今でもそうかもしれないけど、映画ファンとアニメファンじゃ作品の捉え方が全然違うってのがあるよな。 映画ファンは基本的に全体を捉えるところがあるけど、アニメファンは細部というか、お約束を守るかどうか。 もちろん原作ありきの作品ならば原作の要素をどう昇華しているのかを意識するのはわかるが アニメの方が実写より自由度が高いのに、実写以上にお約束に気を使わなければならないというのは不幸だ。 もちろん映画ファンとアニメファンでは層が異なっているかもしれない。年齢や人間性とか・・・。 どっちか上等とは言わないが、やはりアニメファンの方が現実逃避的、昔で言う自閉的なムードがあるんじゃないか。 アニメファンは特別そういう意識を持っていると。しかも本当の意味でアニメ=映画になったのは 70年代後半。そこからアニメブームになったワケだけど、やはりそこから10年ぐらいは 映画を観る、映画を受け止めるという姿勢や意識がまだ不十分だったんだよな、アニメファンは。 作品全体を捕まえるということで。全体のテーマなりカラーなりを自分なりに掴むってことより アニメキャラだったりのお約束がどう果たされているかしか興味がないんだと。

当時なんて特にアニメファンと映画ファンは分離してたんじゃないかな。ただ映画ファンはアニメ見るだろうが、 アニメファンは実写をほとんど見ないんだろうと。でアニメファンに関しては作品という意味で意識して見だしたのがアニメってやつが多かったんだろうというね。 だからこそ自分にとっての作品を見る意識のスタンダードってのがアニメライズされたんだということで 彼らがちゃんとアニメはアニメ用の批評でなく、ちゃんと映画・・・作品としての全体を捕まえるという意識においては ちょっと時間がかかったんだな。 ただ映画は100年近くの歴史を持っていて、批評法も見方ある程度基準ができたけど アニメ映画は10年近くしか経ってないし、新しい種類のアニメ映画がバンバン出てくる状態では 中々これといった見方は難しかったかもしれない。映画を観る基準がアニメライズされている状態ではさらに。

アニメ=記号論なんて言われてるけど、その記号を楽しむというやつが今も多いのかもしれない。 そういう意味では自閉的とか発達障害的な人間の好む要素が濃いのかもしれない。 漫画映画が映画(またはアニメ映画)に変わって10年も経ってない、 そういう時期にぶち当たったのが本作だったりする。 今の眼で見れば賛否になった理由を探るのが難しいんだけど 当時のお約束シーンや記号だけ見たいというアニメライズくんたちにはしんどかったのかもしれない。 当時のアニメファンの狭さゆえ、であると。 ホントはアニメファンと実写ファンとしての両方の軸でもって映画観れたら一番いいんだけどな。 レビューサイトとか読んでもアニメばっか見てるやつとかいるし、だから批評なんか読むときは そいつがアニメファンなのか実写もしっかり見てるやつなのか判別したうえで挑んだ方がいいよな。

押井がオンリーユーに絶望したのもそこにあるんだろうなと。当時の風潮としてね。 アニメであり、さらにはうる星やつらというつまり超自由でアナーキーな舞台にもかかわらず ファンや会社のためにお約束や記号を徹底的に守って狭い枠の薄い作品にならざるを得なかったのに、 同時上映のションベンライダーは実写のくせしてアニメ以上にアニメ的な破天荒ぶりを召せつけていたという。

資料のとこにエースをねらえの批評載せてるけど、上に書いてることがわかりやすいと思う。 キネマ旬報のアニメオタク連中がこぞって細部の好みをあげつらうだけだったら 映画芸術の映画ファンは映画全体を捕まえてるよ。これが違い。アニメ技術にも言及したり、やっぱ映画ファンのが冷静な批評できるね。 90年代までは大体そう。今は映画ファンもアニメファン化してるからごちゃごちゃだろうけど。




時代をまとめ、時代の推進力にもなった作品と言えば本作とエヴァンゲリオン劇場版の二つしかない。 押井守、庵野秀明。

ロボットとヒーローもの以外の、日本アニメに求められる要素をほとんど投入した80年代時点での総まとめが本作で ロボットとヒーローものという日本アニメの始祖を、それを受け取った最初の世代が90年代に総まとめしたのがエヴァ。

日本アニメの全要素をエヴァまででほぼ語りつくしており、 21世紀以降、オタクが当たり前となった時代には、もはや群として語られる世代も現象もなく 唯一萌えアニメだけが新規に登場したが、従来のジャンルほど普遍性を帯びてなかったためか 要素をまとめてもハルヒかまどマギ辺りが限界となった。デジタル時代の現象の薄さもあるんだろうが。

アニメに興味なく、実写志向でアニメ界に入ってきた最後の世代・押井と、 自分のバックグラウンドにはアニメ・特撮しかないと豪語するオタク第一世代の庵野。

自意識過剰とプライドに加え、病的な素質を持っていたためか開き直りのエネルギーが凄まじい庵野。 俺たちには何もないんだっていう以降にも続く世代の弱点を芸術にまで昇華させ、国民総オタク時代では教科書的存在に。 その点押井には開き直るほどの大義名分もなかったため、作品の狂気やエネルギーでは及ばないものの 庵野らの世代にはないアナーキーさ、アニメファンでないこと、何よりも高橋留美子という才能との融合によりスペシャルデラックスな個性を残した。 日本のアニメが求めるもの、モラトリアム、美少女、学校生活、アナーキー、自由・・・これが本作でやったこと。

エヴァが狂気なら、本作は朴訥な作品だ。




押井はうる星の恋愛とアナーキー、アナーキーに関心がいったワケだけど・・・

原作を利用しての自己表現というのは業界への奉仕でもあったんだな、特に昔は。 業界への奉仕というのは、どれだけ表現の幅を広げられるかというその一点に尽きる。 そしてそれを原作でなくてはできない、ということでなく、 オリジナル企画を通すのが難しいということ。 どうしてもテレビといった幅広い目のメディアではオリジナルより 原作物の方が安パイだしスポンサーもつきやすい。冒険しない。 そう、オリジナルの企画を通すのがまず難しい。それより原作があって ある程度の担保があるものでないと、というのはおかしい話じゃない。 そうなるとアニメに限らず、昔の映像文化の発展のためには 原作の担保としての力を借りて、その舞台で踊るしかないのだ。 いわば昔のアニメ、映像文化の発展のために原作が自由に使われたワケだ。 しかし今は映像分野の発展もひと段落し、あえて原作を使って冒険をする必要はあまりない。 そういう意味じゃ、うる星という大義

のある舞台で あえてアナーキーな部分を遊ばせてアニメーション表現や表現レベルを拡大した 押井は、原作のポテンシャルを最大限生かしたんだろうと。 そもそも原作を映像メディアでやるってのは、原作の宣伝という意味合いもある。 そういう意味じゃ、ある種原作通りでなくてもより多くの人間に原作へ興味を持ってもらったり 原作をより魅力的にしたりできれば勝ちなのだ。 そしてメディアってのは相互に関係している。アニメ、実写、本、音楽ともに影響を受けあっている。 そういう意味じゃ、作家が出版社に属して、その出版社もアニメ製作会社と提携しあって・・・という 一つのビジネスの世界にいるのなら、ある程度の犠牲は仕方がないのではないか。 もちろん事前約束を破ったり、テーマを真逆にしたり、は最低だけど。 ともかく、原作で映像文化の幅を広げる文化も、もう潮時ってことだな。




オタク・アニメ世代でない最後のアニメ監督だった押井守だが だからこそアニメのキャラクターの恋愛関係に入れ込む層を理解できなかった。 今でこそキャラクターに恋をしたり恋愛関係に入れ込む層は当たり前のように存在しているし もっと言えばオタクすら当たり前な時代になっている現代では 押井の持っている疑問は理解しがたいかもしれないが、それでもテレビという公器を使っている手前 責任を感じているという風にもとれる。

押井曰く 「実写映画の恋愛は自分たちのリアルに返ってきて、生産性があるけど アニメや漫画の恋愛は自分たちの世界だけにとどまって、自閉的な意味合いで終わってしまう。」

と虚構の恋愛は肯定するが、生身の人間か二次元の存在かでは意味合いが違うという。 なので漫画やアニメのキャラクターが付き合うとかキスするとかで大騒ぎする状況を押井は理解できなかったし 彼らの声に合わせて何かを作っていくのは現実でないただの逃げ道を提供しているだけだという拒否感も生まれた。 庵野世代でもアニメに没頭せずに現実に戻れなどと自意識過剰に悩みつつ、結局はアニメに帰るしかないというゴールへ。 ならば押井世代が悩まないはずがないのだ。格好良く言えば押井は最後の抵抗者だったと言える。 だからうる星2では原作でラムとあたるが何とも言えない仲を続ける=作品が終わらない、というファンと原作者の意識についていけないと思ったのか、あっさりとあたるにラムに惚れとると言わせたのかもしれない。 押井のその意識はパトレイバーで頂点に達する。ラムとあたる以上にやきもきさせる、いい年して学生のような、ある種都合のいい大人二人の 恋愛を楽しみにビデオを買う連中・・・を嘲笑うかのように劇場版2で二人の仲を残酷にも引き裂いた。 カップリングファンは怒り、声優の榊原良子は押井を憎悪した。

押井と榊原はうる星TV版からの付き合いで押井独自のころっけの準レギュラーであり オンリーユーのゲスト主演に抜擢され、そのドスの効いた声で一躍表現の幅を広げ、翌年のナウシカのクシャナで名を売った。 そのオーディションに押井も参加していたというのだから一時的には並走者だったともいえる。 そしてパトレイバーになるワケだが、パトレイバーは漫画やTV、ビデオそして映画とで世界線が違っており それぞれに自由な解釈が許されていた。パト2を榊原が怒ったのはなぜなのか。確かにキャラクターの過去や性格が大幅に押井ライズされているから それを事前にディスカッションしなかったことを怒っているのか。それならわかる。つまり役者として大事な役をいじって、さらに何の議論もなく収録をするのだから 役者としての自分をなめている、ないがしろにしている、いわば信頼関係を失ったということだ。それは押井の監督としてのミスにとどまらず人間としてのミスかもしれない。 この作品で二人は没交渉となり、押井の攻殻機動隊への出演もせず、再び会ったのはミニパトの収録で以降はイノセンス、スカイクロラと続いたが ここ最近になって始めたブログでは押井憎悪が再燃し、インタビューでも知りたくないし知ろうとも思わないと完全に切り捨て。 押井はかつてから榊原のことを良子さんとさんづけで下の名前で呼んだり、上手い声優として絶賛しているが、押井の片思いで終わった。 やはり女の幸せを奪ったということか・・・女の恨みは怖いとはまさしくこのこと。

ただ榊原良子自身にもミスがないとは思わない。ブログでは作品は製作者の手を離れると書いたがまさしくその通り。 つまるところ自分で作品を捕まえろということだが、榊原自身、その意識が半端だったのではないかと。 書いたように漫画やアニメ、メディア毎に世界線が違うのだ。押井の世界についていけなくなったのは、あくまで映画の一作だけの話であって 他とは世界が違うのだ。そういう意識を持っていたのかどうか。さらにパト2は絵柄も世界観も他のシリーズから乖離しており 独立した一作としても見ることができる。そういう風に自分なりに良く解釈したのかどうか。一回でも許せなかったのかもしれないが。 言ってしまえば製作連中も腰が引けてるんだけどね。漫画でもビデオでも映画3作目でもしれっと押井世界を蹴とばすぐらいのことはできたのに やらなかった。それはつまり元からカップリングを重視していなかったということなのかもしれない。少数ファンと榊原だけが拘っていた事象だったのかもしれない。

そう、究極はそこなのだ。榊原もある種拗らせた役者ではあるんだろうが、それを除いても私生活で結婚していないことを鑑みると 南雲に自分を重ね合わせていたのではないかと思うことがある。ブログでも後藤を愛しているのがわかるが・・・ 榊原は昔の文章とかコメントとか読んでも、クールなイメージの反面人一倍ときめきを求めるピュアなところがあって わりかし積極的に結婚願望とかも語っていたし・・・カワイイ人だと思うけどね。 しかしアニメに没頭するアニメファンには苦言を呈していたり、現実をもっと見ようとかバブルガムでも言ってたんだけど 本人がその沼に落ちてどーすんだという。これは俺の観測でしかないんだけどね。でも南雲と自分を重ねてるってのはあると思うわ。

役者としての自分をないがしろにしたという点と、自分を没入した南雲をこんなことに、という二つがあるんだろうと押井憎悪には。 まさにここではアニメへの意識、姿勢が見えてくるというもの。押井は残酷だと言われるが、パト2はその真骨頂。アニメから距離を置いたスタンスが生んだ怪作だ。 そのファンへの突き放し具合はエヴァンゲリオン劇場版以上のものだ。エヴァには逃げ道があったがパト2にはないのだ。 あ、そうそう。エヴァではアスカもケンスケとくっついたかして、声優の宮村優子は反論してたり恨み節だったんだが パト2と同じ状況だったワケだな。監督庵野は20年近く経ってようやくパト2の域に達したワケだが・・・押井は早い。 しかし30年経っても押井を許さないってのは、榊原さんかなりの女なんだよ。女の恨みはマジで怖いぜ。




本作が当時賛否両論だったってのは、やはり時代特有の賛否両論だったワケで だから今はそんなこと気にせずに見るのが正しいんだ。高橋留美子との不仲も事実でなかったらしいし。

しかし押井は原作者とのトラブルがあった方が映画的にいいと思ってるのか高橋留美子にはわりに距離を持った 態度でいるワケだが、原作者により封印される作品の多い中、高橋留美子は本当器がでかいというかドンの素質というか・・・ 押井は感謝した方がイイね、マジで。ラムザフォーエバーですらあたるが走ってるのがよかったとか、良いところを何とか見つけ出して褒めるとかさ アニメというプロジェクトにかかわったスタッフへのいたわりとか・・・大人つーか社会人つーか、徳が高いんだよな。 まー押井もプロデューサーだとか会社とかに作品作り以外のエネルギーを消耗させられたからしんどかったんだろうが、いい出会いの作品なんだよね。

最初のオープニングのラムのラブソング、チーフディレクター押井守が出るところみょーに感動するね。 どれだけ世界の押井だとか哲学者だとか辛気臭いだとか言われようが、押井の原点であり全盛期はやっぱうる星なんだよな。 みんな悩んで大きくなったということで・・・。



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