鈴木邦男
筑紫哲也




  

鈴木邦男。新右翼団体「一水会」代表。早大在学中に民族派学生運動に飛び込み、生学連書記長、全国学協委員長などを務めた。早大政経大学院を中退後、四年ほどサンケイ新聞に勤務するが三島事件を契機として1972年、一水会を結成。「戦後体制打倒」のスローガンのもと新しい民族派運動を展開。機関紙「レコンキスタ(失地回復)」を発行。著書に「腹腹時計と〈狼〉」「現代攘夷の思想」など。1943年福島県生まれ。

いまは、体制が思想を 圧殺している

筑紫 世の中が相当右傾向したと言われ ます。これは鈴木さんたちの運動には、時の利がやってきたわけですか。

鈴木 いや、ぼくは右傾化をしているとは思わないですね。むしろ保守化し、管理化しているんじゃないかと思います。官僚が力を持って管理国家になっていき、超保守的になってしまう。自分たちの意に満たない者は、右でも左でも切って捨てるというふうになった。いまの象徴天 皇でいいじゃないか。いまの憲法でいいじゃないか。いまの安保条約でいいじゃないか。いまの自民党、自衛隊でいいじゃないかといった具合です。

筑紫 戦後初めて右翼事典に名前の載っている総理大臣が現れて、右翼にとって、いいことが一つもないの?

鈴木 ないですね。中曽根内閣になって、右翼はいいんじゃないか、と言われますけれど、右翼団体そのものは、どんどん衰退しているんですよ。ぼくらは会社、企業を回って賛助金をもらうことをやっていませんが、「商法改正」で悪い右翼、いい右翼というとおかしいんですけれども、いろんな右翼が、平均的に打撃を受けているわけです。宣伝カーを売りに出したりとか、団体がつぶれたりとか、機関誌が出なくなったりとか、ものすごく圧力がかけられている。じゃあ、街宣(街頭宣伝)があるじゃないかと思っていたら、街宣もやめさせろ、となった。 昔は、おとなしくやっている分については、文句を言わなかったんですね。たまたま左翼が来て、もめたりすれば、い ろいろ弾圧されるけれども、定期的に一週間に一回やってるというのは大丈夫だったのが、いまではめちゃくちゃに弾圧し、とにかくやらせまいとする。新宿の駅の広場なんかを公園にしたのもそうでしょうし、新橋のロータリーをつくったのもそうでしょう。街宣ができないように駅を改造しちゃって公園をつくっちゃうんですね。左翼に対しても市民運動に対してもそうだと思うんですけれども、いままでやってきた駅で人々に訴えかけるというものを、どんどんつぶしちゃっているんですよ。 これはぼくらの機関誌にも書いたことですが、今年三月一九日に岡山県議会で条例をつくったんです。街宣などで八五フォン以上の音を出したら即逮捕という 去年に岡山で日教組大会をやったとき、市民に迷惑をかけたからという。市民運動が警察に陳情を出して、その習名運動がまとまったからやったというんです。だけど、それはウソなんですね。全部、警察が主導でやっているんですよ。警察が主導で署名運動をやって、その連 絡事務所が県警内部にある。そんなのを 市民運動だなんて、ほくは認めないんですけどね。 そういうふうに、全国的に訴える場所を完全になくそうとしている。もう非合法運動しかないじゃないかというところまで追い詰めようとしている。連合赤軍が頂点になった新左翼のようになったら、もう完全に「犯罪者の取り締まり」という名目が成り立つから、連中にとってはもっとやりやすくなるでしょう。そういう意味でいまは、体制が思想を圧殺している状況だと思うんです。右翼だとか左翼だとか市民運動とかいう前に、もっと根本的な問題を考えないといけない。

軍歌ではなく、新しい変革の歌をつくりたい

筑紫 しかし、右翼は統制、規律みたいなものが好きな体質でしょ。そういう状況としては自分らの方向に動いているとは思わないんですか。

鈴木 思わないですね。そういう統制的なものが好きなのは、右翼じゃありませ んよ。三島由紀夫が天皇制と言論の自由とは両立するんだ、両立しなくちゃならないんだと言ってますが、ぼくは、天皇を否定する自由も守らなくちゃならないと思うんです。

筑紫 街宣がそんなに制限されているというけど、むしろ印象は逆で、年々やかましく、騒がしくなっている気がするけど。

鈴木 右翼も、いっぱいあります。内ゲバをやる気はないから、あんまりそういう問題には触れたくないんですが、仁侠系の出身の人でも、総会屋出身の人でも、本当にこれじゃしようがないんだということで右翼団体をつくったっていう人もいますし、そうじゃなくて、政治結社をつくっているほうが、金を取りやすいとか格好いいとかでつくっている人もいると思うんです。そうした場合は、車を買って若い連中に流させるしかない。しゃべる人間もいないから、軍歌をかけたり、鶴田浩二の歌をかけたりして走っているというのがいっぱいいるんです。そういうのは、完全にマイナスだと思います。

筑紫 そうそう、あれはいけない。別にぼくがそちら側の立場になる必要はないけれども、あれは損だと思うんだ、簡単に言えば

鈴木 ええ、そうですよ。ちゃんと正当活動として駅で車を止めて人々に訴える、ビラをまいたり署名運動をやったりするというんだったら意義があるし、かなり効果があると思うんですね。右でも左でも、どしどしやるべきだ。そうでないただ軍歌を流して走る、うるさいだけの街宣は、一般の、少しでもナショナリズムだとか国家とかに関心を持っている人間すらも敵のほうに追いやり、「右翼ぎらい」にさせてしまうことになる。 ある友だちに言われたことなんですが、たまたま母親が東京に来て子どものアパートに泊まったら、まだ朝寝ているのに、突然右翼の軍歌で起こされて、また戦争が始まったのかと思ってあわてたというんですよ(笑)。やはり、そういうように思う人がいると思うんですね。 日本の軍歌そのものは、非常にいい歌がいっぱいあると思うんです。外国の軍 歌と比べたら、日本の軍歌には殺伐とした 歌は少ないでしょう。

筑紫 ええ。情緒纏綿としているところがある。

鈴木 「戦友」なんか、むしろ厭戦歌だと思いますね。やる気をなくさせるような歌でしょ、何かみじめったらしくて(笑)。そういうのがいっぱいあって、歌そのものとしては芸術性が高いと思うんですけれど、ただ、それにまつわるイメージが悪い。ほくらには、そういうのはないですね。だけど戦前の人、戦争を体験した人にはあるでしょう。そういう意味で、もっともっと新しい変革の歌をつくらなくちゃならないと思うんですが。それに、よく右翼の会合で酒のんで軍歌を歌うってのがありますが、ぼくはああいうのはきらいなんです。少なくとも軍歌は闘いの歌だ。闘わないで酒のんでるのに歌うべきじゃないと思う。闘って死んだ人に対する冒?だと思う。酒のむとき演歌でも歌っていればいい。 やはり「新右翼」といわれる義勇軍なんかひどくて、本気か冗談かわかりません が「インターナショナル』なんかを街宣のときにかけたりしています(笑)。「国際学連の歌』とか『ワルシャワ労働歌」とかのほうが、みんなの士気を鼓舞するとか言ってぼくらも、ああいうのは早稲田のストライキのとき、何度も聞かされて非常にいい歌だと思ったですね。やはり、こちら側もああいうのをつくらなくちゃだめです。でないと、いつまでたっても戦前型の右翼運動から抜けきれないし、何だかんだといっても戦争に戻すだけの右翼反動というレッテルから脱しきれないと思うんです。

いまの左翼は青年の情 熱を受けとめきれない

筑紫 暴走族の右翼化ということがいわれてます。若い人がそういう形で入ってくるのはあるんですか。

鈴木 ありますね。ぼくは、きっかけは何でもいいと思うんです。いま、暴走族が右翼に入っているということが批判されていますが、一五年前も、やっぱり不良少年たち、鑑別所帰りの少年たちが、 みんな新左翼のブントに行ったでしょ。プントの連中はものすごく体が大きかったし強かったですよ。けんかの強いのが、いっぱいいたですよ、体育会の学生的なのがあの時代の全共闘運動なり、ブントなりはそういった若者たちも吸収する魅力があったんです。それがいまないでしょ。だから右翼が同じとは言わないけれども、彼らは彼らなりに、そういう嘘力を感じて入ってきている。 高校生なんかもいますよ。一水会に来て、一緒に運動やりたいというのがね。ただ、長続きしない。それに、ぼくらより考え方が古いんですよ。一水会の車は、真っ黒ではなく、普通の白い車で、「一水会」とか「新しい日本をつくる青年集会」なんて書いてある。おとなしく演説をやっていると、総評などと間違えられちゃうんです。 そうすると、「こういうんじゃ迫力がない」とか、「軍歌をやりましょう」とか、「車も真っ黒にして、ヘルメットをかぶってやらなくちゃだめだ」とか、高校生から突き上げられるんですよ。 彼らにすれば、戦前の暗いイメージは 全然ないでしょ。むしろ「宇宙戦艦ヤマト』だとか『コンバット」だとかなんでしょうね。いま、『コンバット』ごっこっ ものすごくはやっているわけです。地球人類を救うためとか、宇宙のために戦うなんてのは格好いい、愛する人のために死ぬなんて格好いいと言う。「コンバット』や『ヤマト』的なもので街宣車を見ているっていう部分が、いっぱいあるんですよ。イデオロギーとかじゃないんです。

筑紫 なるほど。

鈴木 しかし、どういうきっかけでも、入って思想に触れれば、それでいいと思うんです。朝日新聞社とはちがうから、大卒者を入社試験をして入れて、月給で保証するわけにもいきません。実際には「きょうカレーを食わしてやるから街宣に来いよ」とか、「サントリーオールドを一本やるから、一ヶ月事務所番してくれよ」とか、だまして、拾ってくることもあります。

筑紫 全共闘みたいなものが左の側にな くなった。そういうものがあったら、 共闘に入っていただろう人たちが、鈴木さんのほうに来ているという部分があるわけですか。

鈴木 いろんな意味での「落ちこぼれ」を拾ってきていることもあるし、また、ぼくらみたいに学生運動の流れでずっとやってきている人間もいますし、いろんな者がゴッタ煮ふうにいますよ。昔、ブントにいたとか、アナーキストの運動をやっていたとか。いま、アナーキストは解体しちゃって何もないでしょう。それで、やっぱり何か反体制的な運動をやりたくて、「まあ、右翼でもいいや。右翼のほうがまだ、自分のやりたいことはさせてくれる」ということで入ってくる人もいる。自分のことだけでなく、世界の貧しい人を救いたい、この世の中を変革したいと思う青年はいつの時代でもいる。そういう青年の情熱を受け入れる場が、いまや左翼にはないんですよ。 左翼のほうは、がんじがらめでしょう。つい最近まである新左翼セクトにいたやつなんかは三里塚でずっと闘っていた。 それも確かに正義のため、人民のために闘っていたわけで、そこで死んでもいいと、みんな思ってやってきたわけです。それが、三島事件があったり、経団連事件があると、「あ、右翼の中でも、まじめに考えていたやつがいるんだなあ」と、彼らも思うわけですよ。いままでは右翼というと、警察の手先であって、資本家の犬であって、自民党の番犬であると教えられてきたけれども、そうじゃないやつがいるじゃないかとね。 ところが、そういうことをちょっとでも発言すると、上のほうから弾圧されるらしいですね。「そんなことはない。あいつらがいくら革命的なことを言ったって、しょせん右翼は体制の番犬で、あれは茶番なんだ」とか、「三島だって経団連だっ警察と馴れ合いでやっているんだ」 とかピシャッとやられてしまう。 だから、滝田修みたいにセクトを持たない自由なやつは、「われわれも、第二、第三の三島をつくらなくちゃいけないんだ」と正直に本音を言っていたけど、セクトに入っているやつは言えないという ことです。セクトのトップの人間は四〇代、五〇代近い人たちで、二〇年、三〇年前の綱領みたいなのをずうっと持っている。でも世の中は、ベトナムにしたって、中国にしたって、どんどん変わっているわけでしょ。そういう状況の変化に合わせたことができないし、自分たちの発言ができないし、自分たちの思ったことが何もできない。それじゃしょうがないということでやめて、民族派のほうが反体制的な運動ができるんじゃないかということで入ってきたのが、かなりいるわけですからね。彼らだって、根本的にナショナルなものを持っていたから帰ってくるんだと思いますけれども、そういう若い連中を引きつける力が、いまの新左翼運動にはないんじゃないんですか。 左翼が活性化しなければ、右翼も伸びない

鈴木 全共闘がバンバンやって、それを反面教師にして、ぼくら新右翼というのが生まれてきたんです。全共闘は、あれだけ世の中を変えられるムードをつくっ たのですから、すごいなあと思いました。防衛庁に対しても、でっかい材木を持って行って、ドンドン鉄の門を破って突入しようとしたり、新宿騒乱もすごかった。ああいうのを見て、ぼくらもあのぐらいやりたいと思ってずっといままで必死で四〇ぐらいまでやってきたわけです。 そういう反面教師の先生方は、どんどんいなくなっちゃって、警察が、もろに弾圧してくるのは、ぼくらです。朝日新聞社に爆弾を仕掛けたんじゃないかとか、無実の罪で、ぼくらは弾圧されている。左翼の連中は、どんどんやめて市民社会に戻っているけれども、そのころ増やし警察官ていうのは変わっていないわけでしょ。昔、平和な時代には警察官も少なかったのに、安保だ、全共闘だとかで、警察官の数が、二倍、三倍になって、その数は、いまも同じなんですよ。そういう人間は、たとえば北海道かなんかの自衛隊に入れて北の守りにつかせるとかということをすればいいんですけれども、そんなことをしないで、相変わらず機動 隊や公安をやっているわけでしょ。 新左翼がないから、じゃ新右翼を弾圧 しようということで、こっちが集中砲火ですよ。全共闘のロートルの諸君がもう一度がんばって世の中を騒乱させてもらわなきゃ困りますよ。いくら全共闘を懐かしがっても、しようがないでしょ、やっぱり。全共闘の出身者は、みんな大会社の課長、部長クラスになってて、自分の家庭が大事で、革命なんかやってられないんですね。これではダメですよ。栄井重里も全共闘出身者で中シンパなんて言われてんだから、金をばんばんもうけて、中核にカンパすべきだ。

筑紫 一方では、全共闘運動などがあったおかげで、あなたの側も活性化するということがあったんじゃないですか。鈴木それはありますよ、もちろん。全共闘の運動があったほうが、右翼は伸びますよ。いまのように全共闘がないからこっちにくるという人間よりも、そのほJうが多い。はっきりと敵対するものがあれば、それに対して不満を持っている人間が顕在化しますからね。いまだったら顕在化しないですね。それは活動家だけ じゃなくて、金もそうなんです。 ぼくらが学生運動をやっていたころは、左翼運動が盛んで、このままじゃ革命が起きるから、民族派のまじめな学生に、金を出してでも伸びてもらおうと思う人間もいるわけです。思惑は違うでしょうけれどね。文化人では林房雄さんだとか、福田恆存さんだとか、村松剛さんとか、ああいういろんな人が、学生の合宿だと文化フォーラムとかに来て、ただで話してくれたし、ただどころか、林さんなんかは、いろんな会社の社長と交渉して、金をいっぱいカンパさせたり、いろんなことをしています。 また、授業がなくなるのはいやだとか、試験を受けられないのは困るとかいう人間も含めて、いろんな人間が立ち上がってくるんです。ぼくらが早稲田でそうだったんですけど、左翼の連中とキャンパスの中で論争をしていると、そこの周りをいろんな人が囲んで、「ああ、そうだ」とか、後でワッと一緒に加勢してくれたりとか、そういうものができるんです。それで、どんどんサークルをつくったり、 立て看板をつくったりで、人が集まってくる。そういう意味じゃ、表現は悪いんですけれど、デモをやったり何とかというのは一種の演武会ですよ。「格好いい」とか思っているのが、そういうふうに入ってくるわけですから。

どこかでタガをはめな ければ運動はできない

筑紫 あなたが右翼運動に入ったきっかけは何なの?

鈴木 もともと、お袋が生長の家をやっていました。きっかけは、やはり人間の縁ですねえ。

筑紫 早大でスト反対運動は、二年のときですか。

鈴木 そうです。

筑紫 それまでは一般学生?

鈴木 ええ。ぼくは一、二年のときは、 良がひとつで、あとは全部優だった。筑紫うわーつ。

筑紫 三、四年には学生運動ばかりで授業に出なかったら、逆転しましたけどね。筑紫それはほくよりすごい。たいてい の人はぼくよりもすごいけど......。大学に何年いたの?。

鈴木 八年です。四年間は政経へ行って、まともに卒業したんです。その後はそんなことばかりやっていたもんで、また全国学協ができたり、全国的な学生の組織に出たんで、ついやめられなくなっちゃったんです。それで、じゃ、大学院でも受けようというんで、政経の大学院を受けた。あのときも半年間必死に勉強しましたね。 ぼくは左の運動に対しては幻想があるんです。いまの学校教育の中ではマジメで成績のいいのは、皆左翼になるでしょう。どうしても左翼的、反日的な教育だから。それに対し、右翼になるのは、学校の先生の話を聴かず、授業中に弁当を食ったり、ずる休みしたり、落ちこぼれるとか......それで右翼になったのが多い。出発点にハンディがあるんですよ。いま考えても、左翼運動に走った同級生なん皆、ほくより成績よかったし、頭よかった。だから彼らには幻想がある。逆に、右に対しては、右翼をやればやるほど、 人間ぎらいになり、人間が暗くなっちゃ う。ぼくは勉強ができるからいいと思ってこの運動に入った。学生運動やってたころは右も左もみんな勉強してたし、知的刺激や興奮があった。こんな運動をずっと続け、勉強していけるなら素晴らしいと思って飛び込んだ。ところがいまはそんな状況じゃないですからね。

筑紫 あなたはいまだに独身?

鈴木 ええ、そうです。

筑紫 禁欲的にやるためには、妻子は邪魔だから?

鈴木 というよりも、第一、食っていけない。同時に、自分が流されるんじゃないかという不安があるからです。ぼくは別に凶悪犯じゃないし、いわゆる過激派でもないと思っています。自分自身に優しさがあると思うんです。いまは飯を食わなくても本を買い、自分たちの新聞をつくったり運動したりすることができる。金がなければ、先輩のところへ行って飯を食わしてもらうこともできます。そういうのは独身だったら笑って話せる。それが、親子五人でご飯を食べさせてくれ、 などといったら悲劇ですからねえ。 ぼくらの学生運動のころも歯止めを持っていた。まず、大学を卒業しない、社会に出ないということです。だから、六年、七年、八年、留年してる人がいた。次は、せめて企業に勤めないことです。ルンペンや土方をやりながら、革命運動をやる。ところが、それが結婚だけはするまいとか、だんだん自分のタガが後退"していくんです。ぼくは第一段階の大学は出ちゃった。第二段階もサンケイ新聞に勤めたから、タガが外れた。販売など四年半いて、クビになりましたが。これで結婚したら、子どもだけはつくるまい、とかさらに後退してしまう。だからどっかでタガをはめないと運動なんてできないと思う。

日本の革命は、常に 天皇を中心にしてきた

筑紫 ところで、その運動のなかみですが、天皇制をどういうふうにしたらいいと思っているのですか。現憲法の天皇制には不満なわけでしょ。

鈴木 そうですね。ただ、ぼく自身が改憲案を一条から全部つくれと言われたって、ぼくなんかできっこないし。それはまた右翼運動そのもの、民族運動全体の役割だと思うんですけど、やはり、一つの問題提起をして考える材料を提供するだけだと思うんですよ。 天皇の問題でも、こう思うんですね。つまり、民主主義的な世の中にどんどんなってきているようだけども、その実、なぜ人間が官僚化するかというと、人間の所有だとかその形態はどんどん平等化できても、精神的なものは平等化できないからなんですね。物質的なものを全部平等にすれば精神も平等になると、マルクスだってレーニンだってある程度信じていたと思うんです。しかしながら、平等になればなるほど、人間の精神的な憎悪だとか嫉妬だとかは、かえって大きくなるわけですよ。 昔の士農工商みたいな形で社会が固定化していれば、百姓が武士を羨むなんてことは、ぼくはなかったと思うんです。生まれが違うんだと、最初からあきらめ ていた。それがいい悪いは別にして。ところがいまは、人間みんな平等だと建前では言っているけれども、実際には平等じゃないですよね。だから、自分だけが何でこんな貧しい生活をして、あれらが何で有名になって贅沢三昧できるのか、というような不満や嫉妬だけがどんどん増長されている。 いまのテレビのアイドルだってそうだと思うんですよ。変な話かもしれんけど、昔だったら、子どものときから天才的に歌のうまいのが歌手になってたから、そういう変な意味での嫉妬は起きなかった。しかし、いまは、歌が下手でも何でもいいから、チャンス、人間関係さえあれば歌手になれるでしょ。そうすると、「ぼくじゃなくて、何でマッチが歌手になれるんだ」とか、「何でほくじゃなくてトシちゃんが歌手になり、みんなからちやほやされていい生活ができるんだ。これは社会がおかしいからじゃないか」とか、そ ういう逆の怨念や嫉妬がどんどん大きくなる。 これは、誰が首相になったって、誰が 権力を取ったって、ずっと繰り返される と思うんですね。それがやはり、民主主義国家の危機だと思うんです。だから、平等というのは、突き詰めていけば無秩序になると思う。 昔、ササン朝ペルシア帝国時代に一人の非常に英邁な君主がいて、「私有財産が悪の元凶だ。私有財産制をすべて取っ払おう。みんなが全てを共有にすれば平等で自由になるから、理想の共和国ができる」と言ったというんですが、これはある意味での共産主義ですよね。そして「女の私有もやめよう。女を全部共有しよう。嫉妬なんていう感情は卑しいしマイナスのものだからやめよう」ってことにしたらしい。 そうしたら何が残ったかというと私生児が増え、殺人や抗争がどんどん増えて、もうどうしようもない国家ができてしまった。それで、しょうがないから「せめ女は私有制にしよう」となったらしいんですけれど(笑)、やっぱり、そうなっちゃうと思うんですね。 昔、あるアナーキスト団体に呼ばれて、 話をしに行ったことがあるんですよ。そしたら、「天皇がいて、国家があって、民族があってというような、殻に閉じこもったものが悪いんだ。これを打破しなくちゃならない。家族だってそうだ。親が八いて子どもに命令する。女房に命令する。そういう権威主義的なものがあるから、世の中は悪くなっている。権威主義は撤廃しなくちゃならない」と言う。「それはいいですね」という話をしてたんです。そしたらその後で、「それにしても最近、息子がオレの言うことを聞かなくて「困る」とか言い出すわけですよ(笑)。ひでえなあ、と思ってね。だから、国家や権力が人間の内面にまで干渉して、個々人の精神や思想まで平等化しようと思ってもそれはできない。そのできないことをやろうとしているから国家が官僚化するし権力悪が出てくる。いまのように左右を含め、思想を持ってる人間を封じ込め「過激派キャンペーン」を張ってるのは、まさにそれだ。このままでは、ジョージ・オーウェルの『一九八四年』をはじめとした暗い反ユートピアの世界ですよ。だ から、思想や精神はどんなものでも無限に自由にしておくべきだ。自由競争は必要だし、「出発点の平等」さえあればいい。嫉妬や不平、不満の暗い情念を超えるものとしては、日本では無私の天皇の存在があったと思う。そして、どんな危機のときでもその一点に回帰し、そこを中心にして危機を乗り切ってきた。 日本の革命は、常に天皇を中心にしてきた。明治維新だってそうでしょ。天皇に帰一するから全部が平等になれるんだという、夢をかなえる存在が天皇だった。人々は平等、自由、独立、希望の夢など天皇に託した。そしてその夢がいつの時代でも変革運動のエネルギーになってきた。ところがいま、どんどん人間が個人主義化して自分のことしかみんな考えなくなってきた。杉並と世田谷のゴミ戦争も「確かにゴミ焼却場は必要かもしれないけども、自分のとこはいやだ」というので、よその区に持っていく。食生活の問題でもそうだし、教育、国防などすべての面についてそうです。日本でありながら日本人らしさはなくなっている。 ほかの人間は全部死んでも自分さえ生 きてりゃいいというようになってるわけです。その中で、天皇陛下という方は、連綿として日本の日本人らしい生活を守り、自分のことは一切考えないで国民の平和を願っている。そういう存在がおられることは非常に心強いと思います。それにいま、自分自身も含めて、みんな自分のことしか考えないし、不平、不満、嫉妬ばかりが充満している。そんな中で「私心」のない天皇の存在というのは、この世の中を変革する原点でもあると思う。天皇陛下が一〇〇パーセント聖なる存在であるということは、我々の中にもそれを見る聖なるものがあるからだ。たとえ一パーセントでも一〇パーセントでも......。その「聖なるもの」を見つめ直すことが大事だと思うし、いまの体制の危機を救うのはここしかないと思う。

天皇を否定する言論の 自由も保障すべき

筑紫 性悪説からデモクラシーを考えた人もいる。三権分立もそれを制御する 装置として出てきた。天皇制の場合、その装置がきちんとしてないために、あなたたちのいう「天皇制の持つ毒性」が出たわけですが、いまから天皇制を再構築しようとする人たちは、ストッパー装置をどのようにつくっていくのか。鈴木その点では、マスコミ、言論図が健全に作用してることが必要です。天皇を否定する言論の自由は絶対保障しなくちゃならない。日本の国家を左右する曲がり角にだけは陛下にご聖断を仰ぐというシステムさえあればいいんじゃないかという気がします。

筑紫 天皇制の現況は右翼から見ればビリッとしないでしょ。特に若い世代は関心がない。

鈴木 右翼そのものもピリッとしてないでしょう。それは戦後、天皇のことをまったく教えなかったし、また天皇のことを考えなくてもいいような政治が戦後四○年間続いてきたからです。安保、防衛、憲法なども考えなくてすんだ。しかし、それはアメリカの軍事的な後ろ盾があっ たから、日本は考えなくてもすんだわけ です。ぼくは、一億の国民一人一人が、四六時中、天皇だとか国家だとかを考え社会というのは異常だし、よくないと思いますよ。考えなくてすむような社会のほうがいいんです。

筑紫 ただ、いまはそういう健全な形で忘れてるわけではない、と。

鈴木 そう。不健全な形で忘れている。オブラートで包んで、考えなくてもいいようにしている。ほくは、「戦後四〇年間、日本は平和だった。だから軍備はいらない。平和憲法があったから日本は戦争に巻き込まれなかったんだ」という論調は根本的に間違っているし、そういう幻想を抱かせるような政治は間違っていると思うんです。何も、平和憲法があったから戦争に巻き込まれなかったわけじゃない。憲法が立派なところだって侵略されたり、戦争に巻き込まれてるとこは、いっぱいあるわけですからね。アフリカだって東南アジアだって、新興国家には日本の憲法より立派なものがどんどんつくられています。しかしながら、いくら立派な憲法をつくったって、内乱は起き てるし、クーデターは起きてるし、戦争には巻き込まれている。ですから、憲法そのものには、ほくは戦争を抑止する力は全くないと思いますね。

いくらでも受けて立つ 天皇制論争

筑紫 右翼が怖いということが天皇制の議論を封殺している。怖いから触れないということで、若い世代の関心が低くなる。それでいいんですか。

鈴木 それは右翼にもマスコミにも責任はある。論争以前のスキャンダリズム、揚げ足取り、中傷で問題が起こった場合がほとんどだった。理論的な批判じゃない。'

筑紫 しかし、右翼が怒るのは、「神聖にして侵すべからず」という前提があるからですよ。

鈴木 いや、そうじゃなくて、理論的なものでの天皇否定だったら論争は構わないし、そういう論争だったらいくらでも右翼の人も出てくると思います。言論の権力を持っているほうが、いくら天皇陛下をばかにしたって、ポルノまがいに軽 蔑したって構やしないというかたちで出てくる。ところが、されるほうは反撃権がないんですよ。じゃ、しょうがねえ、オレが代わってということになる。

筑紫 しかし、学者が研究をやり、天皇制に触れると、右翼からの圧力などが強く、虚心にやれないという雰囲気がある。

鈴木 それはないと思います。それをやるならば、右翼がおかしい。ほくら、理論的なものなら、いくらでも受けて立つ。逃げたことはない。藤田省三が彼の本の中でこんなことを書いていたんですね――天皇批判に対してテロで反撃するならば、天皇制は血塗られた刃によってし守れないものになる。そんな天皇制に果たして価値があるのか、と。そのとおりだろうと思いますね、ぼくは。 でも、一方でこうも思うんです。天皇を批判する人間に度胸がない、と。もし、本当に思想に命をかけるというのならば、殺されたっていいじゃないですか。それくらいの覚悟でやるべきですよ。こっちだってその覚悟でやってるんですから。

(86年4月10日)


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