「レッド・サンが出来るまで」

「レッド・サン」ほどの大作が誕生するのはいくら世界が狭くなったとはいえ並大抵の事ではない ここに完成を見るまでにはあらゆる障害が立ちふさがり、一時は製作そのものが絶望的になったことさえあった。 まずこの企画が考え出されたのが、今をさかのぼること5年前。 アメリカの代表的プロデューサー、デッド・リッチモンドが日本のサムライ、それも三船敏郎演ずるサムライをアメリカの西部に出したいという野心を持った。 日本の帝から米国大統領への使者として渡米し、ふとしたことからその侍が思わぬ運命に巻き込まれる。 ・・・リッチモンドの頭の中で話は大きく具体的に広がった。

後はこの企画の柱ともいうべき三船敏郎に話を持ち掛けるため1966年はるばる来日した。 日本を代表する俳優であり、「太平洋の地獄」への出演も決定していた三船にとってそれは格好の話だった。 条件が整えばという事で三船はオーケーした。

帰国したリッチモンドはまずパラマウントに話を持ち掛けた。 当時それほどの大作のなかったパラマウントは大乗り気であったが、たまたま時を同じくして 首脳陣の交代があり会社自体が吸収合併されるなどの事件が相次ぎ、せっかくの企画も自然消滅の道を辿らざるを得なかった。

次にリッチモンドが持ち込んだのはワーナーである。68年の事だった。ここで話はかなり具体化。 ところがまたしても思わぬ事態が持ち上がる。この話を進めていた副社長のケネスハイマン親子がその地位を後退することになったのだ。

メジャー二社での失敗はこの作品の実現化を暗いものにした。だがリッチモンドはあきらめなかった。 69年、彼はフランスの大プロデューサー、ロベール・ドルフマンにこの話を持ち込んだ。 話は大きく膨れ、共演者の顔ぶれもちゃちなものでは済まなくなった。脚本を担当するという事で橋下忍が渡仏、 パリで一か月ホテルに閉じこもって脚本を書き上げた。だが、最終的に彼が脚本から降りるといういきさつがあった。

東和で配給が決定した後は具体的な話がスムーズに進んだ。 テレンス・ヤングは三船の相手役に「夜の訪問者」でコンビを組んだチャールズ・ブロンソンを抜擢。 女優は007で彼が売り出したウルスラ・アンドレスを起用。71年の2月クランクインを決めた。 ところが、70年の暮になっても、ひとつの重要な役の俳優が決まらない。つまり、ドロンの役である。 ドルフマンとヤングがスケジュールのぎっしり詰まったドロンを説得。三船もフランスに渡って口説くという具合でついにドロンもオーケー。 71年になってからすぐさま撮影に入る準備に取り掛かった。


「フランスの三船」

9月15日付のローロール紙はサムライのウエスタンという大きな見出しで「レッド・サン」について次のように要約紹介している。

『テレンス・ヤングのメガフォンの下、3人の男たちは刀と拳銃によって礼を交わしあう。各人が音楽的である。 三船は刀を持っては達人だ。彼は10分の1秒で相手を切り倒す。ドロンはメルビルの映画においてサムライであった。 ブロンソンは黒澤映画の翻案である荒野の七人で一役を演じていた。この3人を西部に集合させるというアイデアはそれだけの理由のあることであった。』

9月20日付のフィガロ紙でもルイ・ショーべという署名で次のような批評が乗せられている。

『この物語にはスタイルがある。西部の高原の中での古典的アバンチュールにおいて日本の伝統的な戦いが展開するという面白さ。 テレンス・ヤングはジェームズボンド映画で示したエレガントな活力を発揮している。三船敏郎の顔は日本映画のもっとも格調高いものを表現し それが豪胆な鋼鉄の意思を秘めたブロンソンのまなざしと対決する。この興味ある対照に、傲慢で猫のようなアランドロンが絡む。 騒ぎ好きで扱いずらいウルスラ・アンドレスはボンド映画を思い出させる。』

これらの記事を見てもわかる通り彼らの三船に対する好奇心は強烈であり「レッド・サン」を扱いながら 三船だけの写真を載せ、三船中心に記事を組んだものが多いようだ。

9月19日付のジョルナルデュディナンシュ紙のジョルジュモロオの記事だ。

『レッド・サンで素晴らしい武士を示した三船敏郎は決してスタンド・インを使わず、どんな立ち廻りも騎乗もすべて自ら演じきった。 きっと彼の祖先は本物の侍であり、その血がこれだけの本格的なところを見せたのであろう。 だが彼は言う、日本の現代人はもはや武士階級に属していたことを誇りになどしていないと。 だがそれにしてもレッド・サンにおいて彼が伝統的衣装で戦うとき、それはまったく伝説の男のイメージを構成する。 つまり生きることよりも名誉と云うことを重要視した世界の男なのである。しかしそれはきっと全くこの俳優の才能によって表現されたものなのであろうけれども。

この記事からもうかがえるように彼らが気になるのは三船の侍が実像であるか虚像であるかという事なのだ、 今の日本には果たして未だ真の侍は存在するのか。

その結果、9月18日付フランスソワール紙のパトリスドニュザック

『失望というべきか?私は頭にかつらをつけ、腰に刀を刺したミフネに会うことが出来ず、紅いセーターにジャンパー姿の彼を見出したのだ。 彼は畳に座るよりもソファでくつろぐ方が好きだ。禅も空手も関係なく、ゴルフと車を愛する。』 『だが三船はやはりサムライの遺産を追っている。彼はレッド・サンの侍たちをあまりに漫画的にしないよう強硬に自分の意見を通した。 サムライの衣装や態度物腰などについても真実をゆがめないように細心の注意を払った』

最後に9月20日付コンバ紙のアンリシャピエの批評を引用しよう。

『テレンス・ヤングのオリジナリティーはこのアクションに他の意味を加えた。 サムライのヒロイズムとアメリカのシニックなリアリズムという矛盾した二つの精神の対立である。 この映画はこの二つの文明について掘り下げているのである。 ブロンソンと三船は多くの知性激情をもってその役を演じている。友情をテーマとした美しい性格劇であり それはアメリカ製のどの西部劇よりもリズミカルですぐれたものになっているのだ』


「三船敏郎 コメント」

『映画史始まって以来、西部劇に初めてサムライが登場したわけですが、それだけに侍が日本人として恥ずかしくならないように 正しく描かれなければならないので企画、脚本の段階から終始、プロデューサー並びに監督とディスカッションが重ねられました。

海外では映画は芸術であり、俳優もアーチストと呼ばれます。 映画が芸術であり、それに国境がなく、全世界の人々に鑑賞されるものであるならば全世界から集まったそれぞれの ベテランエキスパートが結集して製作されたレッドサンこそまさに最高のものです。』


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