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『2018年』文学賞殺人事件 86年の時点で鈴木さんからこういうモノがやりたいっていうような話を聞かされていたと思います。 「もしそういう機会があれば、受けてくれるか」、みたいなことを、その時にソクブンさんに言われてた気がします 僕らが東映プログラムピクチャーで見ていた映画の監督たち、当時だとまあ、深作欣二さんは別格に近くなってて、 ソクブンさんや石井輝夫さん、中島貞夫さん、その方々が東映プログラムピクチャーを撮られてた頃の作品を、ずっと見ていましたから。 そういう意味での思い入れ、あ、ソクブンさんなんだというのがありましたね。温泉詐欺師の時にソクブンさんは、どっちかというと実録路線はあまりとられてなかったですからね。 大体深作さんと、中島貞夫さんがいて、石井さんもちょっとやってましたけど、ソクブンさんはその路線ではないですよね、どちらかというと。 ソクブンさんは東映のコメディ路線とそのあとにトラック野郎シリーズをやられていましたよね。 結局、世界観として理解しないといけないわけですよ。そういうのが絶対理解できない人もいるわけで…当時の東映のそこら変にある、突発なというかね。 なんだっけな、タイトル忘れちゃったけど、車が一台ぶつかったら次々全部がぶつかりだして、全部追いかけっこするみたいな。そういう突き抜け感というか・・・ いわゆるパンキッシュな――よく言えばね。そういったスタイルのものっていうのが、どっかで俺たちはプログラムピクチャーだからっていう開き直りを感じたんですよね。 それは日活ロマンポルノのそれとはまったく違ってて。日活のポルノやりながら、ある種、文学をやってるっていう自負みたいなものとは全く違ってる。 ある種パンキッシュな開き直り方が、あの時の東映プログラムピクチャーにはあったと思うし。 僕らは、そこにひかれて見に行ったんじゃないかなって思います。ほんとに、箸にも棒にもかからないものもあれば(笑)、 おっという光るものもあったりするという、当たりハズレの多さも楽しみだったんですね。それがすべて次第点を取るようなものだったら、まったく意味をなさなかったと思います。 それが70年代前半から80年代頭ぐらいまでの、東映の魅力だったような気がしますね。 筒井さんの作風、あの雰囲気とはちょっと違ってるかもしれないんですけど。 やってることは一緒なんだけど、そこら辺の膨らませ方がソクブンさんらしさなのかもしれない。そこら辺の面白さは感じましたね。 僕はたぶん学生のころ、中学生から高校生ぐらいのときに読んでるんです。筒井康隆、星新一って、当時の中学生はみんな読んでたでしょ(笑)。 そういう中で読んでたんだなと思いますけどね。ただそれでもTBSの年末の特番をやった時に言われてからほんとにやるんだってなったくらいですね。 筒井さん・・・あったと思うんですけどね。話もしたかなあ、あんまり記憶が定かじゃないです。物語自体はいわゆる私怨ですよね(笑)。 その私怨というのが、鈴木さんの中にある私怨とうまくリンクしてるなあ。そんな気もしたし、それは僕の中にある私怨でもあっただろうしね。 あの時は出ずっぱりで大変だとはあんまり思わなかったですね。そんなに主役の話をやってたわけじゃないんで。そんな風に思ったことはなかったなあ。 むしろ楽しかったですね!あそこに出てらっしゃる方々が・・・やっぱりそれこそプログラムピクチャーの中で、僕らがさんざん見ていた方ばかりじゃないですか、そういうところの面白さっていうかね。 みなさんを殺しに行くのが結構大変だったなっていうのは何となく覚えてるな。監督の方がやっぱりこの人はこうだ、というのを当然脚本に書かれているわけですけど、 ちゃんと愛情をもって殺すっていうのは大変なんで、そういったことをきちんとオマージュとしてやりたかったから、やっぱり大変だったんじゃないのかなと思いますけどね。 ただ印象深いのはやっぱり「いいやつがいい本書けるわけねーんだよ」っていうセリフ。あれは石橋蓮司さんが言うとリアルだなーと思って(笑)。聞いていて、それが一番印象に残ってますね。 鈴木さん自身があまり多くを語る方でもないし、ここをこういう風にというようなことを言われるタイプの方でもないですからね。 ほんのちょっと、最初の動きの段取りをやった時に、ここを、こっち側にこう来てくれるか言って、カットの都合上の演出があるくらいで、後はほんと、自由にやらせていただきましたね。 もともと自分自身変な気はなかったのに、なんとなくの流れでそういう気になって、自分を犠牲にしたことに対する恨みとしてみんなを殺すっていう話ですからね。 誰もがあんな立場に放り込まれたらそういう風になるだろうっていう普通の人をやる、というのが前提だったんじゃないですかね。 もし僕が今までの東映娯楽映画を見てなかったら、そこでこの人はこうなるんじゃないかこうなるんじゃないかということを言ってたかもしれないです。 でもここではそうじゃないっていう認識があったんでしょうね。こんなに癖のあるわきの方々は今はいませんけど、でもそういう人が何かやったら全部拾う。 ある意味、それが真ん中の仕事なんだっていう風に思ってます。 でもまあ、こういう写真がばーっと日の目を見るとは思ってなかったところも確かにあるし。 もしかしたら、変な話、三池がやった「スキヤキウエスタンジャンゴ」なんか、もっとバカ当たりしてもよかったのかもしれないし。それってほんとに両面あると思いますね。 でも日本という国ではやっぱりなかなか難しい。ていうのは、こういうものをやって「やっぱり普通にヒットするのは難しかったか」って思ってしまう部分が自分の中にある。 業界としてしみついてる部分はあるんですよね。だからそう思うし、逆に言うと、こういうものだからこそ、今、マニアックな人たちから見ると、ある種カルトっぽくなるんだろうし。 ちょっと前の時代だと、もうちょっとウェットだったと思うんですよ。多分時代的なものもあるのかなあ。日本全体がウェットな方から、ここからずーっとバブルに向かって来るわけじゃないですか。 そういう風な背景も含めて、映画自体も違って来てたような気がしますね。 人を一人殺すっていうことに対してどうとか、最初から、そういうことからは一切超越しちゃってるところで話が成立してるんで、ATG的なものとは全く別な流れですよね。 走ったら坂道だっていうことでしかないですよね。逆に言うと、今、現実の方がよりそうなってるんじゃないですか。走り出しちゃったから走っただけだ、みたいな。 この映画ってのは映画が持ってるリアリズムっていうものに対して、砂かけながら走る映画なので(笑)。 初めて見る若い人には、ぜひそこを観てもらいたい。要はメンタルだけが疾走するってことなんですよね。 それを具現化してるっていう。みんながそういうことを思うんだけど、誰もなかなか実行できない。でも頭の中ではみんなが抱えてた、思ってたことが映画になってるんだと思うんですよ。