中川季枝子 児童文学作家 

「節子の表情や仕草は1つ1つ、幸せに育つ子供に共通する無邪気な愛らしいもので、もし戦争がなかったら――と切なくて胸がつまってしまう。」

河原畑寧 1988年4月15日付読売新聞

「『風の谷のナウシカ』『天空の城ラピュタ』『柳川掘割物語』とプロデュースと監督のコンビを組んで高い評価を得てきた高畑勲と宮崎駿が 、それぞれに監督・脚本を手がけてのアニメーション二本立て。そして、これは豪華で良質な二本立てである。 感傷と抒情が程よくまじりあって、思わず引き込まれてしまった。人物の表情と、草や木のたたずまい、雨や風の感触のリアルさに心を奪われているうち、記憶の中に埋もれていた一つの時代が鮮やかによみがえる。 『火垂るの墓』の少年の潔くも哀切な孤高の心。野坂秋如の原作をしているので覚悟はしていたのだが、死んで安らぎを得た兄弟を含む蛍の群れから カメラが遠ざかり、それが現代の高層ビル街の灯に変わるラストで、突然に涙があふれてきたのには我ながら驚いた。 日本でも、子供が飢え死にした時代があった、しかも、それはほんのちょっと前でしかないのだ。今年になってやっと満足のゆく出来の日本映画に巡り合えた。ああ・・・。」

赤瀬川原平 『波』新潮社1988年5月

「この映画は見る世代によってどう違うのだろうか、と思った。私などは国民学校へ入学したくちなので、あの頃のことを想いだして仕方なかった。 しかしあの時代の空腹感を伝えるのは、実に難しいと思った。当時を子供で生きていた自分にしてからが、あの時の自分の肉体を忘れはしないものの、その想い出そうとする感覚は一面的なものになってきている。 映画の中で憎まれ役の未亡人おばさんがいるが、あのようなイヤミの一言一言が、空腹をベースにした親身にはどれだけこたえたか。 その感情をしっかりと忘れずに、魚籠に入れて海水に沈めて自分の岸壁に糸でつないではあるものの、その意図が細く長くのびきって手繰り寄せるのもおぼつかなくなってきている。 映画はドラマを出来るだけ抑えて作られていると思った。ほとんど当時の情景描写だけを忠実に行う感じで、それに目を瞠る思いで観ている内に、少しずつ映画は深みへ進んできている。 はじめの爆撃シーンは美しいほどにリアリティがあった。生活の染み込んだ無人の街が、ぽつぽつと落ちた焼夷弾で静かに燃えはじめる。 特に見上げる空から焼夷弾の落下してくる画面は、アニメならではのものである。なんと澄み切った空であったことか。 4歳の妹役は実際に5歳の少女に喋らせて、それにアニメをあわせたというが、これが幼児の感触を確実に伝えていた。 今まで日本映画に子役が出てきて、わざとらしさを感じないでいることはまずなかったが、この映画で初めてドラマの中の子供を自然に感じた。 アニメーションならではの勝利だろう。表現である以上、実写よりもアニメの方がリアリティを持つことがある、ということの実証である。 映画を観ながら、すでに自分の両親を死んでこの世にいないことの寂しさを強く感じたことは事実である。」


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