荒井晴彦
高田宏冶
丸山昇一






  

今日は、阪本順治監督とライター という形で仕事なさったお三方に集まっていただきました。まずは高田宏治さんに脚本論というテーマから離れて、『KT』の感想からお聞かせいただきたいと思います。

高田 荒井さんの苦しまれたポイントはよく分かるけれど、映画を見て、これはメッセージ映画なのかサスペンス映画なのか、ちょっとつかめなかった。もう一つは、いったい誰が共感するのか。主役があの自衛隊将校だとすれば、それに共感する意味は今ほとんどないしね。そのテーマに切り込むのはまず不可能だろうし、しちゃいかんと思う。それと韓国籍の女だとか、若いボディーガードの恋とか、その若者の母親とかに共感できうる芝居が、エンタテインメントとしては今ひとつかな。だから全体としてはどういう映画なのかすっきりしないところがある。映画としては力もあるし、観客にどういう風に受け止められるか大変興味はあるけれど、やはり監督の守備範囲ではなかったかなと。

エンタテインメント性と政治性で言うと、後の方は阪本監督の資質に合ってないと。

高田 エンタテインメントなら、もっとそぎ落とさないと、テンポも出ない し、サスペンスもかからない。金大中の階段の上り下りを延々と撮っていたんじゃ、サスペンスにならない。そういう基本的なテクニックを忘れている。僕は彼を嘱望しているし、好きだから、大きくなってもらいたいけど、これは正直言って......。エンタテインメントでどう見せるかというのが楽しみなところであったものですから。政治劇なそのすったもんだを人間喜劇として捉えるとかね。

丸山さんはどう思われました?

丸山 この三人の脚本家は、人間的に阪本さんを好きなタイプだと思う。僕も非常に好きな男で、最初に荒井晴彦と組んでやっていると聞いたときに、阪本ワールドも新しいところに入っちやったなと思った。僕は絶対合わないと思っていたから。高田さんまでは分かるけれど。でもやっぱり最初の三〇分くらいは興奮して見てたんですよ。で、見ているうちに、これはやっぱり荒井晴彦じゃなくて俺だったろうと(笑)荒井晴彦と組めばポリティカルな方向にいくだろうと。これはサスペンスじ売れないし、ちょっと違和感が出ている。でも見ていて飽きはしない。やはり力がある。ある種の熱気がスタッフとキャストを巻き込んでいって、こういう映画を撮りたいんだということ がはっきりしているから。

ポリティカルとエンタテインメン トというお話がありましたが、『ソウル』という映画はエンタテインメント一本なんですよ。日本人と韓国人の刑事が出てきますが、政治も歴史も全く踏まえられてない。両国のメジャーが組んで、TV放映する前提で作っただろうから、ポリティカルな面を出すのが難しくなっている要素があると思う。ただ、『KT』に関しては、ポリティカルな要素が全くなければよかったということではないんですよね。

高田 私はあった方がよかった。ポリティカルでもなんでもエンタテインメントになるんですよ。例えば三島由紀夫の事件なんか、私流の構成で言えば、金大中にそれをどう見たかを言わせる。それを提示して、打って返ってこないとエンタテインメントにならない。それが分からないから私は最後までもどかしかった。自衛官のあの白い花の意味も最後まで分からない。金大中なりKCIA将校なりのドラマがもっと激しくぶつかっていかないと。客は入らなくてもいいから、強烈なメッセージを謳いあげた方がむしろよかったんではないかと。それは監督の問題で明確な思想や哲学があればね。でもあの人はそれがないのがよいところなんだ。

極端に言えば金大中をラグビーボ ールのように奪い合うということでしかないということなんですよね。

高田 人物設定から何まで原作から離れて考えたんでしょ?

荒井 原作とはかなり違います。原作はノンフィクションノベルというか、事件を小説風な仕立てでドキュメントしているんです。

――原作には主観的なポリティカルの要素はないんですか。

荒井 中薗さんの思想的立場からして当然だけど、金大中暗殺指令を出した朴正熙とKCIAを告発している。金大中が後年日本に来たとき感謝された

――この映画は感謝されるんですかね。

荒井 中薗さんはボディーガード側から書いているんですよ、在日の青年たちを。僕も最初はそれでやったんだけど、結局守りきれなかったとなるからカタルシスがない。大統領に?どうかなあ。映画はやっぱり事を起こす側にいかないとと思って、それでKCIAと行動をともにする自衛官という設定を考えついて、そっち側からいった。僕が『灰とダイヤモンド』と『暗殺の森』を思い浮かべたときも、アンジェイ・ワイダにしろベルトルッチにしろ一応左翼だろうけど、左翼がなぜ逆の 側を描くんだろう、左翼が左翼を描くと、単純なメッセージにしかならないからかなと。その限界に途中で気づいた。最初、好きに書いてくれと言われ何ヶ月も詰まってたら、阪本が劇画みたいなプロットを持ってきたんだけど、ポリティカルはあくまで背景で、さらわれる人が大統領候補なだけのただのサスペンスアクションだった。なんだ、劇画でいいのかとちょっと楽になった。そういうことでいいのなら、もっといろんなことがやれると。世間的には悪でも感情は入れられるし、金大中という人がいて、それを暗殺しろという困った命令に従わざるをえない、かたや守らなきゃいけない人間たちがいた一九七三年という時代と人間群像が出せればいいなと思ったんですよ。ところが僕が苦労して書いたところを全部落としてる。俺じゃなくてもよかったじゃないかと。

□プロデューサーの不在

丸山 映画のやり方として、何があったかを暴くというのが一つと、もう一つ、さらわれる側とさらう側の攻防戦があって、どうやって攻め守るかというところで、アクション映画になるでしょ。阪本さんは結局そういうことを やりたいのに、荒井さんのように人々の履歴書を書いていって、時代背景を浮かび上がらせていくと、絶対ポリティカルに広がっていくことになるのは当然で、そのときにプロデューサーは何をしてたのかという問題がある。僕はいつも思うんだけれどプロデューサって何のためにいるんだよと。金大中やろうぜと言ったとき、この映画は何を売るのか考えないといけない。

高田 阪本さんは自分でも認めているけど、スター主義なんですよ。ヤクザ世界や大阪の庶民の世界をこういう役者にこういう芝居をやらせたいからこういう撮り方をするという手法で、ホンにないことをボンボン入れるから膨らんでしまって大事なところが飛んでしまう。この映画も韓国の女優に惚れ込んで、どう見せるかということに視点がいってしまう。サスペンスやるなら荒井さんでも丸山さんでもなく僕のところに持ってくればすごいやり方教えてあげたのに(笑)。荒井さんのホンにもよいメッセージだと思うものもあれば、ちょっとチャチなものもある。何が言いたいのかよく分かる部分もあるけれども、それをそのままやらずに違うドラマツルギーで工夫すればいい。たとえば当時の朴正熙政権がアメリカの傀儡で、金大中も弾圧で韓国にい られないから日本に来ていて公安もKCIAもマークしてた。そういう全体を日本側から描くのか韓国側から描くのか。今は韓国側から描くのが非常に多いけど、私流に言えば日本側をもっとポリティカルな部分でハッキリとやったら、また違ったんじゃないかと。

―韓国側から言えば金大中が正義で、日本が悪という図式になりますよね。荒井さんが書きながら映画にならなかった部分というのはいろいろなファクターがあるわけですよ。金大中は北と仲よくしようとしている、しかし、北共産主義の名の下にやってきた悪いこともいろいろあるわけで。

荒井 ただ、それは当時俺たちも全く分からなかったわけで今だから書ける。当時は北朝鮮がいい国で、韓国は軍事独裁でとんでもないという認識が一般的だったんじゃない?

でも、佐藤浩市が演っている自衛官は、満州から引き上げるときにひどい目にあったというのがあって北の実態が分かっている。

荒井 そこを切ってるから、なんで佐市が反共でKCIAにあそこまでコミットしていくのかが映画じゃ分からない。高田さんが言ったけど、阪本はライターと映画作るんじゃなくて役者と作ってる。乱暴に言うと「どつい たるねん』と『顔』だけでしょ、うま くいってるのは。赤井英和と藤山直美 という個性と出会って。

高田 そういう風にも言えるけど。

荒井 阪本も相当プレッシャーがかかってどうせ刺されるなら、荒井じゃなくて自分の台詞で刺されたいと決意して、切ったみたいですよ。これは七三年当時は分からなかったけど、僕は途中から共産主義も資本主義もよくない、いいものなんかないんだという今の俺の考えに立って、ある総括ができるかなと思ったと日経のインタビューでしゃべったら、それを読んだ阪本が、荒井さんの総括をなんで俺が撮らなきゃいかんのと思ったらしい。

高田 私は阪本順治にはPTAみたいな気持ちでいるから、お客さんが分かるかとハラハラして観てたけど、よみうりホールの試写は、相当な数のお客さんが来て熱狂的でしたね。彼もそれがすごく嬉しいんですよ。カルトでもないんだけれど、大島渚みたいに、自分の周辺のシンパサイザーがいる。それは役者もそうなの。自分の経験してないものを撮るときには自分のシンパの役者を使って、こういう画を撮るとかね。『新・仁義~」では布袋寅泰は夕日をバックに撮るとかしきりに言ってた。

荒井 初めに画ありきじゃなくてホンありきだろうと思うんですけどね、画からくる。しつこく言っていたのは、金大中が足を引きずって部屋に入ってくるのを金大中出にしたいと。金大中はホテル住まいだから迎える側で、新聞記者が部屋に入ってくるから、そういう画にはならないと言ってもそういきたいと。自分がインタビューされるときは新聞記者が待ってるからって。俺は絶対そうは書かないからなと言った、それが緒戦。

高田 金大中は今は足がヨレヨレじゃないですか。私だったら当時の東京で は彼が矍鑠としているようにするんです。今との対比で。その方がサスペンスもかかるしね。

高田さんのおっしゃる通り、阪本さんはスターを大事にするし、役者とのつながりを重視する。自分は黒子だから記者会見にも出ないんだという監督とはちょっと違う。

高田 それは彼が同志的な結合というところで、製作陣も含めて陶酔しているから。彼になら命がけでという人が集まってくるから。

荒井 黒澤明は天皇って言われたけれど、それは企業がちゃんとしていたころの完全主義追求の天皇でスタジオシステム崩壊後の今、映画は監督のモノ という貧しさゆえの作家主義、予算ないんだから、その中でせめて好きに作ってということがシステムになってしまった。貧しいがゆえの「独裁」というか、みんな、不完全主義の小天皇になってしまった気がする。

高田 今回に限って言えば彼は自分だけの世界じゃないプロフェッショナルなところをつかみたいというのがあったと思う。だけど、やると結局は元に戻る。

荒井 高田さんや丸山や俺とやったりするのは、何か自分にプラスしようとしているとは思うんだけれど、いざ始めると殻に籠もって防衛に入る。自分で書いた台詞ではないから、役者にその意味を訊かれても説明しきれないみたいなことを言ってたけど、だったら俺が今まで書いてきたホンを何も言わずに演出してきた監督はどうなんだと。監督というのは自分で書いたホンだろうが他人が書いたホンだろうが演出するもんでしょ。昔、鈴木則文さんがホンを直して撮るのは誰でもできる、直さないで撮るのがプロなんだと言っていた。シナリオと演出の問題を勘違いしているのかな。

□阪本組の功罪

高田 最後、日本の自衛隊のヘリコプターに拳銃を撃ちまくるでしょ。あの意味が分からなかった。ホンはちょっとしか書いてないのに、あれを延々と撮るでしょ。あれが何に対する怒りなのかヤケなのか、よく分からなかった。

荒井 「何かわめきながら自衛隊機の日の丸に向 って乱射する」って、韓国人の日の丸に対する「恨」 を書いただけなんですよ。

高田 あの辺は何か急に映画の質が変わったなと

丸山 変わったというか、あそこで阪本さんは逆ったんですよ、画的にこれはいけると。

荒井 でも、叫んでいる台詞は空疎だよ。関係するな、邪魔するな、帰ってくれ、何が分かる、貴様らに邪魔する権利があるか、このままじゃ終わらないって。俺は台詞にならないぐらいの怒りだと思ったから書かなかった。台詞が欲しかったら言ってくれればいいんだ。

丸山 その部分で言うと、拉致して韓国に向かう船の中のシーンは、一番のってるじゃないですか。あれをやりたかったんでしょ。

-船の中は韓国側だけの部分ですよね。韓国の役者をわれわれは知らないからセミドキュメンタリー風に見えますよね。

高田 だから、基本的には自衛官と韓国人女性とのラブを一番やりたかったんじゃないかなと思うんですよ。

荒井 いや違う、女はやりたくないんですよ。

高田 いつもはそうだけど、あの女は違うかなと。あの人、普通の女は嫌がるんですよ。この設定の女はやりたいんじゃないかという気がした。でも、普通のコンポジション的なところで言えば、二人の関係が全体を通して流れてない。それは考えてたんですか、荒井さんは。

荒井 ヤクザ映画でもアクション映画でも、あとで残ったりするのはそういう女とのシーンじゃな いですか。敵同士を偽って知り合って、KCIAに拷問された火傷のあとを治させるためにKCIAの金を受け取って、さらに自分はヤバイ方へいく、そして、小切手は金車雲に戻って、また戻されて金車雲の娘に渡る、恋、友情、親子、という風に小切手の流れで通したつもりなんですけどね。

高田 言えばのってくるでしょ最初は。『新・仁義~』で言えば、私はチンピラの村上淳と女の話を最初から最後までずっと書いていた。借金取りに行ったとき、挨拶したら九官鳥だったとか。私の中では九官鳥を下げて女が歩いているところがラストだった。そのくらいチンピラと女の話で通してたのに、映画ができたらワンシーン半くらいになってた。

丸山 僕は阪本さんの素晴らしさというのは、撮影所で育ったわけじゃないのに阪本組があることだと思う。今は山田洋次さんの山田組が残っているくらいで、ほとんど監督は自分のチームを持ってないじゃないですか。でも、脚本家だけプロと言われる人が起用されて、脚本を何回も直す。実際に決定稿、撮影稿ができて、撮影に入って、直さざるをえないときは、僕の場合は報告があったんですよ。今の高田さんのお話を聞くと、事前に通告が全くなくてスパンスパンと切られちゃってる。荒井さんが怒っているのも事前に言ってくれというのがあるんじゃないですか。

荒井 だから予算、ロケセットの都合なんかで切らざるをえないとき、勝手に切らないで俺に相談してくれと。

高田 いや、そういうのじゃない。現場で撮影に 入ると、ホテルに籠もって誰とも会わず、ずっと考えてる。その考えている間にやりたいことがいろいろ変わってくるタイプなんだよね。それがうまく出ると、すごくよいのを撮るし。これだけは外しちゃいかんという基本的な骨組みがあったとしても、それまで外してしまう面白さがあるしね。

荒井 だけど、赤井にしろ、藤山にしろ、そうだけど、お客さんがひとりの役者で見ていく作りだといけるけど、こっちもあっちも描くというのはダメなんじゃないかな。

丸山 僕は今回の『KT』で感じたのは、有り体に言えば、荒井さんに相当触発されて、今回はかなりカット割りから芝居の作り方まで重厚になっていると思った。一緒に見た阪本さんの熱狂的なファンとあとで話をしたら、今度はすごく大人の映画になっていて嬉しいと言うんですよ。こうい重厚なものもできるというのを見せたかったんだなと感じた。

高田 肩を張ってる気はするな。構えてるというか。

丸山 映画だけで分析すれば、彼は新しい局面にきている。僕はそれでいいと思うけれども、問題は脚本家を起用して、何回もキャッチボールしながらもみ合ってできた脚本を、なんでスパーって切っちゃうのかということ。一言あるべきだろうと。

高田 丸山さんのときは初号を見て、ああなるほどというものだったんですか。

丸山 僕の思い込みとかなり違うところもあったけれども、それこそ荒井さんの言う1+1=3に なってたところがあったから阪本順治 はすごいと。僕自身が浮いてしまうところがあった。

高田 『新・仁義』はウチの会社も半分お金出して、儲けようと思っただけなんですよ。阪本が書いてみたいと書き直してきたのを見たら、ポン中がのたうち回っているような「仁義なき戦い」だったんですよ。とにかく全然ドラマがなくて。結局、彼から手紙が来て、もういっぺんやってくださいって。そこが可愛いんですよ。こいつのためなら何でもやってやろうと思ったのが運の尽き(笑)。だけどポン中がのたうちまわって拳銃を撃ちまくっている映画にすればよかったのに、変にロジックを放り込んだからおかしくなった。もうちょっと彼を野放しにして、いいところは出してやった方がよかったのかも分からん。荒井さんが大人の感性でもって、きちんとやろうと思ったから、彼は遠慮はするわ、迷うわで、かえってそうなったのかもしれんね。

□若い観客へ向けて

丸山さんの言った「重厚さ」という意味で言えば、『新・仁義~』で高さんは少し「野放しにしてたけど、荒井さんはやっぱり、重厚というか、ガ ッチリしたものにというのがあったんですかね。

高田 しかし、これをガッチリしなかったら、それこそ刺される可能性があると思う。もともと思想的なものが何もなく、ただただいわゆるイエローペーパー的趣味でやれば問題が起こる。『新・仁義~』だったらそれでも構わないけれど。だから荒井さんも、メッセージの作り方を、何か彼がのるような工夫があったらよかったと思う。

丸山 『どついたるねん』も『顔』も、僕に言わせれば「傷天』も市井の、ちょっと普通じゃない男女の、いい世界を描くじゃないですか。これは脚本を読めば分かるけど、荒井さんはポリティカルサスペンスとかじゃなくて、一大叙事詩で捉えてますよね。それは阪本さんの資質と根本的に違う。彼が撮るんなら佐藤浩市君の役か原田芳雄さんからいく。

高田 それよりも筒井君が『傷天』の弟分みたいな役で、大物のボディガードするなんて夢にも思わずヒョイヒョイ付いていき、ふと気づくと大変なことになったというのが今までの阪本の世界だよ。

丸山 筒井君のところはいいじゃないですか。

高田 母親がいて、恋人がいてという シチュエーションがあって。

丸山 だから、荒井晴彦じゃなくて俺のところに持ってくりゃよかったの(笑)。

高田 「傷だらけの天使 金大中版」(笑)。『傷天』はすごくいいところあるんですよ。あの兄弟分の感じなんか破天荒で。でも、『KT』が失敗作みたいな言い方してるけど、そうじゃない。おべんちゃらでなしに。ただ分からせるのがそんなに嫌なのかと。私から見ると韓国人って顔がみんな同じに見えるから、せめて眼鏡かけさせたとかしてくれると分かるんだけど、そういう配慮が彼には全く見られない。

丸山 その辺の大胆さが若い阪本ファンには割とすんなり見られるんですよ。

高田 自分の想像力で勝手に決めて見ているのかな。でも『顔』も確かに面白いし、彼本来の芸を見せたところはあったけど、映画的な興奮は覚えなかった。共感を突き放した映画で、阪本作品に限らず、評判になっている映画を見ても、何であんな共感できない主人公ばかり撮るのかなと。あれじゃ客は入らない。『千と千尋の神隠し』の女の子には共感できるからね、映画のよい悪いは抜きにしても。そういうものには客は来る。

―『KT』はどうしたって歴史ドラマなんだし、『傷天』じゃあできない部 分がある。この手の作品で思い出すのはたとえば『二百三高地』ですけど、戦争があって、それから一人ひとりの兵隊の人生がある。その組み合わせでいえば、金大中事件があって自衛官がいて、心ならずも巻き込まれる若者がいたりする同様の構造なんだけど、上がった作品は各人物の立場よりも個々の人間の素顔にウェイトがいってしまっている。

高田 日本の自衛隊だとか憲法は歪みだらけだから、枠にはめようのない苛立ちとか焦りがあったんだろうけど、満州からの引き上げで苦労したという自衛官も、何で戦争がしたいのかということになる。これは永遠に議論しても説得力を持たないんだから、悲しい過去を持った女の子と、自己否定して見切ろうとしている自衛官との恋を描いて、そこで金大中にひと言、恋人いるのかとポツンと言われて人を殺せなくなるのか、もしくは殺すようになるのかというドラマを発生させるとか。新聞記者は大変魅力的に書かれているけれども、俺はこうだったとか言わせるところは、あまり好きじゃなかった。ただ、富田が満州帰りだってことは、完成した映画の中では出てこないですよね。満州男って名前だから我々くら座いの年代ならピンと来るけど、映画の 中には名前まで出ないからね。

丸山 彼の判断で若い観客を意識した とき、満州もへったくれも分からないというのがあるんですよ。

荒井 だったら、金大中をなぜやろうと思ったのか。若い観客は隣りの国の大統領だということも知らないかもしれない。

高田 この頃は金大中の写真とか出せないよね。

荒井 当時の朴政権の総理大臣、金鐘の票をもらって大統領になったからですかね、大統領になったらできるはずなのに、真相究明しませんね。

高田 難しい題材を選んだんだなあ。

荒井 三島のニュースフィルムも使うつもりで、ファーストシーンはバルコニーの演説と最初は書いてたんです。楯の会関係はクリアしたみたいなんだけど、結局は三島家の問題があって。放送局が出さないんですよ。だからタクシーの中でラジオで聞くみたいになった。

高田 面白い導入ではあるけど。

丸山 カットされた問題に戻ると、一つの台詞の途中の三行くらい削って、続けて役者に言わせている。ライターはそこまで計算して書いてない。ライターは台詞を紡いでいくときに本当に命を削る感じでやるから、まるで自分 のへその緒を切られたようで、カーッ とくるんですよ。そういう切り方をしちゃダメですよ、阪本さんも。

荒井 シーンごと落とされるのはまだしも。台詞を間引かれるのはね。

丸山 それはあるリズムの中で言っている台詞で、ライターはこう、空気が降りてくるのを待って、来たと思ったパッと書くわけです。それを抜かれちゃうと、この野郎となりますよ。

荒井 『新・仁義~』は高田さんの部分と阪本部分が水と油のように、変に分かりやすく割れてますよね。

高田 それは彼が遠慮したというより、私の書いたところで面白いところだけを取ったから。

荒井 あれはあれで妙なバランスだなと思った。要するにヤクザの抗争部分は高田さんで、あの二人(豊川悦司と布袋寅泰)は阪本が突っこんでいる。バランスが悪いといえば悪いけど、あれだけバランスが悪いと一つの作風かなと。

高田 『新・仁義~」で言うと、どう考えてもあんな親分に付いていく子分はいないわけで、ファナティックなところを描こうとするのは、やっぱり役者に惚れ込んでいるんですよ。キャラクターに惚れ込んでいるんじゃない。我々はキャラクターを作って、役者に 当てはめるけど。

荒井 だからホンより先に役者がいる。佐藤浩市も原田芳雄も、僕のホンだろうと誰のだろうと、阪本がやろうと言えばやる。だから韓国の役者さんが僕のホンを読んでやろうと思ったと言ってくれると、これが真っ当な世界だよなと思う。―監督にスター性、カリスマ性があるということなんでしょうね。

高田 なんか不思議なアジテーションする力を持っているんですよ。あまり理屈っぽくなく。

□映画作りの転換点

昔の映画は日本中のあらゆる人が見に来る可能性があるものとして作られていました。それがある時期から外国映画はともかく、日本映画を見るのはある特定の集団みたいになってしまった。そのためにいわば観客まで仲間うちのような空気がありますね。そういう狭いところで、これでいと思ってしまったら広がらない。阪本さんは力量を持った監督だからかなり広いけど、それ以上広がらなくていいのか、さらに広げようとするの問題ですが、もっと若い監督になると、僕らは狭くていいんですという人たちまで出てきている。

荒井 阪本という若手の中でも偏狭じゃない才能を持った監督に高田さんの技術がプラスされればもっと面白くなると考えるのが当たり前でしょ。そのプラス部分を捨てるようなことを繰り返していたら先細りするに決まってる。今、日本映画を応援しないといけない雰囲気があって、評論家が 厳しい批評、批判を控えているように思う。逆に みんなしてスター監督を作ろうとしているような感じがする。

丸山 僕らは撮影所がなくなる寸前、撮影所で脚本家を育てる余裕がないときに入った。でも組む監督は撮影所で育った監督だったから、そうした人たちと我々脚本家は、いわば最後の影を引きずっている。古いドラマツルギーと、映画の骨法を身につけている人間は、メジャーでものをやる感じをどっか引きずっているけど、阪本さんなどは、そういうところと関係なく撮影所出身でないプロデューサーと組んで、独立系の映画館でやっている。そういう監督が増えて、実際、僕がここ何年組んでる監督の中には撮影所を知らない人もいて、彼らは撮影所で助監督やってた人とは全く違い、自分たちで映画撮るなら自分たちの文法で撮りたいんですよ。つまり、いわゆるメジャーの娯楽映画を否定したいわけだから俺みたいなライタではなく、それこそ新しいライターのところに行けばいいのにと思う。プロデューサーから脚本家に僕を立てるみたいな言い方をされたときは、娯楽映画に徹したいなら一緒にやろうと僕は言い返すんですよ。俺もやりたいように書くからお前もやりたいようにやってくれと。こっちが根本的に妥協しないといけない時代じゃないですか、嫌なことですけど。こっちが定石の泣かせのシーン書いたら、丸山さん、これは今までは通用してたかもしれないけれど、僕はやりたくないとか言われるとさ(笑)どういう風にやりたいのか聞くと、分からないけれど、画はこういう感じなんで す、と。シナリオは論理的にやるものじゃないですか。僕も二十何年やっているけど、最初の十年くらいと今は全然違う。『傷天』で娯楽映画やりたいと言うから、でも阪本さんはどっか外すところがあるよねと言ったら、いや、僕は自分が面白いと思うことをやってると言っていた。僕が泣かせどころを書くと、彼はこれは撮りますからと、決定稿までくどいほど繰り返す。例えば少年との別れのシーンで、これは外さずに定番というのをやってみてくれ、ダメだったら外してくれと言ったら阪本君もそういう風に撮ってくれた。でも、その後にわりと新しめの監督とやったんだけど、やっぱり中途半端に終わって、映画にならない。四、五年前までは若い人の作品もよく見に行ってたんだけれど、もう観るのやめた。プロデューサも若いし、監督・脚本ってなっているでしょ。脚本の段階でもみ合ってないんですよ、全然。だからスルッとできちゃって、それをみんな口当たりがよいと言うけど、ひとつも面白くないし、笠原和夫さん流に言うと、こっちに全然引っかからないんですよ。もうこの世界とはオサラバだ、向こうもお呼びじゃないし、こっちも観ないよと。大きな転換点に来ている気がする。

脚本家には「シナリオ」誌がありますけど、監督になりたい若者もいるんだから、監督になるための雑誌や講座もあっていいんですよね。それがないのは、もうスタンダードがないということだけれど、脚本にはまだスタンダードがある。でもスタンダードもいらない、場面々々で役者にロ当たりのいい台詞を言わせる時代になってくれば、

シナリオもいらなくなる。そっちにいくのか、それとももう一度引き戻すのか、分水嶺みたいなところではあるかもしれない。

高田 一番嫌なのは今の若手は軽薄にウケ狙いみたいなシーンを撮りたがること。もっと本道いってくれと。『GO』みたいな映画を見ると嫌になる。ウケばっかり狙ってないで、主人公と親父さんと恋人のドラマをしっかり書けよと言いたくなる。それと比べると『ウォーターボーイズ』のスラップスティックを徹底してやるセンスの方を僕は買う。阪本もウケを狙うところが確かにある。ただ、彼を弁護すると、彼は荒井さんを非常に尊敬しているんですよ。阪本はとにかく権威に食いついて自分なりにこなそうとする、非常に頭がクレバー。

丸山 若手と言われる中では格闘してますよ。その点で言えば、荒井さんに何を言われようが阪本君がキレないのはやっぱり尊敬しているというか、兄貴と思っているんですよ、僕に対しても。

高田 尊敬してなかったら彼は声をかけない。それは確か。

□危ないから面白い

高田 映画というのは危ないテーマじゃないと面白くない。東映だって警察に睨まれているときに、いいヤクザ映画撮ってた。褒められるもんをやったらダメで、危ないから面白い。伊丹さんじゃないけれど、監督が狙われるぐらいの危なさ、それをエンタテインメントとして、お客さんにも分かるように出してくれなかったのが残念だな。 もう一度二皮剥けたら、すごい映画ができた。

荒井 この手の企画は滅多に、今のご時世ではできないので、やるんだった俺がマスターしてきた、先輩たちがやってきたエンタテインメントの語り口で政治や思想をぶつけてみようとしたんだけど、政治の部分もラブロマンスも落とすから、どうしたって痩せて くる。

高田 彼は話し合いができないタイプの監督かな。映画はたいていディスカッションして作るけど、彼はでき上がったホンを見て、自分なりに作るから。キャッチボールがないと、脚本家というのは知恵が出ないんですよ。

荒井 生理でくるからね、とどのつまりは。

昨秋、シナリオ作家協会主催のシンポジウムで深作欣二さんと神波史男さんに監督、脚本家としてお二人がどんな風に作品を作っていかれたか聞いたところ、討論だけは時間かけてやったんだという話がありました。従来の映画作りは、そういう議論しながらのものだったのが、今は若い監督ほどひとりで考える、あるいは役者本位になる。そのギャップなんですよね。

荒井 だから人の才能、高田宏治なら 高田宏治、丸山昇一なら丸山昇一の経験と技術に乗っかればいいのにもったいないと思う。撮影所があったころの昔の監督の方が人の才能を盗むのがうまかったし、スタッフをうまく使ってた。今は予算がなくてギリギリで映画を作っている中で、それこそ人の力をうまく使わなくてはいけないのに、自分だけでやってる。これは俺と阪本だけの問題じゃなくて、日本映画界の根本的な問題だと思った。要するに古い世代のラストランナーと新しい世代のトップランナーとの喧嘩だから。 『傷天』でも『新・仁義~』でも、今度もそうですけれど、非常に大きくなる要素があって、あの実録やくざ映画の面白さを今の観客に伝えることができれば、ひょっとすると『新・仁義~』はシリーズになったかもしれない。だからこういう政治ドラマも、こんなの見ないよという人間にも結構面白いなと思わせられれば、この種の映画が次々と作られていく可能性が出てくるということでしょ。

荒井 高田さんにしろ、丸山にしろ、僕にしろ、そんな企画ウケないよ、誰が見るのと悲観的にというか、保守的に考えてしまう。そこを、いや、やろうじゃないかという阪本の怖いもの知らずのところは買うけれど。のせられ た僕は、ま、呻吟しながらもシナリオを発見していった。阪本もそうだと思っていたんだけど、完成した映画を見て、違うことを考えていたのかと。いつもはホンも書いているから無理だったけど、今回は絵コンテが描けると言ってた。今度も演出以外のことを背負っちゃう癖からやはり抜けられなかったのかとも思う。

高田 それをうまく料理するプロデューサーがいてくれるとね。

荒井 丸山も最初言ったけど、監督とライターの間に入ってジャッジできる、方向を示すプロデューサーがいないと。

高田 阪本順治にはそれが必要なんじゃないかな。彼が評価し、尊敬している人はいるけれど、絶対的に信頼できる誰かがいない。自分の中に目標とする人もいないし、これは絶対という映画も彼の中にはない。おそらく一番の傑作は、『どついたるねん』とか『顔』とか、自分のよいと思ったものだと。

荒井 だから、ある判断をするときに、そこへ戻るしかない。あれでいいんだ

丸山 監督ひとりでまとめるのは酷だと思うんですよ。だけどプロデューサ不在の時代だから、監督が全部引き受けなきゃいけないところがあるし、悪くすると脚本家まで考えないといけ ないこともある。 これは一時間半の娯楽映画という企画ではないでしょ。バジェットや尺数の問題とか話し合ったんですか?

荒井 尺はプロデューサーに二時間一〇分と言われていたみたいだけれど、阪本は交渉すると。わりあい曖昧だった。決定稿が三百枚くらいなんだけど、どうしても二百六十くらいにしてくれと言われたら切りますよ、そんなこといっぱいやってきたし。でも、阪本は俺にはそこまで言わなかった。いつもの撮り方だと四時間越えてしまうと思うなら、いつもと違う撮り方にチャレンジすべきだったのではないか。

丸山 勝手に切ったというのは、現場で阪本君がプロデューサーの立場に立ったというのがあるかもしれないけど、なぜプロデューサーがバシッと言わなかったのか。荒井晴彦という名のある脚本家を使っているわけだから、これは断った方がいいよということが普通あるでしょ。それが全然なかったというのが非常に大きなミステリー。

荒井 撮って切った部分もあるけれど、全く撮ってない部分もある。尺の問題も大きいとは思うけど、読んで最初かこれは撮らんというのがあったんじゃないかと思う。

丸山 直しをしている最中に、監督とプ ロデューサーからここはカットしてくださいと言われても、僕は、撮らなくてもいいけど残してくれと言うんですよ。スタッフと俳優さんに、ここはこういう意味だから、次のシーンはこうなっているということを分かってもらうために、印刷では残してくれと。高田さんもそうなんですけど、下書きを勢いで長く書いたりすることがある。荒井さんは簡単に書くほうだから、そこを阪本君はちょっと誤解したのかな。

荒井 そうか。ト書きないからまいったと言ってた。

丸山 撮影所育ちの監督にもタイプによって書きも自由に書いてくださいという人と、余計なことは書かなくていいという人がいるじゃないですか。台詞の前に「(ふっと笑って)......」とか。高田さんの作品を拝見したりしわりと影響を受けたところもあるんです。

高田 しつこかった、私は(笑)。ト書きで気分を出してるところがあった。何かを伝えようというよりも、勢いをつけるためにやることがありますよ。

丸山 撮影所を知らずに育ったある監督と仕事をしたとき、余計なことは書かないで、非常に簡潔に書いたことが あったんですが、全く勘違いしてるんですよ。

荒井 ホンが読めないのね。

丸山 だったらと丁寧に「(アオッて撮る)」まで書いた(笑)。

高田 僕らはスターシステムの撮影所から出てきたから、書きで俳優さんをのせる。プロデューサーにもうちょっと格好よく書いてくれとか言われて。だからその癖が残ってる。最近は書かないようにしてるけど。

荒井 僕も昔は書いてたんですよ。でも、監督はその逆しか撮らないから、それ以降はヒントもあげない、それはあんたの仕事となったんだけど。それといつも長くなるから枚数合わせするために下書きを落としていく。それで書かなくなったこともあるんだけど、神代辰巳みたいな人とやってると、こっちが何を書こうとも、はいずり回ったりでんぐり返ししたり、いろんなことやるんだから、初めからそれに迎合して書くわけにいかない。

丸山 だから田中陽造さんが言うように合う合わないというのがあるから、初めての監督と組むときは、まず合わないと思った方がいいんですよ。 高田だけど今度の場合、監督は荒井晴彦という脚本家でよかったと思っていると思うよ。

丸山 荒井さんはなんであんなに怒ってるのかと、よく分かっていないんじゃ ないかな。 ......°

荒井 分かってない、プロデューサーもスタッフも。簡単なことなんだけどね。切るなら、直すなら俺に直させてくれということ。

高田 途中、恐ろしくて言えなかったんじゃないの?ここを切りましたなんて。

丸山 そこで撮影ストップしちゃうと思ったのかな。

荒井 プロデューサーは段取りを先行させるから、最初五百枚あげて、五百枚じゃ刷れないと言うんで三百枚くらいにしたら、ホテルに入れとくる。役者の扱いは、お金もあまり払えないのにやってくれてるというので、すごく気を遣ってるけど、ライターの扱い方を知らない。高田さんくらいになると

高田 私はいい意味で老獪で、割り切りがいいから。

荒井 俺にとっては不本意な映画になってるけど、でも、俺もまだひねり出せるんだな、まだ書けるんだなとは思った。その意味ではよかったんだけどね。

高田 あなたは当事者だからそう思うだろうけど、見ていて不思議なパワーあったよ。拍手もまんざら作られた拍手じゃなかったから、PTAとしては 嬉しかった。

丸山 やはり最初に言ったように、金大中の「空白の五日間」をやろうとしたのはすごいと思うんですよ。あまつさえ荒井晴彦という非常に難しい脚本家を使って。それはちゃんと映画に出てますよ。もう一回劇場で見たいと思いますもん。

□なぜ直しをするのか

囲碁や将棋でいうと、手のないところに手を作っている話なわけです。普通なら手にならないところを手にする。それは荒井さんの方から手にしたわけですけれど、なまじ手にしてしまったところから、今回の問題は始まったんですよね。

高田 荒井さんのホンは非常に正攻法でいってるから。私ならこれは回想的な映画にする。金大中の家の人が出てきたら、立ち小便している金大中がいて、パタッと倒れるところから始まっ そこから三島に入るという展開。

荒井 阪本が最初言ってたのは、事件を追ってた刑事がいて、歳老いたそいつが大統領就任式をTVで見ていて、そこから回想が始まるという。

丸山 僕なら......あの事件もいろんな手違いとか勘違いとかが、たくさんあっ たわけでしょ。それと公安は知ってた。だから、俯瞰的に見たらおかしな話じゃないですか、全くコメディなんです。

荒井 ドジな話なの。そうね、俺ちょっと真面目にやりすぎた(笑)。丸山もうちょっとユーモアがあった全然違ってたとも思う。

高田 やっぱりエンタテインメントですよ、これは。そういうことではお客さんは見てくれると思う。

丸山 今の若い監督で、こういうもの映画にできるのは阪本順治しかいないんですよ。荒井さんに対する、脚本に対するちょっとした失礼はあったと思うけど この鼎談を若い監督も読むと思うんです。古狸三人が監督についていろいろ言ってると(笑)。じゃあプロの脚本家が書いたものは絶対に直したらいけないんだと思うかもしれないけど、決してそうではなくて、脚本家が書くのはあくまで字面の問題ですから、そこでどうやって自分の色を出すかと荒井さんも言ってるわけで、なぜ直しをするのかをちゃんと考えてほしい。 直したからいけないんじゃなくて、もっとよくすることができるのに、どうしてそれを素通りするのかということだと思います。

高田 荒井さんでも丸山さんでも、今 の若手から見たら遙かに高い、届きかねるところにいる人なのよ。だからディスカッションするだけの勇気がないんだと僕は思う。私が深作さんとか五英雄さんとかとやってたころは一つの台詞でもよく闘った。そういうことが今は全然ない。 丸山さんが危惧されているように、こういううるさいオジさんたちとはもうまないというのではなく、むしろ組んで1+1が3や4になる快感を互いに味わおうじゃないかということですよね。

丸山 そのために直しってするんですよ。

荒井 作家主義って言葉があるけど、撮影所がなくなったせいか、映画は監 督のだと思い込んでる人間が多くなって、阪本が現場で悩んでいると、お前の映画なんだから好きに撮ればいいというアドバイスしかスタッフはできなくなっている。それじゃあダメなんだ。どうホンを直すかではなく、どう撮るかで悩んで欲しいのに。

高田 だけど彼は幸せですよ。インディーズから出て、これだけの仕事して、我々をこれだけブツブツ言わせたり、かばったりおだてたりさせるんだから。今日はなんか荒井さんが検察官みたいだから、やっぱり俺が弁護しなきゃいけないかなと思ってきたんだけど(笑)

丸山 阪本順治の座談会でなければ、僕もきてないですよ。ホント愛すべきやつなんですよ。非常にシャイで、誠 意もあるし。

荒井 会ってるとそうなんだよ。だけ別れるとこの野郎と(笑)


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