四月二十九日 君には〈作品〉がない.....

「母と息子の囚人狂時代』(新潮文庫) にも出てくる、俺の小説の才を最初に見出してくれた、前全国同人誌会会長の宮林太郎さんが、 なんと九十歳にして「新潮」の巻頭に三百枚の小説を発表し、写真週刊誌他で取り上げられた。宮氏は、故石川達三の親友であり、その臨終を看取ったホームドクターでもあるのだが、今まで同人誌一本できて、自費で本や日記をかなり出している、この業界では有名な人だ。
 ある新人賞の選考会で、精神病院での精神科医とパラノイアで天才的患者との論争を書いた俺の作品『七号病室』(俺のデビュー作『天皇ごっこ』の第四章にこの作品の一部を使ってある)が最終候補に残っていた。選考委員は宮氏、芥川賞作家の八木義徳氏、もう一人が純文の伝統中央誌「文學界」で同人誌批評をしている大河内昭爾氏である。
 この作品をめぐり、宮氏は「絶対に、受賞させるべき!」と主張して、「しかし獄中にいて受賞というのでは、何か本人が罰せられるのではないか?」という他の二人とかなり論争した。宮氏はとにかく他の二人を「この、天才がわからんのか!」と怒鳴るようにして賛美する。 「彼は日本のドフトエフスキーだ!なんという凄い知識と才能、恐ろしいまでの迫力とテンポ、まさに音楽のラップそのものだ!僕は文学の世界にもう半世紀以上いるが、こんな凄い天才にめぐり会ったことがない!」と。
 十七歳で新人賞に投稿を始め、のち新人賞を獲るまで十七年、同人誌界でメラメラと不完全燃焼の下積みを這い回ってきたこの<遅咲き>の俺としては、自分の小説への初めての賛美、それも度はずれた超賛美の言葉に非常に感激してしまった。
 当時、まだ誰も俺の文学の才を認めず、手紙で母へ「出所したら第二の三島や太宰になる自信がある!」と書いたら即、「そんな恥ずかしい誇大妄想を、人に言えるどころのサタじゃない。誇大 妄想はやめて現実を見なさい現実を。第二の三島なんて、みんな聞いたら<とうとう狂ったな> 大笑いしますよ」とバカにしきった返事をもらっていた頃の話だ。
 これを見て、母もやっと「どうも才能があるかも知れない」と判ったので、なんとか仕事の合間清書して(小説を書いて新人賞に出すのは中では禁止されていたので、月一回外へ書ける手紙の中にうまく混ぜて書き、母はそれを原稿用紙に清書し、あちこち出していた)、「かなりハードなことだけど、まぁなんとかやってみましょう」と、やっと〈オルグ成功〉したのだった。
 しかし、出てから聞くと、まだ下読みをしていた川村湊氏が「文芸」新人賞に出した「ライトイズライト」という作品を見つけて、編集長に「これが受賞すべき!」と直訴したものの、 その少し前に『パルチザン伝説事件」で「文芸」もかなり右翼にやられていたので、右翼に関わりたくないと、涙を飲んでいたり、やはり「賞をあげると罰せられるのでは」と、本人や母などの知らないところでは、俺も数々の賞で名の知られた存在だったらしい。 「新潮」の巻頭を一冊分の枚数で飾るのは、芸能界で言えば、レコード大賞...というより、やはり紅白初出場ってとこか。
 実はこの俺も、『調律の帝国』が「新潮」の巻頭に載るまでは、<一人前>と認められなかったのだ。もうそれまでに右翼では右陣営最大の論客・イデオローグと言われ、『天皇ごっこ」で新日本文学賞を獲って、「新しい神話」みたいに、「右翼が左翼の賞を獲った」とその逆説性がマスコミに騒がれ、そのあとで回想のノンフィクション「囚人狂時代』が大ヒットし九万部のベストセラーになり(大体、純文学の本の初版は三千部くらいが普通でそれが増刷で一万部いけば大ヒット大物と言われる)、かなりマスコミにも載って、文学者としてもかなり評価され、なんだこんなものかとタ カをくくっていたら―「新潮」前編集長の坂本忠雄氏(何十年も〈文学界一の老舗〉「新潮」を守り、自らペンを入れた新人八~九人以上に芥川賞を獲らせ、"昭和の三大編集者"と言われたが、辻仁成に芥川賞を獲らせて以来、一度引退していたのに、俺の『調律の帝国』を読んで「最後の弟子」的に例外カムバックをしてきたのだった)、かつ平野啓一郎君を発掘した現編集長の前田速夫氏にとっては「最初の弟子」で、その二人の編集長のペンが同時に入るという、辻氏の上をいく凄まじい新潮の芥川賞獲り〉 総動員態勢で、だから実は二百枚をけっこう越えていたのに、大体二百枚以下を対象にしている芥川賞のため、広告や表紙など、わざと大きく<一九七枚!> (笑) とやったのだった。
 その坂本氏と、三田文学会の例会パーティーで会った時、坂本氏と親しい江藤淳さんがいたので、「あっ、紹介して下さいよ」(だってこの人、江藤氏とか大江健三郎氏とか、昔来日したサルトルとタメ口きける人なのね)と言うと、「ダメだよ、まだ、まだ君は<作品>がないんだからね」と言われ愕然とした。
 香山リカさんが、著書「解体新書』(創出版)の中でヘマスコミとアカデミズムのどっちを優先するか...、という悩みを書いていて、その両方に足を突っ込んでいる人間にとっては本当に切実だと俺は思った。
 だって、ほとんど金にならない、しかも数人の上司しか見ない大量の論文を書いているより、むしろマスコミに全身を任せて、短いキャッチやキャラを作り、テレビや雑誌だけで活躍していれば、 金も名声も手に入る。しかし、学問、アカデミズムの場では「堕落した」 「もう学問捨てた」裏切者として、バカにされ、ヘタすると席さえ失う。が逆にアカデミズム中心にして、少数の専門家しか読まない専門誌に、コンスタントに手を抜かない確実論文を書き続けるでは世間も忘れるし、 生活もできない。
 たとえば、田中康夫氏。この人など、アカデミズムを全部捨てて、ただ対マスコミへは礼儀正しく評判もよく、いい仕事もするし、たまにリフレッシュイメージのする色んな肩書きの中を泳いで、そこらの一流の教授も無理な知事に、マスコミ人を主にして、眠ってしまった!
 この俺も「蒼白の馬上』で久々に小説を世に出したが、健康を崩して(そう、あの元気な塩見孝也も、俺と同じように急に倒れて入院し、やはり俺と同じくそれまで気の力や〈革命意志力〉で何とか保ってきた元気と体が、長期刑OBの宿命の筋肉退化、末梢神経のダメージへと至った)、クスリ強要でも(俺はこれがひどい)時限発火装置、アタマのブレイク、ストレスでなった高い血糖値、ビタミンやカルシウム不足で骨粗鬆症など全てが出て、生死の境をさまよった。
 無頼派の作家は、ほとんど伊集院氏に代表されるように金が入っても瞬時に使ってしまうので、残るということはありえない。俺などまさにその典型だ。
 ファンからのメールで「HPで先生の日記を読んでビックリしました。だって、フツーは右翼だけでも凄い上に本もベストセラーになり、もう三冊も文庫が出たので、あとは億ションか豪邸の庭のチェアでホッとしているのかと思った」と、ところが...


戻る
inserted by FC2 system