていう事なんだろうねえ。
監督さんの言う��自分が一番見たい映画を作る"姿勢は、今後も変わらない?村野 そうですね。
高山 でもね、初めから作っていくってすごく大へんなの。だからスポンサーがあって、企画があって、こういう映画にして欲しいって私たちにおろしてくれないかなって、いつも思うの。初めから作っていく楽しさ、素晴らしさは勿論大切ですけど、いつもそれだとくたびれるっていうか......。いや、人からもらった企画でも大へんさは同じだと思うんですよ。でも神経の使い方が違うでしょ。シナ リオライターとしての監督としての苦労だけで済まない部分も背負わなければいけないから。商売人になってみたりプロデューサーになってみたりしなくちゃならない。本職から考えると、それはムダなことでもあるわけ。たまには本職だけでいければいいなって思います。せっかくのエネルギーを消耗しちゃうんじゃないかって。
(1月7日、プロダクションにて)村野 でも残念ながら、それをやっていかないと映画作れなくなってきてるね。
高山 好きな映画を作るには、そうねえ。好きって言ってもそれは自分だけの映画っていうことじゃなくて、勿論お客さんに見せるっていう前提があってのことでね。
村野 メジャーな会社と中小企業の差ですよ。おやじさんがさ、仕入れから全部やって(笑)。大会社だったら自分のパートだけやってればいいけどね。だから映画って中小企業でいいんじゃないの。高山私いつも思うんですけど、駅の売店でスポーツ紙いっぱいあるでしょ。すごく大きな字で、桑田がどうした江川がどうしたっ映画がああなってもいいと思うの。どうして野球にとられなくちゃいけないのかって。あの文字が映画になるのが、私の夢なの。今、映画作ってる人は苦労してると思うけど、やっぱりそういう時こそ勝負なんじゃないかな。
村野 日本映画が外国からお金を取ってくるようにならなくちゃね。映画だけは今の貿易の反対だもの。取られっぱなし。シナリオライターや監督や技術者も、もうちょっと世界に売ったらいいんだよ。絶対、負けないと思うの。日本人だけだよ、自分たちだけのマーケットでやってるのは。もう少しそういうノウハウができるといいんだけどね。本当に今は、アメリカから一方的にふんだくられて、もうこれは映画の貿易摩擦ですよ(笑)。