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出崎のよさは、というか男が女ものをやる際に、その女ものの感性的な部分を理屈っぽくとらえるってのがあるんじゃないかと思うんだけど 本作はそれがいい風に作用したんじゃないかな。 一言でいえばさ、少女漫画で今騒がれてる部分ってのは、大人と子供の恋ってところで、つまり男側ただのロリコンじゃんとかいう 乾いた感想のことね。読者層が大人になって読んでこれ犯罪じゃんとか言って冷める、みたいなさ。女の方が多いわなそういう意見。 で本作の宗方。岡を母親に似ているから、ということでそれを突破。こいつを好きとかじゃなくて親への慕情でやってるんですよと。 宗方若いしね。27だから母親どうこうってのはまだおかしくない年齢。 ある意味、読者が大人になってわかる感性かもしれないし・・・スキがないぜ。40ぐらいで母親が・・・とか言ったらおかしいけど。 ただこの手の作品って押井のBDもそうだけど、ガワで男がやった女がやったってのを意識しすぎなんじゃないかといい気がする。しかも浅いところで。 その大前提に固執しすぎるあまり、自分なりに作品を受け止める作業をさぼってんじゃないか。 あにこれというところのレビューに反論していく。
『名作とされていますが、私はそうでもない気がします。 「エースをねらえ」がスポコンの名作なのは、宗方と岡ひろみの師弟愛と岡の想像を絶する練習の果てに高みを目指すところです。その努力はスポーツのみならずあらゆる分野に普遍的にある、女性の努力の大変さを上手く表現していました。 私は原作の大ファンで何回読んだかわかりません。そして、劇場版エースをねらえ!は出崎演出の最高峰として様々なところで高い評価を受けて名作とされている…様です。 そう「様です」としか言いようがないです。正直申し上げて、ストーリーそのものは物足りません。お蝶夫人との関係性だけで物語が終わってしまっています。 ですが、劇場版としては上手くエピソードを拾って自然な形で再構成したと言えると思います。ラストも分かりやすく、岡を送り出し「岡、エースをねらえ」という名文句が非常に感動的な画面で描かれます。 が、最も大切な要素である「女であることの弱さを越えろ」というテーマが映画では単に宗方の「母に似ているから」に置き換わっています。そこから続いて「母のようになってほしくなくて、岡に強くなってほしい」と言います。いや、これは駄目でしょう。 原作では、母の女としての弱さ=女として生まれてきた弱さ、それを岡、お蝶夫人、緑川蘭子の3人に対して、宗方はそれを越えて欲しいと願います。そして、岡は男子以上の練習を重ねることでコーチについて行きます。 ニュアンスが伝わらないかもしれませんが、原作は岡に母を重ねていません。女の弱さという共通項を見ているだけです。 その師弟愛が胸を打つのですが、劇場版は「女の弱さ」を越えて欲しいではなく「母の弱さ」に似て欲しくないとそこが何か矮小化されている気がします。 原作の一番の感動ポイントが後輩の1年生男子と岡が試合をして、その後輩男子にボロ負けするのですが、その後輩が「負けたと思わないでほしい、あなたが男なら負けていたのは自分だ」と言います。そして岡の練習量の結果に皆が驚きます。 ですが、岡は男に勝てない自分は駄目だ、もっと練習しなきゃといい、更に厳しい練習を積み重ねます。それこそがスポコンであり、類似例を出すと「響け!ユーフォニアム」に感動したのが、才能じゃなくて練習量と続けようという気持ちに帰結するからです。 (ちなみに原作でも完全に努力だけと言うだけではなく、岡には練習を続けられる才能があって、また型破りという曖昧な言葉でいってますが、身体的なポテンシャルはあったような感じですけど) 原作を読んでいて、映画を見ればテレビ版(ほんの一部しか見たことないですが)よりも、良い絵で見せてくれるのである程度満足はあります。そして、先ほど言った「母」の解釈以外は、まあ良くまとめたとは思います。 結論として映画だけ見て本作が名作と言うのはちょっと言い過ぎな気がします。プロのクリエータの方や演劇等創作に関わる人がみると、出崎演出に見るべきものがあるかもしれませんが、素人から見るとそれほど満足度は高くないし「母に似ている」で脱力してしまいました。 ということで、私には出崎演出の良さがどこまでわかっているかは心もとないですが、演出に詳しい方にはいいかもしれません。そこに興味がある方以外には、映画はお勧めしません。ただし、原作はお勧めですし原作を読んで、動く岡ひろみが見たい方には良いと思います。』
あくまで劇場版をよくできてるとする俺からの意見なんだけど、この人は表面的な言葉だけにとらわれて、奥の部分まで理解できてないんじゃないかと。 つまりこの人は母親というところが気に入らないんだろうけど、この作品で語られる母親=女そのものなんだよね。 結局さ、一般論かもしれないけど、男にとっての最初の女は母親だっていうことなんだよ。女にとっての最初の男は父親だとかいうじゃん。 もっと言えば男にとっての女=母みたいな。 自分の好きな女を考えたら母親に似てるとかいうやつもいるしさ。まあマザコンの世界すか? 考えたら宗方にとっての女って母と岡以外にはお蝶以外いないし、彼女とか婚約者とかもいないし、 だから自分の中の女像=母(しかいない)ってのは正しいと思う。 これは男だからこそ加えられた概念であり、それをうまく料理できているんだよな。 つまり母親=弱い、から、岡らに「弱い女になるな」っていうのはイコールになる。 母の弱さを超える=女の弱さを超える、は成り立つんだよ。 この作品で宗方の言う母=女そのもの、なんだ。 少女漫画的に、理想的な男像ってのを、母親どうこうで生々しく等身大にしちゃったところに批判があるんだろうけど でも27で死ぬんだから、そういう男の若さを描いたってことで、いいんじゃないかと。岡を好きになったのも今じゃロリコンだとか言われるんだから 堂々とせず、そんくらい人間的な弱さを見せた方がまだいくつか解釈の余地があるし。 そうそう、だから岡は母に似ているという言葉は、岡を好きという告白なんだという意見もある。 かもしれない。自分の異性の好みは親に似るというけど、岡は母に似ている=岡も好きなタイプだったっていう。 男子対女子は急にジェンダー的な側面も出て、優秀なシーンかもだけど浮くかもしれない。 うまいけどな。説教臭さでなく、男という存在を才能だという風にとらえているから、その才能を超えなければ、という。 しかし大事なのは、決して男に勝たなきゃいけないということではないんだよ。強い女になれというだけで。 だから・・・男じゃなくてもいいわけね。「圧倒的な才能」への挑戦ってのがあればいいんだ。 本作ではお蝶という圧倒的存在への努力や同期のプレーヤーとの切磋琢磨で頑張ってるしそれでいいのでは、と。 どうしても男にこだわるんならやはりジェンダー論になってしまう。この人は無意識にこだわっているんだろうと。 この人に限らず、作品ってのは自分なりに読み取る作業をしないとな。まあこの人の場合 母親の時点で気持ちが離れてしまったんだろうが、理屈で読み取れば納得できると思うよ。 しかしスポーツってのは男子対女子に拘るやついるけど あれ意味あんのかな。外野がワイワイ騒いでるだけだと思うわ。プロの筋肉量とか男女で大きく差があるんだから それを興行内で成り立たせるなら男女での勝負はありえないってだけで、純粋に男女差別どうこうってのは飛躍しすぎなんだよ。