追記 このページでは、得も知れぬだのなんだのと感覚を記しているんだが 結局のところ得も知れぬ、得も言われぬとは、涅槃(FOREVER)のことだと分かった。 つまりそういうことなので、勝手に頭の中で変換してほしい。              

得も知れぬ感覚ってあるでしょ。 半世紀以上前の創作物にはソレを多く感じるね。 ノスタルジックとはちょっと違う。 とゆーことで順々に




1920年「巨人ゴーレム」。製作年代もさることながら とかくラストシーンの子供に殺される場面。 この少女も既に死んでいる、というエモーション。 映画「うる星やつらBD」でも再現された映画史上に残る名場面。   ただ感動というだけでなく、得も知れぬムードが強いのだ。 何だろうこの感じ・・・みたいな。なんなんでしょー


1925年「戦艦ポチョムキン」。 有名なオデッサの階段の場面において 大活躍のフェイスアクトを繰り出す青年。

演じたのはMikhail Gomorov。1898年生まれ。出演時26、7歳。既に不思議な感覚。 エイゼンシュタインの諸作品にもよく登場しており 本作以降も俳優として活動し、40年代に入ると裏方に回り助監督としていくつかを担当。 41年を最後に作品はなく81年に死亡・・・。 90年前の映画、ほぼ一世紀前の映画ってのは もう映画芸術って感じじゃなくて記録映像みたいな趣を感じる。 それに俳優として参加して演技するというのがね・・・ よーわからなくなってきたけど、歴史の闇に葬られたって感じするね。 強烈な時代感と存在感を見せつつ、その後は消息不明みたいな。 そういう対象に得も知れぬ感覚を知るのかもしれないぜ。


1925年の「ロストワールド」

ウィリスオブライエンが作ったストップモーションアニメ映画の金字塔。 サイレントで、俳優も知らない人ばかりで、ノイズだらけの映像で映される 生々しい恐竜の、ぎこちない動き。


    ラストの静かに、暗闇に去っていく恐竜の姿に得も知れないムード。 何とも奇妙な余韻が残る。 1930年「西部戦線異常なし」

オープニングから永遠、ラストシーンの断絶感。 そして墓をバックにコチラを振り返る顔顔顔。得も知れねえな。 何より俳優陣のその後が特に不可思議なムードである。 戦前戦後には大きな隔たりがあるね。製作年度1930年ですよコレ。


本作で幸薄そうな顔していたピーター役の オーウェン・デイビス・jrは18年後に溺死。 ピーターと共にブーツに纏わり死んだミュラー役の ラッセル・グレーソン。42年軍隊に入り、45年に自殺。 仲間内で最初に死んだベーム役のウォルター・ロジャーズ。 本作以降出演作はなく、1943年に死亡。これまた一番早い。 カチンスキー役のルイ・ウォルハイム。 翌年の1931年に胃癌で死亡。 ジャーデン役のスリム・サマービル 1946年に死亡。 ヒンメルストス役のジョン・レイ。 10年後の1940年に死亡。 カントレック役のアーノルド・ルーシー。 1945年12月15日に死亡。 ちなみにラッセル・グレーソンは同年12月26日に死んだ。

こういうのを知って映画を観ると あー時代柄早死にしたのかなあ、とか。 ともかく得も知れぬ、ナンだなんだこの感覚は・・・。 まるであの世からのアッピールのようですぞ。


33年。3つ。

「キングコング」 このページでも書いたことが全て。 ともかく強烈なムードである。 雰囲気が飛びぬけて出ている。それはジャングルでもそうだし 何よりニューヨークに出てからのムード。 名シーン、キングコングがエンパイアステートビルディングに登る所 ここの音楽と、不気味に蠢く黒く小さい物体、そして圧巻の背景群。 得も知れぬ感覚がスゴイね。 カラーになったらもっとスゴイんだけど。落ちる場面も。 サウルスに襲われる場面もシーンに音楽にって・・・ ともかく雰囲気抜群、いやあ得の知れぬ感覚ですよ。 得も知れぬ感覚って「怖い」モンが多いよね。 何かゾクゾクっとくるモンがあるね。背筋とかでなく 心の妙な、音なしのざわめきがスゴイんだな。


次に「The Peanut Vendor」

レン・ライというアニメーション界のパイオニアが 新たなるステップへと掲げた実験アニメの名称である。 直訳で豆売り。このタイトルの歌が当時流行ったのだ。 和製ソングも出た。ともかくこの歌に合わせて歌い踊る、この


  サルが主役なのである。

既に得も知れぬムード。 このサル・・・いやいや、ともかくこのフィルムというのが 売込みに行ったものの全滅して、以降は存在すら知られていなかったのだ。 それが2006年にyoutubeにアップされたのだから驚き。 この時期には日テレ版「ドラえもん」のOPが何者かにアップされた事件もあったんだけど 「peanut vendor」のフィルムもまた、何者かによって アナログノイズ、デジタルノイズ入り混じった超低悪な画質でお目見え。 海外のユーザーには「夜コイツが出てきたら怖いね」とか もっぱら不気味な存在としての価値。 たしかに怖い・・・というか 33年の造型に、動かしよう、フィルムの状態、ムード・・・ このサルの手の長さ。不気味なアンバランス。 今から85年前に確かに存在していた奇妙な造型のサル。


 

かつてインターネット上に「タクラーン村の少女(現在の名称です)」という 不気味動画がアップされたことがあった。 タイかどっかの国のホームパーティー(外ですよ)をカメラで写している最中 急に視点が右上を向き、異様に手の長い長髪の女の子(白装束)が 真っ赤な口を不気味に歪まし、手を引きずりながら走っていくという なんとも禍々しい内容だったのである。 今ではその動画も消えてしまい、その存在すら都市伝説と成り果ててしまったが あの得の知れぬムード・・・なんとも恐ろしい。 おそらく動画を保存した人間もいなかったのだろう。余りに不気味すぎて。 ・・・話がトんだが、そう、手の長い人間というのは不気味である。 フレディ知ってるでしょ。ホラー映画の。アイツもそういうなりしてるけど、不気味やね。特に一作目。 ハッキリ言って奇形なのだ。不気味で、失敗作なのだ。 そんな失敗作の、誰にも受け入れられず、半世紀以上封印され とうの昔に人形も破棄されたろう、そうその失敗作の活き活きとした動き、ムード。


特にここの場面が得も知れぬ。不気味な感情もある、しかし   何より「奇形サル」への悲しさが強い。    

この誰にも愛されなかった、80年前確かに存在していたサル。 なんとも言えぬ思いだ。何とも言えぬ感慨だ、感傷だ。


33年のラストを飾るのがこの 「The Tale of the Priest and of His Workman Balda」 の通称「BAZAR」である。バザー。  

ソビエトのアニメーター Mikhail TsekhanovskyとVera Tsekhanovskayaの2人と 音楽家Dimitri Shostakovichによって製作されたアニメ映画。 「司祭とその下男バルダの物語」というおとぎ話がテーマである。 製作中は色々と苦労多く、完全な完成には至らなかったものの おおよそ40分のフィルムとその他を一本にまとめ、それを フィルムアーカイブに保管していた。 しかし1941年にレーニングラードが爆撃される中 フィルムアーカイブも焼かれ、フィルムも消失した。 その中でVera Tsekhanovskayaは わずか4分ほどの「バザー」場面のフィルムを発見、保存する。 これが現在、唯一見ることのできる 「The Tale of the Priest and of His Workman Balda」の全てである。 さてその動画。ともかく不気味であり、得も知れぬムードであり そしてかなりの芸術作なのである。




これまたどこからアップされたのか分からない動画が2本あり 一本がwikipediaにある白黒の、低画質だが動きなめらかなバ−ジョン。


  そしてもう一つが青みがかった、画質はVHSなみだが 動きが死んでいるバージョンである。カクカクである。  

だからwikipediaの方で確認していただきたいんだけど 33年に、この独自のムードで、あの動きまくり表現しまくりの そう個性と才能と芸術性しか見受けられないパーフェクトフィルム。 「すごすぎない?」


よくこんなヌルヌルと・・・。     表情もすごいが、その世界観。 何よりここの展開。1歩も2歩も先をいっている感じ。  

時代感を合わせて、何故この場面だけという謎もあって この不気味な女と猫の場面でこの作品が終わるという奇妙さもあって そして、「全編残っていたら・・・」という悔しさ。 そう戦争への怒りが湧いてくるのだ。 もし全編残っていたら 世界アニメ史に多大な影響を与えていたことは違いない。


  (この場面で本作は終了する 不気味な余韻だ)

しかしこの一片だけという、そしてその中身。 強烈過ぎる時代性と芸術性と過程が、得も知れぬ。 何より時代感がすごい。 製作年「1933年」の不気味さよ。 思う。もしやこの映画には悪魔が取り憑いていたのだ。 だから天によって消されたのだ。そういう例はある。 この一片だけでも強烈な禍々しさ。 全編残っていたら、さぞエライことになっていたろう。 この作品は一般公開もされず、ひっそりとフィルム保管庫で眠り続け、死んだ。 エピソード性も強いが、何より動画を見て貰うことが何よりの理解だ。


  (ここの場面と曲調はゾクゾクするムードだ) ちなみにpeanutとbalda、どちらのフィルムもリマスター化されているらしい。 こちらが参考画像である。 peanut   balda      

peanutは2012年ぐらいにアップされたのが一番画質イイ。 baldaの方はバザーの後半部分のみが動画アップされている。 おそらくロシアの国営放送か何かで放送したものだろう。 こういう作品があって、その作品はこうしてリマスターされました。 みたいな番組だったのだろー。


ちなみにwikipediaの冒頭テロップはコレで   VHSっぽいのがコレ   どちらもフィルムの形態が違うのだろう。 VHS画質の方が終わった後このテロップが出る   おそらくVHSからとったのだろう。市販の

1946年の「マザーグース物語」から「ハンプティダンプティ」。 ウィリス・オブライエンの弟子、レイ・ハリーハウゼンが手がけた ハンプティ・ダンプティの閉ざされた世界での1分足らずの生命は なんとも言えないアニメーションの奇妙さ。得も知れぬ。


2つトばして 1958年の「親指トム」。  

略奪された7人の花嫁で一躍人気者になったラス・タンブリン主演の ミュージカル映画である。 パペトゥーンアニメの先駆者ジョージ・パルのアニメーションが見所で 前半のトムとおもちゃたちの交流場面は初代トイ・ストーリーとも呼ばれる。 さてそのおもちゃたちとの交流場面「tom thumbs tune」 this is my song


    このムード。peanut vendor と同様に 「ああ このおもちゃたちも、もう当の昔に処分されているんだろうな」  

そう考えると、この古臭さと奇妙な活気が 得も知れぬムードを生んでいる。 そもそもCGでない、こういうアナログアニメーションというのは まさしく「得も知れぬ」ムードを生む為に 作られているのである。 パペトゥーンでもダイナメーションでも。 それが独特の味とか個性とか呼ばれていたんですよ。


・・・色々おもちゃはいるけど、コイツらが特に好き。  

この無機質な彼ら、既にフィルムの古さ、ノイズによって得も知れぬ。 それが活き活きと動いている。まさしく魔術だ、映像魔術。 このCGばりにポリゴンめいた「おもちゃ」。 彼等が動く。なんとも言えぬ感じだ。


   

The Yawning Man コイツも好き。音楽がイイのだ。音楽。 その時代に生まれていないのに「あーどこか懐かしい」みたいな曲。


      ガクっとなって、箱に入っていって・・・のムード。 そして音楽。何も言えないね。 作中、ジョージ・パルおなじみの「不気味なキャラ」が出てくる。 コレ。      

この登場も、新鮮で奇妙で独特で・・・つまり得も知れぬ。 ピエロの存在もスゴイ。得も知れぬを「怖い」と書いたけど 中々にいろんな感情が入り混じった独特の雰囲気だ。怖いし奇妙だし、芸術的だ。


 

ともかく復刻シネマライブラリーか何かでDVD化して貰いたいね。 昔VHSが出たがとっくに廃盤だ。しかもテレビサイズだ。ちょっと赤みがかってるし。 だがそれがまたイイ。youtubeにアップされていたビデオ版(消された)と このテレビを録画した分。特にこの録画のヤツがいいね。 フィルムライク。古さもあり、どこか懐かしい、暖かい色彩だ。


 

彼らは生きているのである。無機質に命を与える。 そういう夢のあるアニメーターの存在が今、急務なのだ。 我々は夢・飢餓状態なのだ。得も知れぬ感情こそが芸術だ。


 

・・・ちょっと脱線して それでもね、初期のCGにはそういう雰囲気がふんだんだったんですよ。 2000年入るまでの小汚いCGは好きです。でもそれ以降はね 小奇麗を勘違いして、汚いんですよ。ゴチャゴチャして。 人の心にうったえるものもないし。


という事で1985年の実験CG「Quest」。 apollo computer作。  

youtubeにビンテージCGというアカウントでアップされているが そうだ、ビンテージCG。いい言葉ですねえ。 アナログとCGの合体。それがビンテージCGなのだ。 Questのこの場面。ウオーッ。イイ雰囲気。




まさしく異世界。形容し得ない、得も知れぬ雰囲気。 ノスタルジックでもあるしねえ。いいねえ。 ビンテージ物を愛する「Nicolas Fedorov」というヤングが 古いパソコンやソフトを購入して作ったCGアニメもイイ感じだ。


 

昔のアマチュアCGコンテストの動画何かも、イイね。 ホント この時のCGってすごい雰囲気だよな。 64でもPS1でも。得も知れねえな。


 

1956年。ディズニーの「A Cowboy Needs a Horse」 昔あったディズニーのミュージックビデオに収録されていたのを観て 得も知れぬ雰囲気を持ちました。他の作品も古めかしい雰囲気だったんだけど 特にコレがすごかったね。まさしく「得も知れない」ですわ。


 

peanut も baldaも最近youtubeで見つけた外国の 「不気味な動画紹介」みたいなヤツで知ったんだけど これ何かはだいぶ昔からの付き合いでしてね。 「ザ・得も知れない」がコイツだ。


 

ビデオに収録されていたのは日本語吹き替えで しかもカット版だったんだけど あの「天国味」を感じるムードはヤバかったね。 天国味・・・ノスタルジックかな、でも好みの天国味じゃないし、気軽さもない。 強制的に胎内に還りそうなぐらいの禍々しい天国味である。


しかしこの当時のディズニー。全盛期ですわ。  

1シーン1シーンがフォーエバー、マスターピースの輝き。 何がCGじゃい。ピクサーのトイストーリーはCGでしかできないけど こういう牧歌的な、素朴なムードはセル画しかないんだよ。 最近のねえ、ディズニーはもうキモチワルイね。 彼等の政治的な思想・ポリシーは置いといて CGディズニー時代のキャラクターは「クソデカい目玉」。ギョロ目。 キモチワルゥー!アカンね、それにクソみたいなギャグとか。 豚くんたちの家の絵にソーセージの父親が密かに載ってる。 これぐらいささやかなウェットをもったギャグこそ必要なんだよ・・・ メタ的なギャグとかいらないんで。 まーいいですよ。 この作品、インディアンをステレオタイプで描いているので 現在のディズニーはもっぱら封印しているワケ。だから公式で気軽に観れない。 かつてDVDでディズニーショートフィルム集が出て、本作も収録されたのだが 既に廃盤。一万円近い価格はキツいぜえ。再販・・・難しいかな。 でもいつか買いたいね。ベッドから・・・歌・・・全部夢なんだけどね。 このラストの絵と音楽のムードがね・・・どこか物悲しく 不気味で奇妙で、あー得も知れないムードの頂点ですわ。すごいね。


  ラスト。 ジェームズ・ディーン。 締めに相応しいタイトルである。

そもそも彼は存在したのか?もはや若さの代名詞と化した彼。 ジェームズディーンという概念。 しかし彼は確かに存在したのだ。 彼の残した主演作2本「エデンの東」「理由なき反抗」 この2作で彼は若さの概念、若者の代名詞となり 準主演かつ遺作「ジャイアンツ」で 孤独な男の集大成を演じ、演技派の力を見せ付けた。 彼が生きている間に公開された映画は「エデンの東」だけ。 この一本で彼は、幸の薄いスターとして死を運命付けられ 死後の「理由なき反抗」「ジャイアンツ」で 若さと孤独の永遠の概念となった。 しかも病死でもなく、交通事故死。 完璧すぎる。 日本でも赤木圭一郎、高橋貞二、佐田啓二の3人が事故で死んだが 赤木はコレといった作品を残せず 高橋も佐田も少し年をとりすぎて死んだ。 ジェームズ・ディーンは24で死んだ。 半年間のスター生活で3本の映画を残した。 その一作一作が世界映画史に残った。 死んだから残ったのか?そうだ。 しかしジェームズ・ディーンとその作品は ジェームズディーンの死でもって完成している。 この3作とディーンの死を切り離すことはできない。 そもそも 「エデンの東」をジェームズディーンの死ぬ前に観れた時期 つまり単純な青春映画として観れたのは、たったの半年しかない。 しかし ジェームズディーンの死で伝説になった「エデンの東」の期間 現在約65年。 ほらね。ほーらほらほらほらほら 単純な青春モノか、ジェームズ・ディーンモノとしてか 期間の長さがそれを決める。


・・・

一番好きな作品は「理由なき反抗」である 前半激しく後半静かに、と言ったお祭りムード。 ウエストサイド物語的なエッセンスもイイんだけど 何よりオープニングのジェームズディーン。 あのオープニングの孤独さ。他に見たことがねえ。 まさしく「コレがジェームズ・ディーンです」という 代表的場面をオープニングっていうのは、まさしく神のいたずらやな。 他にもナイフ場面、チキンラン・・・など。奇跡的な作品である。 唯一ジェームズ・ディーンによる ジェームズ・ディーンだけの映画である。 この作品に出演したナタリー・ウッド、サル・ミネオ共 ジェームズ・ディーンのように非業の死を遂げている。 ナタリーは溺死、サルは殺害。 この3人が主役の作品なのだが 全員が早くに死んでいる・・・なるほど映画「断絶」を思わせる。 そのナタリーとサルが ジェームズ・ディーンを偲ぶ番組に出たことがある。 ジェームズ・ディーン死後20年ぐらいに放送された 「ABC's Wide World of Entertainment」という 俳優ピーター・ローフォードがホストを務める番組の 「James Dean Remembered (1974)」なる企画で、である。 (「理由なき反抗」のBDに丸々収録されてるぞ)




この番組にはナタリーやサル以外にサミー・デイビス・jr レナード・ローゼンマンなどのジェームズ・ディーンと親交あった人々が出演。 ナタリーは当時36歳、サルは35歳。 ナタリーは7年後に、サルは3年後に死んだ。 しかし彼等も老けた。 彼らは青春スターの地位から脱することは出来なかったが それでも順調に年齢を重ね、それぞれに成長していった。 そんな中、一人永遠に24歳から抜け出せない男のことを思って 少々切ない感情がよぎる。 この番組の締めにジェームズ・ディーンのスチルと共に 「jimmy...we'll never forget you」という歌が流れる。 おそらく死後に作られた歌なのだろうが (この歌、商品化してますかね?) ここに、得も知れない感情が湧き上がる。 この番組も今から40年前。 既にジェームズ・ディーンは大昔の漫画的な概念となっている。 しかし、永遠の24歳――美しくもあり、悲しくもあるこの彼の表情。   格好よく凛々しい表情。当時同年代だった人たちは彼にあこがれたろう。 しかし彼等は大人になっていく。 彼は一人ここで止まっている。 一人大人になれず、若者のまま死んでいった。 一人置いてきぼりに、そこへ留まり続けるのだ。 この表情とその歌、唸るほど合う。マッチしている。 永遠のスターをここに感じる。




マジ(本気)で、このTV番組はすごいね。 ある意味人の死をエンターテイメントしているワケだけど この当時はここまで感動的にエンタメしてもよかったんだね。 だからこその完成度。そして 今、人のスチルをテレビで映すなら パッとデジタルに何の感慨なく出てくるんだろうけど 74年、ジェームズ・ディーンの顔はアナログに、フィルムライクに 妙な生々しさをもって出てくる。 85年に放送された「思い出のマックィーン」は出演作も豊富で ボリューミーなドキュメンタリーだったんだけど やっぱり感動の度合い、妙な感情の行き場は10年前のコレの勝ちだな。 日に日に、人の死がドラマチックでなくなってくるのだろうか。 いやいやジェームズ・ディーンのドラマ性が感動させるのか・・・ ともかく24歳で死に、一族も断絶した永遠の若者「ジェームズ・ディーン」への ウィル ネバー フォーゲット ユー  私たちは あなたを ずっと 忘れることはないだろう


 

イイ 番組です。イイ 得も知れなさでした。 大昔の出来事で、TV番組も古いのに 何故現代人でも親身に、切実に感じることができるのか。 それはジェームズ・ディーンの存在感に尽きる。 そんな「かつての男」への得も知れぬ感情を、大事にしたい。 ここにきて分かったのは やはり得の知れない感覚というのは 現代と半世紀前との「断絶感」にあるのだろう。 完全には理解し得ない――という、もどかしさ。 何か奥が深くなった気分。


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