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佐藤 「『忠臣蔵外伝四谷怪談』の伊右衛門的なぎらつき方を持っていてもいいし、『トカレフ』のように暗く冷たくカミソリみたいな触感を持っていてもいいし。 ぎらついたイメージでばかり演るということほどつまらないものはないわけで。常に新鮮なイメージのものを取りたいという気持ちは強いです。」
が十数年ぶりにインタビューする佐藤浩市さんは、豊かな髪に白いものがデリケートに混じって、美しくすすけた感じがする。 相米信二監督「あ、春」のサラリーマン役は、まさに時宜を得た適役だろう。佐藤 「今回は、作品がどうなっていかなくちゃいけないのかとは考えないで、ある程度現場の中で撮って、それを相米さんに任せて、彼が OKを撮ったものは何なのだろうと、そこからまた次を考えて。だから楽だし、しんどいし。まあ、そこがあの人の現場の面白いところだから。信頼できますし。」
死んだと聞かされていた父の出現に混乱する男の姿にニュアンスがある。佐藤 「紘は、混乱するという意識もわからないんです。パニックにならなくちゃいけないんだと思いながら、妙に冷めていて、 どう言う対応をしていいのか分からない。やみくもに受け入れるわけにもいかないし、かといって突き放すわけにもいかないし、それが彼の素直な気持ちでしょう。」
母親役は富司純子。ドライブインでのワンシーン、ワンカットはいつもの相米節だ。佐藤 「あれが初日だったんです。あのシーンからは入れて僕はすごく助かった。最初に母親との関係をはっきりさせたかったんで。 早くに父親を失った母子というのは、男女に近い感じになる、とあるところである母子を見て思ったことがあって、富司さんの方に手を回して暗闇に入っていく時はそんな気分で。 見てた連中が、『浩市、なんか勘違いしてないか』というんです。あ、うまくいったなと思った。 あそこがもうちょっと男女っぽく見えて、そういう距離感が作れると、他の人との距離感の作り方が楽だったんで。」
アンサンブルに気を配る姿勢にも大人の男を感じさせる。佐藤 「紘は女性三人とうまく距離をとれる男なんです。その辺の小賢しさは、彼が育った環境の中で培われたもので、人との距離を測ることは決して下手ではない。」
入院した父と病院の屋上で、残照の中、語り合うシーンが一つのクライマックス。佐藤 「親であろうが友人であろうが、人を受け入れるということは血ではないんだ、ということを紘が確認した後のシーンなんです。 もっとエモーショナルなものを観客に与えようとすれば、いくらでもそういう作り方はできるわけですが、 相米監督がそんなことを考えてるわけもないし、僕らもそういう形でやってるつもりはなかった。あそこはウェットなように見えて、実はすごく乾いているんです。嫌いじゃないですね。」
演技に対する構えは慎重で真面目だ。98年は、話題を呼んだホラーらせんでも若い父親を好演した。佐藤 「あれはデビッド・クローネンバーグの『デッドゾーン』まで行けるかなと思ったんですが、全然悲しくならなくて ものすごく自分自身が嫌で、映画に対して驕りを持っていたなあと感じさせられました。 男女の怨念ではない悲しみが横たわっているところが特殊だと思ったんで、すごく演りたかったんです。だけど見事に失敗しました。」
テレビの連続ドラマでは役の根っこが作れないのが苦労する点だという。佐藤 「そうはいっても自分が生き延びなきゃならないし。とりあえずトレンディ・ドラマであろうがCMであろうがテレビに露出していないと、今度は逆に映画にも出させてもらえないというジレンマがあって 例えばインディペンデント映画を撮るにしたって、3000万円4000万円を出してくれる会社の人がいたとして、その方たちが知っている顔でないとならない。 自分のプロモーションもしていないと、映画も成立しなくなるんです。」
そうはいっても、CMではかなりいい味を出している。佐藤浩市の多様なイメージの浸透に大きく貢献しているはずで、CMを見たサラリーマンに街で声をかけられたこともある。佐藤 「そんな馬鹿なと思いながらも、CMの中のサラリーマンがやってしまう感覚が、彼らにも感覚的にわかるんでしょうね。 現実的には、僕も相米さんもサラリーマン経験は一度もないし、今回の映画では、二人ともサラリーマンやったことがないのに、どうやって描くんだって笑っていましたけど。 でも生きているということはだれでも、どんな職業についていても、どこかで皆、しんどい思いをしているわけですから。 それがどこかで出ていればいいですね。そのしんどさが、見てくださる方に、細々と伝わればいいなと思うんですけど。」
そのほそぼそぐあいといいますか、地味なところが、あ、春の品の良さですね佐藤 「ああ・・・そう言っていただけると。きっとそれは相米監督の品性なのかもしれない。」
彼の表情は、最愛の父を思いやる息子のそれであった。