原田眞人と山本寛

自己愛タイプの監督である。 自己愛とは何かといえば、自己評価が異常に高く、他者を見下すのは朝飯前 自分可愛さに事実をゆがめたり、傲岸不遜であるとか・・・ もう一つ特徴的なことを言えば普通の言葉と過激な言葉が同じテンションで並んでおり その機械的な文体だったりが人間味を感じさせないこと。 彼らを指すにふさわしい言葉があんまりないので、あくまでタイプとして。 まあ原田は傲慢というタイプでまとまるかもしれんが・・・山本は完全自己愛だろうな・・・。

原田眞人の一番の功績と言えばフルメタルジャケットの字幕翻訳だろう。 狂った非人間的言語に合うワードセンスがいかんなく発揮されていたが、この文体こそ まさしく自己愛特有のものだと言える。下品な言葉とフツーの言葉とが当たり前のように共存しているのは 原田の文章にもよく出ており、そのリズムのよさも快優先のロボットじみたものを感じる。

山本寛の功績はやはりハルヒ。 しかしアニメ全編に流れる、温かみとは違う非人間的なムード(俯瞰とは違う)や突拍子のない奇妙なセンスは 若者特有の自己愛を象徴するハルヒが自己愛の山本寛と完全にリンクした結果ではなかったか。 ただ、若者特有の自己愛は成長と共になくなっていくワケだが、山本のそれは根っからのものなので悪化していったが。


一応の才能はあるが問題児の二人。彼らの業界への貢献はどれぐらいあるのか。

まず原田眞人。彼のもう一つの実績はカミカゼタクシーだろう。役所広司のブレイクのきっかけと言われる作品である。 実際この作品で毎日映画コンクール主演男優賞を獲得し、翌年のシャルウィーダンスで売れっ子になったのは周知の事実。 しかしいくつか議論があって、まず本作は1994年の二本組Vシネマとして発売され、評価を受けて95年に劇場公開されたという経緯がある。 まず純映画なのかと言えば何とも言えないという初発。 そして何より、カミカゼタクシーがあってシャルウィーダンスという流れを見るだろうが、実はカミカゼタクシー公開前に 役所広司はシャルウィーダンスの主演に決まっていた。カミカゼ公開が4月29日だが、 3月3日に放送されたドラマ清水次郎長物語の撮影時点でダンスの特訓をしていたようなので カミカゼの役所を見て抜擢、ではないのだ。そもそも役所広司はカミカゼの前からドラマや映画の主演作が数多く また役の幅がすでに広かったので、たまたまカミカゼとシャルウィーが年度的に前後したというだけなのだ。 何よりカミカゼは映画通には知られたが一般的知名度は皆無でシャルウィーによって役所は映画通並びに一般の人々に知られたというノリの違いもある。 いわばカミカゼタクシーは三船敏郎の銀嶺の果てで、シャルウィーダンスは酔いどれ天使だという言い方ができる。 まあ役所広司躍進の一助にはなったということで。

続いて山本寛、やはりハルヒ。 21世紀のアニメ文化に多大な影響を及ぼした作品のシリーズ構成を務め 話数のシャッフルや無理を効かす演出、仕掛けたダンス等で大ヒットの貢献者として知られる。 もはや規制が強くなにも描けない子供向けアニメでなく、深夜アニメにこそアナーキーで自由な表現の場があるとして 徹底的に無茶苦茶やりまくり、それがネット時代という新機軸に受けたという、まさしく21世紀のうる星やつら。 しかしながら考えてほしいのは、山本寛はあくまでもシリーズ構成にすぎず、監督ではないのだ。 そう、山本寛はあくまで参謀格であって、それら各パートを背負ってビジョンを決めたのは監督である。 監督が一番偉いとかじゃないけど、でも山本寛が監督ならばハルヒは絶対に成功しなかったことは間違いない。 そもそも完成しなかったろう、らきすたのよーに。 注目されればされるだけ、また位が上がる分だけ自己愛が暴走し仕事が成り立たなくなる男なので、 本作は注目度も立場もちょうどいい時期の作品だったと言える。本作で注目され初監督作となったらきすたではどうなったか。 続くかんなぎでも逃亡したりスケジュールの負荷で制作が死んだりとか噂に事欠かない。 だからまあハルヒ成功の一助にはなったんじゃないすか。

原田と山本、それなりに活躍はしたんだろうがアシストとしての役割で 時代の「顔」にはなれないということ。


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