世界の悪玉ことディズニーについて 完全に世界の風紀委員となったディズニーちゃん。昔はすごい作画と凄まじい独創性を持った ストーリー演出でもって何のイデオロギーもない(戦争はNG)世界のアニメ王者となったんだけども 近年のスターウォーズ、そしてトイ・ストーリーと、完全に傲慢が顔を覗かせてしまっている。 手短にいきたい。 まずどちらも、それまでの道徳やらテーマやらを現代の感覚で「否定」し これが世界のトレンドよ、と言わんばかりにポリコレ、LGBT等の「多様性」を押し付けてくるのである。 しかし、多様性と言いながらも、スターウォーズに関していえば 女性、黒人、ブス、を目立たせるために他の種、例えばエイリアンたちがまったく目立たないという間違った多様性へ。 トイ・ストーリーも同様。新しい生き方がある、と語って、これまでの生き方が惨めなものだと、またも否定から入る多様性を語っている。 これは一体どういうわけか。 まずスターウォーズからいこう。女が主役、良いと思う。 なんのしがらみもない。黒人の登場も昔からで、女司令官も昔から。違和感もない。 しかし彼らに対して、同情やら憐憫やら、結局は逆差別的感情からくる偏見により、 描写の一つ一つが忖度に満ち溢れているのである。 つまりは弱者に対する態度といおうか。 もはや現在のポリティカルコネクトに満ち溢れた現在では、男なら何をやってもやらせても不思議はないし、おかしくないし、腹も立たないが 女、黒人たちに対してバカにした態度をとると、あまりいい気はしないというのである。 それはつまり、彼らがある種の弱者、いじめられっ子だから、という部分での社会的定見なのである。 24時間テレビに出てくる障碍者たちと扱いは変わらない。 壺を持ち上げるかのごとく慎重に扱って、出来るだけ持ち上げて、それで、終わり。 ある意味、人間として扱われていない。それまでが妥当な扱いだったのか、というのは人それぞれだろう。 しかし本作に至っては、その彼らへの扱いというのがすべて裏目に出てしまっている。 女、黒人は有能で、最高だ。 そして男たちは勇敢でもあり、弱くもあり、バカである。ブレが大きい。 そう、本ディズニーウォーズにおいて、ある意味で人間らしいのは男たちなのである。 旧時代的ヒーローな女、黒人と違って、男だけが人間らしい描写に満ち溢れている。 そうした旧時代的な女、黒人たちの持ち上げの不自然さを指摘すると差別となる。平等はない。彼らの野望が裏目に出てしまっている。 これはどういうワケか。 さあ、エピソード8にいこう。ディズニーのネット上での企業支配がよくわかった一大イベント。 ディズニーの企業支配。ネット上を見ればわかるけど、悲惨なほどに批判者に対するバッシングが強い。 そして公開初日とか、公開期間での意味不明な持ち上げが半端じゃない。中身のない絶賛レビューとか。 (和製ディズニーがジャニーズである。マッチの後継者キムタク主演の検察側の罪人はゴミすぎる程にゴミだったが 公開時期のレビューは意味不明なほどに絶賛の連続だった。アマゾンのBDトップレビュアーは信者丸出しで笑える。) 目玉はゴミみたいな脚本。それはつまり上に書いた通り。それまでのテーマや道徳の完全否定。 銀河に希望をもたらす男が惨めになり、フォースは超越神力で、敵は木偶で、爽やかなキャラクターが皆無で、 敵艦隊はスペースドライブの誤った遣い方により全滅する。 スターウォーズじゃなくていいじゃん、という。 公開当初から、自称映画評論家たちが本作を「新しいスターウォーズ」とか「批判する奴は老害・懐古主義」とかほざいてたけど おもしろさはともかく、設定の不備を批判しただけで懐古主義とか頭おかしいんか 所詮逆張りか偏屈なだけだろう。もしくは進歩的知識人(笑)とか スターウォーズ40年の重み、これを語るだけで老害か?懐古主義なのか? SFにカタルシスを求めてはいけないのか?スターウォーズというアメリカンドリームに爽やかさを求めてはいけないのか? 本作のクソったれは監督・脚本兼ライアン・ジョンソンの責任大である。そして製作のケネディ。 キャスリーン・ケネディ。女主導とライアン脚本ゴーサインはこの人の影響大。 ハンソロも同様。同性愛。同性愛っつーのは悲しいかなマイノリティなんだよね。 わざわざ入れなくてもいいじゃん。でも入れちゃう。多様性だから。 批判されたら作品の不出来ではなく「スターウォーズ疲れ」とくる。 こういう批判逸らしの人たちが使う言葉。 批判されたら「私が女だから差別されている」。 近年のポリカルブームはこれに尽きる。弱者だから、という建前がある。 Zガンダムでカミーユが言われた「大人と子供を使い分けないで」そのままのこと。 黒人をバカにするな!→僕が批判されるのは黒人だからでしょう。 戦うなら戦え。日和るな。 挙句、この波に乗っている女性に関しては「男には絶対媚びない」といった誤った自立精神と それまで受けてきた(であろう)屈辱を晴らすためという被害者意識によって 映画界(だけではない)において、何だかひじょーに面倒くさい存在となっているのである。 各メディアの彼女らの持ち上げも「女性という庇護される存在」だからこその忖度なのである。 男性と同じようにフルボッコしたら女性軽視となるのだから。 そしてこのクソサーガ完結を喜ぶキャスリーン。どーしよーもねーな。 こういった全体の動きを「良いもの」と考えるのがキャスリーン・ケネディその人である。 さあライアン・ジョンソン。 勝手気ままな脚本を書き、顔ブス性格ブスのアジアン・キンポーを 「かつてイジメられていた僕を救った女性をモデルにしたんだ」と言いながら クソみたいな描写で観客に嫌わせ、その女優をどん底まで陥れた挙句、「批判する奴は人種主義者」とくる。 地獄に落ちろ、だ。 女性活躍シーンも違和感の連続。本作は女メインの作品だが、本作が一番ボリューム大。 しかし全女性像が「間違った格好良さ」なので、結局は中身のない女賛美的な映画となっている。 近年のポリコレ。女を格好良くするには?→男をバカに描こう  ジョーダン抜きでこのまんまである。 ライアン・ジョンソンの醜態。この人間性から、いじめられていた理由がわかるという物。 挙句、本作のカタルシスの圧倒的欠如をも担当。明るくもなければ、そこまで辛くもないという 「映画としてどうなの?」というナチュラルな疑問。後先考えずゴミを作って、バカ信者たちに囲まれて悦に浸っている 虚構オブ虚構がこのおっさん。 このおっさんのせいで過去40年のスターウォーズ神話は消えた。 マーク・ハミルはルークと共に絶望に瀕した。 新三部作はゴミだった。製作者側の都合でブランドが振り回されたというのが、本シリーズの決定的評価だろう。 本作を評価する奴はどうしようもないクズなのである。つまりはこれでもいいじゃんという芸術、娯楽作への「大いなる侮辱」をしているのである。 スターウォーズブランドというのは世界最強のおもしろさ、これなのである。しかし本シリーズにはこれがない。 彼らの勝手気ままな擁護により、業界からすれば「これでも評価されるんだからこれでいいこれでいい」ということになり 徐々に徐々に娯楽や芸術の全体的な水準が下がっていくのである。 しかも悲しいことに、こういう事をするのが高齢者も多いということである。 どこかに描いたけど、この資本主義の世の中では新しいものを喜ぶというのが素晴らしい姿勢とされているため 過去を否定し未来を肯定すれば進歩的高齢者と言われる現在では、そういう人の姿も見受けられる。 しかし良いものは良い、悪いものは悪い、と単純に考えてほしいね。 あのスターウォーズは単なるSF映画としても駄作だった。 ・・・何にせよああいう企業や製作はダメだし、信者はもっとダメなのである。 そしてトイ・ストーリー。いや、4ではヒューマン・ストーリーかな。 それまではおもちゃだった彼らが、4では人間になってしまった。 彼らの、あの作品内での15年に渡るテーマ・道徳は「おもちゃとして人間に楽しんでもらおう」だけだった。 それがアンディという人間を愛するおもちゃたち、ウッディたちの美学だった。 しかし本作ではいかにもな進歩的女性と化したポーが、ウッディに 「いつまで子供部屋にいるの?もっと色々な生き方があるの。あなたは思い込みに縛られているだけ。自由になろう」 と製作側の思惑しかない「吐き気のするようなセリフ」で、ウッディを誘い込む。 ウッディの最高の相棒だったバズも、あのドラマチックな過去はどこへやら。ただのギャグ要員となり去って行った。 これは一体どういうことか? 完全に別モノと化したウッディたち。その選択。 15年のテーマをすべて捨て去った挙句、否定までする製作者たち。 そしてそれを美しいと言う信者。批判する奴は子供、老害、懐古主義・・・ これがディズニーの姿である。自分たちについてこれないのは遅れていて、幼稚で、最低のゴミクズだ、そういう姿勢なのである。 俺が好きだったのは、やっぱりおもちゃだったウッディたちなのである。 おもちゃは人間じゃない。人間のような感覚は持たない。おもちゃにはおもちゃの死生観がある。 そしてトイ・ストーリーは教科書じゃなかった。単なる娯楽作だった。そしてその虚構の中に彼らの美学があった。 3はその美学の最後を語った最高の名作だった。ここで終わらせるべきだった、トイ・ストーリーは啓蒙作品じゃないし 何よりあそこで幕引きするのが娯楽作としての最高の名誉だったんじゃないのか。 その先の暗さを見せてどうしたいのか?人の気づきとか、それがディズニーのしたいことか? 挙句、ディズニーのポリコレ作はいつもこうだが、結局は手前勝手な理想を語るだけで、その後に待ち受ける苦難を描いていない。 非常に卑怯である。いつもそう。この選択をするだけで、あなたは幸せになります、みたいな。進研ゼミかよ。 所詮は上級の頭の中にある理想なのである。庶民には自由なんて説かれても足枷があるから無理な話なんで。 ・・・ かつてのポリコレ、LGBTがほとんどなかった時代の作品群がなぜ凄く受けたかと言うと 完全なる庶民受けの作品だったからである。 つまり、俺たち庶民は無自覚な支配と、無自覚な差別でもって、今日の繁栄と精神の安定を手に入れたのだと。 それを製作側もわかっていたから、そういう作品群を作ったのである。映画もドラマもアニメもなんでもそう。 だからこそ、俺たちの欲望を叶える――身近な体験になっていた。庶民の娯楽であった。 じゃあ今日のポリコレ、LGBTは何なのかといえば、結局は上級の理想論をぶちまけたに過ぎないのである。地に足着いてない。 そうなれば庶民からの妙な非歓迎ムードもわかるという物。 南部の唄が黒人に批判されたのはなぜか。歴史的事実と違うからである。 同じように、ポリコレやLGBTを持ち上げまくっても、庶民から歓迎されないというのはそこにあるのである。 スターウォーズがなぜ受けたのか。 格好いい男と、ドラマチックな女、こっちが完全な善で、ナチスを思わせる悪を叩きのめす痛快、格好いい戦争シーン、痛みのない人の死・・・ 完全に庶民をターゲットにした「庶民派」だったからに他ない。説教なぞ1つもない。戸惑いはない。 ・・・ トイ・ストーリーの我々へのメッセージというのは非常にささやかで、単純だった。おもちゃを大事にしよう、と。 それだけでよかったのに。それだけだったからこそ、俺たちはトイ・ストーリーを庶民向けだと感じることが出来た。 トイ・ストーリー4は完全なるプロパガンダである。 そこには美学に殉じたキャラクターはなく、企業のピエロとなったサラリーマン役者・ウッディたちが偽の笑顔で佇んでいるだけなのである。 スターウォーズでもトイストーリーでも、ゴーストバスターズでも007でも、彼らからして旧時代の作品を 現在の価値観に染めようというのがそもそもの間違いなのだ。 新しい価値観に沿うような新しいシリーズを作ることが急務じゃないのか。 それを考えれば女性作者で女性有能がナチュラルな描写だった「ハリーポッターシリーズ」は新時代の良いところをいっていた。 悪玉・ディズニーに支配されてはならない。それこそがスターウォーズ、トイストーリーがそのブランドを犠牲にしてでも 語ってくれた真実なのである。
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