中学から付き合ってきて、25歳の今、 キネマ旬報のインタビューなんか読んで思ったことは やはりこの作品は何もない作品なんだということなんだ。 インタビュアー木村がいくら力んでも、鶴見にしろ牛山にしろ何もないんだということ。 大いなるゼロというか。ブラッドパックムービーだとかテーマだとか何も描けなかったんだな。 国の抱える問題点だの、若者たちの焦燥だの、普遍的な葛藤だの。 しかし無内容=不必要な作品というワケじゃない。 描かれていないところから、逆に日本という国がしっかりと見えてくる作品になっているのだ。

今なお残る歴史問題、韓国からアジアから色々、俺なんか思うのは、なんで当時、世界二位の経済国だった日本という国が その余裕ある時期に問題解決に動こうとしなかったんだということが不思議だね。 金がすべてじゃないんだろうが、精神的に余裕のある時期にやろうと働いてりゃ、今ほど泥沼になってないだろうと。 結局、時代の変化が凄まじい時期だったし、過去の辛気臭い問題より目の前の楽しいことに集中したいということだったのかもしれないけど。 だから火垂るの墓なんてのが忘れ物を届けに来ましたっていうキャッチで世に出たんだろうが・・・。 右も左も勢い落ちて、政治が盛り上がったのは天皇崩御の時ぐらいで、平成以降は政治にノータッチが当たり前に。 戦後教育の自虐の度が過ぎたのか、反動として右翼が出たし、繊細な連中は反日になったし 何より大多数はそんなしんどいこと考えたくない+時代の波によって過去を考えない、そんな世代の必然的な帰結だったのか 88年卒業プルーフには、政治も殴り合いも、何にもない。あるのはファッションとラフさと、明るさでしかなかった。

潔いと思うね。 あえてなのか無意識なのか、まーあえてなんだろうが、背伸びしたようなテーマなりを入れ込んで 作品として統一性を欠くとか説教クサいとか、そういう結果に陥る愚を踏まず ときめき青春だけに絞ることによってメリハリ効いて、異色キャストらのフレッシュな演技とか時代の風俗だとか 演出や音楽、シークエンスがストレートに伝わってくるっていうね。 だから本作は色んな要素が、下手なりにしっかり立ってギュッと詰まっているワケで、映画になってますよ。 小品だろうがなんだろうが、幼稚だろうがなんだろうが、立たせたい内容がしっかり立っていると、立派じゃないすか。

インタビューにあった「人の死だとかアクシデントを入れ込んで内容を濃密にするという方法論もあるけど 今の僕らの世代には嘘くさい」、ってのはまさしく時代に沿った意識だし、ウソついてないと思うね。 人の死ってのは青春映画にはつきものだけど、意識すらさせないってのはやっぱ潔いよな。 スタンドバイミーもセントエルモスファイアーも、跳んで青い春でも死ってのがテーマだったし どこか若さだとかに頼った連中の常套句でもあったけど、27歳にして死を入れ込まない青春映画を作るってのは偉いよ。 まあプリティ・イン・ピンクを意識してたとも言うのでね。それだったら和製アンドリュー・マッカーシーこと 鶴見辰吾もちゃんと出演してればな・・・。


他に国の問題・・・在日だとか、人種だとか、その他にも色々あるけど、本作には関りがない。 本場ブラッドパックムービーですらあまり描かれなかった。 インタビューで日本人は相手に責任を取れないから土足で相手の世界に入らないという牛山に でもそれをやっているからアメリカ映画は面白いと返す木村。 何故日本映画は国の問題やらなんや

らを映画にしないのかということなんだろうが、それも色々理由がある。 ひとっ飛びして日本の問題は究極的にはアメリカの属国だからだとかいう究極から 映画という立場が国民の教科書であるアメリカとただの娯楽である日本とで違うからとか 問題を起こされると困るという興行側の問題とか、声を上げない国民性だとか、色々あると思う。 特に思うのはアメリカは銃社会だからヘイトが直接殺しに結びつくんだよな。だから問題提起もしやすい。人の死は。 でも日本はそこまでいかないから。ヘイトが死に短絡しないから。加えて国民性もあって問題化しにくいとかね。

何よりも、頭の問題なんだよな。複雑な問題をエンタメ化するってのは難しい。でもアメリカはそれができる。 何故か。それはハリウッドなんかにいる製作者連中は全員超インテリだから。 日本じゃ東大監督はちょいちょいいるが、ハリウッドじゃ東大レベルが当然で、もっと言えば東大以上の連中がゴロゴロしてるんだから。 うん、東大なんて世界ランクじゃ30位ぐらいで、それ以上の連中が分布としてハリウッドに集まってるのは当然でね。 東大の長谷川和彦は日本映画界のスピルバーグなんて言われたが、スケールで言えばアメリカじゃゴロゴロいるんだ。 カプリコンワンのピーター・ハイアムズレベルなんだよだから。けなしてるわけじゃなくて、それだけハリウッドは層が厚い。 映画の地位が高いからこそ、教科書を作る連中だからこそ、アメリカだからこそすごいやつらが集まる世界になったのだろうが 日本ではね・・・地位も微妙で、東大が変わり種と思われるほどで、早稲田とかそういうのばかりでね。 まあ頭の出来ですよ。複雑さをエンタメに、重厚に仕上げるってのは頭の勝負だから。 そしてアメリカは人に対し土足で乗り込む無神経さを持ち合わせて、 昔から人種問題が荒れまくってて、世界に公開する映画ばかりで、金もあって、スケールもあって 勝てんわな。

アメリカってのは最初から、世界相手のエンタメの基礎が仕上がってんだ。その線に沿って作ればいいと。

そういう意味で・・・自分らのできる範囲を理解して、それをやったってことで、ウソついてないし素直に見れるね。 同年にスケールは超大作ながら中身のないアニメ映画オネアミスの翼が公開されたが、あれは厚化粧が過ぎたな。 やはり日本特有か、世代の弱点がようくわかるわな。それは10年後の劇場版エヴァンゲリオンで昇華されたワケだけど。

うん、世代的な弱点をそのまま描いたのが本作で、虚飾したのがオネアミス、芸術の域にいったのがエヴァということで・・・。 ちなみに牛山と庵野は同い年。




本作の面白いところは、やっぱ世間の思う80年代が完全にパッケージされてるところだろうね。 軽薄だろうが甘い考えだろうが、どこか余裕があって、ラフで、みんなオシャレで、外国みたいなパーティーして、元気いっぱいでね もちろん80年代の映画は大体そんなところあるけど、本作はスターが一人も出ず、劇団員が主役を務めているところからわかる通り 役者役者した匂いが薄く、いわば虚構でないリアルさが蔓延して、本当にその世界に彼らがいるんじゃないかと思っちゃう。 戦隊物にあるような感じね。ジェットマンでもね。みんな素人ばかりだから、マジっぽい。 で当時の風俗丸出しだろ、時代しか感じないわな。 スターの売り出しとかなら変に気を使ったりとかしなきゃならないから。でも新人ばかりで、事務所の意向とかもないんで だからキャストがキャストとしての自己主張でなく、時代を見せる構成要素としている、というワケ。 もちろん役者としての楽しさもある。役者クサくないからこそ、新鮮でフレッシュで、普段の映画でもテレビでも いつもの顔の連中がいつもの演技をしているっていう、しかも層が薄いっていう・・・そのフラストレーションが晴れるね、こういう映画は。 個性もちゃんとあるしさ。顔で言えば主役のなんて佐藤浩市でいいワケだけど、それじゃ佐藤浩市の映画になって、 時代の映画にならない。うん、俺は時代の映画だと思っている。

最近、80年代ブームだとかバブリーダンスだとか言われてるらしいけど、本作がその急先鋒にならなかったのがわからない。 所詮ブームすら軽薄だったということなのか・・・。まあ絶対に受けるね、パッケージとして。80年代って言えばこれだな。 バブリーと言えば本作。YOUTUBEとかにアップしたら受けるんじゃないかな。 消されるかもしれんけど、消すほど製作側も大事にしてないかもだけど。


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