溢れんばかりの才能とバブルの爆発――88年度危険な映画ナンバー1! 2019年ネオ東京、漆黒の暴走街で少年たちは何を見たのか!?
        AKIRA
              1988年  大友克洋 監督  

AKIRA


邦画アニメーションが描いた近未来SFの到達点。 第三次世界大戦から復興したネオ東京の、悠々と立ち並ぶビル群の圧巻の様相とインパクト 群像の迫力もさることながら、その合間をネズミの様にチョロチョロと動き走るバイカー集団の絵面。


          まさしく「映画」である。
到達点的作画が最初から最後までエネルギッシュにガンガンいく中で 最後のネオ東京壊滅、そして日差し・・・全開放した後の虚脱感。   視聴者も疲れ、虚脱するのだ。まさしく「映画」だった。アニメ―ションだけに括れない迫力。 虚脱感から来るイイ満足感がある。



本作は作画のハイパーと音楽からくる世界観を含め、お祭り映画としても最高峰。 お祭り映画。つまり青春の側面。金田率いるバイク集団がネオ東京のど真ん中でクラウンと抗争を繰り広げる冒頭 取調べ・・・学校場面。個性豊かな仲間たち。山形、甲斐、鉄雄etc   山形たちと離れて金田が別行動するようになり、山形が死に、バイク仲間が登場しなくなる。 何も考えずバカ騒ぎしていた頃から、急に現実じみたアクションが始まり 最後には全てが破壊しつくされて、ラストのバイクロード。


  冒頭のお祭り感を思い出し、懐かしかったり。そういう感傷もまさしく「映画」である。  
金田、鉄雄、甲斐、山形。この暴走族4人の少年たちの声優。岩田光男以外全員が新人だった。 しかし岩田も、そこそこのアフレコキャリアを持ちながら専業声優というワケではなかった。 本作で一躍注目され、いよいよ声優一本に絞ることに。そういった記念の作品でもある。 そういうフレッシュがまた良かった。スタンド・バイミー辺りから今の声になった。 山形役の大倉以外は全員スター級の声優となったが、本作の登場人物で一番おもしろく、魅力的なのが山形。


 
いかにもな暴走族少年。長身で目つきが悪い、一人世紀末みたいな格好。 それに加えて3枚目。トんでる。金田と違って頭は悪いだろうが 「おもしろい不良ポジション」から堂々としたハジけぶりを見せ、金田とは違ったカリスマ性を発揮する。 しかし、おもしろいだけでなく義理人情に厚い「男の中の男」らしい姿もまた魅力的。 鉄雄が金田に反抗する場面の山形のムードが最高である。   目を瞑り、2人のやりあいをじっと聞く。クールなのである。 こういう軽薄でない不良キャラは人気である。現実でも。アホそうながら義理人情で生きるのだ。


  最期もその勢いから鉄雄に殺されてしまったが・・・   「コーナーは死ぬ気で行くんだよ。いいか、見てろ」
回想場面での兄貴っぷり。 山形の暖かいキャラクターが大倉氏の素朴さによって目前に再現。 親に捨てられ、金田のバイクチームにしか居場所のない彼が時たま見せる哀愁、寂しさの篭った表情も最高。


 
ともかくドラマ性は最高。冒頭、本作の世界観を一気に描写したバイクシーンの 盛り上がり・特攻隊長に任命された山形。楽曲のサビと共にスクリーンに向かって快活を飛ばす彼の表情が素敵だ。


 
原作では一巻で「山形ァ」の名場面と共に退場するが、準主演の役割であり、出番と個性は抜群だった。アニメも同様。 ともかく山形は最高だ。山形のコミカル、不良、人情、哀愁、世紀末。 コレを内包出来るような人間に・・・途中まで聞いてマシターっ。


・・・
金田と鉄雄の関係性もよかった。人間には明確に「差」があるという 「生まれから定められている」如く世知辛い現実が2人の間で、爽やかに憎悪にまみれながらも 骨肉の対決にまで発展する極限のドラマ。 金田もイイ奴だが人間だから完璧ではない。そこが鉄雄には許せなかった。どうしようもない鬱屈を抱え破滅していく鉄雄。   結局、金田は鉄雄が何故に自分を殺そうとしたのか理解していたのだろうか? おそらく深いところまでは理解していまい。 だからこそイイ。憎悪の原因は分からず、または消えうせ、残るのは金田と鉄雄の青春と友情のみである。 こういう生々しくささやかな感情を、国家規模で爆裂させる。二次元が最も得意とするところ。


  ・・・ キネマ旬報1988年度ベストテン31位 読者投票4位
『こんなにファンの注目を浴びたコミックの映画化が、かつてあっただろうか。 しかもその期待を裏切らなかったケースもまれではないだろうか。 観終わった直後の感動の中に、大友の天才性をいかんなく発揮させたスタッフへの感謝の気持ちも隠し切れないほど入っている。 それは生まれて初めての感情だった。』


・・・ アキラのリマスターはアメリカが行い、日本がそのマスターを使用して国内販売したのでクレジットは英語のまま。   このクレジットは、オープニングでもそうだけど、やはり日本語じゃないと。日本の映画だからね。  
冒頭とラストはまったくの別物であるが、その物理的破壊と精神的破壊の合体は和製「地獄の黙示録」とも言える。 当然、実写では黙示録は完成し得ない、しかしアニメでは出来た。 「アニメで黙示録やろう!!アニメでハイテクと精神世界の融合をやろう!!!」 そういう勢いが当時存在した。 今「デビルマン」が出来るか?悪魔との戦いから世界哲学の宇宙真理にまで突っ走る勢いと構図。 昭和の、アナログなパワフル世界観はデジタル世代がどうやっても辿り着く事は出来ない。 結局見渡す事全てが人為的(デジタル)だから。想像力もクソもない。だって人間が考えたモノを流し見するだけだから。 人間の発想には限界があるのだ。0か1かじゃない余白の部分は昔の方があったはず。 アナログの自然美を子供の頃から見続ければ、そういう発想の豊かさを手に入れることは容易だったはず。

それだけではない。アニメ版「黙示録」コレをやるには想像力と『資金』コレがもっとも大事である。 バブルのイケイケゴーだった時代だからこそ出来たということ。 本作の雰囲気は異様である、異常である。作中の人々のデモの異様さに当時の混乱が出ている。 バブルというワケの分からない、気の狂った、国民(総)裸祭りの時代だからこそ鬼気迫った迫力がフィルムに焼きついた。 そういう「気狂い」と「あの頃はよかった」的産物でもある。エネルギッシュな。


   
本作は2020年の東京オリンピックを予知してしまった作品としても有名であるが どうだろう、今思うと、「今」はこの世界観であってほしかったな。 俺含む若者が「破壊」と「創造」に青春をかけている時代であって欲しかったね。   抗争、爆破、デモ、暴走、メッチャクチャ。そういう勢いがないぜえ。(思想とか関係なしにやで) なーんか、悪い意味で倦怠感たまんねえよなあー 終わりが見えないからかあ、それなら無理やりにでも終わってくれよなー宇宙ごとさ


  オリンピックは中止になった。アキラの爆誕は近い。

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