高田宏冶


 元々は、自分とこの会社でやろうかと思ってた企画でね。 勿論、その時は「仁義なき戦い」というのは、全然頭になかった。 それっで、お決まりの、劇場で上映してビデオで売る作品の企画を、東映京都の人と酒飲みながら話してたんですよ。
 ヤクザ関係のネタは、私は山のように持ってるんです。 昔取材したおかげで、誰も絶対持ってないようなテープがたくさんある。
 それと例えば、最近の戦争でいえば、例の山一抗争とかいろいろあったけど、 そういう実際にそれに携わった人たちの内密の手記がどんどん集まってくる。 ま、あるルートを通じて・・・。それを掘り起こしていこうかなと言ったら、東映ビデオが、是非にということで始まったんです。
 今度の作品には、二つの夢があって、やっぱり仁義なき戦いというものに対する大変なオマージュがみんなの頭の中にあって、 もういっぺんあんなもの作りたいというのがある。 それと同時に、そのタイトルをかぶせれば商売になるだろうと笑い ま、そう思うのは当然だけどね。それになってから、ちょっと話が変わってきて、少しスケールが大きくなると同時に。 そこへみんなが阪本順治という監督を持ち出したから、またガラッと様子が変わってきてね・・・。 阪本順治がやってくれるなら、いわゆる世間も目を向けてくれるだろうと。 私みたいな古だぬきばっかり寄ってたかってやっても見向きもされないしね それで、なんとか良いものが出来れば、将来の展望にもつながるし。
 飯干さんの原作があるけど、もともと当時も、いわばあらすじみたいなもので、 映画にするときは、やっぱり笠原和夫さんだとか取材を重ねてとって行ったもんです。 今度もストーリーはまったく関係ないんですよ。 時代も全然違うし。仁義なき戦いというのは本来、広島の話で、原爆で完全に焼け野原になって、 この世に地獄があればこういう状況だろうという仲から生き抜こうとする人間たちの闘い。 だから一概に、その筋の人間がああいうことになったというよりも、一般の復員兵である菅原文太役の男が、 そういう状況に入って、ああいう生きざまになったという。。。 そこにヤクザの組織的な権力抗争みたいなものが入ってきて、いわばめちゃくちゃな混沌の中での戦いというのがベースにあった。 今度の話は、現在の大阪を舞台にしてますからね。
 私が最初書いていて、監督は阪本監督でどうだと言われたときに、ちょっとびっくりした。 彼の映画は好きで私もよく見てるし、だけど、本人も言うてるけど、これまでインディーズで売ってきた監督だからね。 ハッキリ言ったら、わたしとは水と油かなと思いましたよ。
 私は、とにかくガッチリ構成を組む方で、人間の描写でも彼のとは全然違う。それから私は、けっこう女も書くしね。 阪本君の映画というのが、あんまり女というのは出てこない、 出てきても劇的映像の対象として興味があるとは思えない。そういう意味で、水と油だと思った。
 だから、最初に私が書いて、これで行こうと思った本は、やっぱり彼は乗らなかったですね。
 私のテーマというのは…当初の深作さんと笠原さんがやったのは、いわばチンピラの闘いですよね。 ま、あの頃は組織としてのヤクザもベースがしっかりしてないし、 チンピラ同志の殺し合いとか、こだわりがいちばん迫力もあったし、面白かった。 ところが、今のチンピラというのは、大きく様変わりしている。 ただ、生活基盤がしっかりしてないヤクザというのは、いつの時代にもいるわけですよ。 特に90年代、暴対法とかいろいろと問題があって生きることが難しくなって、 それからバブルでおかしくなった…そういう状況の中でのチンピラの生き方が、それなりにあるんじゃないかと。 チンピラの思考だとかヤクザとしての夢、それから生い立ちね。 昔は食えないからヤクザになったけど、今は食おうと思ったら食えるのにヤクザになっていくチンピラというのがいる。 その辺を、チョット掘り起こしてみようかなと。
 だけど、阪本順治は、その点ではすごく共通して興味を示したけど、それより、もうちょっと広げた中での男の闘いをやりたいと。
 阪本監督がやろうとした、一番大きなものは布袋さんと豊川さんがやる少年時代。あれは完全な二人の友情の話ですよ。 だから題名付けるなら「さらば友よ」だろうと。男の友情というのは、どこでも共通のもんだから、 その少年時代からの友情をテーマにするのは私は大賛成だと…だけど彼は、布袋さんの役は、絶対、堅気にしたいというわけですと。 ところが、堅気とヤクザの人間との戦いというのはアクションとしてドラマになりにくいんですよ。 何でかというと、生き方も立場も守ってるものも違うしね。 そこで、布袋さんが子供のころ、主人公の為に殺人を犯すという要素がないと、どっかで結びつかないだろうと。 これだけは大事にしようということで私が、一篇書いてみることにしたんだけど、それを、ストーリーで説得するのに、ものすごく苦労した。
 何でかというと、ヤクザ世界で生きてる人間と、堅気の世界で生きてる人間、片や在日韓国人だけど、それは度外視しても、お互い酒飲んだり、 いっしょに金儲けでも仕様かっていうことなら分かるけど、 人生をかけた戦いをドラマとして盛り上げて燃焼させるというのは、これは、どっちかって言ったら無理なんですよ。 結局、お互いに生き方とか考え方が全くバッティングする状況の中で、最後には共通の敵に向かっていかないと話にはならない。 お互い、殺しあえば別ですよ。そこのところがものすごく難しかったですよ。ほんとに困った…。俺はヤクザになったんだから、 あいつの前には顔を出せない、おれはヤクザとは付き合わないと、何かツッパリあってる。 そしたら、お互い、どうしたら渾然一体としたドラマになるかということが非常に技術的に難しかったですね。
 ラストで主人公がオフクロに行くと言うのは、ぼくが書いたんですけど、彼は大変それに乗ってくれてね。何でオフクロかというと、殺し合いの後、 颯爽と帰っていくワケにいかんし、侘しい顔で肩落として、かと言って健さんみたいにカッコいい顔でアップで終わるというのもおかしいし、 鶴田浩二なら背中でいいんだけど、阪本順治のヤクザ映画のラストっていったい何だろうと。
 あれは、おふくろさんていうことじゃないんですよ。彼の心の底にあった、いわば、なんていうのか、 ああいう人生は一体どこから来たのか…戦争で戦死する人が最後にお母さんって呼ぶ というけど、そういうことでもない。何か、男の、いわば行き先を見失ったものがどこへ行けばいいのかという、 ひとつの指標というかね、おふくろさんていうのが。 初めて、暗い森から陽だまりの中に入ったみたいな感じの最後…というふうに受け止めてもらえばいいかなと。


戻る
inserted by FC2 system